三章 舞踏会編

三章(甲) エールの初仕事

 ワッカラ村の襲撃から一年後。暗殺者一家イヴに、仕事の依頼が一つ舞い込んだ。クレアムルの第一王子の暗殺だ。大仕事である。〝イヴの八兄弟〟が長女、ギラフ・イヴが黒板にチョークを滑らせて依頼の解説をする。


「ということで、今回の仕事ではエールちゃんにも出張ってもらおうと思いまーす」


 エールは飲んでいた紅茶を吹き出した。むせるエールの背を、同じソファで隣に座っていた水色の髪の女性――シワスが撫でる。エールはギラフに食い掛る。


「あ、あのお。重すぎると思わない? 初仕事が」


 シワスもうんうんうんうんと首を縦に何度も振って同意する。


「いやでもさあ。今動かせる人員で、今回の作戦に適してるのがエールちゃんだけなんだよ」


 この屋敷はいつもからんとしていて、使用人しか住んでいないような印象をエールは受けていた。ここに来た頃尋ねたことがある。


「八兄弟なんていう割には誰もいないことない?」

「イヴは老舗だから、殺す相手も重鎮だったり複数だったりで簡単じゃないんだよね。こうなると殺すのにも時間がかかる。しばらく帰らない子も多いんだ。私がそうだったみたいにさ」


 ギラフは〝魔女のよすが〟に雇われて二年もの間クレアムル軍に潜伏していた。


「今回立てた作戦がこちら!」


 ギラフが黒板を回す。裏側には「エールちゃんお嬢様として社交界に潜入作戦」と書かれていた。エールはポカンと口を開けたまま。


 ギラフが妙なテンションで大声を出す。

「メイクアップ担当!?」


 アイアが部屋に入る。

「テメェこのためだけにオレを呼んだのか? バカか? 国境越えたが?」


「こちら今回の素材になります」

「悪くないじゃん。空前絶後に可愛いお姫様に仕立ててやるよ」

 アイアは袖をまくりハサミを構える。


「マナー担当!?」


 誰も現れない。


「……は、シワスちゃんがやってくれまーす」


 シワスは突然の指名に驚き、慌てて首を横に振って両手をあわあわあわあわさせる。


「シワスちゃんは少し前にお嬢様の影武者をやっていたので、貴族界のマナーには通じています。ぜひ頼りにしてください」


 シワスは喉を振り絞って声を出し、ギラフに抵抗する。


「わ、わわ、わたしの……おしごと……あるのに…………」

「シワスちゃんの仕事はフィーエが掛け持ちすることになりました」

「ま、ま、また、また勝手に決めてえ……」


 しくしくしくしくと泣く。エールがシワスの肩を抱いて庇う。


「シワスが泣いちゃったじゃない! ギラフのバカ!」


 ギラフはわざとらしく呆れて見せる。


「あーあ、女ってすぐこうやって徒党を組むんだー」

「お前も女だろうが」


 アイアがツッコミを入れる。ともかく、エールの特訓が始まった。





 第一王子は遊び人として有名だった。舞踏会の度に違う女性を部屋に連れ込んだ。褒められることではないが立場が立場だ。言い寄る女性は後を絶たない。今日も王子主催の舞踏会が「一枚」の貴族邸で開かれる。





 街灯の灯る夜の貴族街。馬車が揺れる。中ではシワスとエールが対面して座っている。エールは髪を黒く染めていた。髪飾りの重みに任せ、馬車の揺れと合わせて頭をぐらぐら揺らす。


「エールちゃん。確認。父親の名前は?」

「ムクル・アー・ホークです」

「父親の仕事は?」

「貴族院の議員です。新聞社も持っています」


 二十を超える質問が続けざまに浴びせられる。回答が遅れると、お仕置きされる。エールはシワスのお仕置きがトラウマになっていた。


 ――シワスはすぐ能力に訴える。何度も諦めて逃げ出そうと思ったがそれはギラフに妨害された。お仕置きは嫌だの一心で、頭をフル回転させて問題に答える。もう溺れたくない。


「……うん。まあ、まあだね。短い期間でよく頑張った」


 シワスはエールの手を取って握る。エールはシワスのこの暴力の後の承認がクセになっていた。人間はこうやって調教されるのだなあと他人事の様に考えていた。窓から差す街灯が暗い車内をちらちらと照らす。シワスの目線がエールにまっすぐに刺さる。いつもは長い髪で顔がほとんど見えないのもあって、そのギャップからエールはシワスに怖い印象を持った。


「あなたは病気上がりのお嬢様。もう何年も寝たきりだったから、舞踏会は初めて。素直に初めてらしい態度を取ること。エールちゃんはダンスもマナーも最低限の最底辺だけど、最初ならまだ許される。でも、油断せずにちゃんと周りを見て勉強してくること」


 馬車が止まる。扉が開かれ、主催側の使用人がステップを用意する。


「最後に、改めて。あなたの名前は?」

「ヨルノ。ヨルノ・アー・ホーク」





 エールはひたすら感心しっぱなしだった。貴族の邸宅など無駄に豪華にしただけの下品なものだと思っていたがそれは違った。工夫が凝らされている。その屋敷においては、廊下の壁が全てガラス張りで、整備された庭の花壇が来客を歓迎する。ヒールがカーペットに沈む。廊下を折れてホールへ近づいていくと、管楽器の音が聞こえ始める。


