第3話 6月29日 停電と言ったらビームセイバーの出番だよね
綺麗な。
とても綺麗なラベンダー畑に居る。
どこまでも続く、とまでは言わないが広大なラベンダー畑に僕は立っている。
親父さんからは『ここから向こうまで根こそぎ刈ってくれ』と言われているけど。それって意外と重労働。その物量じゃ農家の収穫だ。
何やらクッションの中身に使うらしいが、そんなに刈ったら綿が必要なくなって中身がラベンダーだけになってしまうのでは?
でもいい香りだ。それだけでここに来れて良かったと思う自分がいる。
いいや、それだけで満足しては。選ばれるためにあんなに勉強して、滞在費用を捻出するためにあんなにバイトして。ここでネイティブの英語を浴びるんだ2ヶ月半。それで——
「ひぃぃ! ムッ? 虫ィィィィ!」
「ああん? 虫だって? 蜂のことか、そりゃ居るだろ、こんだけブンブンブンブンいってりゃさあ」
「うわわわアアア!」
ぷふーっと、彼女は前髪を息で跳ね上げた。
「やれやれ、貧弱なのが来たもんだ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
風呂から上がって服を着て。髪をタオルドライしている最中に暗くなった。
ちょうどタオルを頭から外した瞬間だったので目を閉じているのかと変に慌ててしまった。
「またか。んだよ、ったく」
ソフィアの声だ。
嘆息ののちに停電を知らせる報が届いてそうかと納得。
触覚と聴覚だけになるといろいろと敏感になる。彼女はたぶん手探りで自室へ。足音が遠のいてゆく。
彼女と同様手探りで。
脱いだ服を見えないままに探し当て、そこからスマホを出して灯りを得、リビングへと。
こういう時、なんでかみんな集まるよね。他よりもたらされた暗闇は不安と恐怖の象徴、か。
集まるのはきっと太古からの習性、遺伝子に刻まれた習性なんだ。
(びしゅぉん)
不意に機械音が鳴った。
(ぶぅぅぅん。ぶぅぅぅん。ぶぅぅぅん)
蜂?
ではないとは思うが気味が悪い。
なかなかの音量。起動後はアイドリングのような待機音が続く。
停電で動く機械なんて。
電池式? 電灯系だと嬉しいが。
それは確かに電灯らしい。廊下の角の向こうには強い灯りがともっている。
とても強い、青い光が。
スマホを消し、蛍光灯に集まる羽虫のように僕はそれに導かれる。
「おおい、大丈夫やったか自分ら」
そこに強い輝きを伴った親父さんが階下から現れる。とても強い赤い光と共に。
とても強い青い光と、とても強い赤い光が階段を上りきった場所で出会い。それと同時になにやら楽しげな会話も。
「ああっ! オヤぁジ! アタシが先にびっくりさせようと思ったのにぃ!」
「はっはー! 青い、青いのぅ。こんなもんは早いもん勝ちて相場が決まっとんねん」
なんだかオヤジさんが赤いサーベルを、ソフィアが青いサーベルを使ってつば迫り合いをしている。
「なぬぃい! クソッ、このっ!」
「わっはっは、甘いのぅ。甘いアマダの甘納豆〜」
ソフィアはそれなりに真剣、それなりに強く打ちこむと親父さんが華麗にいなす。
親父さん、いったい何者……?
「アイムユアファーザー!」
「ノォォォォウ!」
いやそれ、映画まんまじゃん。
互いの光刃を当てるとバチバチと音が鳴り、光刃も明滅する。なんて言うか、それ。
お高そう。
彼女たちアメリカ人の遺伝子に、停電したらビームセイバーを振りまわすのが刻まれていないと信じたい。
懐中電灯はないのかな?
ビームセイバーは待機状態でもブォンブォン鳴ってうるさいし、スマホの電池も一日使ったあとだからそんなに残量ない。
そもそも懐中電灯って英語でなんて言うんだろ?
普通にライトで通じるか?
「んあ? ああ、犯人ぶん殴るやつか。マグライトな」
やっと通じた。それにしても警官が映画で殴るやつと表現してやっと通じるなんて。
なんて言うか、物騒。
「んなもんウチにゃあねえぞ」
「ないのかぁ〜」
「なくても大丈夫だって。もうシャワーも浴びたし後は寝るだけ。いつものことさ、起きるころにゃあまた直ってるって。寝よ寝よ、あしたもまた早えんだ」
明日も早いのがこの時点で確定した。今日もお疲れさまでした、明日もがんばろうな零次。
いつもは突然起こされるから、予告があっただけマシか。
この前は翌日の予定が何時なのか聞きに行ったら、エッチだの乙女だのレディだの言われて入室を断られてしまった。
そのくせ自分は勝手に入ってくるし、ベッドの僕の上に馬乗りだし。どこの世界に男子の上に馬乗りになる乙女がいるんだ。
確かにこれはこのまま早く寝て、明日に備えた方が良さそうだ。どうせまた、なにか体力を使うところに連れて行かれるに違いない。
それにしても。
停電に慣れっこってどうだろう。
それで困らないのか、電子レンジの時計は合わせるのをあきらめたかずっと点滅しているし、エアコンはつけていなくても窓を開ければこと足りる。
さすがはオレゴン。北海道よりも、襟裳岬よりも北に位置するだけのことはある。このご時世でも夜は涼しくて気持ちいい。
蚊もいない。カエルやコオロギの鳴き声がなくて残念だけど、セミの鳴き声も聞こえないのは実に気分がいい。
さらにここは車通りからも離れているから。
おもむろにダイニングの椅子を持ち、窓のそばにで腰かける。
「静かだ……」
涼しい。乾いた風もある。
風呂上がりの身にはなにより心地いい。
もうすぐ7月なのにこの温度とは。油断して服をまちがったら少し寒いはずだ。
これはエアコンを持たない家庭もあるというのが信憑性を帯びてきた。マユツバだと、親父さん流のアメリカンジョークだとばかり思っていたが。どうやら本当だったらしい。
夏がこれなら冬は寒いんじゃ?
あ、冬だったら暖炉があるもんね。この家では停電で困ることが特にないのか。
と思いきや、ソフィアが例示する。
「ったく、スマホの充電始めたばっかだったのになあ。おっと、今から冷蔵庫の開け閉め禁止な」
「お、じゃあ最後に一回だけ。酒と氷、な?」
おや、のどが渇いたのかな? あれだけ暴れた後でまだ親父さん飲む気なんだ。
でもソフィアがそれを許さない。
「ダメに決まってんだろ。それに氷は冷凍食品を少しでも長持ちさせるのに必要だ」
「じゃ、じゃあビールだけ」
「ダぁメ」
「ノォォォォウ!」
とどめを刺した時の小悪魔のような顔、背中に鳥肌が立った。
その点親父さんときたら。
彼女のノォウは冗談だったけど、親父さんのは本気のノォウだ。
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