第26話 9月5日 生きて還る

「なあ、聞いてんのかレイジ」

「んう?」


 何についての問いだったかわからない。聞いていなかった。


「だ・か・ら、マリア、ってさ。アタシのミドルネーム、お母が呼んでくれていた名前をどうして。アタシはもちろん、オヤジだって教えてねえはずだ。それがどうしてわかったんだ?」

「ああそれか。なんとなく、それかなあって」


 気はそぞろ。

 でもそれは、彼女にとっては当然すぎる疑問に基づいた質問だったか。


 あの場面、絶体絶命の状況で彼女を落ち着かせるために放った言葉。自然と出たが、思惑通りに彼女の意表をついた言葉になったか。


「なんでわかった? マリアって」

「いや? なんとなく、かな。ずっと君のことを想像していたら自然と、ね」


「なんとなくゥ?」

「ああ。食前にはきちんと主にお祈りを捧げるような家のお母さんが名づけたんだろ? だったらソフィア・M・シューメイカーの、Mはマリアだって」


「んなバカな。メジャーどころだけを挙げてもマリーだってメアリーだって、メイにマーガレット、モリー、モリーナ、ミザリー、ミランダ——」

「でもマリアだと思ったんだ。マリアが一番君に合う。君の顔を思い浮かべて、呼びたい名前がマリアだったんだ」


 それにもし、違っていてもそこで緊張が解けるかもって。ちゃんと打算も含めての発言。ふっ、計画通り。

 それもまあ、今となっては。


「————っ! おっ! おまえなあ! もし違ったらどうなってたと思う? アタシはもうあきらめていたんだ。もうダメだって。もしかしたら2人は、いいや、少なくともアタシはここに立ってなかったはずだ」


 それからは。たぶんお互いに気持ちと想いがグルグルぐるぐる。自家発電できそうなくらい回転して。


 ほてった身体ですら水風呂がつらくなって、お手洗いへと出たら。ちょうど表に、車両が乱暴に停まる音が。


「救助? 救助が来たんだ! ソフィ!」

「車が? 通れるようになったのか?」


「たぶんね、急ごう! 僕らはここ以外の状況を知らない。一時的なものかもしれない、だから!」


 僕らはポリスカーに飛び乗ると、慣れ親しんだシューメイカー家を後にする。


 見た感じ状況は家の中に逃げこんだ時とさほど変化はない。だけど道路は使えるらしい。話を聞くとどうやら、僕らのあの行動で拓いた道らしかった。


 無駄な努力じゃなかった、のか。

 そこでソフィを見ると目が合って。

 お互い拳を作ってコツンとした。


 彼女がしきりに後ろを気にするので、フォローするのを忘れない。


「大丈夫だって。病院で検査を受けたら明日にも戻れるから」

「そう……そうだよな。今さら燃えねえよな」


 病院までの道のりでヒルバレーの町を通る。案の定、灰燼へと姿を変えていた。

 あまりにもあんまりな姿が痛々しい。初日にうつむいて歩いた通りも、ツール・ド・バーガーを終えて凱旋した街路樹のゲートも面影ない。


 病院で僕らの到着を待っていた親父さんにそれを伝えると、それでいいと彼は言った。


「生きてさえいればええねや。そもそもあそこに家なんてあらへんやった、200年前までは一軒もな。また一から建てたらええねん。命さえあればなんでもできる。また笑えるし、また酒も飲めるんや」


 そっか。

 そんなものかもしれないね。


 みんな野っ原から始めた。状態が悪ければうっそうとした森からのスタート。

 僕もこのホームステイをきっかけに、元の生活へ、新しい目標と共に。


 そこへ先を歩むソフィからやや穏やかな感嘆が。


「うわぁ……!」


 彼女の視線を追うまでもなく、彼女のほおは真っ赤だった。


「おお……!」


 病院のわたり廊下から、すごい色の夕暮れをみた。これが前日だったなら不吉の兆候と見ただろうけど。生還した今となってはお祝いの色、紅色。

 その空を、彼女の顔と交互に眺めていた。

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