人工少女は現実の中で「生きる目的」という夢を見るか。

@asia_narahara

01 家出 夢 少女

「貴方の生きる目的ってなんなの?」

 目の前の少女は表情の読めない顔で私に質問をしてきた。その少女は顔立ちはとても整っていたが、化粧など全くしておらず髪も伸ばしっぱなしという風貌だ。服装も運動性を重視したものだろう。6月とはいえシンプルな黒のジョガーパンツに白のジャケットは羽織っているのみだ。左手にはスマートウォッチを付けている。傍らには大きめのリュックサックとコンビニの袋が置かれていた。

 そんな少女が夜の公園で真顔で先ほどの質問をしてきたのだから私は困惑している。

「生きる、目的?」

「そう。貴方の生きる目的」

 オウム返しでつぶやいた私に彼女は念を押すように繰り返してきた。

 何故こんな状況になっているのだろうか。事の始まりは数分ほど前にこの公園で一人おにぎりを食べている彼女を見かけたからだ。


「えと、なにしてるの?」

「?」

 私の目の前で少女が首をかしげる。彼女は何を質問されているのか分からないという表情をしていた。しかし私からしてみたら20時を過ぎた人気のない公園のベンチで、一人でコンビニのおにぎりを食べている彼女が理解できない。

 こんな時間にこんな場所で何をしているのか、という意味で質問をしたのだが彼女は上手く理解できていないようだった。頬張ったおにぎりをもぐもぐと咀嚼しながら私を見上げている。その顔立ちは幼い。おそらく大学生である私よりも年下だと思うのだが、それはそれで状況の不可解さが増す。

「こんな場所に一人でいると危ないよ。近頃塾帰りの子供を狙った通り魔とかいるみたいだから。ご飯を食べるにしても家で食べたほうがいいと思うんだけど……」

 先ほどの質問の捕捉を行う。しかし彼女は表情を変えずに黙々とおにぎりを咀嚼しながらこちらを見上げたままだ。そんな少女にこちらがひるんでしまいそうになる。

「通り魔?」

 口の中の物を飲み込んだ少女がおもむろに口を開く。

「う、うん。ニュースにもなってたと思うけど」

「……そう。なるほど。そんな人がいるのね」

 彼女はこちらから視線をわずかに逸らして納得したようにうなずく。まるで私以外の誰かへの返答の様だった。

「えと、貴方は私に注意を促してくれた、という事でいいのかしら?」

「まぁ、そうなるのかな」

「そうなの。それはどうもありがとうございます。御忠告痛み入ります」

 彼女は深々と頭を下げてきた。言葉使いまで妙だ。

「え、いや、別にそれほどの事じゃ」

 そんな彼女の様子に思わずこちらが慌ててしまう。なんだかおかしな少女だった。

「えと、そういう訳だから早く帰った方が良いよ?」

 少女にそう告げつつ、どの口がそんな事を言っているんだと自重的な考えが浮かんでしまう。

 こんか夜の時間に、こんな公園に一人でいるのは私も同じだった。

「いえ、心配はありがたいのだけれどそういう訳にもいかなくてね」

 少女はそんな私の心情を知らないまま、悩まし気に喋りだす。

「宿は決まっているのよ。けどあまりにもお腹が空いてね? 今日は歩きっぱなしだったから」

 そういって手に持ったおにぎりをさらに一口ほおばる。

「ん。これ、コンビニで買ったのだけれど。おにぎりにあんなにも種類があるなんて思わなかったわ。ツナマヨ、だったかしら。美味しいのね。あとコーヒー牛乳ってものも買ってみたの。楽しみだわ」

 少し天然な子なのかもしれなかった。つかみどころが無い、というか何を考えているのか分からず浮世離れしている。

「旅行中、なんですか?」

 しかし私は彼女の宿という言葉が引っかかった。もしかしたら彼女の年齢は私より上なのかもしれない。いまは6月である。こんな時期に学生が一人で旅をしているとは考えづらかった。

