第17話 8月24日 ツール・ド・バーガー

「ふたりは明日、なにか予定があるんか?」


 食卓を囲む際に出た親父さんからの問い。


「んん? そうだなあ、バーガー? レイジ、バーガー食いに行こうぜバーガー」

「バーガー? いいけど」


 どこへだって行くのだ。元から僕に決定権などあった試しがない。


「カリフォルニアで超有名なバーガー店がすぐそこにできたんだ。アウトアンドインバーガーってんだけどな。すでにすげえ人気らしい。行ってみようぜレイジ」

「すぐそこに? いいんじゃない」


 ソフィにしたらめずらしい外出先予告。親父さんのおかげで今日はあらかじめ知ることができた。感謝、感謝。

 それでことは終わらない。親父さんが異を唱える。


「まに受けたらあかんでぇレイジくん。そんなすぐなわけあらへん。あそこは車で1時間はあるでぇ」

「車で1時間なんだろ? すぐじゃねえか」


「それはソフィが車を当てにしとるからや。最初に言うとくわ、明日は車を貸されへんからな。大事なお客さんとこに行かなならんねん。せやから貸されへん、済まんなぁふたりとも」

「そうなんですか」

「なら仕方ねえな。じゃあ明日とあさっての予定を入れ替えるとすっか」


 それでいい。

 普通に考えたらソフィの言うようにしたら済む。


「あー、それはやめといた方がええなあ。アウトアンドインには絶対にあした行った方がええ。ホンマにええことがあんねや明日は。自分ら、そもそもちょっと前まで自転車でどこでも行っとったやろ? 明日もそうしたらええねや」


 どうしたんだろう今日は。なにか意図がありそうな?


「そうなのか? じゃあそうすっか」


 ソフィがあっさり親父さん案を受け入れた。どうしてこいつはときどき妙に素直なんだ。それも悪いタイミングで。


 話のスケールが違いすぎる。だって車で1時間って言ったら、日本ならド田舎から都会にまで出れる距離がある。それをぜんぶ自転車で行くと言うのだ。


「ちょっ、ちょっと待って」


 そこで慌てて。午後ぅマップが弾き出す所要時間は。


 車の場合は1時間4分。確かに1時間だった。

 その横にある自転車ボタンを押すと、出た数字はなんと6時間40分。


「ろ、6時間40分んんんん? 6時間40分もかかるよそこお!」

「ん? そうなのか? まあでもバス代に割けるカネを今は持ってねえし、ガソリン権はもう使っちまった。車はそもそもねえ。自転車で行くしかねえよ。だってオヤジは明日がいいってんだろ?」

「せやねん。ぜったいに明日がええ。理由は内緒やねんけど、騙された思うて行ってみい。きっとええことあるさかい」


「だったらバス代を……」


 交渉を設定しようとする僕に、ポジティブモンスターが襲いかかる。


「行ってみようぜレイジ。たぶん学生は半額とかなんだって」

「でも6時間——」

「ええ若いモンがいつまでも。素直に行ったらええねや。ペダルを左、右、左、右、1、2、1、2。簡単や。ワシも若いころはクレーターレイクまで自転車で行っとったで?」


 だめだこのふたり。

 休みなしで漕いだ6時間40分を、ペースが変わらずに漕いだ6時間40分をそのまま鵜呑みにしている。

 人間疲れもすれば食事もとる。休憩に信号待ち、肉離れにタイヤのパンク。挙げればキリない。


 それを丁寧に説明したがもう遅い。困難だ困難だとインプットするだけソフィの目が輝いてくる。彼女の冒険心にはもう、逆風は翼に揚力を生む風にしかならない。


 あきらめよう。

 僕らはたぶん明日、片道8時間を越す長距離自転車走をするのだ。


 なんだかスケールが違う。どうやらここらの人って平気で千キロとか二千キロとか普通に車で走るらしいし。

 自転車であってもそうなんだろうか。さすがに付き合いはしても、理解はできないと思った。


「朝早くに出るんやぞ。4時がええ、絶対に4時にせえ」

「4時ぃ? まあいいけど」

「本当に4時に出発するのか? 4時に起きるんじゃなくて4時に出発なんだぞ?」


「さっきも言ったろ、人気店なんだって。開店と同時じゃないと並ぶはめになる。並ぶのヤだろ? アタシはヤだ」

「そりゃそうかもだけど。だからって、4時?」

「そうブツクサ言わんで頼めんかレイジくん。4時いうたらこの時期でも少しは明るいはずや。それにここいらは日が暮れるころが一番気温が高いねん。明日は相当暑くなる言うてたし、自転車は快適な温度で乗る方が気持ちええさかい。な?」


 ちょうどお昼どきに到着するのか。それで日没前には帰ってこれる。早めに寝れば次の日まで疲れを引きずることもない。

 仕方がない、ここはいつも通り僕が折れよう。


 こうして僕らの自転車の旅が急きょ前日になって計画された。明日は大変だ。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 周りがすべて寝静まっている時間に家を出た。