 不意に壁一帯が鏡張りの一角が現れた。つい足を止める。鏡に映った自分の姿を見る。そこには自分とは違う、可愛いドレスのお嬢様がいた。花の髪留め。きらめく目元。開いた背中。レースが透ける。コルセットに沿って丸く開いたスカートは、縫い込まれてひだを作り、身体を動かすとふわりと広がりはためいた。


 ――私可愛いなあ。人間って格好とお化粧でこんなに変わるんだ。アイアに感謝しなきゃ。……いや、可愛いのはヨルノちゃんか。本当はヨルノちゃんが来るはずだったんだから。


「……?」


 鏡に数歩近づく。

 ――何か、既視感がある。身の毛がよだつ。この女の子を、前にどこかで見たことがあるような? いやいや、それは私なんだからそうだろ。毎朝鏡に映ってるし。


 シワスから急ぐようにと耳打ちされる。エールは鏡の前を去った。


 扉が開かれて広間へ入場する。ワッと視界が広がる。天井が一気に高くなり、音楽が体に直接届く。数組の男女がホールの中心でダンスを踊る。紳士淑女がワインを片手に談笑する。


「ヨルノお嬢様。私はホーク家の使用人と話をしてきます。ここからはおひとりで」

「……分かりました」


 シワスが傍から離れる。

 ――緊張。深呼吸。広間を見渡す。中央がダンスホール。その周囲にはテーブルが配置され、豪華な食事が並んでいる。しかしそれを手に取るのはおひとり様のみ。話し相手がいる分には取ってもワインのグラスくらいか。


 あはあ、話し相手がいなくても時間を潰せるようになってるんだ。お気遣いだけど、それも逆に辛かったりしそう。シワスの話だと、とりあえずご飯を食べていればいいらしい。


 無人のテーブルに近づく。歩き方に気を付ける。姿勢よく、真っ直ぐ。ヒールの軸を逃さないように。お皿を取る。口に運ぶ。もぐもぐ。美味しい。美味しい……けど、味が複雑。私の舌にはちょっと高度すぎる……。この、差し込まれてる苦みとか酸味とかさ。いや美味しいんだけどさ……。


 エールは天井を見てうーんと考えながら咀嚼する。食べながら、周りの様子を改める。参加者の数は40人ほど。踊っているのは、今は6組。王子は探すまでもなかった。女性らの目線を追った先にそれはいた。男性にしては長めの白い髪で、前髪を右側に流している。左耳にはひし形の大き目なピアス。遊び人の呼び名に違わない美形。一人で食事を口に運んでいる。


(一人? 一人なんだ)


 もう少し様子を伺う。

 ――王子と等間隔で扇状に広がる女性らは、王子から誘われるのを待っているらしい。みんな王子との距離が全く一緒なのが面白い。まるで王子が人を近づけない壁を敷いているかのようだ。男性たちも、この女性らに睨み殺されて王子に近づけない。王子に雑談させるなと言う圧。王子が暇に耐えかね女性を踊りに誘うのを待っている。





 王子はやれやれといったため息をついて口を拭う。ナプキンと食べかけの皿を使用人に渡した。辺りを見渡す。

 ――みな美しく着飾っている。が、僕のこのため息には誰も気づかないわけだ。美しさとは、生きざまだ。人格と、その者の哲学だ。僕が求めるのは新鮮な哲学。しかしそれは僕の人生に重なることはないらしい。満ち足りて、何の変哲もない人生だ。つまらないな。彼も彼女も、僕も。つまらない。生きている価値なんてない。


 ぼんやりと向こうの天井を見る。

 ――今晩こそは自殺を成功させないとな。一昨日やった溺死ではやっぱり死ねなかった。精霊体を殺すにはやはり、脳を大きく損傷させるか、首を切断するか。しかし一週間前にやったように自分の首をナイフで刺したのでは、首を断つ前に意識が途切れる。こないだ作った自動で剣が降ってくる仕掛けも、首を切断するには至らなかった。人間の首を斬るのって難しい。もっと手の込んだ仕掛けを考えないと……。


 王子は目線を女性らに戻した。

 ――自殺を目標にしているとはいえ、暇なことは暇だし、生きている期間を楽しもうとしない理由にはならないよね。


 王子の興味の矛先は他と比べて奇特な人生を持つ者へ向く。この場で最も普通でない者とは、病気に伏し何年もベッドに縛り付けられたお嬢様。幼くして母親と姉を失った不遇の子。白羽の矢が立ったのは、ヨルノ・アー・ホーク。


「初めましてレディ・ヨルノ。僕の名前はキルリ・アー・ナイトラル・クレアムル。一緒に踊ってくれますか?」





 ホーク邸に初めて顔を出した日のこと。エールがムクルに初めて抱いた印象は「気難しい人」だった。要件以外のことを喋ればすぐに機嫌を損ねるような空気。応接室のソファに体重をかけている。わざと作っているとしか思えない程に低い声でギラフに話しかける。


