螺旋世界のアルフィリア
神無月二夜《かんなづき・にや》
第1話 異世界への転移
「
下校途中に突然、声を掛けられた。
儚さを漂わせつつも、どこか強い意志を感じさせるような女性の声だった。
フルネームで呼ばれたので、てっきりクラスメイトかと思ったが、どうやら違うらしい。
そもそも今学期はオンライン授業がメインだったので、同級生の顔を覚えるほど登校していない。仮に同じクラスの人間だったとしても、それが判断できたかは怪しいところだ。
しかし、彼女とは初対面である、ということだけは確信できた。その女性の容姿が異質だったからだ。
コートと一体化したフードを目深に被っていながも、口元にはマスクが見当たらない。裾から覗く髪の毛は混じり気のない白。純白とも言えるサラサラとしたその髪は、日光に照らされて、まぶしいぐらいに輝いていた。
背丈から判断すれば同年代ぐらいだろうが、ここまで印象に残る人物に会った記憶はない。
「ええと、どちら様でしょうか?」
相手に不快に思われない程度に、半歩ほど距離を取ってから尋ねる。
「私はフィリア・レーギスと言います」
「初めまして……でいいんだよね?」
「お会いするのは初めてですが、あなたのことは知っています」
外国人だからだろうか? 発音も正確で流暢な日本語だが、妙な言い回しだと思う。
「ぼ、ぼくに何か用かな?」
他人に対して微笑むという行為を久しぶりにしたせいかもしれない。顔の筋肉が固い気がする。相手から見えているのは目元だけとはいえ、ひどくぎこちない表情だったに違いない。
「私の世界へ来ていただけませんか?」
『国』ではなく『世界』と言った。
「まるで、この世界の人間じゃないみたいな言い方だね……」
「冗談でしょ?」と言わんばかりの笑みを浮かべながら言うも、相手の表情に変化はない。
「その通りです。私はこことは異なる世界から、あなたに会うために来ました」
「えっ、ぼくに? でも何で……」
「世界を救うために、あなたの力が必要だからです」
「ごめん、聞きたいのは『なんのために』じゃなくて『なぜぼくに』ってほうなんだけど……」
世界を救う? あなたの力? 気になる言葉が満載だ。もちろん目的自体にも興味はあるが、ピンポイントで自分に声を掛けてきたことのほうが気にかかる。
相手は少し考えるようなそぶりをしてから、今までかぶっていたフードをそっと脱ぎ真っ直ぐにこちらを見つめてから答えた。
「――あなたにしかできないことがあるからです」
その瞬間、息を飲んだ。彼女の現実離れした美しさに見惚れていたのだ。
マスクをしていてよかったと思う。きっと馬鹿みたいにぽかんと口を開けていただろうから。
「……あのぅ」
何も反応せずにいたのを不安に思ったのだろう。
恐る恐るといった感じで彼女が声を掛けてきた。
「え、あ、ごめん大丈夫。ちゃんと聞いていたよ。アハハ……」
照れくささをごまかすように無駄に明るく振舞うが、フィリアと名乗った少女は真顔のままだ。もったいない。笑顔だったらもっと魅力的だったろうに。不謹慎かもしれないが内心ではそんなことを考えていた。
「突然こんなことをお願いして、本当に申し訳ないですがあまり時間がありません」
その声色は、先ほどよりも必死さを増していた。
「私がここに留まることができるのは、あとわずかです」
「……どれぐらいなの?」
「おそらく10分少々といったところです……」
「えっ! それだけ!?」
「ええ、すみませんが、その時間内に来るかどうかの決断していただく必要があります」
「時間内にぼくが決められない場合は、どうするの?」
「……残念ですが、私ひとりで帰るしかありません」
フィリアはうつむきながら心細そうにつぶやいた。持ち時間が10分ほどしかないのも厳しいが、断る場合はここで彼女と別れなくてはならないというのが、それこそ残念だ。
正直に言えば、彼女の話自体は半信半疑どころかほとんど信じていない。
ただ、フィリアの表情が真剣そのもので、嘘をついていようにも見えないのも事実だ。自分にできることがあるのならば力になってあげたいとは思うが、懸念がないわけじゃない。
フゥーと自分を落ち着かせるように息を吐く。
「2つ、確認させてほしいことがあるんだけど」
「なんでしょうか?」
「まず1つ目。さっき、ぼくにしかできないことがあるって言ってたけれど、それは間違いないの? 誰かほかの人にお願いするってワケにはいかないのかな……」
「それは無理です。絶対にあなたにしかできません」
ハッキリと言い切られてしまった。
責任重大だが、自分が特別な存在になったみたいで悪い気はしない。
「2つ目だけど……その、君の世界に行ったきり、帰ってこられないってことはないよね?」
異世界に行けるのは貴重な体験だが、片道切符というのは勘弁してほしい。確認事項としてはこちらのほうが重要だ。
「大丈夫です。役目さえ果たしていただければ、すぐにお帰りいただいて構いません」
突き放したような言い方に少し悲しくなってしまう。
「……そういえば、用事ってどれぐらい時間が掛かるものなの? 戻れるとしてもあまり長時間だと困るんだけど……」
「それは……問題ないと思います。私の世界でどれだけ時を過ごしたとしても、戻ってくる先は『この時、この場所』になるはずですから」
「ぼくがいない間、こっちの世界では時間が経過しないってこと?」
「厳密に言えば異なりますが……結果的にはそうなるはずです」
魔法などの不思議な力が作用するとか、そういうことだろうか?
