1-6-2. 込み入った状況(章悟Side)

「いや、偶然菅澤がいたわけで、すげー偶然だ、って」


 昼休み、廊下を歩きながら僕は鵜飼の話を聞いていた。この前から、事あるごとに「ショッピングモールに友達と遊びに行ったら、灯子に偶然会って誘ったけど失敗した」という話を僕に何度もしてくる。


「で、さ、やっぱ、あいつらが悪いんだよ。菅澤を見つけて『一対一で誘うから』って言って別れたのに、あいつら、こっち見てたんだよ。俺からしたら、そのせいで菅澤は断ったんじゃないかって。まあ、ああいうクール? みたいな感じが逆に良いんだけど」

「まあ、うん」


 いまだに昨日のあの出来事が頭の中に残っている僕は、鵜飼に対して短い相槌あいづちを返すだけだった。 


 あれ以来、先輩とは連絡を取っておらず、また以前の状況に逆戻りしてしまっている。


 忘れもしない先週の月曜日、先輩は僕に告白した。


 そして昨日、僕は先輩に対する感情を自覚してしまった。


 いわゆる「両想い」だ。それで何も問題は無いはずなのに、結局のところ、気まずさがいまだに残っている……どころか、余計に深まってしまったような気がする。


 昨日はよく眠れなかった。起きるのも普段より遅くなってしまい、朝食も適当に手早く済ませてしまったし、教室に着いたのも始業時刻ギリギリだった。もしこれで灯子の面倒を見ていたら、確実に遅刻していただろう。どうやら風邪をひいたみたいで、今日は学校を休んでいるわけなんだけれど。


