20:星空案内人
「うわあ、すごーい!」
真っ先にビビが地下プラネタリウムの薄暗い室内へと入場する。あとからみんなもついてくる。
部屋の形状はお椀を伏せたような水平型フラットドーム。円い部屋の中心に球体の光学式投影機が鎮座している。投影機の表面は月面のクレーターのように穴ぼこだらけだ。
座席は扇形の配列で、映画館のように観客がみな一様に前を向くスタイル。
ビビがどの席にするか迷ってもたついていると、行列の後ろから来た者がつぎつぎと席を確保していく。
「えっ、どうしよどうしよ……」
それを見かねた少女が近づいてきて、ビビに親切におすすめの席を教えててあげた。
それが真野だった。銀髪のツインテールと菫色のリボンが目を引く。
「星空案内人の真野です。キャンプ場のとき以来ですね。席がお決まりでないのでしたら、あちらの一番奥の中央あたりの座席が見やすいですよ。ほかのお客様にとられないうちに、さあ」
「わあ、ありがとう、真野ちゃん!」
真野は眼を細めて、ニッコリ頷いた。
ビビは言われた席に座る。隣には眠たげなアグロがどっかりと尻を落とし、さっそくリクライニングを限界まで倒す。
「ふわあ、なんか疲れたな……」
「えぇっ、寝ないでよ! せっかく来たんだから! 何日も冒険してきたのに」
「んん、そうだな……でも、無害そうな子じゃないか、今のところは」
「真野ちゃんのこと? デンジャーマスクの勘違いだといいんだけどね」
ビビは左右を見てから、同じく席を倒す。
デンジャーマスクの警告を思いだす。
真野には要注意。
かわいい姿に騙されてはいけない。
真野は偽のプラネタリウムに客をおびき寄せて、自分の養分にする……ということだったはずだ。
だが、そんなそぶりを見せてはいない。
プラネタリウムはやがて満席となった。
観客たちはまだ日常の喧騒のなかにいる。ざわめきのなかに紛れなく真野の声が響く。
「それでは皆様、銀河への旅の前に、いくつか注意点がございます」
日常を離れ、心の底からリラックスできるような、やさしい声音。
「通信機器はマナーモードにして、カバンの奥におしまいください。画面が光りますとほかのお客様のご迷惑になります。今日一番目立ちたくなければ、電源はお切りくださいね」
最前列で真野は微笑んでいる。広い宇宙へと誘うための準備は抜かりない。
この小規模なプラネタリウムの、たったひとりの星空案内員だ。
コンピュータを搭載した台の前にいるのか、その下半身は見えていない。
真野による解説がはじまった。
「今みなさまに見てもらっているのは、私たちの住むこの美しい港町の今日の夕空です。ドームの底のほうにうっすらビル群が見えているのがわかりますか。ほら、小さく、坂を上っていくケーブルカーも見えますね。こちらが南になります」
「あのケーブルカーには乗ったわ」とビビが小言で言う。「終点のターンテーブルでケーブルカーを逆方向に回転させるのよ」
ほかの観客のおしゃべりも聞こえる。
あのビルは○○ビルだ……いや△△ビルだね……橋も見えるね……などなど。
真野は言葉をえらんで続けた。
「さあ、時間を進めていきましょう……! みなさまの右手のほうに陽が沈んでいきます。こちらは西になります。そして左手のほうから月が昇り始めました。こちらが東ですね……さて、はやくも夜になりました……ちらほら星空が見えてきました。この港町は夜になっても眠らない都会なので、星はなかなか見られませんが、暗いところに行けば、実は3等星までの星は見られるんですよ」
そのとき少年の場違いな大声が響く。
「3等星だってさ。お前は何等星? おれは、優等生~!」
クスクス。
ざわざわ……。
「あら、ダンナさま、今の声ってウィジャ君では?」
「知らないふりをしろ。いいな?」
「んもう、ウィジャ君ったら。数学かてんでダメなくせしてなにが優等生よ」
真野の咳ばらい。
