第8話 少女は機械人形の夢を見るか?
緑の苔がふさふさする窓辺のテラリウムに水をやりながら、礼子は昨日の自分の行動を思い返していた。
(シンに抱きついて、しかも大泣きして……。
すごく、恥ずかしいっ!)
篠原博士やルーカス医師に抱きかかえられ運ばれることはあっても、歳の近い男性に自分から抱きつくなどということは、礼子にははじめてのことだった。
(シンは、
息がかかりそうなほど間近で見たシンの顔を思い出し、礼子は真っ赤になった。
微かに寄せられた眉毛に通った鼻筋、引き結ばれた口元。
その口から、いつもとは違う響きで名を呼ばれた。
目は、まっすぐに礼子を見つめそらすことはなかった。
あの時見たシンの瞳は長いまつげに縁どられ、冬の夜空のように澄んで綺麗だった。
どくんと急に礼子の動悸が早くなる。
これは発作ではない。
(わたし、シンに恋してる!?)
礼子は、自分の気持ちに気づいてしまい恥ずかしさで、その場にへたり込んだ。
★
それからというもの礼子はシンの顔を直視できない。
かわりに、シンの行動や様子に今までよりも目がいくようになった。
シンは、無駄のない洗練された動きをする。
立つのも、座るのも、歩くのも音もなくスッと行動する。
ただ、物に触れることだけはひどくためらう。
礼子に対してだけではない、テラリウムに触れることもレアリテを取るように頼むときも、手を伸ばし触れる寸前で一度手を止める。
そして、その一瞬だけ人間くさい表情をするのだ。
奥歯をかみ締め痛みに耐えるような、辛そうな顔。
シンは、アンドロイドなのだから痛覚などないとはわかっていても、それはやはり苦しんでいるようにしか見えないのだった。
シン自身は気がついていないのだろう、次の瞬間には何事もなかったかのように無表情にもどるのだから。
そして、もうひとつ気がついたことは、彼は礼子が思っていたよりずっと彼女のことを見つめていたということだ。
(いつから、こんなにシンはわたしのこと見てたの!?)
知ってしまうと、礼子は困ったような恥ずかしいようなどうしてよいかわからなくなった。
最初の頃は、さほどシンは礼子に興味がなかったように感じていた。
世話役としてシンは来たのだから、今のこの状態が当然なのだと自分に言い聞かせても、礼子はシンの眼差しが気になって仕方がない。
シンの方をチラリと見てみると目が合った。
恥ずかしくなり、顔を背けたが笑いかけたら笑い返すのだろうか?と、ふと思い立ち引きつりながらも、にこりと笑いかけてみる。
そんな礼子を、シンはいつもと変わらぬ顔で見返したが、シンの些細な表情を判別できるようになった礼子はそれが困惑しているのだとわかった。
ばかばかしいことをしてしまったという照れを隠すため、礼子はわざとらしく咳ばらいをしシンに命令した。
「コホン。もう一度わたしの目の前でリンゴを剥いて見せなさい」
「うまくできるかどうか、わからない」
「それでも、いいわ」
シンは、両手をじっと見つめた。
そして、親指、人差し指、中指と順に折っていき拳を作ると、ゆっくりとそれを開いた。
それは、祈りの込められた神聖な儀式のように礼子は感じた。
だから、リンゴとナイフを手渡すときに自然と応援したい気持ちになり彼の両手を包み声をかけたのだった。
「大丈夫! きっとできるから」
シンは、一度目を伏せてからゆっくりと、リンゴを剥きはじめた。
リボンのような赤い皮がつむがれていく様子を見ているうちに、礼子の心は静かになっていった。
(もうすぐ手術……。
それまでの間、シンと過ごす時間を大切にしよう。
失敗しても成功しても、シンとはお別れなんだから……)
礼子は、緩やかなカーブを描く赤いリンゴの皮を見ながら、ふいに思いついたことを言ってみた。
「ねえ、シン。デートしよ」
「デート?」
シンは、ちょうどリンゴが剥き終わり、手を止めた。
「シンの言ってた場所に連れて行って」
「
「木も小鳥も本物なんでしょ? わたし行ってみたい!」