「ってか、菅澤の私服ってかなりラフなんだな。それであの巨乳がかなり強調されるって感じ。篠塚って、普段からああいう格好を見てるんだろ?」

「……ごめん、もう一回言ってくれる?」


 何だか今、鵜飼に質問されたような気がした。よく聞いていなかったので、僕は問い返す。


「今日のお前、何か変じゃないか? いつも、そんなこと聞かないだろ」

「そんなことないと、思うけど」


 鵜飼の言葉を少し焦りながら否定する。今のところは、この感情をあまり知られたくないんだ。


「てゆうかさ、さっきから話を聞いてない感じで……んっ?」


 鵜飼が何かに気付いた素振りで前方を向いた。合わせて、僕もそちらに視線をやる。


 先輩が、僕達から数メートル離れた地点でこちらを向きながら立っていた。


 昨日、僕と手をつないで体を寄せ合った、「月村壱歌」という小柄な少女。


 またこのパターンだ。どうして、二日連続で唐突に顔を合わせる羽目になるんだろう。


「……返しに、来たから」


 先輩は僕と距離を詰めて、素っ気ない感じで昨日借りた傘を差し出した。どうやら、そのために一年生の教室がある階まで来たらしい。


 用事が済んだのか、先輩はすぐさま振り返ってこの場から離れていった。昨日の出来事にも、近くにいる鵜飼の存在にも言及することなく。


「えっと、あれが『先輩』か? タイは二年のだし」


 先輩の姿が見えなくなった辺りで、鵜飼が声を掛ける。やはり、あの見た目で上級生ということに疑問を持ったみたいだ。


「そうだよ。会うのは初めてだっけ?」


 間を開けずに即答する。それも、僕の中の「焦り」を感付かれないようにするため。


「ってか、昨日、先輩と何かあっただろ?」


 しかし、上手くいかなかったようだ。鵜飼はそうやって急に核心に迫ってくる。


「……何かって、どういうこと?」

「昨日すげー雨降ったじゃん。だから、昨日あの先輩が篠塚に傘を借りたってことだろ? 篠塚の家に来たとか、そんな感じ?」 


 ほんの少しのやり取りを見ただけで、鵜飼はやや太めの眉毛をり上げながら色々と推理してみせる。テストの点数はあまり良くないのに、こんな時に限って勘が鋭い。


「それにさ、今日の篠塚、何か変じゃん? だからさ、多分だけど、あの先輩が、」

「ちょっ、ちょっと待って」


 僕はその言葉の続きを耳に入れたくなくて、鵜飼の推理を押し留める。


「話を、整理するね。先輩がうちに来たのは本当。でも、呼んだわけじゃないよ。偶然うちの近くで会って、雨が降ったから、雨宿りみたいな感じで」


「で、あの先輩に告白されたと」


 さっき押し留めたはずの言葉が鵜飼の口から出てくる。


「だから、そういうのじゃなくて……」


 正確には、告白されたのはそれより前だけれど、明確に否定することもできない。こうやって他人に自分の恋愛事情を話題にされると、何とも言えない気恥ずかしさが一気に込み上げてくる。


