第47話 うん、リック臭がする
「なんという格好をしておるのだ、セヴェリ」
間の悪いことに、屋敷に帰るとセヴェリの父親のマウリッツが玄関ホールにいた。
この屋敷の当主は、セヴェリとサビーナがずぶ濡れになっている姿を見て、眉間に皺を寄せている。
「なにがあった」
「子犬が川で溺れていたのですよ。二人でなんとか助けだしました」
「……そうか。まぁいい。セヴェリ、後で私の部屋に来なさい」
「わかりました、父上」
セヴェリは自分の父親に頭を下げると、マウリッツは去っていった。サビーナは青ざめてセヴェリを見上げる。
「も、申し訳ございません、セヴェリ様……っ」
「なにを謝っているんです?」
「だって、怒られてしまうのでは……」
「いつものことですよ」
そう言って彼は笑ったが、サビーナは責任を感じて小さくなる。
そんなサビーナに、セヴェリは優しく頭を撫でてくれた。
「あなたも戻って早く着替えなさい。唇まで真っ青ですよ」
セヴェリに促されて頷くと、その場でそれぞれの部屋へと戻った。そして風呂に入って着替えを済ますと、適当にパンを齧ってそのまま眠ってしまった。
翌日、カーテンから漏れる日がサビーナの顔を差してきても、起き上がることができなかった。
体の節々が痛い。動くとギシギシミシミシと、使い古した家のように音を立てていて、サビーナの口からは砂漠の熱風のような空気が吐き出される。
「やば……風邪……ひいちゃ……っげほ」
どうにかこうにかベッドから這いずり出て、着替えを済ませた。
こんな時には働く必要などない屋敷だが、メイド長に休む旨は伝えなくてはならない。部屋を出たところで別のメイドに会って、休むと伝えてもらうよう頼んだ。
サビーナは再びベッドに倒れ込み転がると、そのまま懇々と眠り続ける。
何度かメイドの友人が様子を見にきてくれたり、食事を出してくれたりした。そしてどうにか一日をやり過ごそうと目を閉じる。やがて何度目かの眠りに落ちて目を覚ました時、目の前には誰かの手があった。
「大丈夫ですか……?」
居心地の良い柔らかな声が耳に入ってくる。そっと顔を上に向けると、そこにはとても安心できる顔があった。
「セヴェリ様……」
「もっと早く来たかったのですが、用事で……」
「来てくださっただけで、嬉しいです……」
セヴェリはにっこり笑って額に手を乗せてくれた。
ぼうっとした頭だと、あまり接触してはいけないという言葉が出てこなかった。
サビーナは風邪を引くとなぜか寂しくなって、人恋しくなる。端的に言うと、甘えん坊になってしまうのだ。だからセヴェリがこうやって側にいてくれることが、単純に嬉しかった。
「すみません、サビーナ。私のせいで風邪を引かせてしまい……」
「いえ、決してセヴェリ様のせいでは……! あの、セヴェリ様は大丈夫でしたか?」
「ええ、これでも鍛えているので、多少のことでは風邪など引きませんよ」
そう言いながら、セヴェリはいつものように抱き締めてきた。が、今日はサビーナは寝転んだままの体勢のため、いかがわしい想像をしてしまい、いつも以上にドキドキと胸を鳴らす。
抱き締められると手持ち無沙汰になり、サビーナはそっと腕を回して肩甲骨のあたりを撫でるように触ってみた。筋張ってはいるが、これは筋肉だろうか。骨のような気もするが。
「サビーナ。鍛えていると言っても、リックバルドやシェスカルには敵いませんからね」
「あの二人と比べては、誰も敵いませんよ……」
「そうですね」
セヴェリはクスクスと笑いながらサビーナから離れていく。
「あまり長居しては、病人を疲れさせてしまいますね。もう夜になってきますし、私は戻ります」
「……っあ」
セヴェリが立ち上がり、額から手を放されて思わず声を上げてしまった。セヴェリは少し驚いたように振り向いてくれる。
「どうしました?」
一緒にいてほしい。
喉まで出掛かったその言葉を、なんとか飲み込んだ。そんな我儘を言っていい相手ではない。
「いえ、あの……リックは……」
「リックバルドですか? 終業時刻は過ぎていますが、まだ残っているでしょう。呼んで来ましょうか」