「それでは街の明かりも消してみましょう。皆様、私がいいですよと言うまで、眼を閉じていてください。眼を開けていると感動が薄れてしまいますので、ぜひ眼をつむっていただけると幸いです……………………さあ、もういいですよ!」
溜息があちこちから漏れる。おおお、という感嘆の声。
室内は完全な闇にとざされていた。
摩天楼は消滅していた。
もはや地上の光など微塵もなかった。
漆黒の天蓋を背景に、無限の星々が閃光を放つ。
視界全てが夏の夜空。満天の星だ。
真野は自分のペースを取り戻したようだ。
「みなさんには《想い人》がいますか? 今宵、お話しするのは、ちょっぴり哀しい恋物語……」
観客たちは真野の語る七夕伝説に聞き入った。
むかしむかし、天帝には織姫という娘がいた。
織姫は天の川のほとりで、神様の着物に使う布を織る仕事をしていた。
だが恋人がいなかったことに同情した天帝は、天の川の対岸にいる彦星という牛飼いの青年と彼女を合わせてあげた。
織姫と彦星は惹かれ合い、やがて結ばれる。
二人は一緒にいるのが楽しくて、そのうち仕事をしなくなった。
織姫が機織りをしなくなったため神様の着物はぼろぼろになり、彦星が牛の世話をしなくなったため牛は病気になった。
怒った天帝は、二人を天の川をはさんで離れ離れにした。
二人は大いに悲しんだ。
だが天帝は、二人が真面目に働くのならば、年に一度、七月七日の夜にだけ会わせてやると約束。
そしてこの日だけはカササギが天の川に橋を架け、二人は会える、ということ。そんな物語。
「……いかがでしたか? さあ、夜空を見てください。この星が織姫こと、こと座の1等星・ベガ。そしてこちらが彦星で、わし座の1等星・アルタイルです」
真野の物語を聞いて、なぜかビビの顔が青ざめている。
全身を震わせている。
「……じつは織姫と彦星の星間距離は、およそ14.4光年離れています。光の速さで14年半ですね。つまり二人は光のように移動できたとしても、年に一度会うことは……とても、無理かもしれませんね」
「そんなのイヤッ!」
ビビの大声が響き渡る。眼をぎゅっとつむりながら、隣席のアグロの腕に抱きつく。
さしずめ自分を織姫になぞらえていたところ、思ったよりつらい結末が待っていたので怖くなったのかもしれない。
だがアグロは、真野の語りの途中で限界に達したのか、大口を開けて無呼吸症候群で眠り始めていた。
「起きて、起きて、離れ離れになっちゃう!」
が、声は届かない。轟くいびきの洪水。夢とうつつの天の川。
室内のざわめきが止まらない。
「おい銀河、母乳しみだしてんぞ~」
天の川を指さしてウィジャが言った。
室内にくすくす笑いが漏れる。
宇宙の神秘に覆われていた室内にいかんともしがたい亀裂が走り、魔法が解け始めた。
「これじゃシモネタリウムだよお……」
隣席のジャコのあきれた声が虚空に浮かんで消えた。
真野の咳払い。
「……えーと、今日の星空観察者は、元気な方が多いみたいなので、趣向を変えてクイズを出して見ようと思います」
「景品! 景品! 景品!」
室内に景品コールが起こる。いやしい観客だらけであった。
「……えー、景品はございませんが、ぜひ大声でお答えくださいね!」
「了解! 了解! 了解!」
了解コールが起こる。
「では出題します……ちょっと難しいですよ?」
「超難問! 超難問! 超~難問!」
「……では問題です。《秒速240キロメートル》。さて、これは、なんのスピードか、分かりますか?」
室内のいたるところから解答が飛んできた。
「桜?」
「桜!」
「桜の花のおちるスピード!」
真野は残念そうに首を振る。
「……桜ではございません。正解はなんと、太陽系の移動速度なんです。私たちの住む惑星が動き続けているのと同様に、太陽系もまた銀河系の中を移動しています。それが1秒に240キロ。想像しづらいですよね。さらにいえば、その銀河系もまた丸ごと移動し続けているのです。では次の問題です。銀河系はどこへ向かっているでしょう?」
「ラーメン屋台!」
「串カツ屋台!」
「タコス屋台!」
どっ!
