物置の家

北見崇史

第1話

 小学三年生の藤原小太郎は、たいていの場合、ほかの児童よりも帰宅時間が遅かった。小学校の図書室が閉まるまで粘るのが日課なのである。勉強熱心な児童というわけではなかった。それどころか本を読むことさえほとんどしてない。日当たりの良い席で、ただ茫然と座っているだけなのだ。

 放課後、小太郎が図書室に残る理由はいくつかある。一つには、その部屋の温度が常に一定だということだ。とくに冬の寒さをしのげるのは重要だ。ここは北国なので、夏の暑さに苦しめられることはあまりないが、冬の寒さは死活問題となる。真冬に長時間屋外をぶらついていると体の芯まで冷え切ってしまう。抵抗力のある子供といえども風邪をひいてしまうし、風雪の強い日などは低体温症の危険性さえある。暖房の効いた屋内で雨風や雪を防げるのは、ありがたいことなのだ。

 二つには、そこにいるとほかの児童に会うことがあまりないということだ。まだ小学生なので図書室で勉強する子は、それほど多くはない。高学年の児童が図書の貸し借りにちらほらと来る程度で、ほぼ無人に近かった。同じクラスの連中がいることはまずないし、教室で孤立している小太郎にとっては、彼らから身を隠す絶好の場所となる。  

 第三の理由は、これは多分に感覚的なものだが、小太郎にとってそこがとても落ち着くからだ。本格的な街の図書室ほどではないけれど、小学校の図書室も相当に広い。そこでは、常に感じざるをえない閉鎖感や圧迫感から解放される。

 あまりにもいい気分なので、ときどきその場でジャンプしたりゴロリと前転したりする。のびのびとできる大きさが心地よくてたまらない。また、本の匂いもお気に入りだった。乾いたような、それでいて辛気臭い香りが、まだまだ枯れることを知らない幼い心をどうにも切なくさせる。

 しかしながら、小学校の図書室の開放時間は、じつは短い。まったりと椅子に腰かけていると、すぐに下校時間のチャイムが鳴り響く。放送委員と称する児童が帰れ帰れと、まるで借金取りのごとく催促する。

 そうすると、小太郎は家に帰るしかなくなる。この時代は、年号でいうと昭和の後半であった。都会ならいざ知らず、地方の町では児童会館などが整備されているのはまれであり、帰りたくなくても帰らなくてはならない。耳障りな声に押されるまま、小太郎は肩を落としながら学校をあとにする。

 土曜日を除くたいていの日には、放課後の小太郎のカバンの中には、給食の余りものであるパンが入っていた。硬くて不味いコッペパンが多かった。甘納豆パンや揚げパンなどは、他の児童にも人気なので取り合いになる。クラスでのヒエラルキーが最底辺な者が余分に得られるのは、せいぜいコッペパンぐらいだ。それでもパンを持ち帰れた日は幸運なので、それを途中で誰かに強奪されないように、用心しながら家路につく。

 小太郎はセロハンのように薄っぺらな存在感しかないから、積極的にイジメられることはなかった。そもそも誰からも相手にされていないし、日ごろからいないものとして扱われるのが定番であるので、天敵と呼べる脅威はほぼなかった。それでも底意地の悪いガキはいるもので、たまにからかいの言葉を投げつけられたりする。そういう時、小太郎は黙って下を見たまま足早にフェードアウトする。 

 帰宅しても、小太郎はただいまと言ったことがない。戸車がレールから外れて傾いでしまった引き戸をなんとかこじ開けて、無言のまま、その狭苦しい二畳ほどの空間に入る。少年を迎えてくれるのはカビ臭く圧縮された空気と、いつも通りの変わらぬ静寂だった。数秒ほど茫然とした後、目の前の薄がりの中に現実を見つける。ひっくり返したプラスチックのビールケースに腰かけて、そのままじっと時が過ぎるのを待っていた。


 小太郎が住んでいるのは物置であり、それは藤原家の庭の隅にあった。家を建てる際に大工が建材の余りで拵えた、見た目も実際も粗末な小屋である。その時代には金属製の既製品などほとんどなく、だいたいが大工や営繕屋が造っていた。裕福な家は物置にも金をかけていたが、藤原家は最低限のものだった。

 小太郎は藤原の家に入ることは許されていない。この家に迎えられた最初の日に、藤原夫人からきつく言い渡されていた。

「便所もダメだよ。すぐそこに公園があるから、そこでやってくるんだ。冬は閉まるから、そん時は川原かどっかでやりなよ」

 藤原家の近くには小さな公園があって、ブロックとモルタルで固められた頑丈で武骨な公衆便所があった。なにせ昭和時代の、しかも地方の小さな町の小さな公園の便所である。鼻の奥にツンとくる悪臭がいついかなる時でも充満しており、小便をする場所では便器さえなかった。コンクリート基礎の踏み台に載って、垂直な壁にぶっかけるだけだ。とくに夏場はきびしい状態になり、あらゆる不快な害虫の集会所となってしまう。当然のごとく、汲み取り式であった。

