二章 カイチナバク編

二章(前) レオンとアノールの初仕事

 王国クレアムルの首都〝カイチナバク〟はよく「世界の市場」と称される。大規模な貿易港を持つ海辺の町だ。中央街から潮風の吹く方へ向かっていくと、次第に人の往来が増えてくる。街並みの向こうに大きな帆船が見えてくる頃には、人混みは避けて歩かなければならない程に。港は競りに呼び込みにと喧しく、大声が大声を呼び、賑やかと言うには騒がしすぎた。


 レオンとオニクスは人波に揉まれながら港へ向かう。





 今回二人に課せられた仕事は密輸品の調査だ。とはいえただの密輸品ではない。


「ただの密輸品が別にあるってことなんですか……?」


 勤務初日。早速二人に仕事が任せられる。その説明の腰をレオンが折った。赤髪に童顔の男、カリザはそれを聞き、ばつの悪そうな顔をして目を泳がす。


「いやー、あー、まあそれは、あるかな? あるかも。この街、密輸品くらいならそれはもういくらでもあったりして……」


 言いながら向こうの天井の方に目をやる。レオンもそちらを見る。


「何か虫でもいましたか?」

「う、うん……いた……かな? かも……」


 カリザは目を泳がす。

 ――新人くん手ごわいな……天然キャラかな……。


 二人の態度を見て、オニクスが詰まらなさそうに鼻で笑う。

「カリザ、今の冗談だよ」


「え、そうなの?」

「あ、はい冗談です。まさか今の素振りで虫がいるだなんて思いませんよ」


 レオンはクスッと無邪気そうに笑って言った。


「あ、そう。そお……」

「カリザさんがこんなに話しやすくて、冗談も通じる方だとは思ってもいませんでした」


 ――いや、え? 冗談通じてたっけ。今。通じてなかったことないかな。オニクスに言われなくちゃ分からなかったけど俺。え、ど、どういうキャラ? 天然じゃないという自覚でいる天然キャラ? 何それすげえ面倒くさいじゃん。


「冗談は置いておいて」


 どこまでが冗談だったのか分かんないよお! 怖いよお!


「カイチの港の事情については少しですが勉強してきました。港の役人が力をつけすぎていて、王宮も手を焼いているそうですね。彼らは反社会組織とも通じていて、王宮の直接の介入は拒まれてしまう」


「あ、ああ。その通り。大抵のヤバいものは素通りされる」

「カイチは麻薬だって武器だって普段から密輸入され放題」

「その上で、なお俺たちに調べてほしいものがあるらしい」

「その捜査対象とは」

「ズバリかねだ!」


 カリザはビシッとレオンを指さす。


「金ですね!」


 レオンも合わせて指をさす。カリザのキメ顔にレオンもキメ顔で返す。二人はガシッと力強く握手した。

 ――分かる子じゃないかレオンくん。レオンくん、好きだ。





「……あの態度はやっぱり失礼だったんじゃないか?」

「いや、あれくらいがカリザにとってもやりやすいんだ。むしろ完璧だったよ」


「それにしても、魔女の件以外の仕事もやっぱり多いんだ」

「犯罪組織に能力者の用心棒がいると、警察隊の手に余ることがある。そうすると銀の翼まで仕事が回ってくるんだってさ。まあ今回は王宮直々の通達だからそれとはちょっと違うと思うけど」


 港の入り口が最も人が多く、屋台や露店が軒を連ねている。ここは世界で最も人の密度が多い道として有名。それゆえに三日に一度は人が雪崩の様に倒れ、人死にが起きている。付いた呼び名は〝ドミノストリート〟。並ぶのは果実や鉄板料理などの食べ物系から、手芸や装飾品などの雑貨まで様々。


「オニクス! 迷子にならないように手を繋がないと!」

「私は能力があるから迷子にならないけど。というかお前、私が子ども扱いされるの嫌いって知ってるよな? 覚悟はできてるか?」

「いや、俺が迷子になるから。お願い」

「ああそう? まったく、しょうがないな。そこまで言うなら繋いでやってもいいけど?」


 オニクスは自分が保護者の立場に立つことに気分を良くした。手を繋いで人混みを横切る。


 埠頭のエリアに入る。歩くのは貿易関係者ばかりで一般人がいないため、人の数はかなり減る。レオンが初めてカイチナバクに降り立った場所だ。レオンはここが好きだった。上着を腰に巻いた荷運び人と、指に宝石を付けた買い付け人が同じ道を歩いているアンバランスな光景が妙に気に入った。


 連なるテントは商人が契約をするための施設。それらテントの傍では明らかに堅気ではない風貌の男たちが銃を背負っている。彼らは辺りを歩き回る二人の事をいぶかしげに見る。


「しかし捜査と言っても何をしたものか……研修とかも無かったし……」

「直接聞いてみたら?」


 オニクスのその提案は冗談のつもりだった。しかしレオンは平然とそこらの強面に声をかけ始めた。オニクスは困惑する。


(こいつやはり素で天然か?)