ワハハ……。
「ええ、空腹を思うばかりですね。じつはわたしたちの銀河系は、うみへび座のほうへ、向かっていると、いわれて、いまして……」
精彩を欠いた、つやのない声。
そのときドームの天の川をいくつかの影がよぎる。リスだ。Tレックスの五匹のリスが逃げて駆け回っている。Tレックスはリスたちを捕まえようと暴れまわる。重たげな足音を鳴らして動き回る。観客が俺の足を踏むなと叫んでいる。
「おい、リスちゃんたちを捕まえてくれ! 迷惑にならんうちにな!」
これには真野も怒らないわけがなかった。
とはいえすでに怒り心頭に発していたのだが、よくここまで我慢し通したものだ。
急に星空が褪せていく。部屋が暗さを失う。地上の椅子に座った観客のすがたがあらわになる。
真野が意を決して、今日一番強い言葉を放つ。
「お元気のようですね! あなたがたは……!」
真野は胸元のペンダントをつかんだまま、残念そうにしていたが、一瞬歪んだ微笑を浮かべる。
「でも、これでついに足りるかもしれない……」
彼女の奇妙なひとりごと。それを聞いていた者は決して少なくなかったが、だれも意味を理解できなかった。
「ちょうどいい獲物ができました。さよならです。あなたたちはおしまいです。こんな観客たちに同情などありません。ぜひとも、なってください……星に!」
真野が手前の台に隠されたスイッチを押す。
突然、プラネタリウムの床が抜けた。
奈落の闇が口を開く。
先に椅子が落ちて数秒間、観客たちは虚空に浮いていた。
だれもが視線を交わし合う。いったいなにが起こったのかと。虚空に浮かびながら不思議がった。あれれ、床が無いぞ? と、互いに確認し合いながら。
「もしかして」
「わたしたち」
「……落ちちゃう?」
と、いうふうに。
真野は、しずかに、こくりとうなずいた。
「落ちます」
ビビはダンナさまに抱きつき「そんなのいやだーっ」と足をバタバタさせて、虚空でもがいている。
少年たち二人は手を取り合って、震えながら宙に浮いていたが、真下の真っ暗闇の底を見てしまった。
「俺たち」
「ぼくたち」
「落ちちゃう」
「……ってこと!?」
互いの顔面と、真下の闇を、何度も見比べる。
彼らは必死になってプラネタリウムの外に出ようと、バタ足と平泳ぎの手つきで空気をかきわけている。
だが、力尽きて落ちていく。
……と見せかけ、必死にもがいて垂直に上昇。
「くおおおおおお、落ちるもんかああああ!」
「なんで床が抜けるんだよおおおおおお!」
なぜか真野も浮いていた。自分の意思で、重力を無視している。
「はあ、ギャグ時空の連中とはどうも相性がよくありません」
真野の溜息。
「重力に逆らってもむだです。あなたたちには罰を受けてもらわねばなりません。それがなんなのかは自分たちの眼で確かめてください。はい、おしまいです」
うわあああああああああああぁぁぁぁああああああぁぁぁぁ……とおのおの悲鳴をあげながら、観客含むビビたち一行は落下していく。
自分の背中に羽があることにようやく気付いたビビだけは、安堵してその場に浮遊した。
だが愛する者が眠りながら真っ逆さまに落ちていくのを認めると、深刻な顔つきになって、闇の底へと頭から突っ込んでいった。
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