第12話 人魚姫


「おはよう」

 

 数メートル先にポツンと佇む白い少女は、口の周りに両手をたてると、すっかり板についたいつもの挨拶を大声で発していた。


 白く細い腕を振りかぶり、こちらに向かって手を振っている。

 なんともまあ元気なことだ。

 俺は、彼女の笑顔につられるように口角を上げ、そのまま挨拶を返したんだ。


「おはよう、シレーヌ」


 これが、僕らをつなぐ真夜中の挨拶だ。





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  泡沫の人魚姫  第12話 人魚姫




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「それで、どうしてこんなとこに居るんだ?」


 疑問を呈した俺に、きょとんとした表情をシレーヌが返す。

 不思議に思うのも無理はない。

 海へと向かっていた俺が彼女を見つけたのは、さざ波の聞こえる浜辺ではなく、堤防近くの横断歩道だったからだ。

 車通りの少ない車道の真ん中で佇むその姿は、異質そのものだった。

 不審がる俺の質問に少しばかり目を泳がせた彼女は、両手を軽く叩いて空気を換えた。


「もちろん、待ちきれなかったからよ! 凛久と、その本を!」


 シレーヌが勢いよく指さした先には、俺の手に握られた青い表紙に彩られた、一冊の本があった。



 人魚伝説。



 この本こそ、祖母の所有していた本棚に置いてあったものだ。

 先日本棚に肩をぶつけた際、偶然発見したものである。


 そして今日の目的は、この伝説を確かめることだった。


 というのも、シレーヌへの詮索が行き詰ったためである。

 神谷碧とシレーヌの間には何らかの関連性がうかがえるものの、本人が嫌がっている以上、詮索のしようがない。

 そこで俺は、人魚に関して異様に興味を持っていたシレーヌを思い出し、ダメもとで祖母の調べていた伝説を確かめることにしたのだった。




「これが、その本なのね……」


 移動のさなかもシレーヌは、絶えることなく青い瞳を輝かせ、俺の持つ本を凝視していた。手元の位置に視線を合わせながら進むものだから、シレーヌは屈むような姿勢のまま歩き続けていた。前方を注視しない彼女の姿に、転んでしまわないかと随分肝が冷えた。

 そんな心配に気づかない彼女は、海へと続く階段を下り、砂を踏みしめるや否や、大きな声をあげたのだった。


「凛久、早く読みましょう!」



*



 その本に書き連ねられていたのは、おとぎ話ともいえる、この海にまつわる伝承だった。



 ――姉妹岩の伝説


 鎌倉時代のある所に、仲の良い姉妹がいたという。

 二人はたいそう仲が良く、いかなる時も共に過ごしていたそうだ。


 しかしある日の夕方、大きな鷹に姉妹の内の姉が攫われてしまった。妹は、姉を助けるために慌てて鳥を追いかけたものの、既に鳥は沖合にある岩の上に姉を置いてけぼりにしていたのだった。


 船を所有する漁師に掛け合ってはみたものの、時を見計らったかのように訪れる嵐のせいで、船を出すことは叶わなかった。


 それでも姉を見捨てることのできなかった妹は嵐の中、海に飛び込んだという。

 しかしながら、妹は自然の脅威にあえなく飲み込まれてしまう。


 その姿を遠くから見ていた姉は、嘆き悲しみ海へと飛び込んでしまった。

 そうして彼女は『人魚』になったのだ。





 祖母の本を開いて一ページ目に書かれていた物語。陳腐な感想だが、悲しい物語だと思えた。

 シレーヌも同じことを思ったのだろうか。目を細め、口を引き結ぶようにして考え込んでいた。

 

「お姉さんは……人魚になったのね。なんだか、もの悲しい終わりかたなのね」


 シレーヌは静かに海を見つめていた。


 本を読み進めていくうちに、これは創作された寓話ではないことが分かった。中盤のページには、事細かく調べられた彼女たち二人の生い立ちや時代背景などが描かれていた。


 ふと表紙に目を戻せば、そこには祖母の名前が刻まれていることに気づく。

 彼女が著者そのものだったのかと、今更ながらに頷けた。警察署のおじさんが言っていたことも本当なのだろう。地元の子供たちを巻き込みながら、祖母は自分の足でこの伝承を調べていた。そうして、彼女の知の結晶となるこの一冊が生み出されたというわけだ。

