【第0話】夏のはじまり
ep.0-1 家のときと変わらず、にいさんって呼ぶから
扇風機の回る部屋のなかで、薄着でくつろいでる妹。
彼女は、それまで舐めていた棒アイスを口元から外し、舌なめずりしながらもう片方の手でタブレット端末を掴む。
「ねえ、にいさん、今日はだれにアプローチするの?」
そう言って、はい、と俺にその端末を渡してきた。いつものことだ。
画像に並ぶのは3Dイメージのキャラクターとプロフィール。
「……んーキャラ数多すぎて、えらべねーんだよなぁ」
俺はその中から好みの見た目をした女キャラを何人かピックアップして、お気に入りリストへと入れていく。
リストに入れたキャラクターとはフラグが起こりやすくなるらしく、今いる家の中のステージから外に移動したときに接触しやすくなる。
接触さえできれば、あとは会話をして。
仲良くなれば、好感度があがるし。
そうなれば、もっとシナリオが進展していく。
――そうやって疑似的な恋愛を楽しむ。
この世界はVR恋愛シミュレーション『エタニティ・サンシャイン』のなかだ。
そう、VR世界の中だから、いま隣で鼻歌まじりにテレビゲームにかじりついているこの妹も、二次元キャライメージで。
見た目は本当に可愛らしいアニメキャラといった感じだ。
ショートカットの水色の髪。
着ている白いシャツには肌の色が軽く透けていて、デニム生地のショートパンツが夏らしさを感じさせる。
ゲームのテーマ性が夏のため、年中この世界のキャラクターは夏服で、その分薄着で肌の露出も多い。
「なにじろじろ見てんの? それともナナに興味あったりして? なんつって」
「そんなわけねーだろ」
兄としてはそう言うしかないだろう。
そもそも、このキャラはデフォルトでついてくるお助けキャラのようなもので。
単なるマスコットNPCで、フラグを起こすことも、シナリオを進めることもできない。
だから俺は、ナナに特別な感情をもつ気はなかったし。どんなにそのすらりと伸びた素足が気になっても、あんまり眺めるつもりも――。
「だーかーらー、なに妹のことえっちな目で見てんの。相変わらずのへんたいですね! で、どういう子とシナリオ進めるつもり? てか、そろそろ彼女の一人でも作ってくれなきゃ安心できないんだけど」
このゲームのゴールは、何度かのデートをしたキャラへ告白をし、キスをすること。
ある意味健全なゲームなのだが、告白に失敗は許されない。
―― 告白に失敗するとリストから消え、攻略不可能になる。
……らしい。
一度きりのその告白イベントをいつ使うか、それが鍵なのだ。
好感度MAXのキャラは数人リストにいるんだけど――。
俺は振られるのが怖くてまだどのキャラへも告白をしたことはない。
いや、ちがうな。
振られるのが怖いんじゃない。
――ナナと一緒に日常をくり返すだけで十分だと思ってるんだ。
だというのに……そうプログラムされてるから仕方ないのだけど、ナナは俺に彼女を作るように何度も催促してくる。
最近はその頻度も多く、ちょっとげんなりしてたりもするんだけど。
「なあナナ、このゲームってどうしたらゲームオーバーとかってあるのか」
「んー、ないよ。でも、この終わらない夏の世界で誰とも好かれない人生を味わうだけだけど。それでもいいの? あ、てか。ゲームってなんですか兄さん?」
とってつけたみたいに世界感を守ろうとするんだな。
『誰とも好かれない』か。
リストの中を再度見る。
キャラ数が多すぎるので、フィルターを上位から好感度の高い順で検索する。
――
正統派ヒロイン風のキャラで、長いストレートの髪と大きめな胸元が魅力的だった(水着イベントで確認済み、CG取得済み)。
名前には幼馴染キャラを示すオレンジ色のマーカーが引かれている。
イベント進展は時間がかかった印象だった。
というのも、最初のコンタクトしたキャラだから俺もその時にはこのゲームにちょっとやる気があって、ずかずかといったわけだけど。
何度もはぐらかされた。だからこそ、告白では失敗したくないと思って、そのまま手つかずだ。
――
設定で後輩キャラを示す、ブルーのマーカー。
コンタクトしたときからやけに積極的で、ファーストコンタクトから、イベントの3段階進展まであっという間だった。
定期的にこのタブレットにもDM機能で声がかかる。……まぁ、たぶんちょろいキャラ。告白したら成功するんだろうけど……。
小柄で元気のいい、黒髪のくせ毛で毛先カラーがパープル。胸は小さめだけど。
ほかにも、イベントを進めたキャラはいるが。
いずれにしても俺は、こいつがいればそれでいいんだよな……。
『いけ、いけ。あ、だめそう、あー、あー!』
『あー負けた~~~もぅ!!』
当の本人は、ずっと格ゲーやってるけど。
この妹がいれば、俺はそれで満足だったりする。
今日はもう。ゲームは終わりにするけどさ。
明日からリアルでは春休みが終わり、高校2年が始まってしまうから。
***
「……だれだ。あの子」
「なんだよ、新学期早々耳元で声かけてくんなって」
馴れ馴れしく俺の肩を叩き耳元で声をかけてきたのは、親友の
ショートカットの銀色の髪。
校則にそういったヘアカラーの項目はないが、明らかに目立っていた。
目鼻立ちがくっきりとしているところもどこか日本人離れした美人な感じがした。
ハーフなのかもしれない。
「たしかクラス替えはなかった、はずだよな」
