第12話 必ず、セヴェリ様を生かしてみせます
「リック、サイラス……どうして」
部屋に勝手に入ってきた二人を、眉を寄せて迎える。リックバルドはズンズンとサビーナに向かい、サイラスは後ろで扉を閉めている。リックバルドがいるから大丈夫だとは思うものの、体は勝手に強張った。
「セヴェリ様から話を聞いた。お前を気遣って下さっていて、様子を見るようにと言われてな。サイラスはサビーナに謝らせるという名目で連れて来た」
「……名……目?」
名目ということは、謝らせるつもりはないということだろうか。リックバルドがなにを言っているのか、理解できない。
サビーナが首を捻らせていると、サイラスがヘラヘラと笑いながら近づいてくる。思わず体を壁に寄せ、警戒態勢をとった。
「やだなぁ、警戒しないでよ。名演技だったでしょ、僕」
サイラスの言葉に、サビーナは目を見開いた。
「演、技?」
「サビーナちゃんったら、中々大声出してくれないんだもん。ダメだよ? ああいう時は、ちゃんと声を出さないと」
「な……え? ど、どういうこと?!」
サビーナが二人を交互に見ると、リックバルドが満足そうにニヤリと笑みを見せてくる。
「俺の作戦も中々のものだろう。お優しいセヴェリ様は、これでお前のことを誰よりも気にしてくれるようになる」
「な、な……っ! つまり、おかしな噂がセヴェリ様の耳に入ったのも、サイラスが迫ってきたのも、全部リックのシナリオ通りだったってこと!?」
「あはは、当然だよ。僕があんな風に無理やり女の子を襲うわけないでしょ? ねぇ、リックバルド殿」
「知るか」
サイラスの言葉を一蹴すると、リックは視線をサビーナに戻した。
「すまんな。お前に知らせると、上手く演技ができんだろうから黙っていた」
「うう……酷いよ、リック、サイラス……」
「ごめんね、サビーナちゃん。でもあの怯えたサビーナちゃんを見てると、変な性癖に目覚めそうだよー」
申し訳なさそうに謝りつつも、困ったように笑っているサイラス。一気に肩の力が抜けた。手をベッドの上に置くと、ハァーっと長い息が漏れる。
「っもう! サイラス、演技が上手すぎだよっ!」
「あはは、ありがとー。でもリックバルド殿に釘を刺されてなければ、結構本気になっちゃってたかもしれないな」
口元はヘラヘラ緩んだまま、あり得ないくらいの流し目を送ってくる。まったく、この流し目で何人の女の子を騙くらかしてきたのだろう。この男に処女を奪われた子たちを、心底同情する。
「お前程度の男に、サビーナはやれん」
「お前程度だなんて、ヒドイなー。じゃあセヴェリ様ならいいんですか?」
「セヴェリ様にサビーナをやるとは言ってない。サビーナにセヴェリ様を惚れさせるだけだ」
「リックバルド殿も素直じゃないですね。『俺の大事な妹に手を出したらその首掻っ切って、魔物どもの餌にしてやる』って凄んでたのは誰でしたっけ?」
サイラスの言葉にサビーナは目を見張った。いつもサビーナをけちょんけちょんに扱(こ)き下ろす兄が、そんな風に言ってくれていたなんて信じられない。
「え、リック……本当に?」
「嫁入り前の娘の体を汚されては、親父に申し訳が立たんからな。言っておくが、セヴェリ様にも簡単に体を明け渡すなよ。惚れさせて惹きつけて焦らして、上手くこちら側に誘導しろ」
「……無茶な。だって、セヴェリ様はレイスリーフェ様のことを愛してらっしゃるみたいだよ?」
セヴェリが言っていた唯一無二の存在とは、彼にとってレイスリーフェに違いないだろう。愛する婚約者がいるというのに、付け入る隙があるとは思えない。
「前にも言っただろう。レイス様の方には、もうそんな気持ちは残っていない。それはセヴェリ様も感づいておられるはずだ。傷心のセヴェリ様を落とすのに、絶好の機会と言えるだろう」
リックバルドの言葉に、サイラスが「え、そうなの?」と驚いている。彼もレイスリーフェのセヴェリへの愛がなくなっているということは、初耳だったようだ。
「うう……それにしても他に適役がいるんじゃない? キアリカさんとか」
「キアは守ってやりたいと思わせるタイプじゃないからな。お前のような男に免疫のない、馬鹿な女の方がセヴェリ様を落としやすい。今回の件で、ますます確信を得た」
「うー。じゃあその馬鹿な女に、いい知恵をお授けください、我が兄上〜」
落としやすいと言われても、どうしていいかさっぱりわからない。ここは悔しいが、
「すでにお前を気にしてくださっている状態になったからな、もうお前が策を弄する必要はない。強いて言うなら、誠心誠意セヴェリ様に尽くせ。そして脈ありと感じたら、こちらもその気があるように控えめに主張しろ」
「控えめに主張ってなに、難しいよっ」
「いいからやれ。もうお前に選択権はない」
「ひーーーー」
横暴な兄の言い分に、サビーナは頭を抱える。
そもそも脈があるとは一体どういう状態なのか、見当もつかない。恋愛小説ならば行間の文章などから読み解くこともできるが、現実でそれに気付けるかどうかは甚だ疑問である。
「頑張って、サビーナちゃん! 期待してるよ!」
「うう、期待しないで……」
本当に期待してほしくない。ないのだが、セヴェリを落とせなかった時のことを考えるとゾッとした。
セヴェリは謀反を実行しようとしているのだ。サビーナが彼を止められなければ、リックバルドは謀反の企てを、皇帝陛下に密告してしまうだろう。例え使用人達が路頭に迷おうとも、無闇な戦乱を起こして班員達を死なせるよりマシと考えるに違いない。
そしてそうなれば、謀反を企てたセヴェリやマウリッツは、処刑されてしまうかもしれないのだ。
やるしかない。どうにかして、彼を自分に振り向かせる以外にない。
でも、どうやって……?