「先輩が本気になっちゃったんだろ? でも、お前は恋愛に興味無いんだよな? じゃ、断ったんだろ? そうだろ?」


 鵜飼は意地悪そうな笑みを浮かべる。こうなることが分かっていたから、例の件については黙っていたのに。


 多分、適当に言っているんだろうけど、何だかもう隠せないような気がした。観念せざるを得ない。


「いいかな、って……」

「えっ、何だ? もう一回」


 今になって、告白した時の先輩の気持ちがよく分かった。自分の奥にある感情はすぐに口に出せない、ということを。


「……だから、先輩と付き合うのもいいかな、って」


 ついに言ってしまった。口にすると、それが形となって確かなものになっていく感覚がある。


「お前、菅澤は恋愛対象じゃない、って言ってたよな?」

「急に、どういうこと?」


 灯子がいきなり話題に出てきたので、僕は困惑する。


「ああいうロリっぽいのが好きなのか? 制服着てないと完全に小学生だろ。だから、菅澤みたいな女子は興味無い、と」

「別に、そういうわけじゃなくて、小説の話とか、色々と楽しくて。『そういう視点で見てくるんだ』とか」


 先輩は小さくて可愛らしいのは事実だけれど、なぜか僕は、自分の口からそう認めることができなかった。


「まあ、篠塚に彼女ができた、ってことで、オッケー?」

「……正式には、まだそうじゃなくて」


 そうだ。まだ先輩にちゃんと返事していないんだ。これで「彼女」とか言うのは何か違う気がする。


「正式に? 何だよそれ?」

「僕の方も、よく分からないんだよ。昨日、微妙な感じで別れちゃって」

「だから、微妙って何だよ?」


 さすがにその部分までは勝手に推理してくれないようだった。これでもし当てられたら盗撮を疑うだろう。


「先輩と二人でいたんだけど、灯子が急にうちに来て、それで何だか変な空気になっちゃって」


 昨日の出来事をかいつまんで説明する。手を繋いだこととかは省略。言ったら余計にからかわれるだろうから。


「先輩は、菅澤のこと知ってたのか?」

「知らなかったと思うよ。特に話していなかったから」

「……お前さ、変な癖あるよな」


 そこで、鵜飼はこちらを見据えながら、ややトーンを落として言う。


「自分のこと、話さないとこあるよな。この前だって、文芸部のことすぐ俺に教えなかったし。だから、菅澤が急に現れて、先輩が驚いたんだろ?」

「そんな、人を幽霊みたいに……」

「だって驚くだろ。篠塚の彼女みたいなのが出てきたら」

「彼女って、灯子のこと?」


 鵜飼の言葉に引っ掛からずにいられなかった僕は、そうやって問い掛ける。


「他に誰がいるんだよ」

「それなら、絶対違うから。この前も言ったけど、恋愛感情があるわけじゃないから」

「でも、先輩からしたら、『えっ? 二股?』かもしんないじゃん」

「そんなこと言われても、ただ、うちにお風呂借りに来ただけなんだし」

「……何だそれ? 女子に風呂貸して、その横で別の女子呼んだわけ? お前って、そんな奴だったの?」

「変な言い方しないでよ。灯子の方が勝手に入りに来たんだから。僕の方も、まさかいるとは思わなかったし」


 鵜飼が本気なんだか冗談なんだか分かり辛い調子で聞いてきたので、僕はそう釈明する。


「まあ、とにかく、先輩は浮気を疑ってるかもしんないじゃん? 微妙な感じって、そういうことなんじゃねえの?」

「でも……」


 言い返そうとしても、明確に否定できない。僕は灯子に恋愛感情を持っていないことは事実だけれど、それが先輩に伝わっているかどうかは分からない。


「あとさ、菅澤の方もそうじゃないかって思うけど」

「どういうこと?」

「菅澤って今日休んでるのか? 一緒に登校してなかったし」

「そうだよ。風邪ひいたみたいで」

「それって、失恋のショックで起き上がれないとか。『私の方が付き合い長いのに、何で奪うの?』みたいな」


 鵜飼がここで再び推理……いや、「持論」を展開する。


 灯子に限ってそんなことは絶対有り得ない。小さい頃からの付き合いだからよく分かっている。「嫉妬」という言葉とは無縁で、決して恋愛事に振り回されるような性格じゃないんだ。


 こんな風に否定するのは簡単なはず。なのに、僕はなぜかそれを言葉にして鵜飼に伝えることができなかった。


「……どうしよう?」


 もしかしたら、僕は知らず知らずのうちに込み入った状況に足を踏み入れてしまったのかもしれない。今になって焦り始める。


「まず、先輩の誤解を解いたほうが良いんじゃねえの?」

「分かった! ちょっと行ってくる!」


 言葉を残しつつ、僕は先輩がいるであろう二年生の教室に向かって廊下を進んでいった。


     * * *


 そうやって意気込んだものの、結局のところ、僕は先輩に会うことができなかった。


 授業が終わって自宅に戻り、自分の部屋で着替えながら色々と思い起こす。


 あの後、二年A組の教室に足を運んだけれど、先輩はおらず、結局のところ引き返すことしかできなかったんだ。放課後に部室や図書室にも足を運んでみたけれど、そこにもいなかった。


 また、もし先輩と顔を合わせることができたとしても、その状況からどうすればいい?


 「僕と灯子はそういう関係ではありません」と言ったところで、先輩は信じてくれるのか?


 今になって、そんなことに気付いてしまった。ある意味、今の状況で先輩に会わなくてよかったかもしれない。下手したら、余計にややこしい事態を招いてしまいかねないから。 


 それに、気に掛かっていることがもう一つ。


 鵜飼が少しだけ口にした、灯子が僕に好意を寄せている可能性について。


 単なる適当な軽口なのかもしれない。でも、それがなぜか真実味を帯びて、僕の頭の中にしつこく残っているんだ。


 思い起こしてみると、『恋ふた』はそういう話だった。


 ヒロインの一人、「かれん」は主人公「優人」の幼馴染み。元々恋愛感情なんて無かったはずなのに、成長するにつれて彼のことを異性として意識するようになってしまう。


 僕と灯子の関係性も「おさなみ」ということで違いないだろう。家が隣同士で、幼稚園児の頃からの付き合いなんだから。


 もちろん、これはあくまで小説の中の話。現実の人間を架空のキャラクターに無理に当てはめるわけにはいかない。そもそも、「かれん」はどちらかというと明るめの雰囲気。灯子とは似ても似つかないし、あのイラストみたいにワンピースを着ている姿がいまいち想像できない。


 かといって、「灯子が僕に対して特別な感情を持っているはずがない」と切り捨てることもできなかった。少なくとも、昨日から灯子の様子が妙であることは事実だ。


 何だか、僕と極力顔を合わせないようにしていたような感じがするんだ。それに、千里さんから聞いた話だけれど、どうやら外に出て駅前のベンチに座っていたらしい。単に近くのコンビニに用があっただけかもしれないけれど、普段は夜に出歩いたりしない灯子にしては珍しいことだと思う。


 まあ、風邪をひいたのは本当かもしれない。どうやら、みずたまりに体ごと突っ込んでしまったとか。これも千里さんから聞いた話だ。


 ひとまず、着替え終わったら灯子の様子を見にいこう。カーテンを閉めて部屋に閉じこもっていたら確認しようがないけれど。

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