「すみません……お願いしてよろしいですか……?」
「こんな時にまで気を使わなくて良いのです。待っていなさい」
そう言ってセヴェリが出て行くと、ほどなくしてリックバルドが現れた。
相変わらずノックもせず入り込んできて、ズンズンと足音を立ててサビーナの前に立つと、その長身から見下ろされる。
「大丈夫か、サビーナ」
「しんどい、苦しい、死にそう……」
「わかった、今から遺言を書いておけ」
「ちょ……死なないから!」
風邪で苦しんでいるというのに、この兄はなにを言わすのか。
しかしリックバルドはフッと笑って、遠慮もせずベッドに腰掛けてきた。
「まぁ言い返す元気があるなら、そう心配はいらんようだな」
「でも節々痛いよー……喉も痛いよー……」
「一体何があったんだ? セヴェリ様に謝られたが……」
「リックのせいでセヴェリ様がずぶ濡れになっちゃったんだから、リックの方が謝っておいてよ」
「なんだ、なんの話だ。最初から言え。お前の話は昔から要領を得ん」
そう言われて、サビーナは昨日の出来事をリックバルドに話した。
貰った懐中時計を川に捨てられたと思い、川に入ったこと。足を取られて溺れてしまい、セヴェリに助けられたと説明する。
「で、それでどうして俺のせいになるんだ」
「私が泳げたなら、セヴェリ様は濡れずに済んだでしょ」
「それは俺のせいじゃなく、お前のせいだろうが」
「私が泳げないのは、幼い頃リックに川に放り込まれて溺れかけたからなんだよ!」
「言い訳するな。それから泳ぐ努力をしなかったお前が悪い」
「でも普通、初めて川に連れて行っておいて放り込まないでしょ!」
「人間は浮くようにできている。浮かない方がおかしんだ」
「いや、沈むから! 沈む人もいるから!」
リックバルドは自分の基準でものを考え過ぎる。『できて当然』のラインが高いのだ。確かに泳げないのは自分でもちょっと情けないと思ってはいるが、世の中には泳げない人だっている。少数意見に耳を貸すくらいしてほしい。
そう思ってヒートアップしていると、息苦しくなってきた。酸欠だろうか。
「うー、もうダメ……」
「大人しく寝てろ」
「うん、そうする……」
「じゃあ、俺は帰るからな」
「え!? 行っちゃうの?」
立ち上がろうとするリックの手をぎゅっと掴む。するとリックバルドは息を吐いて、立つことをやめた。
「お前は風邪を引くと、いつもより余計に我儘になるな」
「だって……」
「まぁ、今日くらいはいてやる。病気の妹を置いて帰ってきたと言っては、親父に向ける顔がない。それに、お袋に真剣で斬られかねんからな」
「ぷっ」
リックバルドの母親は元冒険者で、天真爛漫な人だ。なぜサビーナの父親のような何の取り柄もない人を好きになったのか疑問だが、サビーナの家はうまくやっていけている。
「ではなにか食う物を持ってきてやる」
そう言ってリックバルドは簡単な食事を持ってきてくれて、一緒に食べた。思えば、働き始めてからリックバルドと一緒に夕食を取るのは初めてだ。何ヶ月か前までは、ほぼ毎日一緒に食事を取っていたというのに、なんだか新鮮な気持ちになった。
食事を終えるとサビーナはまた横になる。そしてリックバルドも当然のようにベッドに入ってきた。
「もっとそっちに寄れ。狭くて敵わん」
「リックがでかすぎるんだよ……」
「文句言うなら帰るぞ」
「えー、ダメ」
仕方なくベッドの端に移動する。リックバルドとこうやって一緒に寝るのは久しぶりだ。
サビーナは少し嬉しくなって、リックバルドの胸に顔を寄せる。そして思い切り息を吸い込んだ。
「うー……うん、リック臭がする」
「なんだ、それは。臭いのか?」
「まぁいい匂いってわけじゃないけど、私にとっては安心できる匂いかな」
「そうか。レイスもそう思ってくれていればいいが」
リックバルドからレイスリーフェの名前を出されて、サビーナは少し眉を顰めた。
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