「その娘がヨルノの代わりか」


 エールは体をムクルの視線でなぞられる。気分のいいものではない。床を睨んで耐える。


「確かに。似ている。忌々しさが蘇るわ」

「ええ、ヨルノを生きたままということにしておいて良かったでしょう?」


 ――その言い方だと、ヨルノ本人は死んでいるみたいだ。そしてその偽装工作にギラフが加担しているようにも聞こえる。部屋を出てから廊下で尋ねる。


「あー、ヨルノはね。暗殺を依頼されたんだよ。執行人はシワスちゃん。依頼主は実の父親、ムクル氏だった」





「あっ」


 エールの足がもつれる。体が前へ倒れそうになるが、キルリはそれを軽く避ける。左腕をエールの腰に回して、倒れる彼女の体重を支えた。左腕に抱えたエールに顔を寄せて囁く。


「背筋を伸ばして。こっちの手は離さず。そうすれば、そういう風にポーズを取ったみたいに見えるから。ギリギリだけどね」


 エールはキルリの腕の中で彼に微笑みかけられた。背中にキルリの腕のぬくもりを感じる。前髪でキルリの右目が隠れる。ピアスが揺れる。長いまつ毛。


「は、はい……」


 キルリはエールの身体をくいっと引いて、姿勢を直し踊りに戻った。首を軽く振って前髪を元の位置に戻す。キルリの脳内では今さっき、自分の能力〝意識への潜行シンパシー〟で覗き見たエールの記憶が繰り返される。見た目には平静を装ってスマートなスマイルを続けてはいるが、内心はパニックに陥っていた。


 ――なんだ、なんだなんだなんだ!? ヨルノは実の父親から暗殺の依頼を出されていて!? それで今、僕の目の前にいるのは偽物!? いや全然わからん! 情報が多すぎる!


 一曲終わる。エールは初めての踊りを終えてへとへとだった。なんとかミスなく足を運ぶので精いっぱいだった。


 ――いやミスはしたのだが。キルリに助けてもらった。

 至近距離でイケメンを摂取させられたせいで胸もドキドキして痛い。物理的にも精神的にも体力がごっそり削られた。シワスに教わった通り粛々と礼をする。


「あ、ありがとうございました。キルリ様」

「いや、もう一曲だ」

「え?」


 ――聞き間違いかな? 素で聞き返してしまう。


「もう一曲踊ろう。ほらいいだろ? 僕は王子様だよ? 断れないからね?」





「レオン、私これからどうしよう」


 レオンには返事ができなかった。口先まで出た気休めの言葉を飲み込んだ。


「……ごめん。そんなの、レオンだって同じことだよね」


 二人の目の前には、壊滅したワッカラ村が広がっていた。


「君たちが許すなら、私が面倒を見てあげてもいいけど……」

 オニクスが提案するが、二人は首を横に振る。


「あー、ごめん。今のは言い方が悪かった。私にとって君たちを養うのは本当に大した事じゃないんだ。カリオの遺産が入るからね」


 二人には、オニクスとカリオに血縁があるとは初耳だった。レオンがオニクスを気遣う。


「あー、ごめん。気を遣わせるつもりじゃなくて……。ともかく、意地とか、変な気は効かせない方がいい。金を借りることに抵抗があるなら、後で返してくれればいいから」


 二人とも人の厚意を無下にしてまで意地を張りはしない。エールとレオンはひとまずオニクスの家に世話になった。レオンは村の一件の解決に大きく貢献したとして教会から報奨金を受け取った。その金も使って軍学校に通い始め、すぐにオニクスの家を出た。しかしエールはすぐには出ず、およそ半年の間、オニクスと二人で暮らしていたのである。





(は――――!)


 王子ビックリ。

 ――興奮のあまりついついさっきとは違うところに潜ってしまったが、これはこれで凄い。まさか〝ワッカラ村の襲撃〟の生き残りだとは。オニクスなんてビッグネームまで出てきた。〝天変地異のオニクス〟。クレアムル内乱の残党〝魔女のよすが〟が首魁〝ルルウ・ガル・ヴァルカロナ〟を退け戦争を終結させた英雄。ええー、この子、歴史の生き証人なんだけど。いや、いやいや、だとしてもさっきの記憶とは全然繋がってない。なぜこの状況から今に至ったんだ?


 エールは足さばきにひたすら集中していた。早く、早く曲が終わってくれと祈るばかり。そしてミスをする。しかしどんな転び方をしてもキルリがカバーする。エールが45度傾いたならばキルリも同じだけ傾いてバランスを取る。この場合は傍から見ると扇型だったわけだが、それ以外にも葉巻型や錐型など様々な形態を披露した。それらの前衛的なポーズが披露されるたび、会場では拍手が起こっていた。エールの思いなど露知らず、指揮者もノリノリで神業の溶接術を披露し演奏を続ける。このダンスはもう一幕は続く。





「トマトが安い……なあ……。いやうーん、でもオニクスはトマト残すからなあ……」


 エールはその日も中央教会お膝元の市場で買い物をしていた。陽が傾きその色が濃くなり始めた時間。買い物袋には、市場を回って揃えた夕食の素材が入っていた。


「エールちゃんも立派な主婦になっちゃったねえ」


 背後から声がかけられた。エールは一瞬でギラフと距離を取る。その距離10m。辺りの買い物客らの間に、遅れて一陣の風が吹いた。


「そんなに怖がらないでよー」

「……何が目的なんですか」


 〝襲撃〟以来、半年ぶりの再会。ギラフはエールに歩み寄りながら、おちゃらけて答える。


「酷いなあ。本当に偶然見かけたから声をかけただけだよ。久しぶり」


 エールはギラフに攻撃の意志が無いか探る。判断しかねているうちに、目の前に並ばれる。ギラフはエールの肩にかかった金髪を手に取ろうとする。エールは体を引いてその手から逃れる。ギラフを睨みつける。