 なんだか悪いことをしているかのようで、微妙にわくわくしている。

 寝不足だけど。


 ソフィもどうやら同じらしい、テンション高く顔を出す。


「行くかレイジ!」

「シィ! 親父さん寝てるって」


「いいんだって気にすんな。きのうは深酒やってたし、これくらいじゃ起きゃあしねえよ。それよか準備はできてんのか?」

「防寒着にペットボトル、帽子、タオル。そんなもんかな」


 ソフィにしたらきちんと準備ができているレベル。いつも手ぶらな人間が珍しい、たぶん同じくらいの装備を携えて出てきた。


「それとサングラスもいるぞ、目を痛める」


 青い瞳の君らはそうなんだろうけどね。

 僕らは生まれてこのかた目の心配などしたことがない。でも郷に入りては郷に従え、素直にサングラスを受けとる。


 外に出る。

 日は上っていないが空は白い。今日も晴れる期待であふれている。


 気温は13度なんだと、普通に寒い。

 さっそく上着を羽織ってサドルにまたがる。

 出発だ、これからが大変だ。


 森を出て。


 道が広くなり。


 日が上り。


 休憩し。


 車が増え。

 

 街中に入った。

 これで? やっと2時間か。


 前をゆくソフィのペース配分が上手で、ぜんぜん疲れていない。さすがはずっと自転車で走り回っていた人間だ、達人の域にある。ずっとこれくらいなら余裕で走りきれる。


 ずっと降りだったのもある。シューメイカー家は山のふもとにあり、そこから街中は川下、つまりわずかながらずっと降っている。

 だから帰りは最後ずっと登りなのか。せいぜい体力を温存しておこう。それに、ここにたどり着くころにはコークやバーガーが血肉となり、僕らを助けてくれるはずだ。


 ……自分で言っといてなんだが。


 なんともアメリカンな血肉だなぁ。


 さて。

 ずっと風に当たりすぎて疲れたろう。彼女のペースもわかった。

 前をゆく彼女を追い越す。今度は僕が風よけになる番だ。


 特に障害もなくたった2台の車列は進み、7時になると街が動き始めた。

 世の大人はお仕事だ。僕ら学生は夏休みだが、大人は通常運転。僕らもあと数年であそこに仲間入り、いつまでも子供ではいられない。


 だからこそ飛び出した日本というこれまでの殻。

 ホームステイそのものには大きな変化をもたらす効果を持たないが、僕の意識の変革や、心構えの変化には大いに寄与するはずだ。

 それはきっと過去の延長線から飛び出すほどの変動がある。世界線が変わると言ってもいい。


 だからもう気負わない。ただ感じて、ただ体験する。それがバーガー同様に血肉になる。


 9時を回った。

 持ってきたペットボトルがすべて空になったタイミングでガレージセールの張り紙を発見、寄ることにした。

 きれいとはお世辞にも言えない字で『ヤードセール、ここを右』と、どピンクの紙が電柱に貼られてある。


「休憩がてら見てくか」


 何度か角を曲がり、そのたびにピンクの紙がゆくべき道を指し示す。

 距離が増えるなあとうっすら思いながら着いたのは、普通の住宅街にある普通の家のガレージ。

 そこでやるのがガレージセール。個人で行うフリマみたいなものだ。


 息を整えつつ見て回るものの、特にこれといったものは。ガレージセールなんだ、その家の不用品が並んでいるだけ。それは僕にとっても不用なもの。

 さて、と言いかけて。


「はうあ! こ、これぇ!」


 どうやら見つけてしまったらしい。ソフィが、なんと巨大なぬいぐるみを気に入ってしまった。抱きしめる彼女の、背丈ほどもあるクマ、か。

 少なくとも数キロは固い。よりにもよってぬいぐるみ、体積もすさまじい。


「帰りに寄るから、絶対に残しといて!」

「OK! 商談成立ね」


 お姉さんにお金を払い、空になったペットボトルに水をもらって。


「じゃあまた、夕方に!」


 ルンルンで立ち去るソフィ。本当に大丈夫なのだろうか帰路は。

 やれやれ、今から心配だ。


 想像した、僕が立ち入り禁止のソフィの部屋を。

 あれが今回だけの行動でないのなら、意外とほんわかした部屋にちがいない。あの発見した際の反応から察するに、ぬいぐるみや人形がずらり並んでいるはずだ。


 言葉遣いが荒いだけで基本はいいやつなんだよね。むしろ悪いところの方がないくらい。それでかわいいもの好きなんて。


 ……とてもいい。


 そこから1時間ほど進み、いよいよ目的地に近づいたところでかわいいレモネード屋さんを見つけた。


「あああ! つ、ついに見つけてしまった! 寄るぞレイジ! ぜったい寄る!」

「もちろんどうぞ」


 ソフィの喉はそんなに渇いていないはずだ。だからただかわいいから寄りたいにちがいない。でもそれでいい、ちょうど休憩のタイミングではあった。


 道ばたの、一般宅の前のしばふを利用した仮設ドライブスルーの店舗に。ダイニングテーブルと『レモネード、クッキーもあります。1ドル』と書かれた看板だけの、かわいいかわいいレモネード屋さん。


