その後の国王と王妃




 ディーデリックの負傷から始まったとんだ地獄絵図からひとまず抜け出した、もとい、逃げ出したステンであるが、むしろ本番はこれからではなかろうかという予感がすでにあった。国王夫妻の寝室。その扉の前でステンはどうしたものかとしばし固まる。

 絶対に、間違いなく、この扉を開けたが最後、過去最高に面倒くさい展開が待ち構えている――そんな未来図しか見えない。

 できることならばこのまま寝室を素通りして執務室に籠もりたい。あそこのソファは寝床として充分だ。

 決して妻であるティーアを拒絶しているわけでは無い。むしろ人として尊敬しているし、勿論妻としても愛している。が、だからといってそれで片付く問題では無いのだ、この扉の向こうで起きる事は。

 それもこれも全部あの思春期夫婦が原因だ。あいつら本当に覚えてろ、と国王としても、そしていい年をした成人男性としても器の小ささを露呈しつつステンは覚悟を決めて扉を開けた。


「陛下、今日こそ子どもを作りましょう!!」


 案の定、豪速球で問題しかない発言が飛んできた。








「王妃……うん、なんだ、まだ……起きていたのか」

「まだと仰いますけど、それこそまだこんな時間ですもの。寝るには早い時間でしょう?」

「あー……でも、健康のためと後なんだ……美容のためにも睡眠時間はしっかり摂らないとならないのだろう? それに沢山寝ないと大きくなれないぞ」

「またそうやって小さな子ども扱いを! わたくしだってもう立派な大人です! いつまでも小さなティーアではありません!」


 臣下や民衆の前ではたおやかな姿を崩さない王妃も、リサとディーデリック、そしてステンの前ではこうして年相応の姿を見せる。

 幼い頃から王家の人間として育ち、そして弱冠十一歳で和平の為にとかつての敵国に嫁いできた姫。それが王家に名を連ねる者の宿命だとしても、あまりにも過酷すぎる。

 だからこそステンは可能な限り手を尽くした。その一つに、ティーアを精神面で支える為にあえて寵姫を雇ったわけであるが、ある意味大成功である意味大失敗であった。

 せめて自分達の前でだけは、幼い姫の心が自由でいられるようにと接してきた。それと同時に、どうあがいても婚姻関係を続けていかねばならぬのだから、彼女にとって理想ともいうべき夫であろうとステンは努めた。淡い恋心を抱く事すら許されぬ状況に置かれた少女に、せめて擬似恋愛でもいいからそれに似た感情を抱かせてやりたいと、およそ一般女性が理想とする男性像であるようにと。


 その甲斐あってか、ティーアは年頃になると思春期特有の羞恥からステンを時に避けるような素振りを見せ、しかし傍にいたいと近付いてみたりと随分と素直に可愛らしい姿を見せるようになった。元からあった彼女の真っ直ぐな気性もそのままで、ステン達にだけは甘えた姿を見せた。

 これに関しては大成功、そして計画通り。だが、この最大の功労者である寵姫・リサの影響を大きく受けてしまったのは計画外であり、大失敗でもある。

 思春期夫婦のやり取りをステン以外では一番身近で見続けてきたのがティーアだ。他人の心の機微に敏感なのはティーアの方が二人より遙かに上なので、すぐにリサとディーデリックの気持ちに気が付いた。初恋をずっと抱え、すでに見事なまでに拗らせていたディーデリックの気持ちは元より、その時点では自分の恋心にすら気付いていなかったリサよりも先に。姉の様に慕うリサと、兄の様に慕うディーデリックのすれ違い夫婦にティーアはとても気を揉んでいた。どうにかして二人の仲を取り持ってやりたい。せめて、微塵も伝わっていないディーデリックの想いだけでも、とティーアは頭を悩ませた。


 リサとディーデリックのすれ違いなど幼い子どものやり取りレベルでしかないのだが、ティーア自身にそういった淡い恋の経験がないのでどうしたら良いのかが分からない。なのでティーアは自分が尊敬し、全幅の信頼を置いている相手に相談をした。つまりは、夫であるステンに。