 

 しかしながら、例の姉が人魚になったなどという証拠は見つからなかったらしい。

 そりゃそうか。


 現実に人魚やそのミイラが存在するならば、今頃ここは名のある名所にでもなっているはずだ。

 祖母が調べられたのは、実際に姉妹が亡くなった事件があったという話のみ。

 話の中にあった、大きな鷹や人魚というのも大方脚色だろう。

 資料の記述こそ多けれど、本筋の文量が少なかったため、早々に目を通し終えることができた。

 俺はゆっくりと本を閉じる。


 結局、シレーヌに関連することは見つからなかった。

 さて、次はどうしようかとシレーヌを見つめ直したそのとき、彼女が声を上げたのだった。


「姉妹岩って、あれじゃないかしら?」


 シレーヌが目を向ける先には、本に載っていた写真と同じ形をした小さな影が見える。

 夜中ともあって視界が悪い中、よく見つけたものだ。


「なんだか、不思議な形をしているわね」


 彼女は、遠くを見つめて目を凝らしている。それに倣って遠方を見やる。

 岩陰は二つの突起が高く突き出したような不思議な形をしていた。

 俺は手元の資料写真に目を落とすと、姉妹岩の説明文を読んだ。


「高い岩が二つ並ぶようにそびえ立っているのを姉妹が向き合っているかのように見立てた地元住民が、姉妹岩と名付けた。だってさ」

 

「左の高い方が姉かしら? ……それにしてもこの形、どっかで見た気がするのよね」


 何かを必死に思い出そうとするように、シレーヌは頭を抱えていた。もしかすると、その何かが彼女の記憶につながることがあるかもしれない。

 期待を込めて待ち続けていると、シレーヌが大きく目を見開いた。


「あ!」


「どうした?」


 話を聞こうとして、思わず体が前のめりになる。

 しかし、忘れてはいけない。彼女は自由人だった。


「そういえば、浜っちはどうしたのかしら?」


 唐突な話の転換に、既視感を覚える。

 最近こんな流れが多いよなと、呆れ半分でため息をついた。


「ああ……あいつは朝から練習試合だから、今日は早めに寝るってさ」

 

「そう……残念ね。こういう話、浜っちが好きそうなのに」


 確かに、あいつは部活ぐるみで肝試しを行った後、一人で海の幽霊を確かめに来るようなもの好きだった。オカルト系や伝承など、現実的にあり得ない物事に興味を惹かれそうな性格をしている。

 シレーヌのことも初対面で、気持ち悪いほど観察していたし。


「確か、初めは乗り気だったんだよな。あいつの家自由らしいし、家抜け出しても、元気がいいなで済むって。けど、練習試合前に夜更かしなんてするなって妹に止められたらしい。そんでさっき『行けなくなった』ってメッセきてたんだったか」