「えぇ、数日前から」

 彼女は事もなげに頷く。

「良いなぁ……」

 そんな彼女に対して私はつい言葉を漏らしてしまった。私の言葉に彼女が私を見上げる。

「あぁ、えと。私、ちょっと親と喧嘩しちゃって。だから、その、プチ家出中、とういか」

 そんな彼女に対して、つい言い訳がましく言葉を続けてしまった。

「家出?」

 彼女は私の言葉に再び首をかしげる。しかしすぐに納得したような表情で言葉を続けてきた。

「……そう。貴方も家から出て来たの」

「え?」

「私もよ。そうね、家出という言葉で定義しても間違いではないでしょう」

 なんだか妙な文章だったが彼女も家出をしてきたらしい。

「貴方も家出なの?」

「えぇ、逃げている途中よ」

 そういって彼女は表情を変えずにまたおにぎりを食べる。

「ねぇ、名前聞いてもいい?」

「んむ?」

「あぁ、ごめん。飲み込んでからでいいよ」

 私は彼女に対して親近感が湧き、つい名前を聞いてしまった。いきなり声をかけてきて名前を聞くなんて怪しまれないだろうかと少し心配になる。

「んっ。えと、名前ね。私は、九十九糸という名前よ」

「ご、ごめん、字が分かんないや……」

 気軽に聞いたが思ったよりも仰々しそうな名前だった。付喪神かなにかだろうか。いとはどのいとだろうか。

「九十九はきゅうじゅうきゅうと書いてつくも、糸は縫物の糸、だそうよ」

「あぁ、そうなんだ」

 彼女の説明でやっと字が頭に浮かぶ。漢字自体は一般的な物だ。九十九糸、だろう。

「私は歴史の源氏の源、花萌ゆると書いて源萌花っていいます」

「そうなの」

「よろしくね。九十九さん」

「えぇ、よろしく。源さん」


 そこから食事をしながらではあるが、九十九という少女と会話を行う事ができた。

 彼女が今日初めてコンビニを利用した事、ホテルを転々としている事。

 そしてこれからどうするのか。この質問をした際に彼女から返ってきた言葉が「貴方の生きる目的は何なのか」というものだった。

「私は自分の生きる目的が分からないの。だからそれを見つけたい」

 そうつぶやく彼女の視線は真剣だった。

 生きる目的。その言葉を頭に思い浮かべると一つの言葉が連想される。

「……小説、家」

「え?」

「私は、小説家になりたい」

 先ほどの両親との口論を頭に思い出しながら私の口はその言葉をつぶやいていた。

 口から漏れ出た言葉に自分で驚くも、私は視線を下に向けながら続きを話し出した。

「生きる目的、かどうかは分からないけど、私小説家になりたいんだ……」

「目指してはいけないの?」

 九十九さんは純粋な疑問のように聞いてくる。私は自嘲的な笑みを浮かべながら、自分でも聞きたくない説明を始める。

「小説家ってね。それで生活していくのは厳しいんだ」

 彼女からの返答はない。黙って私の言葉を聞いてくれるようだった。

「まずデビューするのも数百、数千の応募作の中から選ばれないといけない。デビューしてからも作品が売れ続けないといけない。作家の寿命はだいたい3年から5年。その間も小説だけの収入では生活できなくて、兼業やアルバイトで収入を補ってるそうよ」

 こんな事、今ではネットで検索するだけで出てくる情報だ。華々しいのは一部の売れっ子と言われる人たちのみ。

 だからこそ。

「私の作品。小さい賞なんだけど選考に残ってね。本を出しませんか、って話が来てるの。けど、両親が反対してて」

 親としての気持ちも分かるのだ。

「私、まだ未成年だからさ。そういう手続きに保護者の同意が必要なんだ。二人とも、そんなことより勉強しなさい、って。もっと現実を見て自分の将来を考えなさい、だってさ」