 いったいどれだけリサとディーデリックの仲を進展させるための作戦会議が続いた事か。それでもやがて作戦会議は終わりを迎えたが、それは単に作戦会議から「今日のお姉様とディー」という報告会に変わっただけであるが。

 そうやって思春期夫婦の進捗を気に掛けることで、恋愛の醍醐味であるらしいやきもきとした感情を追体験しているのかとステンは耐えていたが、思っていた以上にあの夫婦の思春期っぷりが酷かった。そしてティーアは無垢な上に素直過ぎた。


 王家は常に民の手本となれ――それが彼女の生まれた国の指針であり、それ自体はとても素晴らしい事だとステンも思う。


 だが、しかし、時と場合によるのだとも言いたい。もの凄く言いたい。具体的にはまさに今。


「お姉様とディーはやっと気持ちを通じあわせて本当の夫婦になれたのに、子どもがまだなのは陛下とわたくしの間に子がいないからだと思うのです!」


 違う。それは違う。全く違う。これっぽっちもそれは原因では無い。あれは思春期を拗らせすぎたディーデリックが悪いし、それにトドメを刺したのはリサの覚悟が決まっていないからにすぎない。

 色々とした事情が、だなんてそんなものではない。ただ単に、お互い恥ずかしすぎて行為に及ぶことができないという、聞く側こそ羞恥で悶えそうな理由だ。

 ステンにとってもディーデリックとリサは大切な部下であり友人であり仲間である。正直なところ、身近な人間のそういった面は知りたくなかった。いたたまれないにも程がある。


「お姉様もディーも、陛下とわたくしのために全てを尽くしてくれていましたもの……きっと今回も、わたくし達に気をつかって……」

「いや……それは……ない……」


 あります! とティーアは頬をまた膨らませる。しかしティーアがどれだけ否定しようとも、事実はそうなのだからどうしようもない。


「それに、お姉様たちのことがなくても……そろそろわたくし達にも子どもは必要では」

「誰かに言われたのか?」


 血を残す事は貴族にとっての責務である。それが王族ともなれば尚更だ。幼い王妃ではその役目を果たせないと、ティーアが嫁いでくる前にそう口にする者は多かった。そういった輩は全て黙らせたはずであったが、まだ残っていたのか。それとも、年頃になったからこそ、新たに言い出す者が出てきたのか。

 ディーデリックに負けずとも劣らぬ程の皺を眉間に刻むステンに対し、ティーアは軽く首を横に振る。


「陛下とお姉様、それにディーがいるのに、わたくしにそんなことを言う畏れ知らずがいるはずがありません」


 そう、ティーアに対して少しでも悪し様に言えば、即座にリサがその倍とも言える勢いで舌鋒で黙らせにくる。その背後では護衛の騎士が今にも抜刀しそうな殺気を放ちながら立ち、最終的に国王が出てくるのだ。誰がそんな凶悪な面子を相手に喧嘩を売るものか。


「わたくしだって、少しはそういった応酬に対応できるように色々と勉強したのに……陛下とお姉様とディーが全部片付けてしまうんだもの……」


 過保護、と言われてしまえばその通り、と返すしかない自覚はある。だが、そうは言ってもステンにとっては大切な妻であり、お互いの国民を護る為の同士であり、そして庇護すべき子どもなのだから仕方がない。


「ですから、陛下が心配なさるようなことはありません。わたくしが、陛下との子が欲しいと思っているんです!」


 言葉だけならかなりの誘い文句である。そう、言葉だけなら。


「天からの授かり物ですもの、欲しい欲しいと思っていてもすぐに子を宿せるわけではないのは知っていますからね?」


 ちゃんとその辺りも学んでいますもの、とティーアは自信満々だ。たしかにティーアの閨教育には細心の注意を払って指導者を用意した。人柄的にも、子育ての経験にしてもこの人ならば安心して任せられると、満場一致でコンチトール侯爵家のマチルダ夫人に白羽の矢が立った。