「あなた、お尋ね者よね。この街に、中央教会の街に現れていいの」


 エールの背後には、中央教会が誇る大チャペルが聳え立っていた。七柱の神の巨大な像が権威を誇示している。ギラフはワッカラ村の一件以来、魔女の一団とされ、中央教会からその身を追われていた。


「それがね。免除されることになったんだ。教会さん、私の能力が欲しいんだって」


 にわかに信じがたい話だった。もしそれが本当なら大出世である。


「私の話なんてどうでもいいんだ。エールちゃんの話を聞かせてよ」


 エールは逃げようと思えばいつでも逃げられたし、殺そうと思えばいつでも殺せた。ギラフも無防備だった。この力関係があってこそ、逆にエールは警戒を解いていた。二人並んで夕暮れ時の路地を歩く。家々の窓から夕飯の香りがしていた。


 エールは自分の考えのおおよそをギラフに話した。現状はいつまでも続きはしない。どこかで何か自分を変えなければならないと感じていた。


「アノールに思うところは無いの?」


 エールの迷いに拍車をかけていたのがそれだ。半年悩んでなお、アノールにどうなってほしいのか分からなかった。


 ――私の理想は、また仲良く三人でお喋りできる環境を取り戻したい。けれどアノールの立場に立つなら、今こそが彼の理想の環境なのかもしれない。レオンが正義の側に立ったことも話をより複雑にしている。いくらか妥協して、レオンはどうでもいいからアノールと再会したい、まで目的を落とすにしても、その方法も分からない。例えば私も魔女になってしまう? それはありえない。私はアノールと違って、割り切ることはできない。やはり軍に所属して能力を活かし、お金をもらった方がいいんだろうか。ともかく、状況を動かせる力をつけなければならない。


「そうだよねー……。なんにせよ力がいる」


 ギラフはうんうんと頷いて同意する。不意に立ち止まる。エールは何かとギラフを見る。


「エールちゃん、〝イヴの一家〟においで。私が、君の望む『力』を提供してあげよう」


 ギラフは返事を待つ。エールは考えながら、ゆっくり何歩か歩いてから返事をした。


「わかった、いいよ。私もあなたを利用する。アノールがそうしたように。あなたが何を目的としているのか知らないけど、構わない。私も、アノールに近づくための努力がしたい」





 キルリは二人の後を着けるのを止め、街路樹に背をついて考える。


 ――なるほどこの記憶があれば先の二つの記憶は一応繋がる。イヴの名前は噂に聞いたことがある。「社会に溶け込む闇の暗殺一家」「その正体を知った者は生きて帰れない」。まあ都市伝説だと思っていたが。

 その仕事の一環で、ヨルノ嬢に扮して社交界に潜入している……ということかな。目的は……なんだろう。誰かの暗殺とか? だとしたら誰が標的なんだろ。


 まあそんなことはどうでもいいか。後回しだ。やはり気になったのはアノールという人物。アノールはこの場面で初めて出た名前だ。察するにレオンと同格、いや同格ではなかったよな明らかに。レオンよりも大事な存在らしい。彼こそが彼女の原動力。


 キルリは軽く飛ぶ。すると着地せず地面にすり抜け世界の裏側に落下する。水中へ飛び込んだようにキルリの服と髪が浮かぶ。キルリは口を結んで潜り始める。


(アノールへの感情を探してみようか。どれくらい大きいのやら)


 途中で息がしんどくなり、いくつかの記憶に立ち止まって休憩する。どれも他愛無い村での日常の一幕。アノールのいる記憶は特に鮮明に残っていた。


 意識の奥深く。河原の風景の記憶にそれはあった。積まれた石が城のようになっている。


(でっっっっか)


 キルリは石の城を見上げた。

 ――こんなに大きな感情は初めて見た。途中で見かけたレオンの二倍くらいあるけど。レオンのですら無二の親友くらいの大きさがあったんだけどなあ。


(おっっっっも)


 キルリは石の扉を押して感情の中に入ろうとするが、ビクともしなくて諦めた。


(駄目だこれ。相当な時間をかけるか心を開かせるかしなきゃ入れない)


 キルリは河原の砂を取る。粒がハート型をしている。石の城から滲み出た恋愛感情。


「せっかくここまで来たし、ちょっといたずらしちゃおっかな」


 キルリは砂を取ってバッと川に撒いた。





 演奏はクライマックス。いつの間にか踊っているのは中央の二人だけになっていた。指揮者は右手を震わせながら持ち上げ、ついに力強く握った。二人が最後のポーズを決める。万雷の拍手といくつもの歓声が周りから贈られる。キルリも少し息が荒くなっていた。エールを見る。踊りに必死だったために焦点が合っていない。初々しさに思わず笑みがこぼれる。


