第26話 とてもそうは見えませんけど
食べ終えて店を出ると、その場で呆気ないほど簡単にデニスと別れた。
どうやら本当に一緒に食べることだけが目的だったらしい。彼は「じゃーな」と笑みを見せると、さっさと家に帰っていった。
いやいや、送ってよと心の中で突っ込むも、まだ夕暮れ時なので一人歩いて屋敷に戻る。
その帰り道、途中でシェスカルと歩いているセヴェリを発見した。どこかに出掛けた帰りなのだろう。街中での護衛をシェスカルがするというのは、珍しくはあるがなくもないことだ。
セヴェリより先にシェスカルがこちらに気付いて、ニカッと笑ってヒラヒラと手を振ってくる。それに気付いたセヴェリも、手を上げてくれた。サビーナはペコリとその場で一礼してから二人の元へ駆け寄る。
「セヴェリ様、今お帰りですか?」
「ええ。今あなたの武勇伝を聞いていたところですよ。まったく、無茶をしますね」
セヴェリの視線が左手の巻かれた包帯に注がれる。サビーナはなにも言えず、隠すように右手で左手首を掴んだ。
「大人しく部屋で寝てるのかと思ったら、どこに行ってたんだよ。体は大丈夫なのか?」
シェスカルが腰に手を当てて覗き込むように聞いてきた。その問いに、サビーナはコクコクと頷く。
「ご心配をお掛けしました。もう大丈夫そうです」
「そっか、なら良かったけどさ。どこに行ってたって?」
「デニスさんに誘われて、ちょっとお食事に」
「デニスとですか?」
驚きの声を上げたのは、シェスカルではなくセヴェリだ。シェスカルも意外そうな顔をしてはいたが。
「どういう風の吹き回しでしょうかね。彼から女性を誘うなんて珍しい」
「あいつはバカだから、なにも考えてねぇと思うけどなぁ」
「失礼ですよ、シェスカル。彼は頭空っぽに見えますが、そこまでなにもないわけではありません」
セヴェリのフォローになっていない言葉に、サビーナは苦笑いするしかなかった。シェスカルもまた、片眉を下げて笑っている。
「っま、いい傾向なんじゃないんですか?」
「そうですね。一歩踏み出せたと言ったところでしょうか」
二人の会話の意味が理解できずにサビーナは首を傾げてみせたが、誰もそれを説明してくれることはなかった。
夕焼けに染まる空の下、三人は屋敷に戻りながら会話を続ける。
「今日はセヴェリ様はどちらにお出掛けだったんですか?」
「北の地区を取り締まっているカウラー卿のところですよ。そう言ったらわざわざシェスカルが護衛を名乗り出てくれまして」
セヴェリはチラリとシェスカルに視線を投げていて、そのシェスカルは嬉しそうにニカッと笑っている。
「カウラー卿の若妻が、これまた素朴で可愛いんだ。なっかなか会う機会がねぇから、こういう時に会っておかねぇとな!」
「まったく、あなたという人は……」
セヴェリは呆れたように横目でシェスカルを見上げている。確かにこんな軽い発言をされては、誰でも呆れてしまうだろうが。
「奥方に離縁され、少しは懲りているかと思いきや……相変わらずですね……」
「いや、懲りはしたんだけどなぁ、実際。まぁ俺の場合、俺のこの性格だけが原因じゃなかったんで」
「あなたには色々と期待しているのですから、無用な不祥事は起こさぬよう、お願いしますよ」
「ういー、気を付けまっす」
ニシシと笑いながら適当な返事をする姿は、とても偉い人には見えない。
確かサイラスはシェスカルのことを、頭が良く政治に明るく、国をより良くするための労力は惜しまない人で、一番の曲者と評していた。しかしサビーナから見たシェスカルは、どう見てもただのお軽い男である。
「ああ、そうだサビーナ。約束忘れてねーよな?」
「約束?」
サビーナが首を傾げると、シェスカルは片眉を下げて口の端を上げる。
「デートしてくれって言っただろ? デニスの奴と食事に行っといて、俺とは行かないなんてことはしねぇよな」
そう言われると断りづらい。別に断る理由もないが、やはり隊のトップと食事と言われると気が引けた。
「うーん……」
「心配すんなって。とって食いやしねぇし、帰りはちゃんと屋敷まで送ってやるよ」
そう言ってシェスカルは目を細めながら、サビーナの頭をわしゃわしゃと撫でつけてくる。毎度不思議に思うが、この人のこういう態度に不快感はまったく感じない。むしろ生まれてくるのは安心感だけだ。