 何事においても王妃様は勉強熱心で素晴らしいです、と夫人は教育の成果を報告してきた。ステンもそれはよかったと安心した。が、しかし、ステンはこの時失念していたのだ。知識と経験は全くの別物であるという事を。


「陛下の元へ嫁いで来た時ならいざしらず、今はきちんと知識を得ました。身体だって、もう子どもを宿すこともできます」


 じ、とティーアはステンを見つめる。その視線が「あとは陛下のお心次第です」と訴えており、ステンは何と返したものかと言葉に詰まった。


「……それとも陛下は、わたくしと子を成すのはお嫌」

「それはない」


 ティーアの言葉を遮る様にステンは言葉を重ねる。たしかにステンのこの態度ではティーアがそう勘違いをしてしまうのも無理はない。だからこそステンは強くはっきりと否定をする必要がある。本当に、彼女と子を成すのが嫌だというわけではないのだから。


「俺が子を産んで欲しいと思うのは貴女だけだ、王妃。和平の為という政略結婚ではあったけれど、一人の人間として貴女の事を愛している」


 真っ直ぐに瞳を見つめてそう伝えれば、ティーアは少しばかり頬を朱に染めて、そして心の底から嬉しそうに笑みを浮かべる。


「わたくしも、陛下のことが大好きです。初恋は実らないと聞きましたけど、わたくしはきちんと叶いました」

「俺は貴女の初恋の相手になれただろうか?」

「陛下があまりにも素敵すぎましたもの、よそ見をする暇すらありませんでした」

「それは良かった。貴女に好いていてもらえるように必死で努力した甲斐があったというものだ」


 ステンが口元を緩めればますますティーアの笑みも深くなる。


「さて……そろそろ寝ようか。今日は色々とあったから貴女も疲れただろう?」


 頃合いだろうとステンはそう切り出した。実際、視察に出た先で襲撃に遭い、そこからのあの騒ぎだ。精神的疲労はかなりのもので、じわりじわりと睡魔がステンににじり寄ってくる。ティーアからも同意が返ってくるとステンは思っていた。いや、それしか考えが無かった。けれども彼女はそれを裏切ってくる。


「まだお話は終わっていませんよ陛下」


 ジトリとした眼差しがステンに容赦なく突き刺さる。これはあれだ、「またそうやってうやむやにしようとしている」という子どもからの批判であり、そしてまさにその通りでステンはなんだか良さげな雰囲気を醸し出し、うやむやにして逃げようとしていた。


「……言っておくが、今口にした事に嘘はないからな」


 そこだけは念を押すが、ティーアは頷きこすれ流されてはくれない。


「わたくしだってそうです。ですが、それはそれ、これはこれ、と言いますし。それに陛下はいつもこうやってこの話をうやむやになさるもの……ですから今日こそは最後までお話をしましょう! 陛下はわたくしを愛してくださっているし、わたくしだって陛下を愛しています。なのにどうして陛下はわたくしと子どもを作ろうとはなさらないの?」


 真っ直ぐで素直に育ったティーアは自分の気持ちも相手の気持ちもそのまま受け取る。それは大変素晴らしい事である。ただ一つ、最も重要な要素が欠けているのだが、当の本人がそこに気が付いてない。