「ふーん」


 ニヤニヤした顔でこちらを伺うシレーヌの視線が生ぬるい。


「凛久、浜っちの事情を知ってるだなんて、随分と仲良くなったのね」


「どうだか」


 あっさりと切り捨てた俺の言葉が不服だったのか、シレーヌは形容しがたい顔をしていた。

 そんなしわくちゃになった黄色いマスコットみたいな顔をするな。


「あ! 思い出したわ」


 今の何にどんなヒントがあったのか、唐突に何かを閃いたらしい。


「姉妹岩の形、洞窟で見たのよ!」




*




 俺たちは、以前台風があったとき、二人して世話になった海辺の洞窟に足を運んでいた。

 街灯の光も届かないほどに暗い内部をスマホの光で照らしながら歩き回る。

 壁伝いに歩いていると、シレーヌがある一点で立ち止まった。


「ここだわ。ほら、よく見ると色が違うでしょう?」


 彼女の示した先を光で照らす。じっと観察しなければ素通りしてしまうような違いだった。


「前に凛久が私の名前を調べてくれていたの覚えてるかしら。その時に見つけたのよ」


 俺はじっくりとその壁を観察する。

 色の異なる部分を辿っていけば、ある形が浮かび上がった。


「これって、さっきの形……」


「そう、姉妹岩よ」


 二つの角が突き出たようなその形は、先ほどこの目で確認したあの岩と同じ形をしていた。

 似ているとかいう次元じゃない。あの伝承と何か関連しているのだろうか。


「ねえ凛久、ここに空洞があるわ」


 俺が考え込んでいる間にも、彼女は何かを見つけたようだった。

 姉妹岩の模様横の盛り上がった岩壁。その下からシレーヌは手を突っ込んでいた。


 いや、危なくないか。


 穴の中に毒を持った虫や動物が居たらどうするのだろうとも思ったが、彼女の腕の勢いを見る限り、既に手遅れだろう。

 俺は驚きを静めてから、下から岩壁をのぞき込んだ。

 そこ存在していたのは、シレーヌの手がすっぽりと入り込むような穴と、その下に掘られた文字。

 小さな文字を読み取ろうと目を凝らす。



 『↑Truth』



 真実?


 あの伝説について、これ以上何があると言うのだろうか。

 体勢もきつくなってきたし、一度体を起こそうとしたその時、上の方から明るい声が降ってきた。


「何かあるわ!」


 シレーヌは力を籠めると、その手に何かを掴んだまま、勢いよく腕を引っ張り出した。

 彼女の手元に視線が集まる。

 口を開いたのは俺だった。

 

「これは……手帳?」


 手の中には、透明なビニールに包まれた古ぼけた手帳が握られていた。




*




 開いたその手帳の一ページ目には、走り書きのメッセージが書かれていた。



『物好きな冒険者の君へ


 偶然か、はたまた意図的にか、人魚伝説の真実にありつけるとは運がいい!

 本を出した後に判明してしまった内容を特別に君たちに教えてあげよう。

 別に、売り上げが鳴かず飛ばずだったから続刊が出せないとかではない。断じて。

 まあ、しがないババアのお遊びに付き合ったと思って読んでほしい。

 そのまえに、しっかりと人魚伝説の本を買うんだぞ! ○○出版の人魚伝説だからな!』


 十中八九、祖母である。


 人づてに聞いてはいたが、文面だけでその破天荒さが伺えた。

 文面はともかく、人魚伝説の真実とは何のことだろうか。

 シレーヌが読み終えたのを確認すると、俺は次のページをめくった。

 

『人魚伝説は事実を元にした伝説だ。

 登場人物の姉妹は、私の著書で説明した通りの出自である。簡単に言えば、そこそこ良家のお嬢様ってとこだな。


 二人が海に飲み込まれるひと月前のことだ。姉に縁談が来た。

 格上の良家からの縁談であったから、断るのも難しいものだった。評判もいい男性だったので喜ぶべき場面だが、姉には愛する人が居たそうだ。


 それを不憫に思った両親が姉を逃がす計画を立てたという。

 相手方に勘づかれる前に、小船に乗ってこの海を去り、その後、姉は恋人と落ち合う。大まかに言うとこんな感じだな。

 計画は内密に行われ、情報を漏らさないためにも妹にさえ伝わらなかった。


 しかし、計画実行日の海は大しけ。この日を逃すと後に引けないと思った姉は、計画を実行してしまったんだ。案の定、船は岩場に乗り上げて使い物にならなくなってしまったよ。


 嵐の中取り残されてしまった姉を偶然発見した妹は、姉を助けるため、わが身を省みることなく海に飛び込んでしまった。

 嵐に揉まれ、すっかり見えなくなってしまった妹の姿に絶望した姉は、海に身を投げた。



 そしてその後、妹だけが助かってしまったんだ。



 後から両親に話を聞いた妹は絶望し、助けを求めるべきだったと己の愚かさを嘆いた。



 結局、姉の遺体は見つからなかった。



 そのことに心を痛めた妹は、毎日のように海の中を探し回ったという。

 その話に尾ひれがついて人魚伝説などと呼ばれるようになったのだろう。

 しばらくして、周りの視線から逃れたくなった一家がその地を去ったものだから、地元民が面白おかしく仕立て上げたに違いない。

 一家で地を移したというため、妹の手記を探すのには苦労した。

 まあ、私にかかればこのように出そろうがな!


