第54話 私は、生かす役……

 朝になり、サビーナがセヴェリと共に戻ると、デニスが宿の前に立っていた。

 彼は寝ていないのか、目の下にうっすらとクマができている。


「食事をしたらすぐにランディスに戻りますよ」

「っは」


 セヴェリの言葉通り、みんなで朝食をとると、すぐにランディスに帰ることとなった。

 行きと同じくセヴェリと二人乗りをして、屋敷に着いた時にはもう昼前だ。

 セヴェリはサビーナとデニスに明日は休みを取るように言い残して、部屋に戻って行った。今から仮眠を取るようである。

 その姿を見送ってから、デニスがこちらを振り向いた。


「サビーナ……ちょっと話してぇことがあんだけど、いいか?」


 彼の問いに、サビーナは真摯に頷いた。なにも言われずに済むとは思っていない。

 デニスを己の部屋に招いた。彼は陰鬱な表情で、口をへの字に結んでいる。


「デニスさん……」

「忘れてくれ」


 サビーナが次の言葉を紡ぐ前に、デニスが言った。その突き刺すような尖った言葉に、サビーナの頭は真っ白になる。


「な、に、を……」

「セヴェリ様は、あんたのことが……好きだったんだな」


 その言葉に、サビーナはただフルフルと首を横に振った。

 違う。彼のそれは、好きという感情ではない。

 セヴェリはサビーナに母性を感じているだけだろう。サビーナがセヴェリに対しての感情が恋ではないのと同じで、彼もまた、サビーナには恋愛感情を抱いてはいまい。彼の愛する人は、レイスリーフェただ一人のはずなのだから。


「もう隠すこたぁねーよ。セヴェリ様のあんな顔、初めて見た。俺、あんなにセヴェリ様に敵視されてたんだな。気分良くなかったんだろうぜ。俺があんたに手を出しそうなのを感じてよ」


 デニスの言葉に、サビーナは黙した。

 敵視だなんて言い過ぎだとは思う。しかしそれに類するものを、確かにサビーナも感じ取ってしまっていた。


「だから、もう忘れてくれ。俺があんたを好きだって言ったことはよ」

「……え?」


 サビーナがデニス見上げると、彼の眉は垂れ下がって苦しそうに眉間が狭まっている。


「なんで、ですか?」

「俺は、セヴェリ様と争うつもりはねぇんだ。セヴェリ様がサビーナのことを好きなら、俺は身を引く」

「好きとかじゃないですよ! だって、セヴェリ様にはレイスリーフェ様がいらっしゃるし……」

「でもサビーナは、セヴェリ様と一緒にクラメルの屋敷に行くことになってんだろ? 昨日あんたが寝てる間に、セヴェリ様から聞いたぜ」

「それは……」


 否定しようもない事実に、サビーナはコクリと頷いた。

 デニスの顔は悲しげに歪んだ後、グッと堪えるように真っ直ぐサビーナに視線を向けてくる。


「レイスリーフェ様とセヴェリ様がどうなってんのかなんて、俺にはわかんねぇ。けどセヴェリ様がサビーナを必要としてんのはわかる。そして俺は、なによりセヴェリ様の意志を尊重してぇんだ」