切り分けられたリンゴの皿を手渡され礼子は元気よく頬張った。
シンも、それにつられたのかシャリリと音を立ててリンゴを口にした。
「
「問題はない」
礼子は、一瞬首をかしげたが一緒に食べることができるなら楽しいだろうと思い直した。
「そうだ、シン。デートなんだからその服やめてね。シャツもズボンも真っ黒なんておでかけには向かないわ」
確かに、上下黒の服装はそれなりにシンに似合っていた。
しかし、礼子自身はおしゃれをし、お気に入りの白いワンピースを着ようと考えていたのでシンには対照的な色は着てほしくなかったのだ。
それに、乙女心としてはもっと違う服装の彼も見たい。
「なら、篠原博士から研究所の制服を借りておこう」
「ええーっ! 確かに、研究所の制服はシンの真っ黒な服装よりは白いよ。でも、それは白衣をイメージしてるからであって、おしゃれってわけでは……」
研究所の制服は、2種類ある。
式典などに着る『公式服』と作業着も兼ねている『制服』。
公式服ならば長いジャケットに白に金のラインの入ったものがあるがそれではデートには仰々しい。
借りるなら、普通の作業着になるだろう。
白のハイネックに薄いブルーの切り替えし、スラックスも白だ。
必要によってジャケットも白衣もある。
「んー。わかった黒じゃないなら、研究所の制服でも何でもいい!」
礼子はぶつぶつ文句をいいながら思案し、半ばやけになって了承したのだった。
★
礼子は、シンとの約束の日、目覚まし時計よりも早く起きた。
月都市の天気予定では今日も晴れだった。
都市ドーム内は既に、人工太陽光で明るい。
窓を開ければ、ドーム越しに青い地気が見えた。
月都市に来てから、地球を見上げることなんかなかった。
あれは見上げるものじゃなくて、住むものだ。彼女はそう思っていた。
視界に入ってはいたが、そのたびになにか安っぽいSF映画のようだと現実味が湧かなかった。
ただ、今は違う。
世界がきれいだと思う。
(わたしの中でなにか変わったのかな? 恐れも、焦りも、気持ちを押し殺す必要もない。そう思ったら、自分の中で渦巻いていた嵐が、穏やかなそよ風に変わった気がする)
遠くに見える地球が愛しく思える。
「よっし、今日はシンとデートだ!」
約束をした日からずっと用意していた、白いワンピース。
いつも着ている普段着も白のワンピースではるのだがそれは、薄いブルーの袖がついてある研究所の制服だ。
研究所の建物内に居住スペースがあるため、その方があまり目立たず都合がいいというのと、作業効率を考えて動きやすく清潔にできていて、着心地がいい。しかし、かわいらしさにはいささか欠ける。
今日のために選んだ白いワンピースは、一番お気に入りのもので礼子の亡き母が若い頃に着ていた特別な服だ。
柔らかな綿にレースがあしらわれたシンプルなデザインだったが、ふんわりとした袖口が花のようで気に入っていた。
お化粧はしないが、それでも少し色のついたリップクリームを念入りに塗った。
(なんか普通の女の子みたい。
でも、デートの相手は
礼子はくすくす笑った。
シンは、どんな格好をしてくるかな?
やっぱり制服?
わたしのこと見たら、なんていうかな?
どんな顔をするかな?
かわいいって言ってくれる?
鏡の前でくるりと廻る。
フレアスカートの裾がひらひらと踊る。
――――― そのときひどく床が揺れたような気がした……。
へんね、今日だけは頑張らないといけないのに。
☆☆☆
シンは、いつもと変わらない様子で礼子を迎えに来た。
しかし、服装はいつもの黒い服ではなく、まして、篠原博士から借りるといっていた研究所の制服でもなかった。
礼子は、その真の姿を目を見開いて上から下まで何度も見返してしまった。
「おかしいか?」
彼は、爽やかな白い開襟の綿のシャツにジーンズ姿だった。
シンプルな組み合わせだが、素材の良いものを着ているせいかやぼったい感じは全くせず、とても似合っていた
。
(ど、ど、どうしてこんなにいつもと違うわけ!?)