  伝説にある一文、『そうして彼女は『人魚』になったのだ。』のとは、生き残って姉を探す、妹のことだとも解釈できるだろう。

 もしくは、遺体の見つからなかった姉か。


 どうだ、事実を知ってしまえばロマンがないと君は思ったか?


 現実なんてそんなものだ。

 おとぎ話はまやかしだ。

 それでも、私らがその物語にすがる理由が分かるか?


 心の拠り所なんだ。


 空想は私たちに夢を見せてくれる。感情を動かしてくれる。最高のロマンさ。

 

 けれど、現実逃避の道具としてだけじゃなく、未来を見るための手段にもしてほしいんだ。

 私との約束だ!』



 パタンと本を閉じる。

 どこのアニメキャラクターのテンションだよ。というツッコミは置いといて、人魚伝説にそんな事実が隠されていたのかと納得した。伝説よりも、今の話はだいぶ筋が通っている。


 しかし、残された妹はどんな思いを抱えて生きたのだろうか。


 姉を助けようとして自分だけが生き残ってしまった不甲斐なさ。寧ろ自分が海に助けに行かなければ、姉は助かったのではないかとも思うだろう。船には船主だっていたはずだ。もともと姉の助かる可能性は低くない。


 改めて思う。悲しい物語だ。


 シレーヌも同じ思いでいるのだろう。

 俺たち二人は、静かにこの場を後にした。

 薄暗い影のかかった彼女の横顔は、いつにも増して儚く感じた。



*


 

 シレーヌが少し考え事をしたいと言っていたため、俺は早めに帰路についた。

 結局人魚伝説もシレーヌの正体を探る手掛かりにならなかった。

 今のところ打つ手なしだ。

 ……いや、一つだけあったか。


 神谷碧について。


 昨日のシレーヌと再会した帰り、俺と上浜はそのことを話し合っていた。



*



「そういえばさ、神谷碧さんってどうして名前を偽ったりしたんだろうな」


 上浜の鋭い質問に少しばかり驚いた俺は、足元の小石に躓きかけた。


 確かにそうである。


 何の必要があって、彼女は自分を『シレーヌ』などと偽ったのだろうか。

 まあ単純に考えれば、


「二人が知り合いだったって線が濃厚だよな」


 神谷碧の名に過剰反応するシレーヌの姿を思い出し、今一度考える。


「神谷碧がシレーヌの模倣をしていた……とか」


 神谷碧がシレーヌに憧れを抱き、その真似事をしていたというのが俺の考えだ。

 その年頃の女子はごっこ遊びが好きだろうし、真似事ならば大方のつじつまも合う。


 しかし、当時のシレーヌはいくつだったのだろう。


 彼女が人間であれば、俺たちと何ら変わりない年齢であったはずだ。

 そうすると、憧れ……というのはおかしいだろうか。


 考え込みながら歩き続けていると、隣を歩く上浜の足が止まった。

 顔を上げれば、分かれ道まで来ていたようだった。


「まずはさ、その碧って子について分かることから調べてみるのはどうだ? 凛久が言ってたその事故現場ってのも行けたらいいよな。……まあ、気持ちの整理がついたらだけどな!」


