第4話

 目を、ゆっくりと動かしていくと、ジャンのずっとずっと後ろにアシュトンが立っていた。


「ア、シュトン……」

「ただいま、ルーシィ。なんで泣いてるの? ……ジャンに泣かされたの?」


 この二年で背が伸びたアシュトンは長い足で私たちの元へ歩いていって、私を見た後にジャンを睨み付けた。


「ちょ、タイミング悪すぎだろ!? 誤解だって!!」

「そう? ジャンにはルーシィを泣かせた前科があるから、つい」

「それはまだガキの頃の話だろう!? ルーシィはお前のせいで泣いてたんだよ!!」

「……俺?」


 ジャンがそう言うと、アシュトンから殺気が消えた。そして、その隙をジャンは見逃さない。


「あとは仲よく二人でやっとけよ! 俺はなんだかんだコイツに近づく野郎から守ってやったからな!!」


 去り際にそう叫んで、私はアシュトンと二人きりになった。後半の内容はよくわからなかったけど……。

 でも、今は。


「…………」

「…………」


 気まずいけど……ちゃんとアシュトンの結婚を祝福しないと。

 恋に破れても、幼馴染として見守るくらい、いいでしょう?


「…ルーシィ」

「お帰りなさい、アシュトン」

「…ただいま。ねぇ、ルーシィ、俺がルーシィを泣かせ──」

「村のみんなには会った? おじさんとおばさんに会った? コレットにも会った?」

「あっ…コレットには会ったけど、両親はまだで……」

「ダメでしょう! もう、ほらまずはおじさんたちに会って、次に村長だよ。私、仕事に戻らないと」

「ルーシィ!!」


 去ろうとすればアシュトンに手首を掴まれた。

 ゴツゴツとした、剣を持つ人の手だと剣を持ったことのない私でもわかった。

 この手で、世界を救ったんだと実感させられる。


「…なぁに? 私、急いでるんだ」

「じゃあ簡潔に教えて。なんで泣いてたの?」

「……目に、ゴミが入って」

「嘘だよね。ジャンが言ったじゃないか、俺のせいだって。俺、何かした?」


 自覚ないの? 聖女様と結婚するんでしょう?

 ここに戻ってきたのも、それを伝えるためだろう。

 惨めな気持ちだから話しかけないでほしい。


「何もしていないよ。ああ、聖女様との婚約おめでとう。世界を救った英雄だもの。それくらい報酬ないとやってられないよね」

「聖女……?」

「アシュトンも結婚か。私もそろそろ相手見つけないとなぁ」


 ごく普通に祝福するけど…笑っているかな。

 そう思っていたのに。


「──ルーシィ、誰と結婚するの?」

「……えっ?」


 この短時間に底冷えするような声を、二度も聞くなんて思っていなかった。

 アシュトンの顔を見ると冷たく冷えきった顔をしていて、無表情だった。

 こんなアシュトン、見たことない。


「誰と結婚するの? そいつって、俺より強いの?」

「ア、アシュトン……?」

「俺より強くて、金あって、ルーシィのことよく理解してる奴なんだよね。性格も勿論、いい奴で」

「ま、待ってよ…顔近い……」


 アシュトンが顔を近づけて私を覗き込んでくる。幼い頃でもここまで顔を近づけたことないのに。


「もし一つでも問題あるなら俺がしばかないといけないよね」

「ま、ま、ま、待って! 待って!! そんな相手いないから!!」


 不穏なオーラを流しているアシュトンに急いでそう告げる。なんかすごい怒ってて怖い…!!


「いない? 本当に?」

「本当! 本当だからっ!!」


 私の必死な言葉にようやく納得したのか、顔がいつもの顔に戻った。こ、怖かった…。


「よかった…」


 そう言って安心したように小さく笑うアシュトンに、胸が苦しくなる。

 ……なんで、そんな安心そうに笑うの? 聖女様と結婚するのに。


「あのね、ルーシィ。なんか誤解してるけど、俺、聖女と婚約しないよ」

「………えっ?」


 予想外の言葉にアシュトンを凝視するとニコッ、と微笑む。


「だって彼女、神官と結婚するから」

「神官様と!?」


 神官と言うと、あの神官だよね? 神様に仕えている……。


「彼女──マルグリットは伯爵令嬢といわれているけど庶子みたいで、幼い頃から神殿に預けられて育ったらしいんだ。それで、その意中の神官との婚姻を目指すために、魔王討伐に参加したんだ」

「そ、そうなの……」

「そう。で、晴れてその神官と婚約を結んだんだ。近々公表されると思うけど」


 そうだったんだ……。強いなぁ、その聖女様。

 自身の願いを叶えるために、恐ろしい旅に出て、見事目的を達成して。尊敬してしまう。

 でも、アシュトンはそれでよかったのかな?