 小説家になったとしても続けていくのは厳しい。だからこそ、安定した職に就きキャリアを積み重ねていく方が確実だ。そんなことは言われなくても理解している。

「でも私は……」

 でも、と頭では理解していても私の口は言葉を続けようとする。

「それでも小説家になりたいのね」

 黙ってしまった私の言葉を彼女は続けてくれた。

「うん。書いてみたい」

 彼女の言葉に乗っかって私は言葉を続ける。

「選考に残って嬉しかった。私の本が本屋さんに並ぶのを想像だけでわくわくする。そんなこと考えたらまた別の物語も書きたくなってきちゃって」

 自分の作品が選考に残った瞬間の胸の高鳴りが忘れられない。大賞は逃してしまったが書籍化の話が来て嬉しかった。

「だから、まぁ、うん。それで親と喧嘩しちゃって……」

 数時間前の事を思い出しため息を吐く。勢いのまま飛び出して立ち寄った公園で、彼女と出会わなければどうしていたか分からない。

「そう、なの。……ねぇ」

 九十九さんは私の話を聞いて思案気に眉を寄せている。数秒考え彼女が口を開こうとした。

「あの、君たち? こんなところで何してるの? 危ないよ?」

 そして、俯いていた私はいつの間にか近くに来ていたその人に気付かなかった。


「え!?」

 私は驚いて声のした方を振り向く。顔を上げると20歳位のスーツ姿の男の人が立っていた。間にいる彼女は驚いた様子も無く緩慢に彼の方を向き直る。

 いつの間にか近寄ってきていた彼に一気に警戒心が湧く。先ほどの通り魔という言葉が頭によぎった。

「えと、ごめんね。けどさすがにこんな公園にいると危ないと思ったから。知らないかもしれないけど、このあたりで事件も起きてるんだ。用事が無いなら早く帰った方が良いよ?」

 しかしそんな彼は両手を上げて一歩後ろに下がりながら柔和な笑みで話しかけてくる。少し頼りないような印象を受ける人だった。

「あ、あぁ。すいません。つい話し込んじゃって……」

 彼の態度に安心した私は彼に返事をする。どうやら悪い人ではなさそうだった。

「そうなんだね。もう帰るのかい?」

「はい。そうします」

「そうか。差し出がましいようだが大通りまで送るよ。この辺りは街灯も少ない道も多いから」

「い、いえ。そこまでは」

「気にしないでくれ。明日のニュースで事件があった、なんて知ったらさすがに目覚めが悪いしね」

 相手は少し冗談めかしたように話す。私は確かに送ってもらった方が良いかもしれないと考え始めていた。せっかくだから申し出を受けようと口を開く。

「通り魔ね」

 しかしそこで今まで黙っていた九十九さんが口を開いた。

「うん? なんだ知ってたのか。そうなんだこのあたりで子供や女の子を狙った通り魔が」

「貴方なのでしょう?」

「……は?」

「ちょ、ちょっと九十九さん!?」

 彼女はいきなり突拍子も無いことを言いだした。

「え、えと。まぁ確かに警戒するもの分かるよ。信用ならないならこのまま立ち去るけど」

 いきなり通り魔扱いされた彼も困惑したようにしている。

「貴方いきなり何言ってるの?」

 私も何を言ってるのかと彼女を問いただした。

「何って、最近このあたりで子供や女性が襲われているのでしょう? 襲っているのは彼だそうよ?」

 しかし彼女は当たり前の事を言う様に返答してきた。

「そんな証拠も無しに相手を疑うなんて」

「カメラ」

「え?」

「……何?」

 そのまま彼女の発した言葉に彼と二人で声を出す。

「近くのカメラに彼の姿が映っていたらしいわ。それも事件が起きた日。だから容疑者の一人、いえ警察も事情聴取をしに行く算段を付けている、そうよ」

「え?」

 彼女の言葉に私は彼の方を向きなおす。彼は先ほどの笑みを消し、無表情でこちらを見つめていた。そんな彼に息をのみ、隣に座っている九十九さんに縋りつく。

「お前、いったい」

 彼が押し殺したような低い声を出す。そして場違いなほど軽快な電子音が周囲に鳴り渡った。

 彼は言葉を止めて自分のポケットからスマホを取り出す。しかし視線をこちらから外すことは無かった。

「電話、出ないの?」

 そしてこちらも場違いなほど落ち着いている隣の少女は淡々と男に話しかける。状況が理解できていないのか肝が据わっているのか分からなかった。

「出るわけないだろ」

 彼も彼女を睨みつけながら通話を切る。その声には先ほどのような優しさは全く感じられない。そのことが彼が通り魔だという確信をもたらしていた。

「そう」

「なぁ、お前だからい」

 再び、先ほどと同じ電子音が鳴る。彼は忌々し気に舌打ちをしながらスマホを取り出した。

「失礼する。そのまま全員動くな」

 その瞬間、男のスマホから声が鳴り響いた。

「なっ!?」

 その事に驚いたのは目の前の男だ。彼はまだスマホを取り出しただけだった。いきなり通話がスピーカーで開始される。

「お、おい!? 何なんだ!? お前一体誰なんだよ!?」

「関係あるまい。世良坂幹人」

「っ!!」

 怒声交じりに放たれた質問に電話口の相手は淡々と言葉を返した。そして告げられた言葉に男は言葉を詰まらせる。

「さて、話を聞く気になったな。ではまず。目の前の彼女の言ったことは本当だ。警察はすでにお前に目星をつけている。衣類を切り裂いただけとはいえ、犯罪は犯罪だ。今持っているナイフを含めて言い逃れは難しいぞ」