「陛下はどうしたらわたくしとの間に子どもを作ってくださるの?」


 ステンは天を仰いだ。心の中で。うああ、と漏れそうになる声を腹の奥底に押し込めて、吐き出しそうになる溜め息も堪えてゆっくりと口を開く。


「貴女が……ティーアが、俺を、名前で呼ぶなら」


 すると、それまで強気ですらいたティーアが一瞬の内に全身を真っ赤に染めて狼狽える。


「えっ!? そ、それは……、だって……陛下は、陛下ですもの!!」

「俺は王であるがその前に一人の人間で男だ。そして俺はティーア、君の夫なんだから二人でいる時は名前で呼んでくれてもいいだろう?」

「そうですけど……そうですけど! でも、……陛下のことは、もうずっと陛下って」

「そうだなずっと陛下でしか呼ばれていないな」


 はは、とステンの口から乾いた笑いが漏れるが、最早ティーアにはそこに気付く余裕など無い。


 王としての責務と、それと同じくらい抱えている妻への愛情。


 心身ともに健やかに育ってくれたわけでもあるし、臣下や国民、なんならティーアの実兄であるイーデン国王からも「そろそろ子どもは」と望まれてもいる。

 しかしこれである。こんな、夫の名前を呼ぶ事が恥ずかしくて堪らないと真っ赤になって涙まで浮かべる相手に、一体どうしろと言うのか。

 閨教育により知識は一応ある。しかし経験はゼロだ。普通の貴族の令嬢達ですら経験するであろう初恋や失恋などの経験、それによる感情の成長も色々すっ飛ばしてきている。


 早い話が気持ちが何一つ追いついていないのだ。


 ステンとしても、ティーアに確かな愛情は抱いてはいるが、それはまだ庇護欲だとかそいうった保護者的な気持ちがほとんどである。こればかりは仕方がない、なにしろ初対面が十一歳、それからずっと傍でその成長を見守ってきたのだ。一応の成人と呼べる年齢になりました、身体も子どもから女性のものになりました、だからはいどうぞ! と言われて「分かった」と即答などできようか。

 王族としての立場であれば本来ならばそうすべきなのかもしれない。それこそ一歩間違えば今日どちらかが命を落としていた可能性だってある。けれども、だが、しかし。


 自分の中でのティーアへの認識はまだ保護対象としての意味合いが強く、そしてそのティーアは今こそまさに初恋の真っ最中の様な状態。そんな彼女に行為を強いるなど、それが自分自身だとしても、ステンからすれば一刀両断晒し首、という程の許されざる話だ。


「まずは俺の事を名前で呼べるようになってから。話はそこからだ」


 そもそも本当に彼女の閨教育はちゃんとしているのだろうかと、今更ながらにステンは不安になってくる。名前を呼ぶ事すら恥ずかしがっているというのに、子どもを作ろうと元気に誘いをかける事ができるのは何故なのか。女性の、しかも王族相手のそういった教育がどの程度具体的なのか、ステンは詳しくは知らない。長く戦状態が続いていた国同士でもあるから、暴漢に襲われた時の対処法なども教えるとは聞いているが、他はどうなのか。肝心な所はきちんと教えているのだろうかと。

 ステンの不安はまさにその通りであり、実際ティーアはかなりふわっとしか行為の中身は教えられていない。最終的には「全て陛下にお任せになれば大丈夫です」で締め括られている。


「名前っ……名前を、呼ばなくても陛下とわたくしの気持ちは繋がっているはずです!」

「それは違いない」

「では」

「俺が単に呼ばれたいだけだ」

「それじゃあわたくしおばあちゃんになってしまいます!」

「せめてそうなる前に呼んでくれ! 本当に! 頼むから!! そんなに俺の事を名前で呼ぶのが嫌なのか?」

「いやなわけありません!」

「だったら」

「陛下が素敵すぎるんですもの! 名前呼んでしまったらわたくしもうどうしたらいいのかわからなくなってしまいます!」


 なんとも可愛すぎる言葉の暴力である。そんな暴投をしておきながらティーアはシーツにくるまって逃げた。小さな山がプルプルと震える様は視覚的にも破壊力が大きい。

 ああなんだっけリサもたしかディーの事を頑なにディーデリックと呼ぶのはそんな理由って言っていたなと、ここでも寵姫の影響力を痛感する。

 やはり諸悪の根源はあの二人である。自分達、というか、ティーアのさらなる感情の成長の為にも早々に思春期夫婦をどうにかしなくてはならないと、ステンはそう強く心に決めた。


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雇われ寵姫は仮初め夫の一途な愛に気がつかない 新高 @ysgrnasi

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