2(その後の思春期夫婦・1)
撃沈する思春期夫婦、虚空を見つめるしかない国王、それらに気付かずはしゃぎ回る王妃、というある種の地獄絵図の様な空間は、ディーデリックの様子を見に来た医者の登場によりひとまず終了となった。
一体何がどうしてこんなにも患者の気力が奪われて、と医者は呆れ果てつつリサに薬の説明を行う。骨折とヒビだけでなく、両足には裂傷や打ち身による痣も多数ある。痛み止めと化膿止めの飲み薬を毎食必ず服用する事、そして化膿止めの塗り薬もあった。
やっぱりこれはたいした怪我、なんてものではないじゃないですか、とリサは改めてディーデリックを見るが、気力を根刮ぎ奪われたのもあってか当の本人はうつらうつらし始めている。身体が休息を求めているのだと、医者が手早く容態を確認する。
「ひとまずゆっくりじっくりしっかりお休みください。ご無理は決してなさらぬ様に。決してです」
医者の指示がしつこい。致し方なし、とこの場にいるディーデリック以外の人間は大きく頷いた。
やがてディーデリックの瞼は完全に閉じ、ややあってすうすうとした寝息が聞こえ始めると国王夫妻と医者は静かに部屋から出て行く。残されたのは妻であるリサだけだ。
医者からは薬の服用の仕方と同時に、包帯の巻き方なども教わっている。忘れぬ内に復習だと、リサはソファに腰を降ろすと自分の足を使って練習を始めた。
ディーデリックの様子を看つつ、薬の確認や包帯を巻く練習、そして見舞いに訪れる他の護衛の騎士達の相手をしていればあっと言う間に時間は過ぎる。夕食の時間になってもディーデリックは深く眠っており、リサは侍女が運んでくれた食事を摂りつつも段々と不安になってくる。こんなにも目を覚まさない物なのだろうか。起きていた時はそういつもと変わらない彼の姿だと思っていたが、実は相当に無理をしていたのでは。
何かあったらすぐに連絡をする様にと医者には言われている。今の彼の状態は果たして「何かあった」状態なのかどうなのか、リサには冷静な判断が徐々に出来なくなっていた。
侍女に促され湯浴みをしている最中も気が気ではなく、可能な限り最速でディーデリックの元へ戻る。不在の間看てくれていた侍女は「良く眠っておいでですよ」と安心させる様にリサへ微笑みかけた。その笑みに、自分が余程不安げな顔をしていたのだと気付き、リサも苦笑と共に侍女に礼を告げる。こっそりと医者に言われていた事を思い出したのだ。
「痛み止めの薬は効果が強いのですが、その分胃に負担を掛けやすくもあります。その為に、こちらの胃薬も一緒にお飲みください……と、ベーレンズ伯には説明しておりますが、これは睡眠を促す効果のある薬です」
それはつまりは睡眠薬ではなかろうか、とリサが思わずそう突っ込みを入れそうになるが、それより先に医者が正論で殴りつける。
「こうでもしなければ、ベーレンズ伯は明日にでも任務に復帰なさるでしょうから……」
生真面目で任務に忠実で、国王への忠誠心の高さも王宮で一番とも言われる彼であるが、患者としては医者の言う事を聞かない落第者であった。
ディーデリックの深い眠りにようやく安心できたリサは胸を撫で下ろす。退室する侍女に改めて礼の言葉を掛け、そしてリサはディーデリックの眠るベッド、の、すぐ横に置かれた椅子へと静かに腰を降ろした。
薬が良く効いているのか穏やかな表情をしている。眉間に皺も刻まれておらず、リサの口から小さな笑い声が漏れた。
お互いの気持ちが通じて、やっと本当の夫婦になれはしたものの長年の癖は中々抜けない。今でも基本ディーデリックがリサに向ける表情には眉間の皺が付いてくる。それが彼の必死の照れ隠しなのだと知ってからは、リサは羞恥で悶えそうになるのを堪える毎日だ。「この思春期夫婦が!」とステンに突っ込まれる回数も日を追うごとに増えている。
思春期、と思い出した所で本日の惨劇がまざまざと蘇り、リサは叫びが漏れそうになるのを唇を噛み締めてどうにか耐える。
――あれは本当に酷かった、ってなにが酷いかってちっとも進まないのが私の覚悟ができてないせいだって陛下に筒抜けだったのが一番酷い!!
ディーデリックからはそういう意思が、欲はあるのだと明確に言われている。しかし彼は、リサがまだそこまで気持ちが追いついていないという事を理解してくれおり、最終の決定権をこちら側に委ねてくれたのだ。それは生真面目な彼からの最大級の優しさであり、その事については心の底からありがたいと思うし嬉しくも思う。
が、それと同時にそう言われて「じゃあ今からいいですよ!」だなんて言えるわけがない、というのも理解してほしかった。ぶっちゃけそちらのその時のノリで敢行してもらって構いません、というかむしろそうしてほしい。
ディーデリック的にはリサに少しでも嫌われたくないからとの事であるが、昔ならいざ知らず、今のリサがディーデリックを嫌いになる様な事は無い。浮気等は別として、それ以外で彼に何かをされて嫌いになる事は無く、そもそも彼が自分の嫌がる様な事をするわけがないのだ。
「……ってこれ相当好きってことじゃない」
私が! というなんとも恥ずかしすぎる自覚にリサは「うああああ」と小声で悲鳴を漏らしながらベッドの端に頭を埋める。グリグリと額を擦りつけ、どうにか気を落ち着かせようとしているとその頭にそっと何かが触れた。
「……リサ?」
まだ薬の効果があるのか、それとも単に寝起きだからなのか。いつもよりゆったりとした口調でディーデリックがリサの名を呼ぶ。ゆるゆるとリサの頭を撫でる掌は、まるでリサの存在を確かめている様だ。リサは慌てて顔を起こす。
「はい、ディーデリック様」
ディーデリックが目覚めた事。そしてその瞬間にきちんと彼の近くにいられた事。それが嬉しくてリサの顔に自然と笑みが浮かぶ。
「気分はどうですか? 白湯をお持ちしましょうか? あ、あとお腹は空いてます? 軽く食べられる物をすぐ」
「リサ……」
ディーデリックの眉間に薄らと皺が寄る。しかしこれはいつもの感じとは違うなとリサは内心首を傾げた。怒っている様な照れ隠し、ではなく、どちらかというと悲しみに耐える様な表情に見える。
「ディーデリック様?」
ディーデリックはその呼びかけには答えず、頭を撫でていた手を動かしてリサの目元、そして頬に優しく触れる。
自分が泣いているのだと、リサはここで初めて気が付いた。
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