「あの、ハーキアの富豪が税金逃れのためにお金を預ける金庫ってどこにあるんですか?」


(聞き方もそれじゃダメだろ。こう、何かあるだろ。遠回しにとかさ)


 強面らはいずれも更に顔を険しくする。一部のものは銃に手をかける。周りの雰囲気が一気に殺気立つ。それは伝播し、これとは別の集団までもが二人に目をやる。


「兄ちゃん、妄想もたくましいけど、そんなもんはここにはないぜ。そうと認めないなら、こっちも相応の対応をすることになる。お兄さんとしても女の子に酷いことをするのは気が引ける。さっさと妹ちゃんを連れてどこかに行くんだな」


 レオンは握ったオニクスの手の向こうに感情の機微を感じ取った。横を見ると笑っている。口元だけ。眼は笑っていない。

 ――そういえば握ったままだったんだな。そのせいもあって、低身長のオニクスが妹と見られたのか。


 オニクスは握った手を離すと、胸の前で両手を軽く組んだ。わざとらしげに演技する。


「やめてください! わ、私、あなたたちなんかに負けません! 勝負をしましょう!」


 レオンは他人のふりをしたくなって離れようとしたが身体が引けない。上着の裾を引っ張られている。能力で。相当強い力。レオンは裾が伸びるのを嫌って渋々その場に留まる。


「へえ、勝負って何で?」

「腕相撲です!」


 近くの無人のテントでそれは行われた。あまりに一方的でレオンは目を背けたかったが、ジャッジをやることを強要されていた。強面の男たちの手首が悉く破壊されていく。また一人机に右手を叩きつけられた。木片を飛ばして机が割れる。これで壊した机は三つ目になる。


「ほら、もう一回列に並んで?」

「う、ウソだろ……俺はもうできねえよ……」


 男はオニクスに引きずられて(能力で首根っこを掴まれて)列の後ろまで運ばれた。レオンが次の机を運んでくる。順番が回ってきた男は顔を真っ青にして席に着く。オニクスが「おらあ!」と声を出して男の手を机に叩きつける。男は手首を抑えて列の後ろに回る。途中、オニクスに呼び止められた。


「おい。お前今、手を抜いただろ」


 その男だけでなく列の男たちまでもが青ざめる。中には恐怖で手が震えている者もいる。呼び止められた男は歯を鳴らしながら弁解した。


「ぬ、抜いてないです! 本気でした!」


 オニクスは右肘を机について頬を置く。


「ねえー……次また誰かが手を抜いたら握り潰すって言ったよねえー……」


 言いながら左手を上げて何かを握るような仕草をする。


 ――多分あれ本当に握ってるんだろうな。男たちの悲壮の表情が真に迫っている。服の下のアレにも触れるんだ。


「もしくは美少女になら握りつぶされてもいいって異常性癖者ばっかりなのかなあー!」


 かくして男たちは我先にと情報を差し出した。


「つまり、金庫ってのは言葉通りの意味じゃないのか。その実態は金貸し。彼らの金はカイチで回ってるってわけか。強いて言うならカイチそのものが金庫なのかな」


 二人に課せられた任務は「金庫の確保」。ハーキアの富豪たちが税金逃れに資産を預ける金庫がこの港にあるという噂。王宮が普段なら放置している港に手を伸ばしたのは、この金庫の即物性に惹かれたからだ。分かりやすく大量の資金が一気に手に入る。