 じゃあなと言い残した上浜は、自転車に乗って去っていった。



 そんな昨日の会話を思い出す。

 多忙な父を捕まえる必要があるため、事故現場を知るにはしばらく時間が掛かりそうだった。

 今日も父は夜勤だと言っていた。

 今帰宅したところで、入れ違いになるだろう。朝、仕事終わりの父を起こすのも忍びない。

 人魚伝説の本と祖母の手帳を持ちながら歩く俺の目に、一つの建物が目に入った。


 あ、これだ。



*



 翌日の朝、俺は真っ先に交番を訪れていた。

 昨日は夜の11時を過ぎていたため、直接向かうのを断念したのだ。

 自ら補導されに行くほど、俺は馬鹿ではない。


 そのため、わざわざ早起きをしてまでここへ来たというわけだ。


「来てくれて嬉しいよ。素晴らしいことに、この街は平和でね」


 おじさんは淹れたてのコーヒーを上品に啜ると、マグカップをテーブルに置いた。

 俺の向かいには今、この前担当してくれた警察のおじさんが座っている。


「それで、どうしたんだい?」


 仕事中にも関わらず、優しく好意的に出迎えてくれたおじさんに対して多少の申し訳なさを感じつつ、俺は本題へと移った。


「以前、祖母に連れまわされたとおっしゃっていましたよね。この伝説関連で何かご存じですか? 情報を集めているんです」


 俺が青い書籍を取り出すと、おじさんは顔をこわばらせ、微かに震え出した。


「まさか、婆さんの再来……? 恐怖の冒険第二弾?」


 祖母はこの人に、一体どんなことをしでかしたのだろうか。

 心の中で、代わりに謝罪しておく。すみませんでした。


「顔を青くしているところ申し訳ないのですが、俺は祖母のようになるつもりもないので安心してください。ただ本棚からこれを見つけたもので、少し気になりまして」


「なんだ、よかったよ……」


 心底安心した表情を浮かべたおじさんは、人魚伝説について知っていること全てを話してくれた。

 しかし、大概は昨日分かったことだった。


「……とまあ、人魚伝説の真実はこんな感じかな。どうだい、驚いただろう?」


「……はい」


「あれ? 思ったより響いてないなあ……」


 昨日発見した内容まで丁寧に語ってくれたものだから、だいぶ長く聞き続ける羽目になった。自分から言った手前、寝ることだけは避けようとしたが、退屈なものは退屈だ。そのせいで、想像以上に声のトーンが低くなっていたらしい。

 おじさんは少し、気を落としていた。


「なら……そうだ、これを元にした小説があるんだよ。確か、明沼が覚えてるんじゃないかな……あ、明沼ってのは一緒に巻き込まれてた仲間で」


「明沼さん?」


 確か、高校の司書を務めていた女性もそのような名前だった気がする。


「知っているのかい? 確か三つ先の駅の高校で司書を務めていた気がするけれど、気になるなら電話でもしようか」


 これは間違いない。あの人だ。

 確信を持った俺は、おじさんに電話を頼み、彼女と接触を図るべく高校へと向かった。



*



「なあ凛久、そんなに急いでどこ行くんだよ」


 学校の階段を上っていると、面倒な奴に遭遇した。

 早起きをしたため、こいつと関わる体力のなかった俺は無視を決め込んだ。


「あ、俺? 俺は昼休憩中! だからテニスの試合は気にしなくていいぜ」


 少しは気にしろ。

 練習試合と言えども万全の態勢で臨めよ。


 しかし、体力お化けを振りほどけるわけも無く、ニコニコの上浜を引き連れたまま図書室にたどり着いてしまった。

 水泳をやめて体力が落ちてしまった俺は、階段を上りきってぜーぜーと息を吐いていた。

 上浜は言わずもがなこのとおりである。むかつく。


 上浜の介入を諦めた俺は、中で聞かれるのも厄介だからと大方の説明をしたのち、図書室の扉を開いた。


「あら、待ってたわよ。この間のお二人さんね。探し物はこれかしら?」


 入った先には、既に準備万端の明沼さんが居た。

 ありがたいことに、彼女は探し物を用意して待っていてくれたのだ。

 そのおかげで早々に目的を達成することができた。話が早くて助かる。


 礼を言ってすぐ、俺たちは席についた。


「やべえ、あと30分しか休みがねえ! 凛久、早く見せろ!」


 横で喚くこいつの事情は知らんとばかりに、俺はゆっくりと表紙を眺めた。

 海を抽象的に描いたような青い表紙に、白い文字で書かれた題名。

 さすが人魚伝説を元にしているだけはある。題名にも人魚が入っているのか。





『泡沫の人魚姫』





 これが、この小説の題名らしい。


 

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