 小太郎は不潔な児童であったが、そのトイレで用を足すのは好きではなかった。とくにウンチをするのは苦手で、よほど緊急ではない限り足を踏み入れないことにしている。大便所のドアを開けたら、そこは糞尿とゲロがまき散らされた汚物の総合商社だからだ。多少の汚さには慣れっこでも、その地獄絵図の前では、出かけたウンチも引っ込んでしまう。

 だから、小便は人目のないところで済ませて、うんちは授業の合間にたれていた。小太郎は、学校のトイレで糞をする当時としてもまれな小学生であった。


 小太郎は、いわゆる捨て子である。

 駅のロッカーに三日間保管されていたとか、吹雪の夜、路上に置き去りにされていたとか、その放置の仕方にいくつかのバリエーションが噂されたが、とにかく親に見捨てられたことには変わりない。

 さいわいにも箱の中で餓死するわけでもなく、大型トラックに轢かれることもなく、命あるうちに発見され、すぐに養護施設へと保護された。小学校に入学する直前に藤原家に引き取られるまで、そこでつつましく暮らしていた。

 ところでこの町は、福祉政策の一環として里親制度に力を入れている。予算も他の自治体と比べて充実していた。養護施設から養子として子供を引き取ると、義務教育を終えるまで養育手当てが支給される。それは結構な金額であり、ある種の鼻の利く人間には、見過ごせない制度であった。

 藤原家は、夫婦と中学生になる娘の三人家族だった。家長たる藤原敦夫はまったく覇気のない薄弱なサラリーマンで、凡庸を絵にかいたような性質の持ち主である。その代わり妻の美津代は気が強く強欲で、さらに排他的で冷酷でもあった。家族以外の人間に親しく接することはまずなかった。いや、家族に対して慈しみの情をもっていたのかも疑わしい。

 何かを憎みたい傷つけてやりたいという衝動が、つねに彼女の瞳を濁らせているように見えた。そこにこもった怨念のような性格は、小太郎という無垢の魂を巻き込みながらじっくりと熟成され続け、ここ数年のうちに腐臭を放つようになっていた。

 小太郎は、この家に養子として引き取られた。もちろん、家族の一員として育てるためではない。ただ単に金になるとの経済的な理由だけだ。だから、せっかくの養育給付金を目減りさせるのは、藤原夫人がもっとも嫌悪することだった。

 当然、彼に金をかけることはなかった。薄汚れた下着やいつも汚いジャージなのも、できるだけ費用対効果を考えてのことだ。義務教育が終わるまでは搾るだけ搾り取り、用がなくなればどこか遠い町へ働かせに行かせればいいと、夫人の明晰な頭脳は将来の皮算用を終えていた。山奥にある肉体労働の現場へでも、高く売りつけてやろうとも考えていた。  

 小太郎に対する藤原家の仕打ちは、現在であればネグレクトや虐待という言葉が投げつけられそうだが、その当時、世の中は鷹揚で注意深くなく、倫理感も法律も確固とした規制を受けていなかった。ありていにいうと、テキトーだったのである。

 誰もが少年の姿に眉をひそめ、時には胸を痛めたが、それは一瞬後には忘れさられた。日々の貧しさや忙しさに夢中で、薄汚い他人の子供など気にしている余裕などなかった。時代が少しばかり過ぎれば、小太郎は望まなくても公的機関に保護されていただろうが、いまは望んでも助けは来ないし、望まなくても藤原の家に寄生しなければならないのだ。

 小太郎が物置での生活を始めてから、すでに二年近く経っていた。狭くて粗末な造りだったが、屋根も壁もあるし床板もあった。いちおう雨風はしのげるのだが、暑さ寒さは容赦なく入り込んでくる。北国といえども真夏の一時期は蒸し風呂状態であるし、真冬は冷蔵庫よりも極寒となって、体のブルブルが止まらない毎日だった。もちろん、冷暖房の器具など論外なので、ただただ耐えるだけだ。

 その二畳ほどの空間には、垂木を釘打ちしただけのベッド、あとはビールケースの椅子しかなく、タンスや衣装ケースといったものの入り込む余地はなかった。下着や教科書などの小物類はズタ袋に入れて、壁に吊り下げられている。幸いにも物置は板張りの壁なので、釘さえ打てばどこでもかけられた。

