第1章 ウェールの民

帰宅

 わいわいと賑わう街から少し外れた小道を、一台の馬車が走っていた。



 周囲に立ち並ぶ家々を通り過ぎたその馬車は、それらの家々より幾分いくぶんも立派な屋敷の前で止まる。



「んー、つっかれたー!!」



 その中からなかば飛び出すような勢いで、実は地面に降り立った。



 長時間の帰り道でり固まった全身をほぐしていると、同じく疲弊した様子の拓也が降りてくる。



「あー…。魔法を使えば、簡単に帰れたのに……」



 拓也が隣に来たタイミングで実がそうぼやくと、拓也は同情を滲ませた苦笑いを浮かべる。



「仕方ないな、尚希の立場上。」



 言われて、実は尚希の姿を探す。

 尚希はここまで付き添ってきた御者と、何やら話をしている。



 先日の一件以来、ヤウレウスの別邸で過ごしていた長い時間からようやく解放されたのが、十日以上も前のこと。



 それからはヤウレウスが手配してくれた馬車に乗り、船に乗り、また馬車に乗って、ようやくこのニューヴェルにまで戻ってきた。



 自分としてはさっさと帰りたかったのだが、ヤウレウスが好意で手配してくれたものを無下にもできず、尚希に頼み込まれたのもあり、この長い道のりを地道に帰ってきたのだ。



 電車やバスといった交通機関に慣れていると、これは不便に感じて仕方ない。



「……まあ、それは分かるけどさ。」

「それに移動魔法だって、本当は外で無闇やたらに使うのはご法度はっとなんだぞ?」



 唇を尖らせる実に拓也がそう付け足したが、その途端に実はむすっと不愉快そうな顔をする。



「そんなの知らないよ。それは〝知恵の園〟での決まりでしょ? 俺には関係ないもん。」



 本音だったのでばっさりと言ってやると、拓也はさらに苦笑して「そうだな。」と言うだけ。



 なんとなくそれが駄々をこねる子供に対する態度に思えたのは、気のせいだと思い込んでおくことにした。



「だーめだ。」



 走り出した馬車を後ろに、尚希が参ったと言わんばかりの困惑顔でやってくる。



「せめて少しぐらい休憩してけって言ったのに、〝これが仕事だから〟だってさ。まあ、お金はなんとか受け取ってくれたからよかったけど……」



「そりゃ、あのニューヴェル領主の家に上がれって言われても、一般人には敷居が高いよな。」



「はあ…。それを言われると、反論のしようがないな。」



 拓也に言われ、尚希は肩を落とす。



「とりあえず、入りません? カルノさんたちとか、待ちくたびれて―――」



 いつまでも道端で立っている拓也と尚希を横目に、実は一人で門をくぐる。



「あ…」

「んー? どうした、実?」



 何故か立ち止まった実を疑問に思った尚希が、遅れて門をくぐってくる。

 そして。



「げっ…」



 実と同じように立ち止まった。

 無理もない。



「本当に、待ちくたびれたよ。」



 不機嫌そうな声が、固まる実たちの耳朶じだを打つ。



 屋敷の扉の前には、仁王立ちで待ち構えているカルノがいたのだ。

 それに慌てるのは、もちろん尚希である。



「カ、カルノ……怒るなって。事情は説明したじゃんか。」



 貼りつけたようにぎこちない笑顔で、尚希はカルノへと近付いていく。



「その連絡が遅すぎでは?」



 じろりと半目で尚希を見据えるカルノ。

 カルノにしては珍しく、その声と口調にはとげがあった。



「そ、それどころじゃなかったんだって。本当の理由を言わないでレイキーに行ったことは謝るよ。」



「まったくだよ。」



 どうやら今回の件に関して、カルノはかなりご立腹のようだ。

 しかし、静かな怒りを滲ませたその表情は、次の尚希の一言で一変する。



「だって、本当の理由を言ったら、カルノは絶対にオレを行かせなかっただろ?」

「!!」



 カルノは目を見開き、ハッとして実に目をやった。

 尚希に言い返せないのか、彼は煮え切らない様子で実から目を逸らす。



 隣で拓也が表情をわずかにひきつらせたが、当人の実はそれを仕方ないものとして受け止めるだけだ。



 少しの間沈黙していたカルノは、一つ息を吐き出すと同時に怒りを引っ込めた。



「まあ、無事に帰ってきたんだし、この件はよしとしよう。それより、早くサミュールのフォローをしてあげてくれないかな?」



「サミュールの?」



 尚希が首をひねる。

 すると、カルノは頭が痛そうに額を押さえた。



「君に逃がされた後、もう一度レイキーに行くって喚いて手がつけられないんだ。今は暴走しないように、仕事漬けにしてある。」



「ええっ!?」



 サミュールとは、ワイリーとの直接対決の寸前に尚希が強制的に逃がした御者のことだ。

 そんなことは予想外だと態度で語る尚希に、カルノは眉根を寄せる。



「あのね、キース君。君はもっと、自分の立場をわきまえるべきだよ。巻き込みたくなかったから逃がしたのだろうけど、本当に彼を信用していたなら、危険だろうと最後までお供をさせてあげるべきだったんじゃないかな? 君を守れなかったと、サミュールがどれだけ落ち込んでると思うんだい?」



「あ……えっと……」



 戸惑う尚希を見つめるカルノの目は、静かながらも厳しいものだ。



「サミュールは、君が雇ってもいいと言った数少ない使用人じゃないか。彼の誇りと努力をふいにした責任は取ってきなさい。」



「……そうだな。ごめん。行ってくる。」



 尚希は素直に頭を下げると、屋敷の中へと駆けていく。



 その尚希を見送るカルノには板についた領主としての威厳があり、尚希を包み込むような優しさも感じられた。


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