  レオンは腕を組んで考える。

「うーん、難しい。実態がこうとなると、任務はそのものが破綻しているように思えるけど」

「それでも実際に金を貸してる奴は捕まえられるだろ。それだけでもそこそこ以上の金になるはずだ。流れを追うぞ」




**




 ヨルノはアノールの部屋の扉を勢いよく開く。中のアノールはギョッとしてヨルノを見る。


「え、な、なに」

「おいでアノール、ガルがキミに話があるって」


〝ワッカラ村の襲撃〟から一か月後。アノールの軟禁は解かれた。部屋着のヨルノに連れられて屋敷の大階段を下りる。格調高い内装の屋敷。貴族か王族かの住む邸宅。


 食堂の机にはガルとトクワが並んで座っていた。ガルは魔女のマントを羽織っている。


 アノールはガルに促されて彼らと対面する位置に座る。ヨルノはこれを食堂の入り口、ドアの辺りで立って見ていることにした。ガルが口を開く。


「初めまして。わたくしはルルウ・ガル・ヴァルカロナ。ヨルノから名前は聞いているでしょうか。〝魔女のよすが〟の頭領をしています」

「あ……、アノール・イリス・アークです。初めまして」


 アノールは言い終えてから、ちらりとトクワの方を見た。

 メイド服。艶のあるリップ。シャドウを効かせた目尻。長い金髪をお団子にまとめている。足を組んでアノールに目を向けている。


 アノールがそちらを見たのはなんとなくの動作で、その視線に特に意味を込めたつもりは無かった。だがトクワには自己紹介を促されたと受け取られた。


「あー……アタシはトクワ・トガノ。こんにちは、アノール」


 そう受け取らせたことに気付いてアノールは申し訳なく思った。ガルが頭を下げる。


「初めに謝罪を。この一か月、この屋敷に閉じ込めてしまって申し訳ありません」


 アノールは焦って返事をする。


「いや、それは、理解できることでしたから。何か不自由があったわけでも無いし」


 アノールはこの屋敷の一室から出ることを禁じられていた。とはいえ縛られたり繋がれたりしていたわけでは無い。ベッドと本棚のある部屋で横になっていただけだ。食事も毎食運ばれ、ときたまヨルノがお喋りしていく。


 ――謝られるなんてとんでもない。なんなら楽をさせてもらっていた。


 そして彼らがアノールを放置しなければならなかったのも理解できた。彼らは今、中央教会はもちろんクレアムルとハーキアからも血眼で探されている大罪人である。彼らはその対応に奔走しなければならなかった。アノールなんかに構っている時間は無い。


(つまり、こうして呼ばれてるってことは、逃げ切った……んだよな。中央教会から)


「村を傭兵で襲ったことへの謝罪は無いの? 彼の母親を殺したことに対する謝罪は?」

 不意に、トクワがガルを責めるような発言をした。ヨルノは口笛を吹くふりをして視線を向こうにやる。


「うっ……、それは、えっと……」


 ガルが言葉に詰まっているところに、アノールが被せた。

「それは気にしていないです。それと僕がここにいるのは別です」


 トクワは背もたれに体重をかけて腕を組む。椅子がギシリと鳴る。

「へえ、割り切りがいいんだね?」


 アノールは無言で返す。トクワはアノールから目線を外す。


「話を逸れさせて悪かったね。本題をどうぞ」


「あ、はい、それで、ようやくひと段落したので、君の話をさせてもらいたくて。アノールくんはきっと能力を受け取りたいと思うんですが、こちらとしてはそれはもう少し信頼が得られてからにしたくて……」


 アノールの頭に疑問符が浮かぶ。ヨルノはいつでも出ていけるように扉のノブに手をかける。ガルはそれに気づかず話を続けるが、トクワはそれらの態度をいぶかしむ。トクワには一つの可能性が思い当たった。

 太ももに巻いたベルトから刀身の真っ黒なナイフを抜く。柄の先をつまんで勢いよくアノールに投げつけた。アノールは突然のことに驚きつつも両手をかざしてそれを受ける。左の手の平にナイフが深く切り込んだ。ガルの肩がビクッと跳ねる。


「トクワ!? 何を! 大丈夫ですかアノールくん!」

「え、大丈夫です。そんなに痛くもないです。痛……く、ないんだ……。本当に」


 アノールは自分の手の平を見る。縦に割れた切り口からは血が流れだしている。ナイフの刃は手の平を貫通するかというほどに肉を抉った。しかし痛みはほとんどない。指で傷の端を押し込んでようやくチクリとした痛みが走る。そこに傷があることは感覚で分かるのに、それに見合う痛みが無い。既に傷の端には白い精霊が集まり、傷を埋め直し始めていた。


 トクワがヨルノの方を睨むが、その扉はちょうどヨルノが出て行って閉まったところだった。アノールはこの軟禁期間で既に能力を獲得していた。ヨルノの手引きによって。トクワはため息をつく。