 唯一の電化製品は天井からぶら下がっている20ワットの裸電球だけで、黒い布がまかれた電線で吊り下げられている。小太郎の身長では届かないので、いつもビールケースの上にのってスイッチをひねっていた。

 なお、藤原夫人の節電要求は厳しくて、その電球が点けられるのは一日三十分と決められている。その時間ではせいぜいが食事の間に手元を照らすだけしかない。小太郎は、夜に勉強するような子ではなかった。


 かぎりなく夕方に近い夜となり、藤原家の台所の勝手口が開いた。物置で息をひそめるように、じっとしていた小太郎の耳が大きくなった。その気配を見逃してはならないからだ。

「メシっ」

 甲高くて尖った声だった。藤原夫人が叫んだのだ。

 小太郎は、彼にあてがわられているたった一つの食器を持って、一目散に物置を飛び出した。夫人は短気で融通が利かない。もたもたしていると、勝手口の扉が閉まってしまう。そうなると、その日はもう開くことがない。

「へへへへ」

 開け放たれた勝手口の前に立つと、小太郎はへらへらとした笑みを浮かべる。少しでも不機嫌な様子を見せると、夫人は扉を閉めてしまうからだ。

 小太郎は、彼専用の食器であるアルミ製のボウルを差し出した。底が凹み傷だらけのそれは、いまでは空き家となった隣家の飼い犬が使用していたものだ。小太郎が藤原家に迎えられた日に、夫人が地面に打ち捨てられていたのを拾ってきたのだった。

「フンっ」

 夫人はさも不機嫌そうに少年の手から食器をひったくると、一時勝手口から離れた。それからの数十秒間は、小太郎にとって、一日のうちで給食の時間の次に心ときめく時であった。

「ほら、さっさとおいき」

 戻ってきた夫人は、ボウルを差し出した。そこには今日の夕飯が盛られている。 

「うん、ありがとう」と、少年は感謝の意をあらわすのを忘れない。飼い主への礼儀正しさは、次回の食事を担保するための忘れてはいけない儀礼でもある。

 今晩のメニューはなんだろうと、小太郎は胸をときめかせて受け取った。勝手口からは、北国の定番であるジンギスカンの匂いがしたので、きっとそれだろうと見当をつけていた。

 ボウルには、まず白飯が盛られていた。たいていは前の日に余った冷や飯なのだが、やはり、その日も冷や飯であった。オカズは小太郎の思った通りジンギスカンだ。ただし焼いた羊肉の姿はなく、飯の上には、焦げて脂まみれになった玉ねぎとモヤシが山盛りとなっていた。ジンギスカン鍋の残り物を、そのままぶっかけたのだろう。 

 たとえ藤原家の夕食に肉があっても、それが小太郎に与えられるとは限らない。いや、かえって肉が供されることは稀なことだ。だからジンギスカンとはいえども、肉にありつけるとは期待していなかった。

「うふふふ」

 しかし、焦げたモヤシや玉ねぎの脇にある白濁した数個の塊を見て、小太郎はほくそ笑んだ。

「きょうは、いっぱいだなあ」

 ジンギスカンを焼く時には、藤原家では液体の油ではなくて牛脂を使用している。熱々に熱した専用鍋に牛の脂身の塊を入れて焼くと、いい具合に脂が染み出てくる。動物性のラードとなるのでコクがでるし、なによりも経済的であった。牛脂は基本的に、無料で店に置かれていたからだ。

 小太郎は、その脂身が大好き過ぎる小学生だった。よく焼かれた脂身は、口に入れるとトロリと溶けて、肉のうま味が詰まった脂が口の中いっぱいに広がる。それはもう、味覚の限界値を突き抜け美味しさの地平なのだ。普段から肉を口にしていない子供にとってはまさに至福であり、麻薬にも似た効力と中毒性があった。たとえ赤身の部分がまったくなくても、牛肉という逸品を存分に味わえた。

 この当時、給食にも肉類はあまり使われていなかった。栄養学的な見地からなのか、たんに肉の値段が高かったのか定かではないが、パン以外の副食にかんしても、意外と炭水化物が多かったのだ。

 物置に戻った小太郎は、ジンギスカン風味の脂丼を安全な場所に置くと、引き戸をしっかりと閉めにかかった。この木製の引き戸は立て付けが悪く、ぴったりと閉まることはない。レールからずれて斜めに傾いでいるので、いつも下のほうに直角三角形みたいな隙間があく。相当の努力をしないと、そこは小さくならない。しかも面倒くさがって放っておくと、野良猫や野良犬、ごくたまにキツネなんかが無遠慮に侵入してくる。そして、それらはたいていの場合、いつも飯時なのだ。

