ep.3-4 たまには爪をたてるっすよ

(音子視点)


「……【エタ・サン』、【BAN】じゃ……なにもないっすね」

「ううん、そもそも【エタ・サン】に関わるユーザーからの情報が少なすぎますね――」


 マウスホイールをカチカチと回しながら、ブラウザ画面をスクロールする。

 検索ワードを変えつつ、ブラウジングをくり返して、エタ・サンの情報を探っていく。

 アプリの評価欄は上々、とはいえ映像や音楽、ゲーム性を褒めたたえているもの。

 Twitterはほとんどが広告。

 大手掲示板サイトは、閑古鳥。


「単純に人気がないソシャゲって感じっすけど……、実際のプレイヤー数は多いんですよね。水増ししてるのか、それとも――、誰かが意図して口コミを消しているのか」


 ユーザー数の水増しの線については、各プレイヤーに男女問わずDMを送りつけてみたが、AIとは思えない返答。つまりプレイヤーはたしかに存在する。

 なら、口コミを消している線については――

 これも一つのサイト上ならあり得るけれど。

 プラットフォームが違えば、難しいだろうけど、複数のSNSで同様にマイナスな評価はおろか、プラスの評価も、プレイヤー同士の交流があるような様子もない。


 とは言っても……、エタ・サンのなかにある交流掲示板では自由なやりとりがある。私がアソシエイトであり、クラスメートでもある河野七海に対して確認したふたつの噂についても、エタ・サン内では日常的に話題になること。

 

 だからプレイヤーがゲーム性や、プレイヤー間のコミュニティに関心がないなんてことはないと思うんすけど。


(……私みたいなコミュ障オタクにだって、七海ちゃんや里桜と関わりをもちたいって思う気持ちが芽生えたんだから)


「疑似恋愛アプリのようなものをやってるなんて、リアルじゃ言えないのはわかるっちゃ、わかるんすけども……同じネットの中ならほかのSNSでも言えそうっすけどね――」


 でも、もし【アカウントをBAN】されるようなことになれば、何らかのSNSで愚痴の一つでも言いたくなるものだろうけど……。


「私だったら、恨み言のひとつやふたつ、するっすけどねー」


 心底、性格が良い子たちを集めてる?

 そんなバカな。


 私みたいなのも、いるんだからと当然そんなわけない。


「……ふぅ、正攻法はやめて、ちょーっと悪戯するっすかね」


(飼い馴らされた猫だって、たまには爪をたてるっすよ)


 VR機器のUSBポートにケーブルをつなぐ。

 その先には私の愛用のパソコンが繋がっていて――


 破壊クラックはしないっすよ。単に覗き見ハックさせてもらうだけっすから。

 

 少しだけ糸口は掴んでる。

 本来であればプレイヤーにはない管理者Admin権限を移行させたことがある。

 それにより追加表示されたGUIインターフェースのなかには、気になる数値や、項目がいくつかあった。


 その一部のラジオボタンにチェックをするだけで、私の意識、その視野は明らかに広がったと感じた。

 だから私はいまほかのプレイヤーよりも、に敏感なのかもしれない。


 ――そこから、推測される答えは


 エタ・サンは意識的にプレイヤーの行動を制限している。

 心を、誘導してる。


 つまり、してる。


 そんなこと、できるんすかね? なんて思うけど。

 できちゃったから、できる。


 結果から導くのが、デジタルの基本っすから。結果ありきで、あとはそこまでの導線を探っていく。


(もしかすると、私のこの気持ち。恋してるっていうどきどきも、何者かにつくられて、誘導されたものかもしれないっすけど――)


「好きな人たちが、傷つくかもしれないことを、黙っちゃいれないっす」


       ***


「今日は、すっっごく楽しかったね! うまいじゃん、エスコート」

「そ……そうかな?」

「うん! エタ・サンで鍛えられてるからかな? スマートで、ちょっとはかっこよかったと、思いますよ。義妹としては、合格あげちゃってもいいかなーって」


 水平線に沈んでいく夕ぐれ時の太陽と、ナナの笑顔。

 エタ・サンの世界ほど煌びやかではないけど、ヴァーチャルリアリティでは描ききれない解像度。

 ショッピングモールからつながる海浜公園の散歩道をふたり歩きながら、今日のデートの総括を聞く。


 潮騒と海の匂い。リアリティとリアルの違いは、そこにノイズが混ざることかもしれない。それは子供の笑い声だったり、車のクラクションだったり。

 うるさいくらいに高鳴る鼓動だったり。


 繋いだ掌から伝わる熱だったり。


「なあ、ナナ。聞いてほしいことがあるんだけど」

「にいさん、なんでしょなんでしょ!」


 俺は、少しだけ手に力をこめる。

 それだけで、横目に見えるナナのちゃらけた表情が、真剣なものに切り替わったと感じた。

 