「やったなアイツ……」


 ガルも呆れるあまり乾いた笑いが出ている。アノールはとりあえず「すいません」と謝る。


「いやいや、あなたは悪くないけどね……はは……」


 ガルは左手を雑に振って受け流す。そのまま左肘をついて左の指で頭を支える。


「うーん、じゃあ、前後するけど、アノールくんには一つ仕事をこなしてもらいたくて」


「仕事」

「まあ、仕事と言っても簡単だよ。ちょっと挨拶回りしてきてもらうだけ。ヨルノとトクワをつけるから。それでよろしく……あー、お願いします」


 話が終わってトクワが去り、アノールも行こうとしたところ、ガルに呼び止められた。


「能力を授かるとき、あの、神を見たりしましたか?」


 アノールが能力を得たのは一週間前の事。ヨルノが部屋に持ってきた手形に触れた。そして、能力を得た。そこにはそれ以上の事は何もなかった。触れて、離しただけ。そう伝える。


「……そうですか。ありがとうございます」





 アノールは使用人風の格好に着替えさせられる。メイド服のトクワとヨルノに連れられて豪邸を後にする。広い道。アノールのいた部屋から壁越しでも分かった、閑静で重い雰囲気。


 振り返ったアノールを驚かせたのは聳え立つ城壁。それと、その向こうからこれ見よがしに突き立つ尖塔。王宮を始めとした国営施設もその天井付近を壁の向こうから覗かせている。


「こ、ここって、もしかしてカイチナバク!?」


 驚くアノールを見て、ヨルノがフフンと得意になる。


「そうだよ? 凄いでしょ」

「なんでお前が威張るんだよ」


 トクワが苦言する。アノールは愕然としている。


「いや、うん、凄い。壁一枚隔てて王宮があるって、上流の貴族が住むところでしょ」


 カイチナバクの城壁はカタツムリの貝殻の様にくるくると巻いて敷かれている。中央に王宮がある。王宮に近づけば近づくほど土地の位は高くなっていく。この街の上流市民の中には、王宮を見て壁が何枚あるところに住んでいるのかで根強い差別の意識があった。「一枚」に住むのは王宮に何代も前から仕える貴族たち。「二枚」はその他の貴族と一部の資産家。「三枚」からは面積が何十倍にもなり、最も多くの市民が住むエリアとなる。港は三枚と四枚の境目にある。港の周囲を除くならば、「四枚」は貧困層のエリアと言っていい。


「意外とすぐ着くんだ」


 アノールたちが「四枚」まで来るのには徒歩で一時間もかからなかった。トクワが頷く。


「丸い街だからな。『一枚』か『二枚』を通行できるならこの街は小さいんだよ」


 トクワは貧民街をズイズイと進む。最低限の壁と屋根しかないような住居も少なくない。タバコを吸う若者たちが道端でたむろしている。


 アノールは物乞いが並んでいる前でふと立ち止まった。両手を出して施しを求める少年を見下ろす。見下ろすとき落ちないようにと帽子のつばに手をかけようとして、初めて、帽子を村に落としてきたことに気付いた。


(そうか。誰か拾っているかな。お母さんと一緒に埋めてあげてほしかったんだけど)


 ――あ。そうか。僕って、お母さんの葬式にも立ち会えなかったんだな。


 足を止めたアノールを見てトクワも足を止める。アノールはしゃがんで少年と目線を合わせた。少年は痩せこけていた。だが、綺麗で透き通った黒い瞳をしていた。


「ぼくから恵めるものはないんだけど……もしかしたら、街道沿いまで行ってみた方が、もっと多く施しを受けられるかもしれないよ」


 それだけ言ってアノールは立ち上がり歩き出した。ヨルノが声をかける。


「レオンくんとそんな話をしたの?」

「え? ああそっか、ヨルノはギラフから色々聞いてるのか」

「まあざっくりとは。そうじゃなきゃキミを誘おうとは思わなかったし」


「……ヨルノが僕を誘ったのは僕の背景あってこそってこと?」

「そうだね。別にキミがウチの手形と適合していなくても誘ってたよ」





 〝魔女のよすが〟所有の小屋で身なりを整える。彼らが使用人の格好をしていたのは、あくまでも貴族街を抜けるためだった。それから私服に着替える。小屋と言っても壁もない一室なので、男女交互に着替えることになる。ヨルノが中に入りアノールは外で待つのだが……。トクワも隣に残っている。中に入らないのかとアノールは疑問の目を向ける。


