第2話『華やかな物語の……え!? モブ!?』

 永遠に落ち続ける。頭上の光が、どんどん遠のいていく。


 下にあるのは、暗闇だけだった。やがて彼は、その闇と同化して、消えていくのだろう。


 遠のいていく。全てが深淵に消えていく。


 しかし、唐突に、彼の意識を照らす光があった。

 彼という存在を、彼という意識が再び捕まえる。眼下に広がる純白の光に、体が急速に引き込まれていく。



(何だ……!?)



 取り戻した体を再び巡る生の実感。永遠に思われた闇が払われ、溶けかけた重音という意思が確固たるものになり、さらに光の奥へと飲み込まれる。


 一面が光に呑まれ、そして彼の意識はさらにその先の色鮮やかな光景へと――



「――――いっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっってぇぇぇぇえええええぇぇぇええぇぇえぇぇえぇぇぇぇえええええぇぇえぇえぇえぇぇぇえぇえぇ!!!!!!!!」



 彼は自分の絶叫と共に暴力的なほどの多くの色を吸い込んだ。

 だが、それよりも手前にある強烈な痛みに、彼は自分でも驚くほどの絶叫を上げてもんどりうつ。



「は、はひッ、は、は、い、いてぇぇぇ……!! いっってぇ!!」



 想像を絶する痛みに涙が絶えず出る。

 痛みの元に手を当てると生ぬるくドロドロしたものがべっとりとこべりついてきた。見やった掌に赤が広がり重音はまた意識が飛びそうな思いだ。


 体の傷はなぜか、胸元を鋭利かつ巨大な刃物で抉られている体を成している。



(俺、バスの事故で死んだんじゃ……?)



 自分の声もどこか幼く聞こえる。



(どうでもいいどうでもいいどうでもいい痛い痛い痛い痛い痛い痛てぇよ!!)



