第4話 7月1日 夏スキーと、Tシャツで滑る君

 まずヒルバレーの市街に出て、これが荷物を背負ってだったから地味にきつくて。


「冬だったら引きずって行きゃあいいんだけどなあ。今はそれすっと傷だらけになっちまうから」


 あらまあ呑気なご意見で。

 言ってる本人は手ぶら、僕がふたり分をかついでいる。


「はあ、はあ。あとどれくらい?」

「ん? あとちょっとかな。3ブロックくらい?」


 まだまだあるじゃないか。

 さっきもあとちょっと、その前もあとちょっと。まんまと使われてしまった。

 確かに自分から言い出したことではあったけど、まさかバス停までこんなに距離があるとは。


「あ、そうだ」


 何かを思いついたソフィアはさっさと僕を置いて行ってしまった。自由人か。


 あ、あれかな?

 先に行ってバスのチケットを買っておいてくれるんだろうか。でも満員になるほどの便ではないとさっき聞いたし、早く買ったところで席がどうとかないだろうし。


「なんだろ?」


 謎行動なやつ。


 それでバス停の前まできたら、ちょうどソフィアがお店から出てきて。


「ん」


 ただそう言い、自身が口に運ぶものと同じものをこちらに差し出す。


 コーラだ。


 それも瓶のコーラとは。

 栓は抜いてある。

 僕が汗をかいてるだろうからと? ふぅん。まあまあ気がきくじゃないか。


 彼女は当然ラッパ飲み。これは本場のスタイル、むしろ正しい作法だ。

 もちろん僕もそれに続く。


「んな? 甘っ!」

「は? 普通だろ」


「いや、でも。何かが違う。風味? ……食感?」


 僕が比べているのは普段飲みつけている缶やペットボトルのコーラのこと。同じブランドなのに、それらとこの瓶コーラはどこかが違う。


「いやあ、一緒だろこんなもん」


 味オンチのアメリカ人には任せられない。ましてやソフィアのような人間には。

 ここはやはりググるのが一番早い。これでもデジタルネイティブ、Z世代の端くれなんだ。


「へぇ〜。なんでも、普段飲んでるペットボトルのやつはブドウ糖で? この瓶のやつは砂糖を使ってるんだって」

「ブドウトウ? 砂糖? なんか違いがあんのか?」


「いや、そこまでは。確かにこっちの方が口にまとわりつくような甘さがあったような、気がする」

「なんだよ、結局わかんねえんでやんの。一緒だろコークなんてさ」


 ぐむむ。

 違う気がするではきちんと解説になっていなかった。

 彼女のような適当人間に『むしろ私の方が正しい』くらいの勝ち誇った顔で見られるのは釈然としない。そもそもどうして彼女が勝った判定なのか納得が行かない。むしろ違いに気づいた僕の勝ちだろうそこは。


 ったく。

 チラと見た、空になった瓶の記述に目を疑う。

 そんな、まさか。


「メイドイン……メキシコ……だと……?」


 コーラの本場のコーラの本家。その母体となった銘柄のはずの瓶製品がまさかのメキシコ産。


「いったい何を飲まされたんだ僕は……」


 弛んだ手から危うく瓶をアスファルトに落とすところだった。


「レイジ来たぞ、バスだ。盛り上がってきたぁ!」


 僕は反対に少し盛り下がった。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「遅れんな?」

「バカにすんな、これでもスポーツはほぼほぼいける口なんだ」


 僕はスキーでソフィアはスノボ。

 マウントフッドエクスプレスに揺られてやってきたのはマウントフッド 。そのままか。


 このまえ釣りをしていた時に見えた山だ。万年雪をたたえる霊峰では、夏でもウインタースポーツが楽しめる。

 そこがバスで30分かからないとは。ずいぶんと。

 田舎に暮らしてる。


 彼女はそこらで無駄に起伏に立ち寄っては華麗にトリックをきめる。そのくせ普通に滑っている僕に追いついて追い越す。そしてまたトリックをきめるのだ。


「まだまだ行くぞぉ!」

「ああ、付き合うよ」


 山の上とはいえ今日から7月。じっとしていてもギリギリ半袖でいられる。だから運動していたら普通にあつい。

 そのためソフィアと僕は半袖で滑っている。彼女はTシャツにジーンズ。僕はポロシャツに、ツナギ型スキーウェアを腰で縛って。

 アンバランスだがこれでちょうどいい温度。


 それにしてもだ。


 ハイサポートとか言うらしい?