「アシュトンは……それでいいの? 聖女様のこと好きじゃなかったの?」

「え、全然」


 即答でアシュトンは否定した。


「聖女は見た目は儚げだけど中身脳筋ゴリラ……んん、ちょっと勇ましくて、俺のタイプじゃないんだよね」

「そ、そう…」


 今、脳筋って言った。聖女様を脳筋ゴリラと。私の聖女様の理想が崩れ落ちていく。


「それに、ずっと好きな子がいたから」


 そう言うや否や、アシュトンは私に跪いた。


「ルーシィ、好きだよ。俺と結婚してください」

「………えっ?」


 思考が停止してしまう。好き…? 誰が誰を…?


「何度でも言うよ、ルーシィが好きだよ」


 再びアシュトンが言ってくれる。アシュトンが……私を好き…?


「へっ…? うへぇっ……!!?」


 舌を噛んで変な声が出てしまう。恥ずかしい……!!

 そんな私を見てアシュトンはクスクス笑う。余計恥ずかしい。


「な…な…なんで……?」


 まさか両思いだったなんて。そんなの信じられない。本当に…?


「……覚えてる? 六歳の頃、魔物からルーシィ庇って俺が怪我したの」

「勿論……私のせいでアシュトン高熱出して……」


 でも、どうして今それを?


「俺が勝手に身体が動いて庇ったのにルーシィったらすごい泣いてすがり付いて…。そこで、勝手に動いたのはこの子を守りたいって思ったからなんだ、って気付いたんだ。自分が痛い思いしてもいい。だけど、ルーシィが痛い思いするのは耐えられないって思ったんだ」

「アシュトン……」

 

 それは…つまりその頃から私のことを思ってくれていたの……?


「じゃ、じゃそれって…」

「うん。ルーシィが好きって気付いたんだ」


 アシュトンにそう言われた瞬間、顔に熱が集まってしまった。多分、今リンゴのように真っ赤だと思う。


「このままだと村のみんなが怪我するかもしれない。だから魔王討伐に赴いた。…勿論、怖いことや危険なこともあった。でも、ルーシィが待っててくれているって思うと頑張れたんだ。ずっとルーシィを考えてた」

「アシュトン……」


 ずっと私を想っていてくれてたんだ。

 そう思うと涙が出そうになる。


「……ねぇ、ルーシィ。確かに聖女──マルグリットは世界を救った英雄の一人で、誰しもが認める聖女だよ。でもね、個人の聖女は別に違う人でもいいと思うんだ」

「えっ…?」


 私がアシュトンの言っていることがわからず聞き返すとアシュトンはクスっと笑って、愛しそうに目を細める。


「マルグリットは世界が認める聖女だ。だけど、俺にとっての聖女はルーシィだよ」


 ザザァッ、と温かくて心地よい風が吹いた。


「小さい頃から俺が怪我する度、泣きそうになったり、怒ったりしながらいつも優しく治癒してくれたよね。そんなルーシィが大好きだったよ」


 ポロポロと洪水のように涙が溢れ出てくる。

 そんな私を見て、アシュトンが「俺はいつもルーシィを心配させるか泣かしている気がする」と苦笑しながら呟く。

 そして、跪いているのをやめて立ち上がって、長い指で私の目元の涙に触れる。


「ルーシィ、守るよ。何があっても守るから──俺と結婚してくれますか?」


 二度目の結婚の申し込みに私は泣きながら頷いて笑った。


「勿論…私も大好きだよ、アシュ」


 そして私はアシュトンからの口付けを素直に受け入れたのだった。

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