4-7 その詩が照らすのは、

 翌週。パパと仁輔じんすけに相談しつつ、咲子さきこさんと過ごす時間を作った。「普通の距離感に慣れたい」という名目である。実際、平日は一緒に買い物に行くくらいしかない。


 木曜の夜、咲子さんの車に乗せてもらって近くのスーパーへ。

「はい、咲子さんお願いね」

「どうぞ~」

 今日の咲子さんは心身ともに元気そうである。やっぱり、あたしがそばにいると安心するのだろうか。

「今日も康さん忙しそうだったよ」

「結構遅いって連絡あった。あの感じだと面倒な案件?」

「そう、お偉方から難題があったらしくてね」

「内心で荒れてそうだなあ」


 ボロを出すことは少ないはずだが、本来のパパは交渉やら折衷が苦手な人間なのだ。もう慣れすぎて苦手じゃなくなっているかもしれないが、ギークな研究者気質が根っこである。あたしも似たようなものだ。


「……ねえ、ちょっと考えたんだけどさ」

「うん?」

「あたしが健信けんしん製薬に研究職で入る案、咲子さん的にはどう?」

「そりゃ私は嬉しいけど……資格なしでの就活、したくないんじゃなかったの?」

「それにこだわるのも勿体ないなあって」


 中学の頃に大卒の就活について調べたとき、あたしは「こんな建前合戦なんてやってられるか」と猛反発したのだ。それだって就活が伴うとはいえ、国家資格を基にしていた方がずっと良いだろう。


「パパの話聞いてたら、やっぱりあたしに研究職は向いてるだろうし。工場付きの研究課ならこっちに居られるから、パパと咲子さんの後輩にもなれるじゃん」

「だったら嬉しいなあ……私たちの同僚も喜ぶよ、あのとき面倒みてた子が社員にって」

「けどなあ、この辺に製薬ってあそこしかないじゃん。落ちちゃったら全然違うところに行くのが不安で」

義花よしかなら受かるよ、採用人数もちょっとずつ増えてるし」


 仁輔と結婚しなくても咲子さんのそばにはいられる、その可能性の一つとして浮かんでいたのが同じ会社だ。

 場所を考えれば薬剤師になって地元の病院なり薬局に勤務する方が有望そうだが。千波の話とパパの経験を踏まえると、大学にいる間に研究に打ち込むのも、仁輔に見せられる成長としてあり得るのではと思ったのだ。それに、意外なところで合う仕事が見つかるかもしれない。


「けどなあ、自信を持って義花をウェルカムできるほど、いい職場とは言いにくいかな」

 変わっただろうとはいえ、ママがセクハラに遭っていた会社である。今だってパパの心労の原因だ。

「天国みたいな職場なんてそうそうないでしょ。事業と内容が好きで大事な人がいるなら十分だって」

「康さんがいるのは気まずくないの?」

「あたしは大丈夫……ああでも、父親のコネで入ったとか言われるかなやっぱり」

「う~ん、そこは心配だなあ」


 こっちは辞めとこうか……まあでも、就活より大学の方が先か。県内に薬学系はないし、そこで県外に出るのは確実そうである。

「やっぱりさ、あたしはここで就職したいな」

「……ねえ、同性の恋人だったら都会の方が見つかりやすいんじゃない?」

「かもね。でもだったら尚更、こっちにいる人の味方したいじゃん」


 ネット論壇だと不人気な地方都市だけど、あたしはこの街がいい。

 この街が好きって女性と――好きじゃなくてもここで頑張っている女性とお付き合いできたらいい。もし、それができないとしても。

「大学の間は離れるけど、あたしは将来ずっと咲子さんと一緒にいるよ」


 ――恋人とかじゃなくても、咲子さんが一緒ならいい。

 これまでもあたしらしく生きられた場所だから、これからも一番あたしらしく生きられる。

「だったら私は幸せだよ、ありがとう」

 ハンドルを握りながら咲子さんは答える。横顔はいつもみたいに微笑んでいた……たぶん納得してくれている、と思う。


 ただ、どうにもあたしの心は寂しがる。

 決めていたわけじゃないけど、咲子さんと会った日はどこかでスキンシップを取っていた。握ってくれる、撫でてくれる、抱きしめてくれる、それがないと満たされない心地だ。


 けど、触れ合いたいのに出来ないのは、あたしに対する仁輔の感情でもあるのだ。あたしはハグくらいなら平気だったけど、ここまで性愛の不一致が分かってしまうと流石に厳しい。 

 仁輔に耐えさせているなら、あたしも耐えないと嘘だろう。

 だから今日は、触れるために触れたりはしなかった。頑張ったぞ、あたし。



 土曜夜、ミセミセさんの配信がある。今まではアーカイブで見ていたので、あたしにとっては初のリアタイ視聴である。

 ライブ配信サイトのコメント欄、同接は瞬く間に増えて50人くらいで落ち着く。並ぶコメントを見ると、やはり慕われているようだった。


「みなさんこんばんはHinamiです」

「Utanoです」

「今日もウタはsupremeに可愛いです」

「やったね、ヒナちゃんも綺麗だよ」

「……ねえ、ラジオ切って一緒にお風呂入り直そうよ」

「こらこら、喋ってください」


 ラジオ配信モードなので二人の顔は見えないが、とても自然体で喋っている空気だ。

 二人は今日の天気や夕食のメニューの話をしつつ、リスナーのコメントを拾っていく。あたしが初コメントの挨拶を送ると、眩しい声色で歓迎してくれた。


「さて、人も集まってきたところだし始めよっか」

「そだね、じゃあヒナちゃんからどうぞ!」


「くるぞ」「ざわ」系のコメントが流れだし、ミセミセ流の名乗りが始まる。


「Mrs.&」

「Mrs.」

「Shiny」

「Song」

「Hinamiと」

「Utanoと」

「あなたのライブ」

「「Let's go!」」

 エコーをかけての掛け合い、からのジングル。交代のラグを一切感じさせないテンポは、息が合うという域すら越えている。


 本編はしっかりコーナーで区切られており、今回はメール読みと回答がメイン。前半はミセミセの活動への感想や最近のブームなど、ライトな内容が多かった。送り主がコメント欄にいることも多く、軽快に言葉が往復している。


「さて、次は真剣な相談です。ラジオネーム、ギバンナさん。ここで返事してくれたら嬉しいけど、気が向いたらで大丈夫です」

 Hinamiさんの呼びかけへ、すぐに「私です、ありがとうございます!」と返す。


「お、いたいた……じゃあ、私から読むね」

「うん、お願いねウタ」

 ひと呼吸置いて、あたしのメールが読まれる。

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