第三章『ついに、華やぐ物語の中へ』
第8話『いよいよだ』
四月。
まだ寒さの残る清涼な風が、電車の外で忙しなく羽ばたいている。
外の景色に灰色の色が増える度、乗り降りする通勤の会社員の姿が増える。
向かうは奥多摩。奥多摩と言えば自然豊かなイメージだが、この世界ではイヴェルシャスカの槍が奥多摩に落ちて以降、そのクレーターの中で瞬く間に都市開発が進み、今や日本髄一の要塞都市と化している。
トウカツの襲撃も多く物騒な場所であるが、今や渋谷や新宿を優に超す大都会だ。
「いやぁ。緊張するなぁ」
向かい合う二人掛けの椅子の向かいに腰かける風間 霧矢。その隣にはそわそわして携帯の通知を確認しては閉じを繰り返している火威 刹那。
何と二人も聖雪の灰色のブレザーを着ている。下は青で統一され、清涼感のある色味だ。
「両親が熱く勧めるから聖雪にしたけど……はぁ、やっていけるかな……」
刹那が不安そうにため息を吐く。
刹那と霧矢は、適応した亜種『煌神具』の性能が強い故、スカウトされたとのこと。
そういう例があることは原作の地の文で読んで知っていたが、今になれば聖雪に受かるだけの才能を持っていることがどれだけ恵まれているか分かる。最難関高校に推薦とは。
とはいえ、そういう人間は日頃から訓練していないのも相まって、あまりに厳しい訓練に中退する者が非常に多いらしい。そういう境遇のものがただ卒業するだけでもドキュメンタリー番組の恰好の餌だとか。
ちなみに、他のオタク仲間は、適性を持ち合わせていなかったり努力しても届かなかったりと、皆普通科の高校に行ってしまった。
「聖雪の訓練はおっかないって聞いたなぁ。お前、ついていけるん?」
「何さ余裕ぶっちゃって! 自分だってさっきから貧乏ゆすりしてんじゃん!」
目の前の二人が切羽詰まって言い合っているのをよそ目に、蒼の隣にいる朱莉は静かな真紅の目で窓際を眺めている。その秀美な横顔を見ていると、本当に両親からいいところだけを貰ったなと思う。
朱莉は同じ中学でも属するグループが全く違うため、向かいの二人とはこれが初対面だ。
「蒼、緊張してるの?」
朱莉は窓の外を見たまま問う。
蒼と言えば、体を前のめりにして何度も組んだ両手を握り直している。
さっきから胸の鼓動が電車のアナウンスよりハッキリ聞こえる。
ようやくだ。
輝かしき少年少女たちが華やぐ物語の舞台に、あと数十分で着いてしまう。二年前からひたすらに目指してきた場所であり、なおかつ昔からずっと憧れていた場所。
そして、あの、彼女がいるところだ。大きな緊張と期待に、体が強張る。
大木が背中に生えてしまったかのように体が重い。思考は高速で巡るが、速すぎて焼き切れ、途切れ途切れだ。
「おいおい。CJCベスト8が今更何をそんなに怖がることがあるん?」
「そうだよ。小波がシャキンとしてくれないと私たちもっと不安だよ」
小波という言葉に朱莉も反応し、刹那があそっかと訂正する。
そんな他愛のない会話も愛らしいが、今はそれを楽しむ余裕がない。
「いや……俺のはただの、恋煩いみたいなもんだ」
そのせいか、普通に口を滑らせた。リアルの色恋沙汰にはあまり縁のない向かいの二人は、それを聞いて複雑そうな顔。
「なにそれ、初耳だけど?」
「お前特訓一筋じゃなかったんか? ていうかなんでこのタイミングで恋煩い?」
「何か、昔から好きだった人が聖雪に来るんだって」
朱莉が遠慮なく二人に暴露する。その目はどこかむくれているように見えた。
アニメにしか興味がないらしい霧矢はちょっと照れ気味に顔を反らしているが、刹那はちょっと興味がありそうだ。
「どんな人なの? 知り合い?」
「一回しか会ったことない。一方的に読んだりしたことはめっちゃある」
「? SNSでフォローしてる人?」
「そんなところ。会話に関してはしたこともない」
「……もしかして、その人のことストーカーしてる?」
「断じて違う」
まさか本で読んでて好きだった人ですとは言えない。刹那が不審な瞳で蒼を見つめると、霧矢が「分かった!」と声を上げる。
「ズバリ、
「……ああ~」
全然違うが、知っている名前が出たのでこのようなリアクションになった。
鳳城 セナ。今をときめく六人組アイドルグループのリーダーで、この世界のアイドル界で右に出るものはいない。
普段はふわふわしているが、クールな曲調の多いこのグループで見せる艶美な表情のギャップに射抜かれた人は多い。朱莉もテレビに彼女たちが出るときはよく食いついて見ている。
そして、蒼が知っているということは、鳳城 セナは無論、この物語のヒロインの一人であるということだ。
こんなハイスペックの少女が主人公の幼馴染である。
そして入学の時点で主人公にベタ惚れ。その揺るがぬ恋情を知っているだけに彼女に恋する少年たちが不憫でならない。
ちなみに、この六人組のアイドルグループは後に全員顔出しがあるが、大抵主人公のことを無条件で好いているのもイライラポイントだ。
「それは霧矢の好きな人でしょ」
「俺は現実のアイドルには興味ないし」
「どうだかね~。CD全部買ってるの知ってるんだから。もしかして、聖雪に行くのもそのためかな?」
「ぅぐ」
やられたと眉をぴくぴく動かす霧矢と、してやったりな刹那。
あの物語の周りで街行く人々がこんな他愛のない会話をずっと交わしていたと思うと、何だか愛おしく、感慨深かった。
『間もなく、国立聖雪高等学校前。 国立――』
深い呼吸をし、胸に手を当てる。
始まる。
最高峰の戦闘訓練学校で、少年少女たちの情熱と青春に満ちた戦いが。
蒼も、この輝かしい舞台の中に飛び込んで、踊るのだ。
「……ようやく、ここまで来たのか」
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