「しまれ、このう」

 ガタガタと力まかせに引き戸を動かして、どうにかこうにか戸が閉まった。ただし、若干の隙間は残されていたが、それは永遠に解決されることはない。

「いたーだきます」

 小太郎は満面の笑顔だった。

 まずは焦げてしなびた野菜類をむしゃむしゃと食った。ラム肉と牛脂の脂がこれでもかー、というほどにまみれていて、甘みがあって程よくジューシーで、たかが野菜と斬って捨てるにはパワーがありすぎる脇役であった。

「めしめし」

 次にモヤシや玉ねぎの層をかき分けて、下層に堆積する白飯を夢中でかきこんだ。

「うんまいなあ」

 ごはんは前の日のものなので、相当に干からびていて、しかも硬かった。しかしながら今宵の白飯は、野菜の水分と肉の脂がたっぷりの汁となってぶっかけられている。十分な水分と油分を吸った汁だくな飯は、なんともいえぬ柔らかさと、うま味を兼ねそなえていた。

「うんまうんま。水、水」

 ここで小太郎は あらかじめカップに用意していた水をゴクゴクと飲んだ。水は近くの公園に水道口があるので、帰宅する途中でコーラの空き瓶に入れて持って帰っていた。瓶の容量は二本合わせて一リットルになるので、飲み水と汚れたボウルのすすぎに使えばちょうどよい量だ。

 なお北国では、公園の水道は凍結防止のため冬場になると使用禁止となる。その時期は、学校や近くのショッピングセンターのトイレなどで調達していた。小太郎のみすぼらしいカバンが重いのは、いつも空き瓶が入っているからだ。

「ふふふ、フフフ」

 わずか20ワットの明かりのもとで、男の子は不敵な笑みを浮かべた。

 いままさに、小太郎は箸でつまんでいるのだ。脂ぎった牛の脂の塊肉を、まだ熱気が冷めないで脂を滴り落としている牛脂の塊を、ぶよぶよのふにゅふにゅの至高の脂肉を。そして、その脂の塊を口の中に放り込んだ。 

「ん~~~~~ん」

 あまりの美味さに背骨が折れそうになりながら、少年は残りの飯を素早く平らげた。今宵の献立は、ほとんど残りカスみたいな飯だったが、量は相当にあったので小太郎は満足だった。ここ最近は冷や飯に天ぷらかすだけとか、冷や飯に鯖缶を少しだけとか、冷や飯に鮭の頭の水煮だとか、あまり好奇心をくすぐられないメニューが続いていた。脂身だけとはいえ、肉類が食えることは喜びであった。

 ボウルの中に一粒のご飯も残さず食べきったあと、水をそそぎ手でこすり洗いした。いつまでも電気を点けていると怒られるので、スイッチを切って早々に床についた。

一般的な家庭であれば、腹を満たした子供たちはテレビに夢中になっている時間なのだが、物置にテレビはなかった。クラスでは流行りのアニメの話などで盛り上がるが、小太郎にはさっぱりわからなかった。見た目や臭気以外にも、クラスメートから弾かれる理由は多々あるのだ。

 夜は、暗いし狭いし寝るだけという選択肢しか残されていないが、小太郎には楽しみがあった。それは、心ゆくまで妄想することだ。

「大人になったらお金持ちになって、とりのあしを食べる食べるう、食べほうだい、だいだい」

 とりのあしとは、鶏の骨付きモモ肉のことである。

 昨年のクリスマス時期に、学校給食で鶏の骨付きモモ肉が出されたことがあった。それはまさに肉の塊であり、まだまだ貧困層が根強く存在し続けていたその時代の児童たちに、極上の喜びを与えた。

 ひもじさが日常である小太郎にとっても、それは想像すらしたことがないほどの馳走であり、最初の一口を食べた時には 衝撃のあまり思わず叫んでしまった。幼稚園まで暮らしていた養護施設でも、それほどのボリューム感がある肉は供されたことがなかった。自治体は里親制度には金をかけたが、施設自体には、投げやりな予算しかつけていなかった。

「まいにち、とりのあし~。あさもよるも~、とりのあし~」

 閉鎖された暗闇の中で、カビと悪臭と得体のしれない小虫にまみれた布団にもぐりこみ、骨付きモモ肉に囲まれた将来を想像しながら、少年は嬉々として眠りにつく。できれば夢の中でも噛り付いていたいと欲していたが、そういう時にはたいていロクでもない光景を見て泣くことになる。この物置での安らかな眠りは、狂いの海に溺れようとする少年の心を引き戻すのだった。

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