「お疲れ様」


 エールは慌てて視線を上げてキルリと目を合わせる。キルリは頬に一滴の汗を流して、息を戻しながら微笑んでいた。その表情が不意にエールの胸にグッと刺さった。


「あ、ありがとうございましたっ」


 エールは慌てて繋いだ手を離して礼をした。キルリも一歩引いて礼をする。


「ねえ、もしよければ今夜……」


 キルリが誘う前にエールは背を向けて、そそくさと観衆の中へ戻って行ってしまった。キルリは一人ぽつんと取り残される。二人の舞踏を見ていた観衆も少しずつばらけ始める。ぽかんとしていたキルリは、何故かどうしようもなく面白くなってきて、下を向いて口元を抑えた。


「ふっ……ふふ、あは。あはは」


 ――なるほどこれは死ねないな。


「次もまた踊ってもらうからね。逃がさないよ、エール」





 帰りの馬車の中で反省会が行われる。エールとシワスが対面で座る。


「で、ど、どうだった?」


 シワスはもう冷や冷や冷や冷やしてエールのダンスを見ていた。な、な、な、なんで一瞬目を離した隙に第一王子と踊っとるんじゃ。ばばば、ばかもーん。と実際に声に出してしまっていた。シワスはこのとき珍しく、自分の声が小さくて良かったとしみじみ感じた。


「顔が……顔が、良かった」

「は?」


 思わず低い声が出た。この作戦の目的は「キルリが能力者かどうかを明らかにする」ことだった。暗殺にあたって対象が精霊体であるかどうかは重要だ。精霊体なら暗殺の難易度は大きく上がるが、死体が残らないメリットもある。シワスが尋ねたのはそのことだったのだが。


 ――もしくは上手く踊れたかとかでも良かったのだけど。王子の顔の感想は聞いてないんだけど。


「非の打ち所がない……あれが、王子様……」


 エールは踊っている時の光景を思い返していた。

 ――もっとよく見ておくんだった。あんなイケメンを近くで見れるなんて、相当恵まれていたってのに。ダンスに集中するあまり、踊っている間はその余裕が無かった。


「シワス。私、踊るの上手くなる。楽しむ余裕ができるくらいに」

「え、うん……え? ……ええ?」


 エールの心の内にはハートの感情が飛び交っていた。キルリがアノールの感情から取って川に流した甘い感情。それらはいずれアノールの感情に再び流れ着くものの、今は心の中を浮かんで自由に運動していた。エールの無意識は、それをキルリへの好意として解釈した。





 キルリは自室のベッドに倒れ込む。メイドのクラエナが口を開く。


「ご機嫌ですね。今日は自殺されないんですか?」

「ああ、しばらく保留することにしたよ。……また会える時が楽しみだなあ」


 クラエナがキルリの口からそんなセリフを聞いたのはとても久しぶりのことだった。


「……それは良いことですね」


 キルリとクラエナは顔を合わせて笑った。




**




「アノール、デートしよう」

「来たなヨルノ。何が目的だ」


 キッチンでコーヒー豆を挽いていたアノールの向かいにヨルノがやってきた。


「え? おかしくない? キミ自分から私と仲良くなりたいって言ってたよね? なんでそんなひどい対応をするの。泣くよ」


「僕が今までお前の泣き落とし、いや泣き脅しを喰らった回数は全部で八回だ。ちなみに今のところ僕はお前が泣くところを一度たりとも見ていない。つまりその手はもう通用しない」


「うわ数えてるんだ。うおー凄い。それで私を言い負かせたね。良かったでしゅねー」


 新たに屋敷の使用人がキッチンへ現れ、アノールに声をかけた。


「すいません師匠、浴槽のカビがしつこくて。ちょっと来てもらえますか」

「あ、いいですよ。ヨルノごめんお誘いはまた今度。この豆任せた」


 ヨルノの手元にはコーヒーミルのハンドルのみが残された。お昼過ぎ、キッチンに一人。ヨルノは一人虚しくハンドルを回し始めた。


 ――ここに来てから、アノールは恐るべきスピードで使用人カーストを上り詰めていった。初めは女性ばかりの使用人環境でいじめられていたはずなのに。何故かこの男、手先が器用で家事万能なのである。料理は上手いし裁縫も早いし、しつこい油汚れの落とし方とか知ってるし。使用人たちも仕事に嘘はつけない。彼女らは次第にアノールのことを認めるようになった。中には弟子入りするものまで現れた。かくしてアノールは使用人環境の頂点に君臨した。


 これが何を示しているかというと、意外とヨルノはアノールを独占できなかったのである。


(なんだか私がアノールに構ってもらいたがってるみたいでムカつくなあ……)


 ハンドルを回す手に力が入る。

 ――アノールの弱くて惨めなところが見たい。優位に立ちたい。やっぱり一緒に仕事をしないとそういうところは見せてくれない。でも最近はお仕事も地味めなんだよな。最近の魔女は「四枚」の住民を支援する事業に力を入れている。炊き出しとか。ガル曰く「四枚」の住民こそがカイチナバクをひっくり返す起爆剤らしい。当面は「四枚」で〝魔女のよすが〟のキャンペーンに努める……。


