獣人世界の動物のお医者さん

穴の空いた靴下

第1話 とうとう開業

 抜けるような青空、雲ひとつない快晴とはまさにこのことだ。

 少し肌寒い気温も暖かく照らしてくれる陽の光によって心地よい風と感じられる。

 時間は5時、まだ街は完全に目を覚ましていないが、一人の男は真新しい真っ白な建物の前で落ち着きなく動き回っている。


 今日はその男、市川 万吉(いちかわ まんきち)にとって待ちに待った日だ。


「ようやく……夢が、叶う!!」


 市川 万吉、38歳、男。

 独身彼女なし。

 身長188cm 体重120kg 体脂肪率11%

 ベンチプレス150kg デッドリフト205kg スクワット250kg

 空手歴35年、柔道歴22年、総合格闘技18年

 短髪に自己主張の激しい眉毛、目力のあふれる顔立ちのせいで、見た目は完全にその筋の人間に見える。

 好きなもの、動物、料理、編み物、漫画、ラノベ、ゲーム

 嫌いなもの、ホラー映画


 職業 獣医師


 彼は今日、夢であった自分の病院を開業する。

 その鍛え上げられた巨大な身体を小さく畳んで、病院の前の花壇の最終チェックに勤しんでいる。

 犬、猫、うさぎ、鳥の人形が花畑の中央で集まっている可愛らしいガーデニングも全て自分で行っている。

 病院の外環は真っ白、そこに可愛らしい動物のイラストが書かれている。

 これも万吉が描いたものだ。


「今日からこのモフモフ動物病院の始まりだ!」


 静かな街に彼のバカでかい声がよく響く。

 もふもふという名前は彼が飼育している猫の名前だ。

 とうの本猫は病院の二階の窓からせわしなく動く飼い主を見下ろしながら大きなあくびをしている。


 バタバタと落ち着きなく病院の中のチェックを始める。

 薬の在庫、手術器具、もう今日までに何度チェックしたかわからないほどだ。

 数千万という借金をして開業した万吉。

 一般的な動物病院で必要なものは一通り揃えていた。

 この地域では比較的小規模の動物病院しか存在せず、しかも後継者がいないということで半年後に閉院が決まっていた。

 その病院は小さいながらも様々な症例に的確な診断、治療を施すと有名で、遠方からの来院も有る動物病院だった。

 万吉の師匠である鏡 龍二(かがみ りゅうじ)。

 見た目は完全なヤクザ、言葉遣いも優しくはないが、とにかく腕は立つし、なにより動物に対する愛情が溢れ出ていた。

 一方で同業者にはとことん厳しく、万吉以外の獣医師はその厳しさに耐えきれずにすぐに辞めてしまう。

 そんな師匠の引退に、この病院を継がせてくれと頼んだ万吉であったが……


「駄目だ、お前はもっとでっかいところで働け、何度扉や壁を壊したと思ってんだこのデカブツ!!」


 と、断られた。

 しかし、師匠の病院からほど近い場所に、後継者的な位置づけで全面バックアップをしてもらい開業にこぎつけたという背景がある。

 なのでこの病院は色々とでかい。

 入り口、扉、窓、部屋も大きめ天上も高めに作られている。

 普通に作れば数千万では済まなかったが、熱心な支持者が建築関係にいたために破格の物件になっている。


 万吉は扉や壁をにやにやしながら掃除している。

 彼にとって、今日からこの場所は自分自身の城になる。

 憧れていた師匠の背中を、ほんとうの意味で追いはじめる始まりの日なのだ。


「……!!」


 もう、開業準備時からなんど起きたかわからない身震いがする。

 待合室から診察室、手術室から検査室、全てが自分の守るべき城なのだ……

 二階には住居スペースを作ってある。今のところは自分ひとりが生活していく場所になるが、いずれは夜勤などに使えるようになっている。

 今まで人とすれ違うことも出来なかった病院で止まることなく働き続けてきた万吉にとっては自分なんかがこんなすごい場所を手に入れて本当に大丈夫か、これは夢なんじゃないかともう何度目かわからない頬をつねって確かめる。


「痛い! 夢じゃない!!」


 馬鹿力でひねっても面の皮も厚いのでノーダメージだ。

 掃除する場所もなくなったので自宅スペースへと移動する。

 もふもふは部屋に入ってきた万吉を一瞥して、お気に入りの高台から街を見下ろしている。


「あー、もふもふ~あと2時間だよーどーしよー」


 気持ちよくくつろいでいた身体に顔を突っ込んでくる、この飼い主の幾百と繰り返されたこの行動に半ばうんざりとしながらも、反応するのも面倒くさいといったようすで好き勝手やらせている。器の大きな猫である。


「患者さん来るかな? スタッフ来てくれるかな?」


 後一時間もすればスタッフはちゃんと来るから落ち着けと言わんばかりにパタンパタンと無言の抗議をしている。

 飼い主はお構いなしにもふもふの腹に顔を擦り付けている。

 穏やかな時間だ。

 静かな街の静かな空気の中繰り広げられる二人の時間……


 ドンッ!!


 突然、そんな静寂を破壊する静かな朝に場違いな音が響く!