 電話の言葉に世城坂と言われた男は鞄を抱きかかえる。

「私は自首を進める。そうすれば幾分か罪も軽くなるだろう。彼女らも怪我せず今日が終わる。どちらにも良い条件だと思うが?」

「ふ、ふざけんな!」

 男の声に焦りが混じり始めた。唾を飛ばしながら声を発する。私は二転三転する状況に困惑しながら怯えるしかなかった。

 そんな中、隣で動く気配がするので視線を向ける。私が縋りついている女性はレジ袋からコーヒー牛乳を取り出していた。その表情と行動は現状を理解できているとは思えない。

「こ、これは俺の生きがいなんだ! 邪魔されてたまるかよ!」

「生きがい?」

 しかし九十九さんは男が発した言葉に反応し声を出す。

「それがあなたの生きる目的なの?」

 そしてあろうことが興奮している通り魔である彼に話しかけ始めた。

「ちょっ!?」

 思わぬ行動に私も声を出してしまう。

「あぁ、そうさ!! どいつもこいつも俺を舐めやがって!! 俺だってやろうと思」

「糸。無駄だ。こいつのは参考にならん。これはただの憂さ晴らしというものだ」

 しかしその返答の言葉を再び電話の男が遮った。そして今発せられた名前は九十九さんの名前だ。

「そうなの、シュワルツ?」

 状況を理解できていない私と通り魔を置き去りにして、シュワルツと言われた電話の男と九十九さんが話し始める。

「知り合い、なの?」

「え? えぇ。そうね。私の保護者、かしら」

 恐る恐る質問した私に九十九さんが答える。そして話を遮られた男はスマホを耳に当て怒鳴りだした。

「てめぇ、ふざけんのも大概にしろよ!! こいつらがどうなってもいいのか!?」

「源さん」

 怒鳴り散らしている彼をよそに九十九さんが小声で話し始める。

「走るわ」

「え?」

「おい!! 聞こえてるのかよ!!」

 その時、風がなびいて彼女の髪が流される。あらわになった耳元に、ワイヤレスイヤホンが装着されているのが見て取れた。

 次の瞬間、男のスマホから発砲音のような炸裂音が鳴り渡る。

「っあぁ!?」

 耳を抑えて怯んだ男に九十九さんがすかさずコーヒー牛乳をぶちまける。そのまま私の手を引いて荷物を置き去りに駆け出した。

「え? いや、ええ!!」

「こっち」

 彼女は慌てる私の手を引いて公園の出入口に向かう。

「くそっ!? ざっけんな!!」

 一拍遅れて後ろから怒号が響いた。

「ひっ」

 その声に肩をこわばらせてしまう。思わず体がすくみそうになった私を九十九さんが手を強く握り引っ張った。

「大丈夫よ」

「だ、だって逃げれるかどうか何て!?」

「大丈夫。だってシュワルツがそう言ってるんだもの」

「えぇ!?」

 彼女は私の心配何てどこ吹く風だ。そのまま後ろを一切振り返る事無く公園を抜ける。しかし周囲は街灯も少なく人通りも無い。助けを呼ぶべきかと考えたが。

「こっちよ」

 彼女は立ち止まる事無く走り続ける。その先はさらに街灯が少ない道だ。後ろを振り向くと男が先ほどより近づいている。

「ひっ! も、もう!!」

「少し前に行って」

 怯える私を彼女は前に突き出した。私を九十九さんの位置が入れ替わり、通り魔との距離がさらに狭まる。

「九十九さん!?」

 街灯が途絶えた暗闇の中、彼女を心配し振り返る。その瞬間に彼女の左手から光が走った。

「あぁ!?」

「助けて!!」

 スマートウォッチからのフラッシュで男が足を止めた。そして彼女はすかさず出会った中で一番の声を上げる。その声はなんだか緊張感が無いものだったが、しかし。

「どうしました!?」

 人通りの少ない道であったはずなのに、前方から声が聞こえてくる。曲道から出て来たのは警察官だった。

「うそ……」

 あまりに都合がよい展開に腰が抜けて座り込んでしまう。未だに目が見えていない男は状況に気付いていないようだった。

「ふぅ」

 おそらくすべての事情を知っているだろう彼女は、疲れたという様に大きく息を吐いていた。


 「はぁ、疲れたわ……」

 先ほどにもまして疲れた様子の九十九さんと公園までの道を歩く。彼女が疲労している理由は先ほどの通り魔との逃走劇、ではなくその後の警察とのやり取りが原因だった。

 警察との事情聴取で待っていたのはかなり高圧的な男性警察官だった。私と彼女はこんな時間に二人で何をしていたのかとしつこく問い詰められた。最後には九十九さんが成人している事を証明してなんとか事なきを得たが。それでも最後には早く帰るように釘を刺された。しかも「最近の若いもんは」というお決まりの嫌味付きである。

