第9話 頼み
その瞬間に蒼空の眼に再び敵意が宿った。そしてすぐに石田さんが「落ち着け」と冷たく言い、蒼空を落ち着ける。
先ほども見たような光景だが、今回蒼空が放ったものは敵意を通り越して《殺意》だっただろう。それほどまでに蒼空を怒らせてしまったのは、黒岩さんが謝る立場でありながら、その原因となった柚香ちゃんをわたしのマネージャーにしようとしたからだろう。
しかし黒岩さんは先ほどの蒼空の殺意を受けても冷静に、今の発言に説明を加えていく。
「清水さんの声を奪った娘をマネージャーにしてもらおうという厚かましいお願いをしていることは重々承知しています。ですが、これにはしっかりと理由があるのです」
黒岩さんは言葉を切り、一息ついてまた話し始める。
「柚香をマネージャーにすることで、私が清水さんの様子や悩み、企画などを知り、事前に根回しをしたり、裏から支援したりすることができます。これが私が思いついた、生涯の償いです。もちろん柚香も反省しており、二度と過去に行ったような行為は行わないと誓います。何より清水さんの負荷とならないように、柚香との連絡方法を清水さんの望まれるように——」
「ふざけんなよ」
蒼空がもはや呆れたように黒岩さんを見下ろし、淡々と言い放つ。
「黒岩さん、お前は本来、萌恵に関わっていい人間じゃない。お前の娘もそうだ。今回はお前が選手部長だから所属希望者との面談が仕事として与えられているから例外的に萌恵と接触しているんだ。そんなお前が萌恵が所属したら自分の娘をマネージャーにつけろ、と?」
口調こそ落ち着いてるが、言葉からは憎悪と軽蔑があふれている。
今まで蒼空の怒りが黒岩さんにぶつからないように止めていた石田さんがまた止めるだろうとわたしは思ったが、石田さんはは何か考えているようで蒼空を止めない。
蒼空は黒岩さんの前に歩いていき、わたしの前に立ちはだかるようになる。
「・・・・・・俺らの前から失せろ」
黒岩さんは蒼空の命令に従っていいのかどうか一瞬狼狽えたようで、石田さんの方を向いた。
すると石田さんは一瞬わたしたちの方を見た後、少し困った目で黒岩さんに向かって小さくうなずいた。
「——分かりました。一応面接での質問内容は終わっていますので、私はこれで失礼します」
そう言って黒岩さんは資料を持って立ち上がり、うつむき加減でドアの方へ歩いていく。
ドアノブに手をかけた時、ふとこちらを振り返り、
「清水さん、本当に申し訳ありませんでした」
と言って頭を下げ、部屋を去っていった。
「・・・・・・さて、ここからは社長直々にいくつか訊くか」
石田さんはさっき黒岩さんが立ち去った椅子に座り、足を机に乗せて組むという社長かどうか疑うようなお行儀の悪さを前面に出す。
「僕は二人にそれぞれ一つずつ質問がある。まずは鈴木からだ」
石田さんは蒼空の方を見る。
「黒岩のあの話、事前に聞いてた?」
「聞いてないです」
「だよね・・・・・・。どうしたもんかな」
石田さんは天井を見上げ、「アイツすんごい優秀なんだけど、今は個人的な話多すぎたよな・・・・・・まあ、アイツの対処は後で適当に決めるか」と呟き、今度はわたしの方を向く。
「それじゃ、今度は清水」
わたしは石田さんの眼がこちらを向くと、勝手に背筋がピンと伸びる。
「仮に合格、所属できたとして、《Harbinger》の環境はきちんとわかっているか?」
——今更何を言っているんだろう。当然分かって来ている。
わたしは全て知っているような気でいたが、石田さんが言ったのはわたしの知らないことだった。
「《
石田さんは何でもないように言ったが、わたしは目を剝いた。
実は今まで、《Harbinger》からは数人選手が引退している。その度に「所属選手が置かれる環境が劣悪なのではないか」とか言われてきたが、劣悪と言うよりは「実力主義」の環境らしい。
——けど今まで何度か《Harbinger》の選手と
わたしが頷くと、石田さんは「そうか」と満足げに言った。
「・・・・・・さっきのアレがあってもここに残ってるのは正直すごい。そこも含めて清水はぜひウチに欲しいな」
——じゃあ、もしかしてここで合格が・・・・・・!
「けど、しっかりテストは受けてもらわないとな」
どうやら石田さんは上げて落とすのが大変上手らしい。
一瞬できた期待が一瞬で破壊されてふくれっ面になったわたしに、蒼空は苦笑する。
「しょうがないだろ。テストを受けないとお前の実力が他の所属選手と比べられないんだから」
「そういうことだ。早速今から、と言いたいところだが、さっきの件で精神に負担がかなり残っているだろう。黒岩の話を考えるという意味でも、今日は休んで、また明日来てくれ。宿代は出す」
そう言って石田さんは懐から宿代だけにしては異常に分厚い茶封筒を取り出し、蒼空に手渡した。
「ついでに清水の服も買ってくれ。スーツよりかは緊張が多少マシになるだろ」
「いや、服買っても余裕で余るでしょ。なんですかこの量。厚さ一センチはありますし、全部
「余りはさっきのやつの謝罪みたいな感じだ。足りなかったらすまん、追加はこのくらいまでなら出せる。これ以上だと降ろさなきゃダメだから、少し遅れる。あと税金が面倒になる」
石田さんは両手の指を広げる。さっきの封筒に入っていたのが一万円札だったということを考えると——
「・・・・・・一千万? 全部で千百万?」
蒼空の目が落ちるのではないかと心配になるほどに開かれている。わたしもかつてないほどに目が開かれているのが分かる。
「・・・・・・萌恵、どのくらいもらう?」
わたしは全力で手を交差させ、バツ印を作った。
「要らないそうです。けど俺の自己満と欲望でこのくらいはもらいます」
蒼空は指を二本立て、さらっと追加要求した。
「分かった。明日まとめて渡す。税金分は追加で出しとく」
石田さんも特に驚きも笑いもせず、真顔で承認した。
「それじゃ、今日はゆっくり休んで、明日、もっと休みがいるなら明後日でもいい。
石田さんはわたしによく休むように言うと立ち上がり、なんと頭を深く下げた。
「今日はあんなことがあってすまなかった」
わたしと蒼空は硬直した。そのまま何秒か過ぎたころ、蒼空は頭を上げるように促した。
「社長は別に謝る必要はない。本来謝るべきは黒岩でもなく、萌恵を追い詰めた本人だ」
「——ああ、そうか」
石田さんは蒼空の考えを理解したようで、ドアに向かって歩き出した。
「さ、面接は全部終わりだ。あとは後日、実技試験を受けてもらうだけだ」
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