服装だけではない。いつもは長めに下げてある前髪が今日はいつもより顔が見えるように流してあった。
それに、靴もスニーカーではなくおしゃれな革靴。
(これに似た靴をどこかで見たような気がする……)
礼子は、思案の末心当たりを言ってみた。
「今日のこと、ルーカス先生にしゃべったでしょ?」
シンは、いたずらっ子のようにちょっと目を細めた。
(くやしー。シンとルーカス先生にしてやられた!
でも、まあこんなにカッコよくなったシンと一緒に歩けるんだから、ルーカス先生様々かぁ)
★
篠原博士に見送られ、二人は
宇宙連邦大学の月学校で、地球校が知識研究に秀でているのに対し、月校では主に即戦力として活躍できるような実践的な技術について学べる。
宙港の次に広いシャトル等が離発着できる施設があり、毎日訓練に小型宇宙船や戦闘機が飛んでいる。
万が一、宙港でトラブルがあった場合、総合士官学校はセカンド・ポートとして使用される。
今も、二人の上空月ドーム外側の宇宙空間を訓練用の小型戦闘機が次々と飛んで行った。
シンは、それをまぶしそうに見上げている。
その隙に、礼子は強引に彼の手を取った。
「シンの手冷たくて気持ちがいい」
デートらしく、手をつなぎたかったのだ。
(気持ちがふわふわする)
外に出るのは、最後の思い出作りみたいで嫌だと。
礼子はそう思っていた。
しかし、今日は少しも悲観的な気持ちになどならなかった。
これを最後の思い出作りにするつもりはない。
シンが連れ出してくれた外の世界。
シンがいなかったら、こうして外になんか出なかった。
だから、シンの願いもかなえてあげたい。
何も出来ない人形だって、途方にくれていたシン。
けどそんなことない!
(わたしには、大切な存在だとちゃんと伝えたい。
伝えることでシンの自信になるんじゃないかな? そうなったらいいのに……)
礼子は、つないだ手を、ぎゅっと握った。
★
どこをどういったか、シンはアカデミアにつれてきてくれた。
アカデミアの植物学科のプラント。
大きなテラリウム。
家どころか、城がひとつ丸ごと入るようなそんなドーム。
小さな地球がそこにあった。
月都市の緑化のために、月基地をあげて研究しているのだ。
「この白い花は?」
礼子が、頬を染めて見上げている。
「リンゴの花だ」
シンは、彼女を見ながら不意に言う。
「礼子のワンピースのような、花だな」
彼は、お世辞を言ったわけではなかった。
ただ、思ったことをそのまま言ったのだ。
しかし、礼子にとって、『かわいい』だの、『きれい』などというほめ言葉より、ずっとうれしかった。
木立がさわさわと鳴る。
(きれい……)
シンが笑う。
礼子も笑い返す。
ずっと、あなたの笑顔が見たかった。
わたし、シンのことが好きよ。
人間じゃなくても構わない。
だから自信をもって。
☆☆☆
「礼子! しっかりしろ!」
悲痛な声で篠原博士が、礼子を呼ぶ。
その声に、礼子は重いまぶたを上げた。
「父さん……? ここどこ?」
「部屋で倒れたこと覚えてないのか?」
心配そうに、礼子の顔を覗き込む父の向こうに見なれた天井があった。
礼子は、自分のベッドに寝ていた。
壁には、寂しそうに白いワンピースがかけてある。
(全部、夢だったの……?)
礼子は、両手で顔を押さえた。
「そんな……。今日、デートだったのに……」
「また行けるから今日は寝なさい」
「シンは……?」
「倒れたのを聞いて今日は帰ったよ」
「どうして……」
両手で顔を隠しても、流れる涙は隠しきれなかった。
「わたし、楽しみにしてたのよ……」
礼子は、シンに言い訳するかのようにかすれた声でつぶやいた。
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