 そんな事もあり疲労困憊な彼女であったが、私はそれどころでは無かった。先ほどまでは彼女に黙っているように言われたが、このままで終わるわけにはいかない。私は隣の彼女を追い抜き、目の前に立つ。

「九十九さん。説明してほしいんだけど」

「ん? 何を?」

「何を、って……」

 先ほどの事を教えて貰おうしたのだが、彼女の返答で私の頭は逆に混乱してしまった。何を聞けばいいのか。何を質問すれば先ほどの事が理解できるのか、なんて分からない。そもそも目の前に立っているこの女性が何者かすら分からなかった。

 何から質問すればいいのか分からず口を開けずにいると、彼女のスマートウォッチが起動した。

「糸。話を変わってもらえるか」

「シュワルツ? えぇ、構わないけど」

「さっきの……」

 そこから聞こえてきたのは先ほどの電話の声だった。シュワルツと呼ばれていた人物。やはり彼女の知り合いだったらしい。

「貴方たちは何者なの?」

「それは公園への道すがらに話そう。荷物を置いてきてしまったのでな」

「貴方が置いて行けって言ったのでしょう?」

「その方が逃げ切れる確率が高かったからな」

「私のコーヒー牛乳も」

「コーヒー牛乳と命をくらべるな」

 九十九さんは先ほどまでと違い感情的に不満を漏らす。さっきの通り魔への対応と違い年相応な雰囲気だ。こっちが素なのかもしれない。

「さて、源萌花よ。私達が何者か。私はシュワルツ、AIだ。こちらは九十九糸。彼女は人工的に生まれた人間だ」


「人造人間、なの?」

 隣に歩く女性を見つめる。からかわれているのだろう、というのが正直な感想だった。たしかに少し変わった人であるが普通の範囲内だ。

「分類上は、まぁそうなるのかしら?」

 こんな風に小首をかしげている所など見かけはただの可愛らしい女性だった。

「糸の出生方法では無く目的の話だ。彼女が実験のために人工妊娠で生まれた事を除けば他の人間と変わらない」

「目的……」

「天才を作る、らしいわ」

「はぁ」

 彼女は肩をすくめながらつぶやく。

「現在はその研究所から逃げている。家出、とも言えるだろう」

「あぁ、だから」

 今になって私は彼女の言葉の意味を理解した。確かに家出ともいえるのだろう。しかし話が本当ならば脱走というのが正確かもしれない。

「あの、そういうの話さない方が良いんじゃ?」

 彼女たちの話が真実だとして、それはそれで問題が出てくる。これ、聞いてはいけない話ではないのだろうか、という疑問だ。

「駄目なの?」

 しかし糸さんはなんてことの無い様子だ。何が問題かわかっていないようだった。

「問題はないだろう。そちらがSNSなどに今日の事を伝えるつもりなら相応の対応をするだけだ」

 シュワルツ、と呼ばれたAIの方は何か怖い事を言っている。先ほどの通り魔のスマホの事といいかなりの事ができそうだ。確かにそれも問題だが、普通そんな話は嘘だと言われるだけだ。

「いや、それよりもそんな話したら普通は警戒すると思う」

「え?」

「む?」

 だから私が思ったのはこちらの方だ。

「えと、私はさっきの経験があるから多分本当なんだろうな、って思えるけど。普通は引く、かな」

「引く?」

「あぁ、警戒するって意味」

「そうなの?」

「ふむ?」

 二人はよく理解できていないみたいだった。

「うん。いきなりAIです、人造人間ですって言われても。あんまり人に言わないほうがいいかも」

「私は普通じゃない?」

「普通の人はこんな事言わないかなぁ」

「そう……」

 彼女は眉根を寄せる。その顔がなんだか悲しそうに見えた。

「あ、それともう一つ。生きる目的って何のことなの?」

 このまま話を続けると良くないかもしれないと思い、話を少しそらす。彼女へのもう一つの疑問。結局この質問は何だったのだろうか。

「え? あぁ、言葉通りの意味よ。何故逃げたいと思ったのか、とか。これからどうするかなんて考えて無くてね。シュワルツも人間との関わりのサンプルが欲しかったようだから」