「でもセヴェリ様はレイスリーフェ様とご結婚なさるんですよ? 私はそんな対象には見られてないはずだから……」

「じゃあ、ユーリス行きを断れっか? 断って、俺と付き合うってセヴェリ様に宣言できっか?」


 サビーナはハッとして口を閉ざす。

 ユーリス行きを断れるはずがない。サビーナは彼の力になりたいと、癒しになりたいと、心の底から思っている。そしてセヴェリもサビーナを頼りとしてくれているのだ。

 そんな彼に、デニスと付き合うからと言ってユーリス行きを断るなどという、傷つけるような真似ができるはずもなかった。


「……な? 答え、出てんだろ」

「ごめ……なさ……っ」


 胸が苦しくて、デニスに申し訳がなくて。

 サビーナは口元を押さえる。漏れ出そうになる嗚咽を、抑え込むために。


「謝んなよ。前に言ったろ? あんたはセヴェリ様を生かす役。俺は守る役だって」


 デニスはサビーナの口元を押さえていた手首を取ると、優しい赤土色の目を向けてくれた。


「俺はセヴェリ様という人格を守るために身を引く。サビーナはセヴェリ様らしく生かすためについてく。それでいいんだ」


 ポロリと涙が溢れた。

 そう、約束したはずだ。セヴェリの願う通りに努めを果たすと。

 もしその約束を破ってしまったなら、デニスはきっと、サビーナのことを好きではなくなるに違いない。

 二人を結ぶ、硬い絆であるはずのその誓いを破ろうことも、破れるはずもなかった。


「泣くなよ、サビーナ……あんたなら、わかんだろ?」

「……うん」

「よし、それでいい」


 そう言うとデニスはサビーナの髪に手を伸ばし、その前髪につけてあるものを奪っていく。


「っあ」


 サビーナがなにかを言う間もなく、デニスの手の中の物はパキンと音を立てて壊れされた。

 慌てて己の前髪に手を伸ばすも、昨日もらったはずの髪留めが手に触れることはない。


「いらねぇだろ、もう」

「……っう……」


 止めようとしていた涙が、ボロボロと音を立てるかのように流れ出てきてしまう。

 壊れてしまった。月光祭を共に回った、デニスとの思い出が。

 その事実がサビーナの胸を突き刺すように痛めつける。


「懐中時計も、処分……しといてくれ」


 その言葉にサビーナはブンブンと首を横に振る。

 手離したくない。あれだけは、なにがあっても。


「サビーナ……」

「嫌です! あれは、あの懐中時計は、デニスさんに貰った大切な宝物だから……絶対に、一生大事にするって決めたから……!」


 そう言い終えた瞬間、腕をグンッと引き寄せられた。

 ガクンと揺れるように顔が上向きになり、そのまま腰を抱きかかえられ……


 気が付けば、デニスとキスをしていた。


 強く当てられた唇はとろけそうなほど熱く、そしてどこか悲しい。


「……っん」

「サビーナ……ッ」


 一瞬のキスが終わると、そのまま強く抱き締められた。

 なんとなくわかる。きっと、これが最後だ。

 互いにセヴェリを裏切るわけにはいかない。

 サビーナとデニスを繋ぐセヴェリを裏切る行為は、互いを裏切ることに他ならないのだから。


「悪ぃ……我慢、できなかった」

「ううん……ううん……」


 涙で喉がつかえて、それしか言葉にならない。

 デニスとキスができて嬉しいと……声には、出せなかった。


 やがてデニスはサビーナを括り付けるような拘束を解くと、端正な顔をこちらに向ける。

 そして彼は一言こう言った。


「俺は、守る役」


 その言葉に、サビーナは顔を上げる。


「私は、生かす役……」


 涙ながらにも、なんとか応える。

 これだけは、この約束だけは違えてはいけない。

 己の生きる意味でもあるのだから。


「セヴェリ様の願う通りに努めを果たすと、約束してくれ」


 サビーナはコクリと首肯する。

 もとよりそのつもりだ。

 約束を違える気はさらさらない。


「約束する。……必ず」


 サビーナの誓いの言葉に、デニスはようやく笑みを見せ。

 そしてあとはなにも言わずに部屋を去っていった。


 パタンと悲しい音を立てて扉が閉まった後。


 サビーナは胸の懐中時計を握り締めて泣き崩れた。


 苦しかった。

 デニスと共にいられないことが。


 悲しかった。

 己の胸の内に湧き始めた感情を、伝えられなかったことが。


 でも、それでも。


 サビーナは、セヴェリを見捨てるわけにはいかなかった。

 誰よりも孤独で、傷ついている人を。

 誰よりもサビーナに依存しているあの人を。


 サビーナはセヴェリを思い、しかしデニスを想って、その日は泣き暮らした。

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