 そこで働く店員さんはなんと小学校にも上がっていない、幼稚園児くらいの女の子たちふたり。姉妹だとあまりに同じ身長なのが違和感、だからたぶんご近所さん、幼なじみだと思う。

 看板の装飾は彼女たち自身が、テープと造花で飾りたててある。


 アメリカのおままごとは本格的だ。そこに自転車で乗りつけた。


「いらっしゃいませ〜」

「あわわ尊い……! 助かったよぉ、ちょうどのどが渇いたところだったんだぁ〜」


 ソフィのテンションがとても高い。かわいいの好きがここでも炸裂するのか。

 そこで店員さんから商品の説明が入る。お決まりのセリフで抑揚なく流れるように言うものだから、僕には半分しか理解できない。その間ソフィは満面の笑みでずっとうなずいている。


「そっかぁ。じゃあねぇ〜、そこのやわらかいチョコチップクッキーと、レモネードをお願いできる?」

「こおりはどうしますか?」


「あふんかわいい。氷? えっと、お願いするわ」


 話し方まで変わってるじゃないか。子供好きか。


 よくできたシステムだレモネード屋さんとは。あれで原価とか利益とかの経営の基礎を学ぶんだ、あの歳で。買い物だってできる、ちゃんと自分で働いて得た利益で。

 すご。アメリカの起業精神ここにあり。


 めちゃくちゃに手をふって別れた。ここには帰りも寄ることになりそうだ。


 それから程なくしてようやく目的地に到着、アウトアンドインバーガーっ!

 あまりの感動に店舗の写真を撮ってしまった。ついに到達、7時間きっかりのゴールだった。


「着いたぁ〜!」

「ふう、おつかれさん〜」


 きつかったが筋肉がどうこうなるほどでは。まだ足は残っている。残り半分だってがんばれる。


 店内に入り、念願のバーガーをやっと手中に。ダブルダブル、チーズとお肉が2枚ずつ入った商品と、フレンチフライとコークのベーシックなミール。

 カリフォルニアで人気だと言うし、アメリカだから安心してはいるが。頼むぞ味、苦労した甲斐があってくれよ。


 それにしても外が涼しい。店内のエアコンでそんなに身体が冷えただろうか?


「おい! レイジ!」

「なんだ? 急に暗く? それも戻らない?」


 急に夜になり、周りで一斉に歓声が上がる。さっきまでお昼だったのに突然夜になるんだ、そりゃあ慌てるし驚く。僕だって商品を落としそうになるくらいには驚いている。


 まるで神龍を呼び出したかのよう。誰かが聖なる食器ドラゴンボウルを7枚集めたのか?

 どうしたことか、みんな一様に同じ方角を見上げている。ほぼ真上、この暗さをもたらした原因を。


「空だっソフィっ! 見ろあそこ!」

「ヲオオッ! なんだ? すっっっげえ!」


 全天が真っ暗になったのは皆既日食だったのだ。

 本来太陽があるはずの場所に鎮座するのは異形の存在。日輪は今や日の輪となって同じ場所に浮かぶ。


「オヤジのやつ、本当はこれを見せたかったのか! 先に言えっつーの!」

「いやあ、言ったら感動が半減しちゃうでしょ。それに絶対ググったと思うし画像」


「言えてる。むしろ礼を言わなきゃならねえのか。ところでアレ、知ってるか?」

「ああ、どうにか、知識では。でも見るのは初めてだ」


「そりゃそうだ。毎年やってりゃこんなには驚きゃしねえよ。……あんな風になんのか、すっげえもんだなあ。だから言ったろ? オレゴンだって捨てたもんじゃねえ」


 そんなことこれまで言ったか? それにおまえが言うなっての。

 まあでも。全面同意だな。


 日食の終わり、ついに太陽が月の影から顔を出すとき。

 ソフィが左手の薬指を天に差し出す。無意識のことか、元から憧れがあったのか。

 ダイヤモンドリングとか言うらしい。それをソフィが指にはめた。


 誰からの?


 うっとりする彼女のかわいい横顔とは裏腹に、僕の胸はちくりと痛む。


 すぐに空は元通りに。暑さも戻ってきた。


 途中だったバーガーを口へと運び、満足したら自転車にまたがる。ドリンクホルダーにLサイズのコークを差しこんで。


 まんまと親父さんの口車に乗せられて、まんまと見せられてしまった。世紀の天体現象、皆既日食を。でもやっぱり、バス代は出してくれても良かったような。


 となれば親父さんもきっとどこかで、誰かと一緒に見上げてる。


『やあ、ちょうど今か。しこたま渋滞しくさってからに、もう間に合わへんと一度はあきらめたが。おまえのおかげかいなぁ、不思議と間に合うたわ。……この墓地もだんだんとにぎやかになってきたやんけ。どや? もうさみしくあらへんやろ? おっと、ソフィのやつのことなんやけどな——』

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