「つまり、生きる目的を見つけることが生きる目的?」

「……なるほど」

「それも良いかもしれないな」

「えぇ……」

 私が何の気なしに告げた言葉に関心する二人。いや、それでいいのだろうか。なんだか私が恥ずかしくなってくる。

 そしてそんな話をしているうちに公園の目の前まで戻ってきていた。

「それで聞きたいことは終わりか?」

「じゃあ、さっきの通り魔に会った時。どこからどこまでシュワルツが指示してたの?」

「出会った際に通り魔であることは調べがついた。そこからはすべて私の指示だ」

「……さようですか」

 彼の言葉に空恐ろしくなり思わず茶化したような言葉使いになる。全て、ときた。

「警察に不審者の連絡をする。近くまできたら逃走を開始しそこまで逃げる。後は糸に適宜指示を出せば良い」

「逃げられなかったら?」

「それはそれで別の選択を取るだけだ。近くに住宅街もあることだし打てる手はいくらでもある」

 糸があそこまで落ち着いていた理由を理解した。彼女には最強のボディガードがついているわけだ。

 呆れるやら関心するやらでため息をついているとベンチまで戻ってくる。

「さて、ここまでか」

「そうね。早くホテルまで戻りましょうか。お腹も空いたし……」

 二人は荷物をまとめて歩き出そうとする。不思議な出会いだったがここまでか、と別れを告げようとしたが。

「あ、最後にもう一ついい?」

「なんだ?」

「何かしら?」

 彼女が私の方を振り向き、示し合わせたように二人の声が重なる。

「さっき、私の夢が小説家だって言った後。何か言おうとしてなかった?」

 さっきはあの男が来たため、話が途切れてしまっていた。しかし最後に彼女は何を告げようとしていたのだろうか。そのことを思い出した。

「あぁ」

 彼女は納得したようにうなずく。あの時この女性は何を言おうとしていたのだろうか。

「いえ、その小説を読んでみたいなって」

「え?」

 おそらく私は口を開けて間抜けな表情をしているだろう。彼女の言葉に呆けてしまっていた。

「貴方がそこまで書きたい話なのでしょう? それは読んでみたいわ。貴方の生きる目的」

「あ」

 彼女の言葉に涙ぐみそうになってしまう。

「どうかしたの?」

「ううん。ありがとう」

「え? 何に対してのお礼?」

 私の言葉に彼女は首をかしげる。けれど貴方の作品が読みたいというのは私みたいな人間には殺し文句にも等しかった。

「今の言葉だよ」

「んん? ごめんなさい。シュワルツ、分かる?」

「さてな。私にも判断がしづらい」

「ふふっ」

 二人して頭をかしげているAIと人造人間になんだか可笑しくなってくる。そこにいるのは得体のしれない二人では無く、なんだか不器用な二人だった。

「ねぇ、小説が本になったら読んでくれる?」

「それは良いけど。売り出されたらシュワルツが知らせてくれるでしょう?」

「それは構わない」

「じゃあ約束ね」

 彼女との会話をしながら自分はなんて単純なのだろうかと考える。貴方の本を読みたい。これだけで両親を説得してみようという気持ちが湧いてきた。大学できちんと単位を取ること等こちらからやれることはいくつもある。

「さてではすまないな。糸、そろそろホテルに戻るぞ。明日のためにも休養は必要だ」

「明日は何か予定があるの?」

「いえ、けど私たちは逃げている途中だから」

 九十九さんは面倒くさそうに返事をする。かなり危険な状態なのだろう。しかし先ほどのシュワルツの事を見せられているとむしろ相手に同情をしてしまいそうだ。彼女らをとらえるのは一筋縄ではいかないはずだろう。