 そんな疑問よりも、全身で痛みを受け入れる重音。しかし、彼の周りがそれ以上の音を発し続けているのを段々と理解し始めると、痛みを忘れるほどに驚いた。



「あ、が、な……何だ、どうなっ、てる……!!??」



 彼が見ているのは、横浜の街だ。それも、派手に炎上している。


 横浜には何度も足を運んだことはあるが、さっきまでいた場所とは違う。それに何故こんなにもあちこち燃えているのか。


 重音は窓ガラスの飛び散った高層ビルに寄りかかって未だ悶えている。街が揺れるたびに小さなガラスがパラパラと落ちてくる。


 辺りは悲鳴に覆われ、彼の前を逃げ遅れたらしい老若男女が右往左往だ。かつて、横浜の街がこんなに炎上していたことがあっただろうか。

 観覧車も薙ぎ倒されているではないか。



「…………はぇ?」



 重音は人生で一番呆けた声を出したことだろう。

 彼の疑問に答えてやろうと言わんばかりに、彼の真隣のビルの合間から巨大な白い化け物がヌッと姿を現してきたのだから、無理もないはずだ。


 全長は十メートルを下らない。六本の蟲のような足にヌメヌメとした細長い胴体がくっつき、もたげた上半身から不気味に伸びる腕の先は反りの入った大鎌になっている。

 目や鼻はなく、乱杭歯が詰まったバカでかい口だけが顔面を我が物顔で支配していた。

 足を蠢かす度に大鎌を地面に突き刺しバランスを取りながら進む。先ほどからの震動はこれか。


 重音の常識を超越した存在に、最早恐怖が湧き出る余裕すらなかった。


 怪物は上半身をうねらせて、重音の前に顔面を持ってくる。

 近い。その腕のような歯を見れば、噛み付かれたら一瞬で体が細切れになると分かる。



「う、うそ……じゃん」



 ――といっても、重音は目の前の怪物の既視感に囚われて、恐怖を感じる余裕もなかった。

 怪物が血なまぐさい息を重音に吐きかけている間も、重音は身の内から湧き出る記憶と目の前の景色を擦り合わせて、驚くことしかできない。


 重音はこの怪物を知っている。現実にこの怪物が暴れているのを見たわけではない。


 そう。目の前のこれは、彼が今よりも若かりし頃、興奮の内にめくった本の中にいた、空想上の怪物――



「『トウカツ』……?」



 怪物が吠える。手に持った大鎌を振り上げる。

 自分の傷が、あの大鎌が掠って出来たものだったのかと自覚する。


 そんな刹那に、事は起きた。


 日頃遥か高くの雲で轟く青白い雷が、明らかな攻撃の意思を持って怪物の首元に炸裂したのだ。怪物は甲高い女性のような悲鳴を上げて悶え、地面を揺らしながら斃れる。


 重音が轟音に耳を押さえている間に、一人の少女が怪物と重音の間に割って入る。



「あ」



 言葉を、詰まらせた。

 荒い息に合わせて、少女の背中で金色のツインテールが上下に揺れている。

 されどその立ち姿は勇ましく、気高く、その獅子の如き闘気に呼応して、見慣れない青と白の和装の周りで青白い稲妻がチリチリと爆ぜる。


 その手には白い刀身を携えた刀が握られ、もう片方の手は胸を必死に押さえているようだった。彼女の息の上がり方は、疲れというよりは、悶えに近い。


 少女は一撃で葬った怪物の前で重音を振り返り、切れ長で勝ち気な青の瞳に苦しみを宿しながら、重音を見つめた。



「早く、逃げなさい。 死ぬわよ」



 重音の胸が、ドクンと、鳴った。


 彼女のことも、重音は知っていた。否、知っているというか、そんな次元ではない。


 彼女の名前も、通っている高校も、好きな食べ物も、生年月日すら、設定資料集のページに折り目を付けたあの日から、忘れたことはない。


 あれから重音は大人になってしまったが、決して届かない場所にいたこの少女に捧げた青春時代が、記憶の深い底から、大量の熱を伴って蘇ってくる。


 その華奢な体つきも、金色の髪も、紺碧の瞳も、正義だ情熱だなんて小恥ずかしい言葉が似合う強気で真っ直ぐな性格も、全てが全て、あの本の中で舞っていた彼女と同じ。


 恋という残酷で無比な感情に、こんなに短い間隔で胸が苦しめられるとは。


 何もかもぶちまけたくなるような大きな感情が喉に突っかかる息苦しさを他所に、少女は新たに発生した轟音の元へと駆け出した。


 その後ろ姿を追うにも、胸の傷が痛すぎる。立ち上がりかけた体が崩れ、重音は両手両膝をついた。

 体の下に血の海が広がるが、興奮で痛みは遠のき、口元には笑み。



「すげぇ……うそだろ……こんなこと、あんのかよ……まじか……!!」



 ここは、本の中。


 宇宙の彼方より飛来した槍によって生み出された怪物と人類が凌ぎを削る世界。

 読み漁った本やアニメで何度も見た、小説の中への異世界転生。オタクな彼の物分かりは早かった。


 彼は、与えられたのだ。


 どういう因果や理由があるのかは知らない。

 だが、彼は確かに別の誰かとしてこの世界に転生した。

 彼が中学から高校時代に憧れ、現実を空虚に思わせた最高のファンタジーの中へ!


 そして、出会った。絶対に会話を交わすことのできなかったあの日の想い人。


 興奮に、息が上がる。



(一体誰に転生したんだ……? 主人公!? もしかして、悪役か!? いや、サブキャラ? いや、この際誰でもいいか!! 今度こそ、俺の人生が華やかになる予感が……)



 真下に出来た血の海に、初心な少年の顔が映っている。

 素朴な黒髪、瞳。その目には覇気がない。



「って!!!!!!!!!!! 誰だコイツッッッッッッ!!!!????」



 重音は叫ぶ。

 それは、輝かしき世界での、第二のモブ人生の始まりなのかもしれない。

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