象の遠吠え。

首領・アリマジュタローネ

象の遠吠え。


 その日、男は酷く疲れていた。

 疲れすぎていた。

 仕事をしているのに「仕事をちゃんとしろ」と上司には怒鳴られるし、残業を180時間もやらされるし、もうクタクタだった。

 5032連勤目というのもあるのかもしれない。

 ずっと座りっぱなしで足は痛いし、パソコンばかり見ていて目も眩むし、肩も凝っていた。

 疲れていた男は車でラジオを聴くことにした。


 彼はオールナイトニッポンを聴くのが好きだった。

 疲れているときには楽しい話を聴きたいものである。


 車を運転しながら、ボーっと停止して、ガムを噛んだり、換気扇に指を突っ込んだり、クラクションを鳴らしたり、助手席に座っている手首が傷だらけの女と談笑を交わしながら、ガムを噛んだり、一人ずっーとそうやってラジオを聴いていた。

 ハンドルを握りながら、ラジオを聴いていた。


 だけど、ラジオは中々始まらない。

 それどころか家に着く気配がない。

 同じ道から動いていない気がする。

 さっきから「一時停止」の標識も1000回以上見た。


 通行人のおばあちゃんと目があった。

 アクセルとブレーキを間違えて轢いてしまい、フロントガラスが割れてしまった。また車検に行かないといけない。

 轢いた瞬間、腰の曲がったおばあちゃんは眼球を大きく見開いて、突然のことに停止していた。

 人間はふとした瞬間に身体が硬直する。

 大きく口を開き、関節が引きちぎれていくのを見た。

 男はただ黙ってガムを噛んで、ラジオを聴いていた。


 オールナイトニッポンが中々始まらない。



「おかあさあああんんんんんんん」


「おかあさあああんんんんんんん」


「おかあさあああんーーーーーん」



 子供の声がする。

 車内のスピーカーから子供の声がする。

 どんどん声が低くなってきている。

 ラジオの電源を消しても、声が響いている。



「つながったよーー!!つながったよーーー!!つながったーーーー!!つながったー!つながったのかなー?つながったよ!つながったつながった!おかあささんんん、おかああああさんんん、ままぁああああああああんんんんんんんんあああああんんんんんんん!おかあさんどこいったのー!おかあさんどこー! みつけたよ、みつけた、みーつけたね」




「あ、おかあさん。喉が焼けてお茶も飲めないんだった…………」




 消しても消しても声が響いて離れない。

 夜眠るときも、家に着いても、仕事に行っても、あの日聴いた声が、断末魔に似た声が、耳を離れない。

 掻き消すように男はガムを噛むが、

 奥歯が痛んだので、口からガムを取り出すと、

 それはブニョブニョと太ったカメムシだった。


 男は画鋲を噛んでいる。ガムを噛むのはやめちゃった。理由は美味しくなかったから。ガムは子供の頃に駄菓子屋で盗んだ。おばあちゃんは悲しんでいた。駄菓子屋は地元の子供たちの窃盗が原因で潰れた。おばあちゃんはその後、鬱で亡くなった。


 鼻息が荒い。ハンドルから手が離れない。

 時速は1500キロを超えている。

 山道を男は爆走している。



「ふふん、ふふん、ふんふふーーん♪」



 鼻歌を歌う。

 カーナビが絶叫している。



「コロシタ、コロシタ、オマエがコロシタ。ハハはキトクジョウタイ。オマエはイツモ金に困っテイタ。ハハはイツモオマエのコトを思っテ、カネをフリコンデクレてイタ。ナノニ、オマエは何時迄も、イツマデモイツマデモ、そのカネをパチンコにツカッタ。オマエはハハの稼いだカネをパチンコにツカッタ。奨学金をパチンコにツカッタ。オマエはギャンブルで負ケハハを殴った。オマエはハハの髪を掴ミ、泣き喚くハハのカオをタンスの角に叩きツケタ。何度モ何度モ何度モ何度モ叩きツケタ。ソウヤッテ殺した。オマエはハハからの愛ヲパチンコにツカッタ。パチンコにツカッタ。あひゃひゃひゃひゃひゃ」