やはりそこから思考は先に進まず、サビーナは大きな溜め息を吐いた。
「案ずるな、またなのか仕掛けてやる」
「……また馬鹿な噂でも流す気? 勘弁してよね」
「もうそんな回りくどい真似はせんさ」
ニヤリと悪どい笑みを見せるリックバルドが怖い。次は一体なにをしようというのか。
「一応聞くけど、なにするつもりなの」
「聞けばお前は警戒するだろう。知らん方がいい」
「うん、そう言うと思ったけどね……」
サビーナの胃がキリキリと痛む。本日は病欠ではなかったが、本当に病気になってしまいそうだ。
「大丈夫? サビーナちゃん」
「うん……それよりサイラスは平気だったの?」
「え? ああ、うん。なんのお咎めもなかったよ。僕がサビーナちゃんを襲ったっていう確たる証拠はひとつもないしね。まぁセヴェリ様への心象は悪くなっちゃったけど、これくらいは予想の範囲内だよ。問題なし!」
そう言ってから、サイラスはちょっと悲しそうに眉を下げて続けた。
「でも、サビーナちゃんが僕を信じてくれなかったのはちょっとショックだったな。演技だって気付いてくれるかと思ったのに」
「う、ごめん……」
「まぁいいんだけどね、リックバルド殿にはサビーナちゃんにバレないようにって指示を受けてたし」
「サビーナは、演技でも大声を出せる女じゃないからな」
確かに、とサビーナは自分で納得して頷いた。今から悲鳴を上げてみろと指示されたところで、上手く上げられる気がしない。仕方がなかったと割り切るしかないだろう。
「ところで、そっちはどうなの? シェスカル隊長とリカルドさんは、賛成派か反対派かわかった?」
「いや……まだ本格的な探りを入れていない。逆に探られて反対派だとバレるのが怖いからな。お前がセヴェリ様を落とすまで、時間稼ぎをしてる状況だ。セヴェリ様さえこちらにつけば、二人を説得させられる自信はある」
「うう、結局そこかぁ……」
もしもオーケルフェルト騎士隊の全員が反対派だったなら、セヴェリを落とさずとも、騎士隊のみんなで説得してもらえると思った。そもそも騎士隊が動かなければ、謀反を起こせるはずもないのだから。
「ところでサビーナ、なんだ? このボロ切れを纏った小瓶は」
リックバルドは机の上に置いてあったアデラオレンジの種が入った瓶を手に取り、不思議そうに眺めている。
「ボロ切れって……し、刺繍だよ、一応……」
そういうと、後ろでブッと吹き出すサイラスの姿が見えた。笑われても仕方がない品だが、ちょっと傷つく。
「なにが入っているんだ?」
「アデラオレンジの種。なんとなく、入れておいたの」
そう説明するとしばらく考えていたリックバルドだったが、意味ありげにフッと笑ってそれを返してくれた。
「じゃあな、サビーナ。今日はゆっくり本でも読んで休んでいろ」
「またね、サビーナちゃん」
「うん……ばいばい」
二人を見送ると、手に小瓶を持ったまま、ボフンと布団に埋もれる。
どうにかしてセヴェリを誘惑する。その決心をしたはいいが、サビーナの胸はチクチクと痛んだ。
実際に彼を落とせる自信はなかったが、あの優しいセヴェリを騙そうとしている事に罪悪感が募ってしまって。
セヴェリ様……騙してしまうことを、お許しください……
しかし、騙してでも彼を止めたいと思う気持ちは本当だった。
このままセヴェリが罪人となり、地に落ちるくらいなら。
体を張ってでも、止める覚悟はできた。
サビーナは起き上がると、出来損ないの小瓶からアデラオレンジの種を取り出す。
彼の母親は、セヴェリが処刑になることなど望んでいないはずだ。もし彼女が生きていたなら、きっとセヴェリを止めてくれたに違いない。
アデラオレンジの種を握りしめると、なぜだかそう思えた。
「アデラ様……必ず、セヴェリ様を生かしてみせます」
サビーナは己の決意を、そのオレンジの種だけに告げたのだった。
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