アイドルを引退した推しに1年間手紙と現金を送り続けたら、推しが彼女になった。

渡月鏡花

第1話 呼び出し

 案外殺風景なオフィスなんだな、というのが第一印象だった。


 この場所に着いた頃はまだ窓の外からオレンジ色の光が窓から射し込み、待合室のような白い部屋を照らしていた。


 しかし、今ではすっかり窓から見える景色は夜空とビルから漏れる光や遠くのネオンサインの明かりに変わっていた。


 そういえば、この弾力のある真っ黒いソファーに腰掛けてからどれくらいが経っているだろうか。


 壁にかけられた時計をチラッと見ると、長針はすでに20時を指していた。


 目の前に座るアイドルグループSeaSonSの女マネージャー――黒岩ルイナは茶色に染められたボブカットの髪を僅かにかき上げて、俺を睨んだ。


「ですから、この現金を受け取ることはできないんです」


「だから、俺からの感謝の気持ちだと何回言ったらいいんですか?」


夏弥光なつやひかるさん、あなたがどんなに風花を推していたのかは、あの何百通もの痛々しいほど――いや、イタイほどの重い想いを理解しているつもりです。百歩譲って、すでに引退した元アイドルに宛てたファンレターはまだ理解できても、一緒に現金書留で毎月毎月10万もお送り頂いても受け取ることはできないんですって言っているでしょっ!?」


 この数時間で何度、繰り返されたかはもう忘れてしまった。


 が、ついにこの頭のお堅い女マネージャー――通称、鉄仮面は俺――ファンの前では決して見せることのない取り乱した声を上げた。


 流石に疲れてきたので、俺は代替案を提示することにした。


「っち、わかりましたよ。だったら風花ちゃんの銀行口座を教えてくれ。そこに直接振り込むよ。そうすれば、事務所は関係ないし、いいだろ?」


「ちっとも良くないからねっ⁉︎」


 黒岩ルイナは、先ほどよりもキレのあるツッコミをした。


 全く、こっちは引退して収入がなくなってしまう推し――冬野風花ちゃんに少しでも生活の足しにして欲しくて渡しているのに、それを無碍に断られてしまう身にもなって欲しいものだ。


「わかりました。そこまでおっしゃるならば、俺もバカじゃありません。こう見えても、理数系の科目は高校でトップクラスの成績ですから、そうですね……暗号通貨であるビットコインでお支払いしましょう。これならば、すぐに足がつくこともないでしょ!税金対策もバッチリでしょ?」


「君、絶対バカでしょっ!?」


「先ほどからこっちが下手に出ていると思ってつけあがりやがって!この堅物マネージャー!そんなんだから若そうなくせに男の気配もなく、年がら年中、握手会に付き添うことができるんだろっ!?」


「い、今、私に彼氏がいないことは関係ないでしょうがっ!それに、仕事なんだから、一緒にいるのは当たり前でしょっ!だから……し、仕方ないし――」


 どうやら攻撃は効果抜群のようだ。

 初めは威勢の良い返事だったが、ついに、鉄仮面は切長の瞳をうるうるとさせ始めて、キッと俺を睨んできた。


 ふん、勝った。

 これで俺を邪魔する者はいなくなった!


「全く、俺は風花ちゃんに命を救われたんだから、あんた如き悪魔に邪魔されるほど柔ではないわっ!ふははは」


 無機質な室内に男子高校生の雄叫びのような笑い声がこの日響いたという。


 まあ、俺――夏弥光なつやひかるの声だけど。

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