「そのはずだけど」
だからこそ、俺も孝雄もそのままともに行動しているわけだが――
そんな見知った教室の面々のなかで、明らかに初見の女の子がいるのは異質に思えた。実際、クラスメートのみんなは各々が2~3人で仲の良いメンバーと和気藹々と朝の時間を過ごしている。
その女の子だけが、席に座り。
足をピシっとそろえて。
背筋をのばし。
緊張した面持ちでそこに居た。
まるで洗濯のりをつけたばかりのパリッとしたシャツ――じゃないな。
彼女の制服がただ洗濯したてとかとは違う、真新しいものだと気付いた。
「たぶん転校生だな――」
「だな。隣の子が可愛い子で良かったな」
「関係ねーよ」
そうその子は俺の隣の席だった。
どうせリアルでは女の子とろくに関わり合いがない俺みたいな非モテ男子には関係のないことだけど。
「あ……」
やべ、ちょっと見すぎてた。
目が合っちまった。
「……ども」
とりあえず会釈、してみる。
「……!! あ、ああ、あーー! ……ぇと、
なにか納得するような感じ。
そのあとで、一瞬驚いた表情。最初はお人形のような感じに見えたが、その瞬間の顔の変化で、その印象は覆った。
青みを帯びたグレーの瞳がころころとしていて、目をぱちくりさせて俺を見ている。
「あ、ああ。そうだけど。どうして俺の名――」
『俺の名前を?』までを言い切るまえに、彼女は口を開いていた。
「やっぱり、にいさんだ! やった一緒のクラスに当たるなんて、わたしツイてる!」
華やかな声をあげた。
急に発せられたその大きな声で、クラスメートの視線が一気に俺たちに向いたのがわかる。
え? え? え?
まてまて、俺に、妹なんて……。
「え? あれ? 無反応……? わかんなぃかな、わたしのこと」
いや、いる。
春休み中ずっとプレイしていたゲームの中で、だけど。
しかし……あのゲームはオンゲじゃないし。
ナナは、単なるお助けキャラで攻略すらできないし……。
でも、この喋り方……そして声、いつもの、あいつだ。
「ナナ……?」
「せーかい! 本名は七海。
ナナ……七海さんのその言葉を聞いて、隣に立つ孝雄が『危ないやつを見るように』引き気味に俺を見ている。
それをとりあえずは無視して、色々と疑問は残るが、ひとつ最初の質問を投げかけてみた。
「……なんで、いんの?」
なんでリアルに。とか、なんで教室に、とか。
色々な意味を込めての言葉だった。
「あはは。驚いてるねー。えっと。にいさんが、いつまでも誰とも告白しないから。あー、これはオフラインでも、恋愛下手なタイプかーっておもっちゃいまして」
席を立ち、俺に一歩、そしてもう一歩と近づいてくる。
動きに合わせて強調された胸元が揺れる。
オフライン……? もしかして俺はとんでもない勘違いをしていたのじゃないか。
「もしかして……エタ・サンって。オンゲ?」
「わー、やっぱり勘違いしてたよこのバカアニキ~。オンゲもオンゲ! というか、ゲーム風のマッチングアプリ……なんだけど。やっぱりそうかぁ。あー……そりゃ里桜ちゃんもドン引きするよねあんな無理やりな誘い方してるし……」
え? マッチングアプリ……? つまり出会い系?
「ま、それはいっか。とりあえずわたしから、にいさんに直々に恋愛のレクチャーをしてあげますって話ですよ。だから、なんでいるのかって質問の答えは、にいさんに恋を教えにきたのです」
「レクチャーって……具体的になにをすんだよ」
何の気なしに聞いた質問に、答えが返ってくることはなかった。
かといって、俺がなにか質問を追随するようなこともできなかった。
チョコミントのようなフレーバー。
いや、これは歯磨き粉……か。
どちらにしても、俺の口内に爽やかな何かが侵入してきたのがわかった。
「……ッ!」
「……ふふ、想像より背高いから届かないかとおもったよ、兄さん。ファーストキス、いただきました」
「お、おま……なにやってんだよ」
「もう少し屈んでくれなきゃ、里桜ちゃんのアバターだと届かないと思うかなー……」
ざわつきだした教室の喧噪のなか、下唇に人差し指をおいてシンキングモードに入る義妹。
俺の隣で、孝雄は信じられないものを見るかのような目で俺を見ている。
安心しろ、俺も信じられない気分だ。
「……キスって結構効果あるんだ……はじめてしたけど……けっこードキドキするじゃん……これ一発で落とせそうだけど……うーん……」
――え、いま上矢くんキスしてなかった?
――おいおい、上矢おまえ!
――てか。あの子だれ? 可愛い子だよね
などなど、言葉が飛び交う。
「あ。いや。これはちがうんだって!」
一瞬遅れて、さすがにこの事態を収束させないとと思い、俺は声をあげた。
もちろん、収まりが効くわけもなく――。
考え事が少しまとまったのか、やっと彼女が周りをキョロキョロと見渡して、口を開いた。
「みなさん、違うんです!! わたしは一緒に暮らしてるだけのただの義妹なんです!」
待て! それはゲームのなかだろー!!
教室の中、そんな大騒ぎではじまった二年の新学期。
その室内で俺とナナのことをほかの生徒とは違う面持ちで見ているふたりのことに、そのときはまだ気づかなかった。
まだ暦の上では、季節は春。
バーチャルリアリティの上では、今日も夏の日差しが輝いている。
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