 車が動かない。

 ラジオから声が聴こえる。

 真夜中の自動販売機には小虫が飛び回っている。

 光に群がる小虫はよく目を凝らすと、自分の瞳の中には数匹いることがわかった。

 「ブーーーーーーーン」

「ブーーーーーーーン「ブーーーーーーーン」

「ブーーーーーーーーーーーーーーーーーン」


 虫が飛んでいる。クラクションがファーンと鳴った。

 けたたましく鳴いた。喩えるならば象の遠吠えのようだ。


 家に着く気配がない。

 同じ道から動いていない気がする。

 さっきから「一時停止」の標識も1000回以上見た。


 通行人のおばあちゃんと目があった。

 アクセルとブレーキを間違えて轢いてしまい、フロントガラスが割れてしまった。また車検に行かないといけない。

 轢いた瞬間、腰の曲がったおばあちゃんは眼球を大きく見開いて、突然のことに停止していた。

 人間はふとした瞬間に身体が硬直する。

 大きく口を開き、はじめてボクは関節が引きちぎれていくのを見た。両腕がありませんでした。

 ボクはただ黙ってガムを噛んで、ラジオを聴いていた。


 オールナイトニッポンが中々始まらない。



「おかあさあああんんんんんんん」


「おかあさあああんんんんんんん」


「おかあさあああんーーーーーん」



 子供の声がする。

 車内のスピーカーから子供の声がする。

 どんどん声が低くなってきている。

 ラジオの電源を消しても、声が響いている。



「つながったよーー!!つながったよーーー!!つながったーーーー!!つながったー!つながったのかなー?つながったよ!つながったつながった!おかあささんんん、おかああああさんんん、ままぁああああああああんんんんんんんんあああああんんんんんんん!おかあさんどこいったのー!おかあさんどこー! みつけたよ、みつけた、みーつけたね」




「ああ、ああ。可哀想に。お母さんは目が見えなくてカメムシばかり食べていたのに…………」




 鬱陶しくなって、ボクは車のスピーカーをバンと叩いた。

 車は動いていなかった。

 さっきからずっと止まったままだった。


 アレ、いつからボクはここにいたんだろうか?

 アレ、ボクは母にちゃんとごめんなさいって言えたんだっけ。

 はじめて自動車免許を取得したとき、受付の人が優しく「おめでとうございます」と祝福してもらえたんだっけ?

 夜風ってなんでこんなにも気持ちいいんだっけ?

 駄菓子屋はどうして潰れてしまったんだっけ?



 オールナイトニッポンが始まらない。

 オールナイトニッポンが始まらない。

 オールナイトニッポンが中々始まらない。



「疲れた疲れた疲れたなァアアアアアアアアア」

「疲れたなァアアアアアアアアアアアア」

「疲れたなァアアアアアアアアアァアアアアアアア」


「疲れた疲れた疲れたなァアアアアアアアアア」

「疲れたなァアアアアアアアアアアアア」

「疲れたなァアアアアアアアアアァアアアアアアア」


「疲れた疲れた疲れたなァアアアアアアアアア」

「疲れたなァアアアアアアアアアアアア」

「疲れたなァアアアアアアアアアァアアアアアアア」



 アレ、いつからボクはここにいたんだろうか?

 アレ、ボクは母にちゃんとごめんなさいって言えたんだっけ。

 はじめて自動車免許を取得したとき、受付の人が優しく「おめでとうございます」と祝福してもらえたんだっけ?

 夜風ってなんでこんなにも気持ちいいんだっけ?

 駄菓子屋はどうして潰れて死ねしまったんだっけ?

 アレ、いつからボクはここにいたんだろうか?

 アレ、ボクは母にちゃんとごめんなさいって言えたんだっけ。

 はじめて自動車免許を取得したとき、受付の人が優しく「おめでとうございます」と祝福してもらえたんだっけ?

 夜風ってなんでこんなにも気持ちいいんだっけ?

 駄菓子屋はどうして潰れて死ねしまったんだっけ?

