デコラ・イン・ザ・シー
砂藪
decoration
「私はいつまでここにいればいいの、マザー」
約三.五パーセントの塩類を含んだ水分。
魚類、棘胞動物、節足動物、軟体動物、哺乳類。
多くのものが揺れ動く中、折り畳まれたようにひっそりと佇むガラスの箱の中に、デコラはさらに膝を折り畳んで積まれた本に囲まれていた。
『いつまで、と、決まったものでは、ありません』
ぱたん、ぱたん、と。
積まれた本のうちの一冊が身を開いて喋り出す。
『このコロニー、より、外に、貴方は、出られません、よ、デコラ』
「そんなことを言われても……」
デコラは開いて閉じてを繰り返して動く一冊の本から目を背けて、折り畳んだ足にのせた本のページを捲る。
「ねぇ、火山ってどんなものかしら? 湖は? ビルは? 街は? 空は? 土は? 雨は? いったいどんなものなのかしら? 全部全部本に書いてあったことなのよ? それなのに、私は実物を見たことがないの。見たいと思うのは不思議なことではないでしょう?」
電子回路を組み込まれ、受信によって適切な回答を発するマザーは答える。
『火山とは——』
「いいのいいの! その説明は本を読んでる時に何度も尋ねたわ!」
デコラが両手で自分の耳を塞ぐと、マザーは火山についての説明を止めた。それに気づいたデコラは大きくため息をつきながら肩を落とした。
「とにかく、私はマザーが簡単には説明できないものを自分の目で見たいの」
『説明、できます』
「そういうことじゃないの! 辞書に書いてあることとかの説明じゃなくて、匂いとか肌で感じたいってこと! そして、感じたことをマザーにも教えてあげる!」
『好奇心、と、推測。しかし、デコラ、後者は、分かりません』
「後者って?」
『私に、教える、というところです』
「だって、マザー、本でしょ? 匂いとか肌で感じるとかできないじゃん」
『……』
デコラの言葉に否定も肯定もできずにマザーは返答するのをやめた。
デコラは物心がついた時から海底のコロニーにいる。
人類が自主的な生産を禁止されてから百年余り。
「マザー、このガラスの向こうに書かれている文字ってなに? 私は知らないものだけど……マザーなら分かるよね?」
囲まれた建物の隅に刻まれた文字を指さす。内側に書かれている文字をなぞるデコラに、ぱたん、ぱたんと開いて閉じてを繰り返す本が答える。
『〝人間〟と、書かれています』
デコラは澄んだ海水の向こうに自分がいる建物と同じような建物があるのを見つけた、そちらを指さす。
「あそこには誰がいるの?」
『人間、は、いません。あそこには、猫、が、います』
「猫! 本で見たことがあるわ! ふわふわしてるんでしょう? 触ってみたいわ!」
『貴方は、出られません、よ、デコラ』
デコラは、ぷくっと頬を膨らませた。
「どうして?」
マザーは返答しなかった。
マザーがデコラに教えたガラスの文字は情報が抜けている。
書かれていた内容は実際にはこうだ。
『人間 メス 十七年 雑食 高い知能を持ち、手先が器用。道具を使い身を守るが道具がなければ、身を守る術を持たない非常に弱い生き物』
その文字はデコラが教えられたことがない、水棲生物の共通語で書かれていた。
デコラ・イン・ザ・シー 砂藪 @sunayabu
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