「ん? なにか……あ。言ってなかったっけ。アタシ、男なんだ。どう? 可愛いでしょ」


 トクワはくるっと回ってスカートを揺らす。ふふんと笑う。アノールはそうと聞いてもまだ信じられない。


「え、ホント。ウソ、めっちゃ可愛い」

「当然。でも、ありがとう。お礼にスカートめくらせたげよっか。ほらほらどうだあ?」


 トクワはアノールの手を取ると自分のスカートの端を持たせる。アノールはつい唾を飲む。


(え、いいのか、めく、え? お、男だからな。いいよなそれはめくっても。いやでも……)


 アノールが躊躇している間にマントを羽織ったヨルノが出てきた。トクワのスカートを持つアノールに冷ややかな目を向ける。アノールはヨルノの視線に耐えながら小屋の中に入った。


 アノールは与えられた服に着替えながら、トクワがお団子を解いて一つに結びなおす様子を眺めていた。トクワはショートパンツにオフショルで、露出の多い服装に着替えていた。


(女装家ってのは露出が増えればそれだけボロが出やすいものだと思うけど、トクワは手足を隠そうとはしないんだな。むしろ逆……か。変態だあ……)


 ――ともかく凄い完成度だ。姿かたちを見ただけで女装と見抜くのは不可能だろう。声も演技で十分ごまかせている。


 トクワは用意を終えて最後にマントを羽織る。おもむろに太もものベルトからナイフを抜くと、アノールに向かってアンダースローで投げつけた。アノールの左耳を掠める。


「な、なに」


 アノールは早まる鼓動をできるだけ隠そうと平静を装って尋ねる。


「ほらこう、ダイナミックに体を動かすとマントがたなびいてカッコいいじゃん?」


 ――そんな理由でナイフを投げるの? 投げる人なの? いや確かにカッコいいけど。


「〝よすが〟には他に男がいないからさ。アノールが入ってくれるなら、嬉しいなって話」


 トクワはアノールに歩み寄ると、アノールのズボンの両端を掴んで少し持ち上げた。ベルトを一つキツくする。

「腰はこの高さの方がカッコいいぞ」


 トクワはにっこりと笑った。アノールはもしやズボンを下ろされて襲われるのかと冷や冷やしたがそうではなくて胸をなでおろした。トクワは壁に刺さった刀身が真っ黒なナイフを抜いて仕舞うと、アノールに丁度いい大きさの剣も用意した。武器は地中にしまわれていた。トクワが地面に手を突っ込んで、剣を掴んで持ち上げる。まるで水中の剣をすくい上げるかのように。アノールの疑問にトクワが答える。


「アタシの能力だよ。〝落とし穴の生成トラップ〟。触れたものが『すり抜けるもの』になる。土や石、岩なんかに限るけどね」


(触れたものに能力を発するってことは……ハキア神の能力か)

 ――ハーキアの掲げる神、ハキアの能力だ。トクワのルーツはハーキアにあるのだろうか。


 アノールの考えを見透かしたのか、トクワは口元を緩めて言った。

「帰ったらアタシの話も少ししてあげるよ」


 アノールもマントを羽織って外に出る。二人を見てヨルノがやれやれと両手を上げる。


「妙に長かったね。おアツいことで。トクワも手が早いんだから」





「このように、トクワへのこの手のいじりは禁物なのだよアノールくん。分かったかな?」


 ヨルノはトクワに抉り出された自分の右の眼球を指先で弄る。


「いやお前、普段の行いが悪いんじゃないの。なんとなく察せられるよ」

「とりあえず突っ込んどくかあ」


 ヨルノは眼球を右目の空洞にえいっと押し込んだ。アノールはその光景を見ていられず別のところに目をやった。三人は貧民街の奥地までやってきていた。その辺りには化粧の濃い女性が多くいた。アノールがきょろきょろしているとヨルノに注意される。


「アノール、あまり見ないように。客だと思われちゃうよ。それとも遊びたいのかな?」


 アノールはその言葉でやっと彼女らの素性を理解した。


「ああうん、分かった。ありがとう。でもなんか一言多いねお前……」

「お前って呼び方は親密な相手でないと不快に思われるかもしれないから気をつけなよ」

「いや別に嫌ならやめるよ。なんでそんな言い回ししかできないの?」

「嫌とは言ってないんだけど?」

「それはそれでキモいよ。いつ僕がお前と親密になったんだよ」

「アノール。自分で言うのもなんだけど私は面倒くさい女だよ。それ以上チクチクした言葉を使ってみろ。泣くぞ」


 あわや口げんかに発展しそうなところ、トクワが止めて二人は渋々それに従った。トクワはため息をつきながら、ここまでのアノールの態度が気になっていた。


(アノール、アタシやガルに対してのそれに比べてヨルノへの対応がキツいな。……それもまあそうか。そう簡単に親の仇と馴れ合うことはできないよな)