「なんの音だ!? 近い!」


 万吉は部屋を飛び出し階段を駆け下りる、そして、外に飛び出す!


「なんの匂いだ……ガソリン!?」


 外には強烈な臭気が漂っている、そして病院の裏手を確認すると、衝撃的な映像が広がっていた。


「車が……刺さっている……」


 病院の隣、一般住宅の外壁に大きなトラックが突き刺さっている。

 万吉はすぐに走り出し、トラックの助手席側から内部の様子を伺う……


「大丈夫ですか!?」


 エアバッグにもたれかかるようにうつ伏せに突っ伏している運転手を確認、助手席を開けようとするが、フレームが歪んでしまっているのか扉が開かない、万吉は迷うことなく粉々になっている窓ガラスに向かって構える。


「せいっ!!!」


 放たれた中段突きが、粉々のガラスを突き破る。数発の拳を繰り出すと大きくフロントガラスが破壊され車内へと潜り込んだ。


「大丈夫ですか!?」


「うう……」


 意識はある、身体を確かめるとシートベルトとエアバッグによって運転手の体は守られており、目に見える大きな外傷は見当たらない。


「犬が……急に……」


「大丈夫、今、外に出す!」


 シートベルトを外し、運転手をお姫様抱っこで担ぎ上げ、フロント部分から飛び降りる。できる限り衝撃を与えないように注意して、すぐにトラックから離れた安全な場所で寝かせる。


「あ、ありがとう……」


 意識もしっかりとしてきた、ホッとしたが、どうしても気になることがある。


「犬がって、何があったんですか?」


「ああ、犬が急に飛び出して、思わずハンドルを切って……あの犬……無事かなぁ……」


「見てくるんで、少し待ってください」


 物音を聞きつけて人が集まってきていた。


「すみません、警察と救急車に連絡をお願いします!!」


 周りにいた人に連絡をお願いしてトラックへと戻る。

 ガソリンの匂いが強い。どこからかかトラックの燃料が漏れているかもしれない、最悪、爆発してしまう。トラックは壁に突き刺さりながらもエンジンが動き続けている。


「犬は、逃げられたのかな……轢いた跡はなさそうだよな……?」


 急いで周囲を確認する。


「やっぱり、燃料が漏れているな……」


 燃料タンクから液体が地面に水たまりを作っている。これは非常に危険だ……

 隣の家の人は大丈夫だろうかと家を見上げた瞬間……


「くうん……」


 万吉の全身に電気が走った。

 確かに、犬の声が聞こえた……


「どこに!?」


「……くうん……」


「下!?」


 車の下に潜り込む。

 どぶ板が外れた場所があり……

 ふーふー、と短い呼吸が聞こえる。


「まさか、あそこに!?」


 つながっている溝をたしかめ、はめられた石の蓋を剥がす。


「うおおおおおりゃ!!!」


 ごとん、分厚い石の蓋を外して排水口を覗き込み、ペンライトで内部を照らすと、少し先に真っ白い犬が見事に排水口に落下していた。


「見つけた!! けど……」


 犬がいる位置の真上にはトラックが覆いかぶさっており、助けるためにはどうにかして近い石の蓋を外すしかない。


「もたもたしていたら、ガソリンに引火する……」


 はがせる一番近い蓋を、なんとか引き剥がす……


「そおおりゃああ!!」


 覗き込むと、あともう少しというところに白い体を確認できる……

 もう一枚剥がすためには車体をずらさなければいけない……

 警察を待つか……

 そう考えた瞬間、白い被毛がゆっくりと赤く染まっていくことが確認された。


「待てない」


 万吉は迷わずにトラックの下に手をかけた。


「ふんっ! ぬおおおおおおおおりゃあああああああああ動けぇ!!!」


 めしり、にぎった車体がその力で歪むほどの火事場の馬鹿力、ぎし、ギシギシと車体が少しづつずれていく。


「うおおおおおおおおおおおおっっっ!!」


 雄叫びをあげ、ずりっっと大きく車体が動く。


「はぁはぁはぁはぁ、もういっちょぉ!!」


 分厚い石蓋を力を振り絞って持ち上げ脇に落とす。


「はぁはぁ、と、届くか……!?」


 溝に体をねじ込み、必死に手を伸ばす、気がつけば手のひらが血だらけだ。

 万吉は気にもせず、必死に白い体に手を伸ばし……被毛をつかむ。


「我慢しろよ!!」


「キャイーン!!」


 悲痛な鳴き声が聞こえたが、万吉は犬の体を排水溝から引きずり出す。犬の体を確保し、犬も自由になると万吉の腕に噛みついた。命の危機に対する本気の攻撃だが、万吉の丸太のような腕はしっかりと、そして優しく犬の体を支えている。


「悪かった。ちゃんと治してやるから、病院へ行くぞ」


 腕を噛ませたまま、立ち上がろうとした瞬間だった。

 車体から、ボッ、と火が上がった。

 万吉は、とっさに犬の身体を抱え込み、次に起こるであろう現象からその身体で犬を守るのだった。


 万吉の身体に激しい光と炎、衝撃が叩きつけるのだった……






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る