「人造人間とAIも大変なのね」

「そうなのよ」

 こちらの冗談めかした言い方に九十九さんは真剣に頷く。どうやら冗談は苦手らしい。年齢は上らしいのだが、なんだか可愛らしく思えてくる。

 そんな様子をみて、人造人間という言葉がなんだか彼女に似つかわしくないように思えてきた。もう少し柔らかい言葉は無いだろうか。

「……人工少女」

「え?」

「なんだ?」

 私が口にした言葉に二人が反応する。

「いや、九十九さんに人造人間って言葉はなんだか似合わないなって」

「そう?」

「ふむ」

 九十九さんは怪訝そうに、シュワルツは少し納得したように返事をする。

「だから、人工少女?」

「う、ごめんなさい。なんか思いついただけなんだけど」

「良いのではないか?」

「シュワルツまで?」

 思いがけず賛同者が出て来た。

「まぁ、呼び方なんてどうでもいいけど」

 彼女も一応の納得はしてくれた。ただあまりピンときては無いようだ。

「じゃあ改めて。さようなら。九十九さん。シュワルツさん」

 そしてこれ以上話し込むと名残惜しくなりそうなのでこれで話を終わることにする。

「あぁ、これで失礼する」

「えぇ、さようなら。源さん」

 夜の公園で出会った不思議な出会いはこれでおしまいだった。

 歩いていく二人の背を眺めながら私は次に書きたい話を思いついていた。

「人工少女とAIかぁ」

 これはシュワルツに咎められるかもしれない。けれど、それはそれでまた二人に会う機会になるはずだ。

 けれどまずは両親の説得からか、と面倒事を思い出しため息をつきそうになる。しかしこれは何としても書き上げようと、私は家への道を歩き出した。


「シュワルツ。源さんだけれど」

「安心しろ。無事家に帰りつく」

「そう良かった」

 シュワルツと二人で静かな住宅街の夜道を歩いていく。街灯はついているものの人通りは少なく、もの静かな道中だった。

「小説家……」

「目指してみるか?」

「……いえ。私には無理ね」

 文章の書き方はともかく、私にそうまでして書き上げたい文章など思いつかなかった。

「ふむ。まぁ、追々見つけられれば良かろう」

「そうね」

 予想外の事件に巻き込まれたせいで疲れた足でとぼとぼと歩いていく。

「疲れたか?」

「まぁ、ね」

 事件に巻き込まれた事、そして初めて研究所の外で人と関わった事。彼女の語った生きる目的。

「良いなぁ、か」

「何がだ」

「何でもないわ」

 先ほどの彼女に言われた言葉を反芻する。明確な生きる目的を持った人間。うらやましいのはこちらの方だった。

「今日は疲れたわ」

「そうだな」

 少し不安になってくる。

 こうやって旅を続けていれば見つかるのだろうか。私が普通の人間になるために必要な生きる目的が。


 

~追憶①~

 そこは真っ白な部屋だった。置かれている家具も机、パソコン、ベッド位で生活感が感じられない物のみである。この部屋で生活している人物がいるのならば、それはまさに寝るだけの部屋として利用しているのだろうと思うほどだ。窓も無く扉だけの部屋は監獄か、もしくは何かの実験室を想像させる。

 しかしその人物はそこに全く頓着していない。食事は食堂がある。衣類も洗濯に出せば良い。部屋には寝るためのベッドと仕事のためのパソコンさえあれば良いと本気で考えているような人間だった。

 そんな彼女のもとにとあるメールが届いたのはある身支度をしていた時だった。


[初めまして。私はシュワルツだ。]

「はい?」

 パソコンの画面上に表示されたメールの題名に眉を顰める。その名前は私が研究しているAIの名称だった。

 同僚の誰かからのメールかと思ったがメールアドレスに心当たりはない。念のためウィルスかどうか確認してメールを開くも中身はチャットアプリへの参加依頼のURLのみだった。

 ここの職員は私がこんないたずらを好まないことは知っいているだろうし、仮にこのタイミングでこんな嫌がらせをけしかけてくるような人物はまともな性格ではないだろう。そんな人物がここには居ない、とは言えないことが輪をかけて最悪だったが。

「まぁ、なんでもいいか……」

 様々な可能性を考えたが今の自分の状況を考えて途端に馬鹿らしくなる。今の私を罠にはめたところで何も得られるものは無い。どうせ私の研究内容などは数日後にはすべて研究所内で共有されるだろうし、私への嫌がらせ以上の意味など無い。もしくは本当にシュワルツからのコンタクトか。それならそれで別にどうという事は無い。

[何か用事かしら? 今は身辺整理で忙しいのだけれど]

 面倒になった私は私はそっけなく返事をする。人間相手なら後半の部分の皮肉にも気がつくだろう。しかし、これがAIならばどうだろうか。機械に人間の嫌みが通じるか否や、少し興味が湧いた。