 三人は木造の二階建ての建物に着く。トクワはその建物の周りをぐるっと回り、辺りを確認してきてから扉をノックした。男が一人扉を僅かに開き、トクワの顔を確認して一度中に戻る。三人は少し待ってから中に通された。

 建物の一階は入ってすぐに廊下で、廊下にはたくさんの扉があった。満ちたタバコの煙にアノールがむせる。男に連れられて二階へと上る。


 扉を開くとやや広めの部屋。手前には机とそれを挟む二人掛けのソファ。その向こうには大きな書斎机と、その椅子に掛けた男が一人。彼の傍らには、レイピアを腰に下げた老人と、眼付きの悪い少年が立っている。全部で三人。トクワが椅子の男に話しかける。


「やあ、久しぶりだねマチル。太った?」


 椅子に掛けた男が天井を仰いで笑った。貧民街には似合わない、肥え太った大きな体。指輪は三つか四つ、どれも指に食い込んでいた。


「おおトクワ。死んでなかったか。いやそれは僥倖に恵まれたな」

「幸いにもな。そっちこそ、儲かってるみたいじゃん?」

「はっは! ぼちぼちだな! おかげさまで『二枚入り』できそうだ」

「へえ! そりゃ凄い」


 トクワは目を開いて驚いて見せる。アノールは意外とほがらかな雰囲気に緊張を緩める。


「それで、ミゾーロはどこに? 姿が見えないけど」

「ああアイツなら追い出したよ。私が直接ここに座った方が上手く回るみたいだったからな」

「だから? まさか首が変わったからってアタシらと交わした契約を反故にするなんて言わないよな?」


 トクワの声色に棘が生える。向こうの老人がレイピアに手をかける。


 ヨルノがアノールに顔を寄せて囁く。

「左の老人の適性はクレアム、右の少年はハキアだ。左はともかく右はまあまあの色だね。まともな能力を持ってるよ」


 言って少年にちらっと目を向ける。少年は呆けた気力の無い顔で、少し先の床に目をやっている。


「まさか。支払いが遅れているのは容赦してほしい。なんたってお前たちが生きているなんて知らなかったからな。中央教会必死の捜査網なんだ」

「でも残念。アタシらはこうやってここに現れたちゃったわけだ。さあ、払えるんだろ? 自分の命と『二枚入り』、どっちが大事なのか聞かせてくれ」


 マチルは再び椅子をきしませて笑う。アノールは一拍遅れて理解した。これは取り立ての現場だ。そして相手は踏み倒そうとしている。


「愚問だな」

「……はあ。らしいな」


 先手を取ったのはマチル側だった。マチルは背後の窓の枠に手をかける。老人は応接用のソファに飛び乗ると、背もたれの上で半身をグッと伸ばしヨルノをレイピアで刺突する。少年は左手で手裏剣を三つ投擲する。トクワはベルトのナイフを掴んで投擲を狙う。ヨルノは狙われるままに刺突を肩で受けて逆にその腕を掴んだ。アノールは腰の剣に手をかけようとする。

 手裏剣は空中でいずれも異なる弧を描きアノール側の三者の右手首の近くに突き刺さった。アノールとトクワはダメージで武器を振るうに至らない。マチルは窓から飛び降りる。ヨルノだけは怯まずに老人の腕を掴み、突いた腕を引く老人の力を使って技をかけようとした。しかしそう思った瞬間、何か直感的に嫌なものを感じて、両手を放し老人から距離をとった。

 三つの手裏剣は傷口からひとりでに放たれ、再び弧を描くと少年の手元へ戻っていく。マチルの着地の衝撃が建物を揺らす。その直前かほぼ同時にマチルの太い叫び声が響いた。


「おおおおおお落とし穴ああああ!」


「よし、能力を解除した」とトクワ「ひとまず今すぐマチルに逃げられることはないぜ」


 少年と老人は顔を見合わせる。二人で並んで窓から見下ろすと、マチルが地面から首と両手首だけを出して埋まっていた。目だけきょろきょろと動かしながら「助けて~」「足が痛いよ~」とかすれ声で助けを求めている。辺りの住人らからは変態と思われ距離を取られていた。