特に疑問に思うこともなく、そう結論付けることにした。
こちらの生活に影響しないなら、ちょっとした旅行気分で異世界へ行くことができる。
それはとても魅力的な提案のように思えた。
「――わかった協力するよ。君の世界へ行こう」
それを聞いたフィリアは目を見張ってから、少しだけ悲しそうな表情をした。
「……ありがとうございます。心から感謝します」
深々と頭を下げたあとにそう言われたが、どう見ても言葉と表情が合っていない。
感情表現が苦手なタイプのようなので仕方ないのかもしれないが、せめて感謝している時ぐらいは笑顔を見せてほしい。
「とりあえず、ぼくは何をすればいいのかな?」
「この指輪をはめてください。世界を移動するために必要な物です」
フィリアは懐から指輪を取り出し、ちょこんと手のひらに乗せて差し出してくる。手の平へは極力触れないのがマナーであるかのように、慎重にそれを受け取る。
指輪には透明な水晶のようなものがはめこまれていた。
「はめる指はどこでもいいの?」
「はい、ただ利き手のほうがいいかもしれません」
フィリアは右手の甲をこちらへ向けた。中指には水晶の色こそ異なるが、先ほど自分が受け取った指輪と同じ形状のものが光っている。
特に深い意味はないと、誰に対しての言い訳なのか分からないことを考えながら、彼女と同じ右手中指に指輪をはめることにした。
若干ゆるいようだったが自動的にサイズが調整されたようで、いつの間にかピッタリとフィットしていた。不思議な技術に感心しつつ、指輪を見ると水晶の部分が発光している。
日光など外からの反射ではなく内部から、つまり水晶そのものが光を帯びている状態だ。 状況の確認をしようと、フィリアのほうを向く。
「――適合しました。これで指輪の機能が解放されました」
「準備できたってことだね。時間は大丈夫?」
「……すぐにでも行けますが、本当によろしいんですか?」
軽いリアクションをした自分に対して、不安に思ったのかもしれない。『まだ考え直すことができる』というニュアンスを含めて尋ねてきた。
不安がないわけではないが、心はもう決まっていた。少し前の自分なら話の真偽にかかわらず、迷うこともなく断っていただろう。
その程度には警戒心が強く、消極的な性格をしている自覚はある。未来の自分は今の決断に後悔している可能性が高いかもしれない。けれど今は自分の内側からあふれてくる感情に素直に従い、異世界へ行くことを選択した。
自由に出歩くことができない世の中で、閉塞感に押しつぶされそうだった。
未知の世界へ行くことができる解放感に、胸を躍らせていた。
他人と関わることを制限された日常で、つながりを求めていた。
助けを求めてくる他者に報いて、承認されたかった。
虚構の世界でしか恋を体験できないことを、肯定できずにいた。
現実の世界でも恋を知ることができたことに、とまどっていた。
何をすればいいのか分からない日々に、自身の輪郭が曖昧になっていた。
自分にしかできないことがあるという言葉に、自己の存在が明確になった気がした。
それらの思いがないまぜになっていて、決意の理由をうまく説明できる気がしない。仕方がないので、それらしい言葉で答えることにした。
「今の自分にできることをしようと思うんだ」
とてもありきたりで平凡なセリフになってしまったと後悔したが、それを聞いたフィリアは感心するような顔をしてから少しだけ目を細めた。
「……とても良い言葉だと思います。私も参考にします」
今のは笑ってくれたのだろうか? 一瞬のことだったので判断がつかない。とりあえず今度はハッキリと意思を示しておくことにしよう。
「行こう、君の世界へ!」
「わかりました。それでは出発します」
そういうと、フィリアは指輪をはめた右手を左胸の前に置いた。ひとまず彼女にならって同じポーズを取ってみる。
「これから私が言うワード……呪文のようなものですが、それを復唱してください」
フィリアはゆっくりと、それでいてハッキリとした声で言葉を紡いだ。
「リープ・イン・ポステルム!」
彼女に続いてその言葉を唱えると、付けていた指輪が強い光を発し始め、大きな光となって自分たちを取り囲んだ。車のヘッドライトで照らされた以上のまぶしさしだったので、思わず目を閉じてしまった。
その内、周囲の音も聞こえなくなった。次に目を開けた時は、すでに異世界に辿りついているのだろうか――。
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