「今日、せっかくのデートだから待ち合わせ場所を決めようと言い出したナナに、いつも通りで……家の前からでいいって言ったのは」

「え? あ、うん――」

「俺、中学の時にデートで待ち合わせしてた初恋の相手を、交通事故で亡くしてるんだ。それで、そのことがちらついてさ。不安で。だから……いまも恋をすることも自体が怖くてさ」

「……うん」

「そんな俺を変えたくて――、エタ・サンをはじめて。ナナと出会えて……ナナのおかげで少しずつ皆とのデートを重ねることができるようになって――あとちょっとだと思うんだ。あと少しで何か変われると思うんだよ」


 気づくと、ナナは俺の顔を真正面にとらえて。

 ふたり向き合って立ち止まっていた。


 彼女の小さな掌が、俺の頬に触れる。


「知ってたよ――にいさん。お姉ちゃんから、夏ねえから。にいさんのことはたくさん聞いてたよ」


――ッ


「夏来さんのこと……、知って――、いや。お姉ちゃんって……ことは」

「だから、わたしはあなたのだって、言ったじゃない」


 こぼれた涙はどこに行くのだろうか。

 アスファルトに水は沁み込むのだろうか。それとも、蒸発して空へと昇っていくのだろうか。もし、そうなら。

 それは天国の夏来さんにまで届くのだろうか。


 その涙の行方に目を向けるなんて、できなかった。

 俺の視界はその涙の膜に覆われてゆがんでいたから。

 そして、その先に見えるナナの瞳からも大粒の涙が見えていたから。


 彼女の顔から目を背けるなんてできなかったから。


「お姉ちゃん、足が悪かったじゃない? だからね。海沿いをこうやって歩くって。できなくて。いつか、それがヴァーチャルでもいいから叶うといいなって、そう笑ってた。だから、エタ・サンのことはそのときから知ってたの」

「……俺も、夏来さんから聞いて、知ったんだ」


 そういうことだったのか。と思った。

 どうして、ナナが俺のことを知ったのかはわからない。

 

 ただ、恋を進められない俺にナナが理解を示してくれた理由だけは、はっきりしたと思う。


「俺、エタ・サンの世界のなかで――まだ、あの日置き忘れたままの恋を探しているんだと思う」

「じゃあ、いっしょだね。わたしも……お姉ちゃんをずっと探してる、ずっと。あの日から終わらない夏で」


 大粒の涙を押し流すように満面の笑みを浮かべた義妹。

 俺はつないだ手を放して――両の腕をのばしてその震える小さな身体を抱きしめた。

 

 鼓動、嗚咽、ぬくもり。

 吐き気。

 それでも、雑多に混じりあうノイズが愛おしかった。


 ナナが……義妹が、愛おしかった。


「なあ、俺――」


 伝えたいことがあった。

 伝えなきゃいけないとおもった。そんなとき、電子音のメロディが鳴った。

 それは着信音のようだった。


「……にいさん――、ごめん、とらなきゃ」

「あ、ああ」


 スマートフォンを手に、背を向ける彼女。

 ちらりと見えたその横顔は、こわばっていた。


「……はい、アソシエイト……ナナです」

「……え? どういうことですか――、……いやです」


 何か重要なことを話しているような様子だった。

 それでも、俺はそのことに関わっていいのか、彼女に触れていいのか、わからないまま、待つしかできなかった。


「……そんなの、ただの噂だって――! ……あなたは、どうして。いつも!」

「いつも……! ひとの心を、感情を、恋を! 切り売りするようなこと――」


 ナナ――?


「ひとの、気持ちまで……操作できるなんて、思わないで!! 思わないで……ください」


 耳にあてていた端末を持つ手が、だらりと下がる。

 項垂れたまま立ち尽くすナナに、俺はどう声をかければいいかわからなかった。


 少しの間そのままで――

 それからとってつけたような作り笑いを浮かべてナナは、一言だけ「かえろっか、にいさん」と、そう口にした。


 大事なことを伝えることも、聞くこともできないまま。

 ただ夕日だけが落ちていった。


(【第3話】終わらない夏で、ずっと待ってる・完)

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