21.そしてひとり

 森から出たエリザは、真っ直ぐにアリビに向かって馬を走らせる。

 ラゲンツの兵がエリザに気づき、行手ゆくてを阻もうと集まってきたところで左に進路変更した。


「入らせるな!! 捕らえろ!!」


 ものすごい振動を膝でどうにか吸収しながら、エリザは国境と平行して馬を飛ばす。

 騎馬兵は軒並みエリザを追ってきてくれている。歩兵だけなら馬で蹴散らして国境を突破してくれるはずだ。


「戻れ!! そいつは囮だ!!」


 ラゲンツの兵の言葉から、カーラたちが飛び出したのがわかる。


 もう少し引きつけてから、離脱する!!


 そう思った瞬間、馬がヒヒンといななき、大きく前足をあげた。


「きゃああ!!」


 なにが起こったのか把握する前に、エリザは激しく振り落とされた。

 ドスンという音と同時に、左肩に全体重が勢いつけてのしかかる。

 っく、と前を見ると、お尻に矢の刺さった馬はエリザを置いて逃げ去っていた。


 弓使いが……!?


 すかさず立ち上がって剣を引き抜いた。今の状態で捕まっては、奴隷か処刑で確定だ。

 囮となって引きつけた人数はおよそ二十人。当然のように囲まれてしまい、なす術がない。


「剣を捨てろ! 抵抗すれば殺す!」


 剣を捨てれば、生きられる可能性はある。奴隷としてだろうが。

 ならば、とエリザはぎゅっと柄に力を込めた。


 暴れるだけ暴れて、少しでも王子たちへの追手を減らす!


 間髪入れずにエリザは後ろの兵を振り向きざま斬りつけた。

 ドシュッと音を立ててラゲンツ兵の首から血飛沫が舞う。無様に驚いている隣の兵の足を、すぐさま切断する勢いで薙いだ。


「ぐあぁあぁああ!!」

「こ、殺せぇえ!!」


 どっと一斉に襲いかかってくるラゲンツ兵。

 逃げ場はどこにもなく、エリザは死ぬのだと冷静に判断した──その時。


「エリザーー!!」


 騎兵を切り裂き、歩兵を蹴散らしてエリザの前に現れたのは。


「……カーラ様!?」


 鬼神のような、カーラだった。


「乗りなさい!!」


 差し出された手に思わず腕を伸ばし、がしっと掴まれると同時に馬上に引き上げられる。

 カーラの前に乗せられると手綱を渡され、頭がパニックになりながらもアリビから離れるように馬を走らせた。

 どうしてここにカーラがいるのか。アリーチェらと共にアリビに抜けたのではなかったのか。

 後ろではカーラが振り落とされないように左手をエリザの腰に回し、右の剣で追手を振り払っている。


「カーラ様、どうして……っ」

「私はあなたを死なせない! ジアードにそう誓ったのよっ」

「ええ!?」


 あの時だろうか。エリザが空を見上げてカーラを逃がせるよう祈ったその時、カーラもそんな決心をしていたというのか。


「エリザは生きなきゃいけないの! ジアードが、救った命なんだから!!」


 そういわれると、なにも言葉が出なくなった。

 幼い頃、殺されそうになったところを救ってくれたジアード。

 そして彼の最期の言葉がなければ、エリザはあの場で一緒に死んでいたかもしれない。

 救ってくれたのは、どちらもジアードなのだ。


 でも私は……カーラ様をアリビに行かせようと思っていたのに!


