断末魔
王生らてぃ
本文
『こんにちは』
『あ、うん』
『私は其人を常に先生と呼んでいた』
『あの、すみません』
『わかった』
『ありがとう』
『え、どうしたの?』
『はぁ』
『すぅ』
『あ』
『こんにちは』
『あ、うん』
『あの、すみません』
『すぅ』
『あ』
『え、どうしたの?』
『私は其人を常に先生と呼んでいた』
……
…………
……………………
駄目だ。
やっぱり何かが足りない。凪紗の声、森の木々の間から吹き漏れてくる風のように心地よくて、太陽のあたたかさと、夜露の冷たさを併せ持った素敵な声。
だけど、どれもささやくような声で、何かが足りない。
録音できたサンプルも少ない。普段からあまりしゃべらない子だから、これ以上新しく採取するのは難しいだろう。一時期、凪紗の声をいっぱい録ろうと、積極的に話しかけたり面倒を見たりしていたことがあった。いつも雑用や掃除当番を押し付けられて、いつもいつも根暗だ地味だってバカにされている凪紗のことを。
私は凪紗のことが嫌いだ。
根暗で前髪長いし、話すときにも目を合わせようとしない。いつもおどおどして、びくびくして、私のことだってそうだ、怒らせないように、気に障ることをしないようにとふるまっているのがバレバレだ。最近は話しかけるまでもなく、近づくだけで避けられている。
もう一声欲しい。文字通りもう一声だ。
何か、こう、すごく大きな、開放的な――いつもクラシックばかり聞く人がたまにはロックを聞いてみたくなるような、あんな感情だ。
「ひゃっ、」
と、いきなり目の前を小さな虫が通り過ぎて行ったので、思わず身をそらしてしまった。と同時に思った。凪紗は、今みたいなとき……思わず悲鳴や叫び声をあげてしまうようなときも、うじうじ黙って根暗なのだろうか。
そんなわけがない。
これは人間の反射、本能的な行動だ。黙っていられるはずがない。
「凪紗」
放課後、私はさっそく実行に移した。
背後からそっと近寄り、びくっとこちらを振り返ろうとした凪紗の首筋に、カッターナイフの刃を添える。凪紗の体が、こわばるのを感じる。――でも、声ひとつあげない。
なんだよ。
第一段階は失敗だ。
「そのまままっすぐ歩いて」
私は凪紗を非常階段まで連れて行った。普段はめったに使われない場所だが、文字どおり非常用なので、何かあったときにすぐ使えるよう、扉の鍵は開けっ放しになっている。
「入って」
凪紗はおとなしく従った。
非常階段は外につながっていて、細く錆びついた鉄が軋んでいる。文字通り空に浮かんでいるかのような感覚。ちょっと身を乗り出せば、四階の高さから地面まで一直線だ。
凪紗の体がぶるぶる震えだす。
自分が何をされるか、想像しているのだろう。首筋に当てたカッターの刃をぐい、と強く押し付ける。冷たい刃は体温であたたかくなって、生ぬるい固い感触がすることだろう。
「あんた、突き落とされるって思ってるでしょ」
「……、」
「私、あんたのこと大嫌いなの。びくびくして、うじうじして、いつも周りのことばっか気にしてるのが、見ててむかつくの。ほんと目障りでさぁ、でも――あんたの声。すごくきれいで、好きだった。音楽の授業の時とか、ひとりで歌ってくれればいいのに、って思ってた。でも、結局聞けなかった。残念だな」
私は凪紗の肩に乗せた腕に力を込めた。
「だからね、最後に凪紗の声、もっと聴きたいの。もっと大きな、素敵な――そう、叫び声」
「……!」
「私に聞かせて。思いっきり叫んで見せて」
私は手すりを乗り越えて、自分の体を空中に投げだした。
体は上に向けて、最後に、今までで一番大きな凪紗の声を、体中で受け止めるために。
さあ聞かせて。
叫んで。
泣いて。
私に、それを聞かせて。最後に、思いっきり大きな――
「――――――――!」
え?
なあんだ、こんな普通の――と、思っていた悲鳴は、私の胃が勝手に吐き出していた声で……
凪紗は非常階段の踊り場から、ぞっとするほど冷たい目で、黙って見降ろしていた。
断末魔 王生らてぃ @lathi_ikurumi
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