 アレ、いつからボクはここにいたんだろうか?

 アレ、ボクは母にちゃんとごめんなさいって言えたんだっけ。

 はじめて自動車免許を取得したとき、死ね受付の人が優しく「おめでとうございます」と祝福してもらえたんだっけ?

 夜風ってなんでこんなにも気持ちいいんだっけ?

 駄菓子屋はどうして潰れてしまったんだっけ?

 アレ、いつからボクは死ねここにいたんだろうか?

 アレ、ボクは母にちゃんとごめんなさいって言えたんだっけ。

 はじめて自動車免許を取得したとき、受付の人が優しく「おめでとうございます」と祝福してもらえたんだっけ?

 夜風ってなんでこんなにも気持ちいいんだっけ?

 駄菓子屋はどうして潰れてしまったんだっけ?

 アレ、いつからボクは死ねここにいたんだろうか?

 アレ、ボクは母にちゃんとごめんなさいって言えたんだっけ。

 はじめて自動車免許を取得したとき、受付の人が優しく「おめでとうございます」と祝福してもらえたんだっけ?

 夜風ってなんでこんなにも気持ちいいんだっけ?

 駄菓子屋はどうして潰れてしまったんだっけ?

 アレ、いつからボクは死ねここにいたんだろうか?

 アレ、ボクは母にちゃんとごめんなさいって言えたんだっけ。

 はじめて自動車免許を取得したとき、受付の人が優しく「おめでとうございます」と祝福してもらえたんだっけ?

 夜風ってなんでこんなにも気持ちいいんだっけ?

 駄菓子屋はどうして潰れてしまったんだっけ?

 目はいつから見えなくなるんだっけ?

 酒を飲みすぎると手足が痺れるのはどうして?

 耳が聞こえなくなるのはどうして?

 父と母が死んだのはいつ?

 まだあの人たちに恨まれているのかな?


 カップ麺ばかり食べていると、ネットばかり見ていると、数十年後に身体を蝕んで、糖尿病で手足を切り落とすハメになるよ。歯が痛い。目が痛い。歯が全身の神経を壊す。

 君は死ぬまでずぅーっと独りぼっちだ。

 風呂場でも君のことを見ているし、

 夜に寝てるときも君のことを見つめてる。

 天井に張り付いたシミも笑ってるね。



「疲れた疲れた疲れたなァアアアアアアアアア」

「疲れたなァアアアアアアアアアアアア」

「疲れたなァアアアアアアアアアァアアアアアアア」


「疲れた疲れた疲れたなァアアアアアアアアア」

「疲れたなァアアアアアアアアアアアア」

「疲れたなァアアアアアアアアアァアアアアアアア」


「疲れた疲れた疲れたなァアアアアアアアアア」

「疲れたなァアアアアアアアアアアアア」

「疲れたなァアアアアアアアアアァアアアアアアア」



 オールナイトニッポンが始まらない。

 オールナイトニッポンが始まらない。

 オールナイトニッポンが中々始まらない。








 雨が上がった。男は車内から外に出て、タバコをふかした。シャツがベットリ背中に張り付いていた。

 目の前には「一時停止」の標識があった。

 風を浴びて、頭をスッキリさせて、車内に置いてあった9%の度数のチューハイを飲んで、ハイライトにして、再び森を走り出した。周囲には誰もいない。ずっと一人である。



『デ、デッデデン♪ デデデデッデデン♪ デ、デデデデッデデン♪ デデデデッデデン♪ デン♪』



 オールナイトニッポンが始まった。

 ようやく全てが忘れられそうだ。



『ガ、ガッ、ガッガガガガガ』




 「────枕の下でゴキブリ死んでるぅぅぅねぇ」




 ベッタリと張り付いたシャツを脱ぐと皮膚も一緒に剥がれた。

 男は大きく伸びをして「痛いなァアアアアアアアアアァアアアアアアア」と叫んだ。

 けたたましく鳴く、象の遠吠えのようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

象の遠吠え。 首領・アリマジュタローネ @arimazyutaroune

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