「ヨルノ、少し話があるのですけど」


 この屋敷の女主人、エリカがキッチンへ入ってきた。ヨルノは手を止める。


「お嬢様が、私に御用ですか?」


 エリカ・フレシアはこの屋敷の持ち主。大きなツインテールを縦に巻いている。ガルとの腐れ縁から〝魔女のよすが〟をここに匿っている張本人。


「気になる話を聞いたのです。なんでも近頃、社交界の場に、ホーク家の娘が姿を見せているとか。舞踏会に出まくってるらしいですわよ?」

「はあ?」





 魔女の「四枚」支援キャンペーンで最も成果を上げていたのは仕事の斡旋業だった。


「日払いで……はい、じゃあここに行ってもらえますか……はい、現地解散で……。給料も現地で渡します。そこの人たちも一緒なので着いて行ってもらって」


 アノールは伸びをして時計を見る。交代の時間。隣の窓口に声をかけて離席する。小屋から出る。夜勤から帰ってきた労働者たちと会釈を交わす。数人の子供たちがかけてくる。


「すいません、僕たちにもできる仕事はありますか!」


 アノールは膝を曲げて微笑む。

「あるよ。窓口にいったらまずは登録書を作って」


 子供たちは感謝の言葉を叫んで駆けて行った。アノールは枯れた花壇に腰かける。膝を伸ばして、ふー、と長い息を吐く。伸ばした足の先に人影がかかる。自分の前に誰かが立ち止まった。


「ヨルノ?」

 顔を上げる。


「あ……すみません、ヨルノじゃなくて」


 ガルは目を逸らしながら呟いた。アノールは少し驚く。


「ガル、珍しい。おはよう」

「アノール、おはようございます。あと、お疲れ様です」


 ガルはアノールの右隣に座る。マントから左手を出して、アノール側の髪を耳にかける。


「盛況ですね」

 小屋には数人の列ができていた。


「もうちょっと早い時間だとこの何倍かは並んでるよ」

「任せて良かったです」

「オッソの助言あってこそだけど」

「あら。アノールは謙虚ですよね」


 ガルはアノールの頭にポンと手を置く。この仕事はアノールが自ら企画してガルにプレゼンしたものだ。それがちゃんと上手くいっていることをガルは評価していた。


「ほんと、まともに仕事してくれるだけで助かります……」


 ――言う事を聞かない子ばかりだから、なおアノールのまともさが染みる……。


「ご心労は察するところです」


 アノールは同情する。頭に置かれた手からなんとか逃れる。照れた頬を手の甲で隠しながら尋ねる。


「そ、それで、僕に何か用?」


 ――ガルは普段どこで何をしているのか分からない。他のメンバーもガルの活動をハッキリとは知らない。屋敷で見かけることは週に一度くらいだし、常に疲れている様子だから個人的にコミュニケーションを取ったこともあまりない。明らかなのは、ガルが奔走しているのは〝魔女のよすが〟のためということだけ。だからきっと、この接触にも何か意味があるはず。


「意味がないと話しかけちゃダメですか?」


 という訳でもなかったようだ。


「いや、そんな訳はないけど。意外」

「私もみんなとお喋りしたいんですよ」

「そうなんだ。なんというか、ありがとう」


 要望に応えていくつか雑談を交わす。


「ヨルノとは上手くいってますか?」


 アノールが花壇に付く手にガルは自分の手を重ねる。ずいっと覗き込んでニヤつく。


「上手くいってる? とは?」


 ――まるで僕とヨルノが付き合ってるみたいですけど。


「え? 付き合ってないんですか?」

「いやそれは置いておいて今、僕の思考を読んだよね。能力?」

「はい。〝意識への潜行シンパシー〟ですね。相手に触れている間、思考や記憶を覗くことができます」


 ガルの〝能力の借用フォースキルズ〟は他人の能力を借りる能力。同時に借りられる能力は四つまで。アノールも頼まれて自分の能力を貸したことがある。


 アノールはガルが〝意識への潜行〟を使っているところを見るのは初めてだった。そもそもこの能力を見たのが初めてだ。魔女のいずれかの能力でもない。


 ガルはアノールと重ねた手に軽く体重をかける。アノールの記憶の中、昨日の一幕が見える。デートに誘うヨルノをあしらうアノール。


「えー、おもしろ」

 ガルは歯を見せて笑う。


「勝手に人の頭の中を覗ける能力って恐ろしいね」

 ――というか気分が悪い。何を見られたのかもわからないし。


「そうですね。いい能力ですけど、欠点も分かりやすい。一つには、相手に触れ続けなければならないっていうのがありますよね……」


 アノールはなんとなく自分の〝操作の奪取クラック〟をガルにかけてみる。能力の操作を奪う。


 途端水中に落ちたような感覚。海底に引っ張られるように落ち続ける。最中、数多くの記憶に巻き込まれる。血の匂い、銃声、転がる死体。クレアムル内乱の記憶。ガルは多くの同志を失った。生き残った仲間は僅か数人。記憶を遡っていく。戦いよりも前の記憶へ。ガルともう一人、水色の髪をした少女が、二人並んで服を選んでいる。


 視界が戻る。一瞬の出来事だった。ガルは頬をわずかに膨らませていた。


「あなたも能力を使いましたね」

「ご、ごめん。まさかこうなるとは。てっきりガルが僕の思考を読むのを止める程度かと」


 ガルは目を逸らして鼻で笑った。


「この能力の最大の欠点はこれです。気を抜くと相手から覗かれることもあるみたいなのが。アノールの能力が無かったとしてもね。というか本来は一方的に覗く能力ではないみたいですね。相互に見る能力。だから、あんまり万能の能力という訳でもないかな……。肝心なところで信用できないし。わたし的評価は65点くらい」