「まぁ、ご迷惑掛けたので食事くらいはお付き合いしますけど……あの、割り勘でいいですか?」
迷惑を掛けたお詫びに食事に行くなら、こちらがお金を持つべきだろうが、残念ながらサビーナの給金は少ない。どれだけ食べるかわからない男の分を支払うとは、とても言えなかった。
「あー、金のことなら心配すんな。いくらでも出してやるよ」
「シェスカルは豪商の息子ですからね。下手な貴族よりずっとお金を持っていますよ。気兼ねなく奢られてきなさい」
「へぇ、そうなんですか」
シェスカルが商人の息子だと言うことを初めて知った。隊長は班長よりも給金が良いのだろうし、確かに遠慮する必要はないかもしれない。
「明日の夜、仕事終わってから行かね? なんか予定あるか?」
「いえ、大丈夫です」
「じゃあ決まりだな。苦手な食べ物とかあったら教えといてくれ」
「あ、私、セロリとかパクチーとか、あんな感じの風味が苦手で……他は大体食べられます」
「オッケー。じゃ、料理は適当に任せてくれるか? 仕事終わった後に予約してくっから」
「はい、お任せします」
承諾すると、シェスカルは満足そうに片方の目を細めて笑っている。それを見たセヴェリがそっと嘆息していた。
「まったく就業時間中にデートの約束とは、あなたらしいと言うかなんというか」
「デートの約束は、取れる時に取る!」
グッと拳を握り締めて力説するシェスカルに、セヴェリもサビーナも苦笑いだ。
「それに先に苦手な食べ物を確認する辺り、さすがですね。ナンパのプロの一端を垣間見た気がしました」
「んーなの、基本ですよ基本! 好きな食べ物を聞くと悩む子は多いけど、嫌いな食べ物なら大抵すぐ答えられるからな。少なくともこれで失敗は避けられる」
「なるほど」
「セヴェリ様も、ナンパする際はぜひ使ってくれ」
「……しませんから」
セヴェリになんてことを言うのかと、サビーナはジト目でシェスカルを見上げた。それに気付いたシェスカルは気にもせずにニカッと笑い返してくる。この笑顔を向けられるとなんだか怒る気が失せて、サビーナは力無く笑った。
屋敷に着くと、シェスカルは鍛錬所に戻って行った。もう終業時刻は過ぎているが、まだ一仕事残っているらしい。割とそういうところは真面目なんだと自分で言って、ニカニカと笑っていた。
そのオーケルフェルト騎士隊の隊長が去った後で、セヴェリが溜め息を吐くように話しかけてくる。
「本当に本当は真面目な人なんですけどね、彼は……」
「そうなんですか? とてもそうは見えませんけど」
「まぁ真面目だと信じている私も、シェスカルが分からなくなることはよくあります。でもまぁ、基本的に悪い人物ではありませんよ。頼りになるというか、任せていれば安心というか……そんな気分にさせてくれる人だ」
セヴェリの言葉にサビーナはコクリと頷いた。
シェスカルなら、抱きかかえられても頭をグシャグシャと撫でられても、ドキドキすることも不快な思いをすることもなかった。そこにあったのは、ただ安心感だけである。
ホッとして身を預けられる……そんな感覚がシェスカルから醸し出されているのだ。
それを感じているのは、きっとサビーナだけではなかったのだろう。セヴェリも隊員たちも、もしかしたら彼にナンパされた女の子たちも。みんな同じように感じているのかもしれない。
セヴェリはシェスカルの姿が見えなくなると、こちらに振り返って話しかけてくれる。
「ああ、そうだ。本を読み終えたんですよ。後でお部屋の方に返しに行きますから」
本と言うと、あのお花畑で会いましょうシリーズの『月見草の咲く街で』の事だろう。わざわざセヴェリに足労をかけるわけにはいかないと、サビーナは首を振る。
「いえ、今から私が取りに伺います」
「そうですか? 少し感想などを話し合いたいのですが、それでも?」
「はい、ぜひ。では、お茶を用意して参りますね」
「休日だというのに悪いですね」
「いえ、とんでもない。セヴェリ様の感想を聞けるなんて楽しみです」
偽りのない言葉を口にすると、セヴェリは優しく微笑んでくれた。
そして「待っていますよ」と先に部屋へ戻っていったのだった。
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