 Tシャツを脱いでスポーツブラみたいなのになろうとするソフィアを、思わずとめてしまった2時間前の僕を殴りたい。叩き伏せて2時間正座させてやりたい。それでなおかつ、仕上げに痺れきった足をツンツンしてやりたい。


 さすがに寒いんじゃないかという僕の指摘に、彼女はアッサリと引っこめてしまった。あああ、なんということをしてしまったのだ。


 やっぱり脱いでとは口が裂けても言えない。もし口にしてしまえば、初日よりもさらに低い評価に転落することになる。


「このハイペースで音を上げねえとは、見直したぜレイジ!」

「ははっ、そりゃどうも」


 また少しだけ評価を戻したらしい。やはり沈黙は金。


「じゃあ、これで12本目ぇ!」


 都会っ子の僕は去年行った修学旅行の一回きり。いくらそれっきりって言っても、ここまで差があるとむしろ清々しい。


 僕はまるで彼女の滑りを近くで観賞する最前列の観客だ。プロの滑りを間近で撮影するカメラマンのよう。

 何本でも見ていられる。技が多彩なんだ。それにぜんぜん転けないときている。ジーンズでも大丈夫なのには訳があったんだ。


「アタシはさ、ここを出てえんだ。オヤジの元を離れてひとり、東海岸で勝負してみてえ。自分になにができんのか、自分の可能性ってやつを確かめてみてえんだ」


 突然の自分語り。

 滑りゆく目線をそのままに、輝かんばかりのまなざしでそう告げる。

 開放的な気分になったからか、僕がすぐに自分の国へ帰ってしまう人間だからか。真相はわからないが。


「そっかあ。いいんじゃない? 楽しそう」


 そうは返したが。

 そんな話、いくらでもこの国であったはず。だって映画とかドラマとか。

 たぶんぜんぜん珍しくもない。高校卒業したら東京へ。ハイスクールを卒業したら東海岸へ。同じだ。


 あそこへ行けば何かが起こる。そんな淡い期待だけを胸に彼女もまた。

 彼女の場合打ちこむ踊りも歌もないままに行くという。それで本当に夢が叶うんだろうか。


 彼女の夢?

 まだ聞いてない。そもそもあるんだろうか。

 聞けていない。

 聞いたら『特にない』と返ってきそうだからなおさら聞きにくい。


 彼女にあるのはたぶん『東海岸へ行く』というそれだけの夢。着けばそれだけで叶ってしまう。

 それで、叶った後は?


 なんだか疲れてうす汚れ、やつれて無気力になった二十代の彼女をみた気がした。

 絶対にそうなるとは限らないけれど。

 彼女はここにいた方がいいと願うのは、勝手な外野の意見だろうか。

 きっと彼女はここに居るから彼女なんだ。


 沈黙は本当に、金なのだろうか。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 雪山からの帰り。

 バスが信号待ちをしていたらガソリンを入れている人が見えた。


「あ」


 なんで水着?


「ああ、あれか。これから川に泳ぎに行くんだろ」

「へえ川に? ああそっか、海が遠いから」


「海で泳ぐ? そんな変わり者はほとんど居ねえな。ここらじゃ泳ぐのは川って相場が決まってんだ。日本じゃ海で泳ぐのか? 変わってんなあ」


 どっちが変わってるとか変わってないとかないだろう。同じだよ。


 よく聞くと、海は水が冷たいそうで。そりゃあ北海道よりも北にあるんだ、そうなんだろう。

 人が集まらないから海水浴場もなければシャワーもない。お手洗いもない。だから誰も泳ぎに行かない。

 逆に川は超絶幅広で、流れているのかどうかも分からないくらい穏やかなのだそう。流れがよどんでいる所は特に暖かいそうだ。


 なんて言うか、街中で見る水着ってのは。


 すごい。


 あれは海で見るから普通でいられる。それを街中で見たなら。

 あれはもう下着といっしょ。ここではビキニ以外は売っていないんだろうか。


「それにしても。そんなもんよくめざとく見つけるよなあ。エロレイジは今日も全開だな」


 しまったと、思いはしたがもう遅い。

 そのあきれたような顔だって、ずるいくらいかわいい。

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