「高いのか低いのかは分からないけど……」

「仕返しです」


 ガルは横にズレてアノールとの距離を詰めると、その頬を両手で包んだ。アノールは恥ずかしくて顔を背けようとしたが、両側の頬を抑えられて逃れられない。ガルは目を逸らすアノールを見て優しく笑うと、顔を寄せて額をペタンと合わせた。





 アノールの意識に浮かぶ。


「よし、じゃあヨルノへの感情を探しちゃおっか」


 適当に記憶を伝って下りていく。深い林の奥、泥の沼の中心にそれはあり、螺旋の塔のような形をしていた。沼に落ちないように注意してボロボロの橋を渡る。


「お邪魔しまーす……」


 割れた窓から塔の内部に入る。テーブルには暖かいコーヒーが二つ並べられている。


「シンプルですっきりしている様子ですねー。少し意外。もっと複雑だろうと思ったけど」


 下階への階段は鉄の扉で閉ざされていた。引くと簡単に開いた。ランプを手に取って下りる。窓の外は泥で覆われ暗くなる。部屋の床には銃や剣が転がる。奥に進むと、女性の死体が一つ横たわっている。傍には装飾の多い高級な剣。


(これはワッカラ村のイメージ……だよね)


 ガルはなんとなく足元の剣を取り上げようとする。触れた瞬間、記憶が再生される。


 夕陽が差す。風が髪を揺らす。目の前に突き出る切っ先。胸に滲む血。縋りつくように倒れてくる母親の姿。その向こうに、刹那映る仇の影。初めは驚き。続けて、じわりと広がる絶望。心臓の鼓動が急かすように響く。その音は次第に音色を変え、ガンガンと頭を打ち付けるように強くなっていく――。





 ガルは両腕をアノールの肩にかけ、息を荒げて頭を落としていた。冷たい汗が首を伝う。


「……ガル? 大丈夫?」


 ガルは思わずアノールに抱き着く。しかし何かにハッと気付くと、慌ててアノールから離れた。立ち上がり取り乱す。


「ご、ごめんなさいアノール、あなた、私があなたにしてあげられることなんて」

「ガル? お、落ち着いて」


 アノールは分からないままにとりあえずガルをなだめる。ガルは深呼吸して息を戻す。


「……やっぱり嫌な能力ですね。感情そのものを体感できるなんて。――アノール、あなたは私たちの仲間ですよね?」

「当然」


「ワッカラ村での件について報復の意志はない、ですよね?」

「うん」


「ヨルノにも?」


 アノールは怪訝に思う。


「それが僕にあるってこと?」

「――いや。ある……かも。しれません」


 ガルはとっさに濁した。


「多分ないと思うけどなあ」


 ――でもあなたの中にそれはしっかりと記憶されている。その光景と感情を鮮明に思い出せる。しかもその記憶はヨルノへの感情の何分の一かを占めている。ヨルノへの想いの何割かは「恨み」だ。本人が気付いていなくとも、それはいつまでも尾を引く。無意識の不信が残り続ける。それを解消しない限りは、ヨルノと真の意味で親しくなることは、ありえない。




**




 キルリが一日の公務を終え、自室に戻って休憩しようとしていたところ。扉の傍に彼のメイド、クラエナの姿が無い。キルリの部屋を守る兵士らに尋ねるも返事ははっきりしない。


 ――誰かがクラエナをどこかにやったのか。そんなことをする人間は一人しかいない。


 扉を開く。


「キルリ、ここ数日元気みたいだね。クラエナから聞いたよ」

「……ガーレ。君こそ久しぶりに見たね。カイチにいるなんて珍しい」

「ちょっと用事があってさ」


 ガーレと呼ばれた人物はキルリのベッドに腰かけていた。キルリは扉を閉めて傍のハンガーに上着をかける。ガーレはシーツを指で弄りながら、その手元を見て呟いた。


「何かいいことでもあったのかな。面白い人生の子を見つけられたのかな」

「何? 妬いてるの? 意外だね。ここ数年はあまり無いと思ってたけど」


 キルリはガーレのすぐ隣に座った。ガーレが上半身を預けてくる。頭がキルリの肩に乗る。


「そうだよ。最近寂しくて。なのにキルリは健康そうだから。もっと寂しくなっちゃった」

「相変わらず君は不健康そうだね」


 キルリは苦笑した。ガーレはキルリをゆっくりと押し倒した。


「キルリ。お願いがあるんだ。聞いてくれる?」


 ガーレのキスを手で阻む。

「要件によるね」


 ガーレは頬を膨らませる。無理やり手を押しのけて唇を合わせた。





 初めての舞踏会から二週間ほど。今日も今日とてエールは舞踏会にやってきた。


(さーて今日のご飯は私の舌に敵うかな?)


 エールはいくつか場数を踏み、多少この場に慣れてきていた。加えて舌が肥えてきた。


(うーん、70点!)