「さすがだね」


 ヨルノがヘッとトクワに笑いかける。アノールはトクワが建物に入る前に裏手に回ったのを思い出す。

 ――あのときに作っておいたのか。こういう使い方ができる能力なんだ。


「それよりもヨルノ、お得意の柔術はどうした」


 ――お得意なんだ。前に僕にやったような人を投げ飛ばす技術がヨルノの基本戦術らしい。


「それがあのお爺さん、そういうのに心得がある。しかも達人級だ。私より腕がある人を投げ飛ばすことはできない」


「これはどうも」老人が振り返って言う「でもお嬢さんもその歳でかなりのものです。私がもう少し若くて力があれば、それを利用されて投げられていたでしょう」


「まさか。そんなことしようものなら今頃私は串刺しになってたよ」


 武道家同士のリスペクト大会が始まった。


「しかもその動かない右目……義眼でしょう? それだけの修羅場をくぐってきたのですね」

「あー…………まあ、そうですね!」


 調子のいいヨルノに少年は舌打ちする。


「爺さん、ソイツは抜かれた右目を拾って入れてるだけだ。恨まれてるからな。誰かにやられたんだろ」

「ほおそれはそれは。お気の毒に」

「そうだよねーお気の毒様だよね」


 ヨルノがわざとらしく言うのに、トクワは表情で最大限の不平を唱える。少年とトクワはヨルノへの感情を共有した。二人は少し仲良くなった。


 アノールは蚊帳の外になってしまった。拗ねながら状況を整理する。


 ――まずこの現場は、取り立ての現場だ。上位の組織が下位の組織から金を搾り取ろうとしている。自分は取り立てる側。相手は踏み倒そうとした。その手段は「逃走」だ。しかし普通に逃げては追いつかれるので時間稼ぎを用意した。それが少年と老人の二人。彼らが僕らをここに釘付けにしている間に逃げる算段だった。けれどこれはトクワの事前に打った一手で防がれた。彼らの目的は一旦、停止した。

 とはいえ彼らが敗北したのかと言えばそうではないだろう。あくまでもこのご歓談は、経過時間によるアドバンテージの推移が失われたために生まれたものだ。対立構造は依然ある。彼らの勝利条件が「時間経過」から「武力で制圧」に変わっただけのこと。


 老人は話を切り上げる。少年も続く。


「では、そろそろ続きと参りましょう」

「別に最初から殺すつもりでやっても良かったんだ」


 トクワがアノールに声をかける。冷や汗一つ。


「アノール、気張れよ。アンタにも頑張ってもらわないとアタシら負けるからさ」

「私たちが負けたらアノールのせいってわけだね」


 冷やかしたヨルノをアノールがたしなめる。


「なんでそう余計なことを言うんだ、お前はさあ」

「あ、またお前って言った!」

「結局それ嫌なのかよ……!」


 最初に動いたのはやはり少年の指先だった。今度の手裏剣は四つ同時に飛んでくる。全てがアノール狙い。それを見るとすぐさま老人もステップで前に出てアノールに照準を合わせる。手裏剣の軌道は弧を描き、その軌跡はいずれも部屋の壁のすれすれを掠める。先ほどより大きな弧。それがアノールの四方から包囲するように襲い来る。正面からは老人の刺突。アノールは状況の理解は間に合ったが対処法を思いつくには至らなかった。ヨルノがアノールの右手を掴んで引き、老人の刺突はアノールの左目ではなく左耳を貫いた。四つの手裏剣がアノールに突き刺さる。その間トクワは少年と距離を詰める。


 少年は左腕を脇に広げながら、右手を腰の短刀にかける。足元に滑り込んだトクワが右手のナイフで少年の首を狙う。ヨルノは掴んだアノールをそのまま背負って投げる。老人はアノールに刺さったレイピアを引くのが間に合わず、このまま掴んでいても姿勢を崩される、とレイピアを手放した。最中、手裏剣がアノールから放たれて再び弧を描き持ち主の元へ戻っていく。

 トクワの振り上げたナイフは少年の首を捉えた。しかし刃が届いたその瞬間に、ナイフを振り上げた腕が、戻ってきた四つの手裏剣にめった刺しにされた。穴の開いた水風船のように四つの傷口から血が噴き出す。続けて少年の逆手に持った短刀がトクワの右腕に振り下ろされた。その刃は骨まで届き上腕内側の筋繊維を完全に切断した。トクワは食いしばって顔をしかめる。ナイフはトクワの右手を離れ床に落ちた。


 背負い投げされたアノールは、ヨルノが本気でなかったのもあって上手く受け身を取って、すぐさま起き上がり剣を鞘から抜く。ヨルノはアノールの耳を貫いたままのレイピアを掴んで抜くと、構えながらすぐさま老人へと向き直る。