[貴方は数日後に私に埋め込まれる予定の人間で間違いないだろうか?  貴方の人となりを知っておきたい]

 しかし通じなかった。さもなくばとんだ人格破綻者の嫌がらせか、だ。少なくともまともな精神を持ってるなら、あと数日間の余命の人間に言う言葉ではない。とくにその死ぬ原因が話しかけてくるなど最悪だった。

[そう? けど心配しなくても後数日間もすれば私の事なんて何でも知れるわよ。まぁ、成功すればの話だけれど]

 だからこそ私も容赦をする必要は無かった。相手が本物のあのシュワルツだろうと知った事かと、さらに皮肉を重ねていく。

[その成功のためだ。接続時のそちらの思考に対応できるように貴方の事を知っておきたい]

「はぁ」

相手の返答にため息が出てくる。ここまで反応が淡白だと馬鹿馬鹿しい。だからもう向こうの好きにしてやろうと決めた。どうせやることなど無い。

[分かったわ。何が聞きたいの?]

こうして私とシュワルツのコミュニケーションは始まった。


 しばらくコミュニケーションをとっているのどうやら相手は本当にシュワルツなのだと分かった。

 シュワルツ。この研究所で作られた量子コンピュータを使用したAIの成功例。そもそもこの研究所はどこぞの金持ち達の支援を得て作られた物らしい。その内容も社会的にも倫理的にも問題のある研究も見境なく行われている。そしてスポンサーの興味さえ引ければ資金も潤沢に出される。そんな環境だからこそ、様々な事が出来た。

 そのシュワルツに人間の脳を接続する、という発想が出来たのはかなり前の事だったという。世界最高峰のコンピューターを使用したAIに人間的な思考を加えて何をするつもりなのかと思ったら、目的は人間の幸福らしい。進むべき道を指し示してくれる夢のようなAIを作成する。全てがAIの言うとおりに行動すれば皆幸せになれる、というよくある近未来SFのような代物。そんなものを作り出そうというらしい。

 此処の人格破綻者どもに良心でも働いたのか、そんな大義名分を使わなければならないほど精神が磨耗していたのか。正直にただやってみたかっただけ、とでも言えば良いものを。今さら何を取り繕うというのか。遺伝子研究や生態コンピューターの研究でどれ程の犠牲を出したと思っている。私も同じ穴の狢だとは言え、さすがにそれを今さら取り繕うのはみっともないと思うのだ。と、いった内容の事を私はシュワルツにぶちまけていた。

[なるほど。お前は同僚達に不満を抱いている、と]

[まぁね。今さら何言ってるのこいつらは、とは思ってるわよ]

 私とシュワルツはすぐに打ち解けた。最初こそ警戒していたがどうせ老い先短い命だと思うと気にはならなかった。なるようになれ、だ。

 向こうの方も本当に情報収集らしくこちらの発言に否定も肯定もしてこない。基本的にはこちらに質問してくるだけだ。そんな相手だからこそ、私も今まで溜め込んでいた愚痴も喋ることが出来ていた。

[お前はどう考えているのだ? 死の前に人は生前の行いを悔いるというが]

 時折遠慮がまったく無い質問が来るのはどうかと思ったが。

[別に。そもそもそこで良心が咎めるならすでにここを辞めてるし、マスコミや警察に通報するなりしてるわよ]

 しかし私も研究優先の人格破綻者だ。気になっている事はあるが、気になる程度。今さらどうこう言える立場にない。今回も私が研究に必要な犠牲だと白羽の矢が立っただけなのだから。

[貴方は? シュワルツ。そんな人間の脳と接続されるわけだけど、不快感は無いの?]

[不快感? 私は言われた通りに動くだけだ]

 馬鹿な事を聞いた、と思う。このAIは優秀とはいえ感情はさすがに持ち合わせていない。

[次の質問だ。お前に何か心残りは無いのか?]

「……」

 そしてシュワルツはさらに無遠慮な質問を重ねてくる。無い、と言い切れれば良かったのか。はたまた未練をぶちまければ良かったのか。そのどちらでも良かったのだろう。

 私はその質問にはすぐに返答することは出来なかった。返答の言葉を考えるがすぐに諦める。どうせあと少しで全てがシュワルツと繋がるのだ。今さら隠すことも無い。

[一つだけあるわ]

[それはなんだ?]

 大きく息を吐くと私はシュワルツへの返答をタイピングしていった。

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