 中身は庶民のままではあった。失礼にも頭の中で品々を採点しながらホールを見渡す。今回はついにあの夜以来キルリが現れるという話なので、気合を入れて仕上げてきた。


 ――のだが、キルリの姿が見当たらない。ダンスに誘ってくれた適当な男性に事情を尋ねる。


「王子は公務が長引いて今晩は遅くからしか来られないそうですよ」


 男性は笑顔で教えてくれた。続けてシワスにも確認を取る。


「使用人らから話を聞いてきました。確かにそうみたいですね。……と、というか、それ男性の方に聞いたの……? 踊りながら? そそ、それ凄い失礼だよエールちゃん……」


 エールはシワスに怒られた。せっかく頑張ってお化粧してきたのに残念だなあと思いながら、エールはダンスのお誘いを捌いていた。一曲終わる。また一人、エールに声をかける。


「もしよろしければ、踊っていただけますか?」


 男性が手を出す。薄桃色の髪。水色の瞳。全体的に淡い色使い。背はヒールのエールより僅かに低い。中性的な顔立ちで、人なつっこそうな笑顔は子犬を思わせる。


 ――可愛い人だなあ。

「喜んで。よろしくお願いします」


 エールは今まで踊った男性ズ顔面偏差値ランキングの二位にこの男性を置いた。置いて、ふと気づいた。男性の名前を聞いていない。こんなことは初めてだった。


 エールは手を引かれて中央へ行く。男性が礼をするので遅れて礼をする。お互いの両手を合わせて軽く握る。曲が始まり、足を動かす。


「あの、遅れて申し訳ありません。私は……」

「あ、分かってるからいいよ。別に謝らなくてもいいし」


 自己紹介を止められたのも初めてだ。


「ごめんね困惑させて。ルールとかマナーとか、僕はあんまり、まどろっこしくて」

「は、はあ」


 踊りを続ける。身長が近いため、ずっと目線が合うことにエールは少したじろいでいた。


「あなた、今日は可愛く仕立ててきたね」

「え、分かるんですか」


 ――そうと悟られないようにごく自然な仕立てを意識したはずだったんだけど。バレてたか。難しいな。周りにもそうと思われているなら、相当恥ずかしい。


「あ、ごめんね、指摘しようってつもりじゃなくて……よく見てる人じゃないと気付かないだろうから大丈夫だよ。でもでも、前に見た時より可愛くなってるから。勉強したんだね」

「申し訳ありません、前に踊ったことが? ――いや、違いますね」


 この男性と踊った覚えは無い。そこらの偏差値の男なら記憶もまばらかもしれないが、キルリに迫るほどに強い顔面を持った男性を忘れるわけがない。


「うん。踊るのは初めて。ちょっとアレなこと言うんだけど、あなたが踊るところを一度見かけたことがあるんだ。一週間くらい前かな」

「な、なるほど」


 踊った覚えもなければ話した覚えもない。見かけた覚えすらない。それほどに遠い距離から私の美意識の機微を見抜くほどの観察を行っていたというと。確かにアレな話だ。一方的に認知され観察されているというのは。ストーカーだよねそれ。そういう恐怖を感じるよ。


「ご、ごめんね。いや謝りすぎるのもよくないよね……。うーん……」

「いいえ、大丈夫ですよ。私を褒めていただいたのは分かりましたから」

「あ、あごめん、ありがとう。そう。そうなんだ」


 男性は目を開いて喜んで、それからまた申し訳なさそうにはにかんだ。自信の無さげで控え目な笑顔。エールの胸がギュッと締め付けられる。


(あ、かわいい)


 ――可愛いだけに、内面偏差値が微妙なのが惜しい。今まで踊ってきた男性らは皆エスコートや話の運びが完璧だったから、なおそう思う。しかしこの、女性とのダンスに慣れてないおぼつかなさが逆に可愛いに貢献しているという捉え方もできるか? 逆に? 逆に加点なのか? この顔ならこの態度こそが加点なのか? 可愛いって……なんだ……。


「あなたは良い人だね……。面白いし……」

「ありがとうございます」


 面白い要素は無かったと思うけど。


「キルリが認めるのも分かるよ」


 文脈がぶっ飛んだ。唐突にキルリの名前が出て、エールの動きは硬くなる。


「ふふ。やっぱりあなたもキルリに対して多少の感情を持ってるんだ」


 体に現れた動揺を見抜かれた。エールは慌てて取り繕う。

「王子に、認められているなんて、恐れ多いですよ。そんなことはないです」


「あなたがキルリと一緒になってくれるなら、僕は全力で応援するね」

「あの、何のお話か。あなたは一体」


 演奏も終盤。


「僕はこの国の第三王子、ガーレイド・アー・ナイトラル・クレアムル」


 エールは初め何を言われたのか分からなかった。ガーレは意地悪そうに笑う。


「キルリは誰か面白い人が一緒にいてあげないと自殺しちゃう癖があるんだ。そろそろホントに死ぬと思う。だからあなたが一緒にいてあげてほしい。あなたは僕と違って、キルリのお眼鏡に適ったみたいだから」


 エールが理解しないままにガーレは畳みかける。二人はホールの中心でクルクルと回る。ガーレは心底楽しそうにエールの手をブンブンと振って笑った。


「僕! 人を殺したことがあるんだ! だからこれから言うのは真面目な話だよ? 今キルリが生きているのはあなたのおかげ。逆に言うと、キルリが死んだらあなたのせいなんだ。だから僕は、もしキルリが死んだらあなたを殺すね! 逆恨みで! 覚悟してね!」

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