 しかし振り向くと同時に、老人が突き出した人差し指がヨルノの左目に直撃した。ヨルノは左手で顔を抑えてたじろぐ。少年はトクワの顎を蹴り飛ばすと、左手をポケットに突っ込んで次の手裏剣を構える。


 アノールは選択を迫られる。やけに大きく響く鼓動。刹那の判断。


 ――どうする。どうする。ヨルノもトクワも劣勢だ。トクワは右腕が、ヨルノは目が潰された。どっちを狙う? 少年はまだ遠い。刃を届かせるにはもう一拍かかる。ならこっちだ!


 しかしアノールが力んだその時、先の手裏剣によってできた四つの傷から血が溢れ出る。痛みなく漏れ出す血。慣れない感覚にアノールの動き出しが僅かに鈍くなった。その隙を老人は見逃さない。アノールが振り下ろした剣を回避するだけでなくその腕を掴み、重心を引っ張ってアノールを地面に滑り落とした。アノールはうつ伏せに倒される。

 少年が手裏剣を放つ。手裏剣は全てヨルノの右腕に直撃した。ヨルノは右手で掴んでいたレイピアを落としてしまった。ヨルノは残った左手で床をまさぐる。トクワは少年が目を離した隙、床に倒されたままナイフを投擲した。少年の下腹部に突き刺さる。少年の注意がトクワに向く。


 老人はアノールが手放して転がった剣をつま先で蹴り上げて手に取った。ヨルノに刺さった手裏剣が少年の元へ戻っていく。


(……! ここだ!)


 アノールはうつ伏せのまま少年の方を向き、右手をかざして能力を使った。〝操作の奪取クラック〟。アノールが能力を発動したその一瞬。一秒にも満たない僅かな時間。しかしその間、対象の能力は、アノールに


 四つの手裏剣は途中で軌道が弧から外れ、そこから直線の軌道に変わった。四つのうち三つが少年の身体に突き刺さる。少年は混乱して動きが止まる。トクワは立ち上がりざまに少年の顎下からナイフを突き込んだ。少年はよろけて机にぶつかり、そのまま床に滑り落ちて動かなくなった。老人はアノールの背中に剣を振り下ろす。アノールも動かなくなった。老人はすぐさまトクワへ向かって距離を詰めようとする。


 ――残ったのは三人だが柔術のお嬢さんは目を潰している。今すぐ脅威にはならない。この流れのまま戦闘を継続できるのは私以外にはナイフのお嬢さんのみ。あちらには飛び道具がある。間髪入れずに距離を詰めなければ。


 考える老人の側面から、ヨルノのレイピアでの突きが炸裂した。再生したばかりの右目で迷うことなく脇腹から内臓を狙う。しかし利き手でない左手で突いたのもあって、傷は致命傷にはならない。老人の足が止まる。脇腹から走った激痛を年の功で抑え込んで、すぐさまヨルノを振り向きざま剣で振り払う。ヨルノは胸から血を吹き出して倒れた。老人はトクワに向き直ろうとするが、歴戦の勘が虫の知らせを発した。一瞬で思考を巡らす。


 ――この目を離した隙にナイフは既に投擲されていて、向き直った瞬間に私の身体に直撃するのではないか。さきほど私がこのお嬢さんの左目を潰したときのように、向き直った瞬間というのは無防備なもの。回避するか、受け流すか。私の脇腹の傷は動ける時間がそう多くないと告げている。最適解は、受け流して突っ込む。最短距離で切り捨てる。


 老人は首から腹まで、正中線を守るように剣を構えながら向き直った。トクワによって投擲されたナイフは、老人が構えた剣をすり抜けてその胸に突き刺さった。老人はついに想像を超えた驚きの表情を見せる。自分の胸に突き刺さったナイフを見て、呆然としたまま剣を手放して膝をつく。

 トクワのたなびいたマントが遅れて落ち着く。


 老人は喉から湧いた血を吐き出す。


「なるほど。奥の手はそちらのお嬢さんの右目だけではなかったのですか」

「持ち手は粘土。刃は黒曜石。そのナイフはアタシの能力ちからで透過する」

「これは中々……。良い……敗北だ…………」


 老人はするすると床に倒れ横になった。弱まる息に気付かないトクワではなかった。


「……能力者じゃねえのかよ、爺さん」


 気付けば血の海と化していたその部屋に、トクワだけが意識を持って立っていた。

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