 こちらに戻ってきては、カーラを待つのは死のみだ。

 それだけは、絶対に避けなければいけない。


「カーラ様、今からでも私を置いて、アリビへ向かっ……」


 そう声を上げた瞬間だった。


 ドスッと鈍い音がした。


 後ろにいたカーラの手から剣が離れ、エリザに体重がのしかかってくる。


「カーラ、様……!?」


 かふっと耳元でとカーラの口から音が出る。

 え? と己の右肩を確認すると、赤いぬめりが手についた。


「止ま、らず、行きなさ……い……」


 その直後、カーラがどどうっと落馬する。エリザはカーラの言葉を聞かず、急いで馬を止めて降り立った。

 カーラの背中には矢が刺さっている。ラゲンツの兵は、一定以上リオレインに侵入してきてはいない。

 森に伏兵がいるとでも思ったか、範疇外の仕事だからかだろう。

 彼らの仕事は、リオレイン国民のアリビへの入国を阻止することのはずだ。だからリオレイン領地への深くまでは追ってこないのだと理解した。

 それでも弓を射ってきたのは、エリザが殺してしまった兵への手向けだろうか、恨みからか。


 射られるべきは、私だったのに……!!


 エリザは絶望の淵に立たされながら、急いでカーラに駆け寄った。


「カーラ様!!」

「に、げ……」

「大丈夫です、ここまで追うつもりはないようです……っ」


 射られた箇所の血は、それほど出ていない。けれど吐血が酷く、内臓が損傷していることがわかる。


 どうしよう、どうすれば……っ


 当然ながら、ここには医師も衛生兵も存在しない。矢を抜いていいものかどうかの判断もつかない。


「カーラ様、しっかり……っ! すぐに王都にお連れしますから!!」


 刺さった矢はそのままに、カーラの手を取り背中に負う。


「大丈夫、大丈夫です! 王都で治療を受ければ、きっとすぐに治ります……っ」


 自分に言い聞かせるように叫ぶと、耳元でカーラがぼそりと声を吐き出した。


「……生き……て、ね……」


 死にゆくものの声だと、一瞬にして理解する。あの日のジアードの声と重なる。


「だめ……カーラ様は、アリビへ行って……幸せになるんです……絶対、絶対……ジアード様の分まで、幸せに生きるんです……っ!!」


 その瞬間、なにかが抜け出ていったかのように、カーラの体がふと軽くなる。

 そしてそのあと、ずずずと重みがエリザにのしかかってきた。


 カーラの呼吸音が聞こえない。

 ずるりと落ちた手は、ピクリとも動かない。


「あ……うそ……うそぉ………あああああっ!!」


 一気に力が抜け、背負ったカーラごと崩れ落ちる。

 大地に体をつけたカーラの顔は、血と土でまみれた。

 エリザはカーラに刺さった背中の矢を抜き取り投げ捨てる。


「カーラ様……」


 動きはなかった。

 わかっていながら、エリザは首の脈を確認する。

 まだ温かいのに、血の通う音はしない。


 頭が真っ白になった。どうしてこんなことになってしまっているのだろうかと。


 エリザはカーラの土にまみれた体を上に向け、その顔を覗き込んだ。


「ああ……美しい顔が……こんなに……」


 エリザは水筒でタオルを濡らすと、その顔を丁寧に拭きあげる。

 カーラの美しい顔はしっかりと目を瞑っていて、もう二度と、あの海色の瞳を見ることは叶わないのだと知った。


「カーラ様……許し……」


 エリザはその言葉を途中で飲み込む。

 つい許しを乞おうとしてしまう、自分の弱さが腹立たしかった。

 エリザが落馬しなければ、ヘマをしなければ、カーラはそのままアリビへと突入できていたはずなのだ。

 エリザが無駄にラゲンツの兵を殺したりしなければ、矢を放たれることもなかったはずだ。


 カーラ様が亡くなったのは、私のせいだ……


 それなのに許してほしいなどと、どの口がいうのかとエリザは自分を責める。

 脳が暗黒で閉ざされたような闇に覆われた。


「私……こんな、つもりじゃ……」


 死ぬべきは、自分だったのに。

 守ろうと決意した人を、あろうことか自分のせいで死なせてしまった事実。

 ジアードが生きていてほしいと願っていた、美しいカーラの眠った顔。


「ごめんなさい……ごめんなさいぃ……っ」


 エリザはおめおめと生き残った己を嫌悪しながら、絶望にひしがれていた。

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