その後の国王と王妃と思春期夫婦夫婦・1




 ディーデリックが負傷したと連絡が入った時、リサは屋敷で新しい言語の勉強をしている真っ最中だった。とにかくすぐに来てください、という迎えの使者に、言われるまでもなくとリサは身一つで馬車に乗った。

 命に別状は無く、意識もしっかりとしているが重傷である、という説明を受けるも到底安心できる物ではない。リサがディーデリックを知った時には、彼はすでに国内最強の騎士であるとの評を受けていた。幸いとでも言うべきかで、直接彼の強さを目にする様な危機的状況はこの五年の間では無かったけれども、周囲のディーデリックに対する態度などからも彼の強さがどれ程なのかは推測出来る程だ。だから、勝手な思い込みではあるけれど、ディーデリックは如何なる時でも無敗で無傷の鋼の身体の持ち主ではないのかと、そう思い込んでいた。


――そんなわけないのに!!


 御者も可能な限り最速で馬を走らせてはいるが、王宮までの道のりが果てしなく遠く感じる。どうかご無事で、とリサは馬車の中で必死にそう祈り続けた。







 王宮に到着するとすでに案内の侍女が控えていた。そうして辿り着いた部屋の前、侍女が扉の外から声を掛けるが、その返事もそこそこにリサは扉を開く。


「ああ、よく来てくれた」


 国王であるステンの背後にある大きなベッド。そこに椅子を引いて座るティーアはそれまでなんとか王妃としての立場を保っていたが、リサの姿を目にした途端瞳を潤ませる。そんなティーアが心配そうに握り締めている手の持ち主がリサの夫であるディーデリックであり、沢山のクッションを背もたれにしてゆるく上半身を起こした状態でリサに笑みを向けた。


「すみません、たいした怪我では無いんですがお二人が」

「左脚は骨折で右脚はヒビが入っているのよ!」

「全治三ヶ月は重傷だこの馬鹿」


 リサが部屋へ入った時点で侍女は扉の外で待機している。今は四人しかいないので国王も王妃もその立場を一旦降ろし、気安い友人としての態度で振る舞う。


「ぜ……ん、ち、三ヶ月って……!」


 思っていたより元気そうな夫の姿にリサは安堵の息を吐くも、しかしステンとティーアが発した言葉の圧が凄まじすぎて言葉に詰まる。


「医者も大袈裟なんですよ」

「いくらお前の気力と理性が鋼で出来ていようと身体まではそうじゃない! 落馬した挙げ句に階段から転がり落ちて、さらには賊の剣を蹴り飛ばして延髄蹴りで仕留めて無事で済むか! この阿呆!!」

「蹴り……え、馬から落ちたのに!? それで階段まで!? なのに、蹴り!?」

「つい足が出ました」

「つい、で出る様な状況じゃなかったけどな!」


 ステンがティーアを抱き寄せる。その空いた席にリサを座らせると改めて事の説明を始めた。

 長く争っていた隣国イーデンとの和平が続いて五年目。その記念式典でステンとティーア、そして護衛のディーデリックは常に忙しい。すでに寵姫としての役割を終えているリサはその輪から一人外れているので、申し訳ないなと思いつつも巻き込まれずに本当に良かったと喜んでいた。

 そんな式典の一つ、王都の西にある孤児院に国王夫妻が慰問に訪れたのが本日。この孤児院は長く戦災孤児を受け入れており、決して多くはない寄付金をやりくりして子ども達に読み書き等の教育を熱心に行っていた。国としてもようやく潤沢な資金をそういった施設に回せる様になり、その第一弾として選ばれたのである。


「その帰りに襲撃に遭ったんだ」


 ステンは眉間に深く皺を刻み忌々しげに吐き捨てた。いわゆる戦争特需で利益を貪っていた人間達にとって、戦争を終わらせたステンの存在は邪魔でしかない。あげく、戦争に乗じて私腹を肥やしていた層からステンは容赦なく財産を没収した。これで余計に敵意を招き、これまでにも命を狙われる事は数多くあった。


「ここ最近はすっかり無くなっていたからな……それでも油断したつもりはなかったんだが」

「それについては陛下の責ではなく、我々護衛の」

「その護衛の数を減らせと命じたのは俺で、つまりは俺の責任だ」


 それでも国王夫妻を守るには足りるだけの護衛はいたのだ。にも関わらず、襲撃は起きた。

「陛下とティーア様はどこもお怪我は!?」


 ここにきてようやくその事に思い至り、リサは慌てて椅子から立ち上がりティーアの手を取る。


「完全にティーアの心配しかしてないな」

「陛下がご無事なのは見れば分かりますから」

「わたくしも大丈夫よお姉様。皆が守ってくれたから、どこも怪我なんてしていないの」


 ティーアもそっとリサの手を握り返す。その温もりにリサは「良かった」と笑みを浮かべた。


「欠片でもいいからその優しさを俺に向けてもいいんだぞ」

「その余裕があったらより一層ティーア様に捧げますね」

「そこはせめて夫に、と言ってやれよ」

「ディーデリック様の分は別枠なので」

「……言う様になったじゃないか」


 んん、とわざとらしい咳払いがディーデリックから上がる。ほんのりと目元が赤く染まっているので、今のくだらない会話ですら彼にとっては嬉しくもあり恥ずかしくもあるらしい。思春期か、とこの時ばかりはステンとリサの気持ちは重なる。


「そう、それでね、陛下とわたくしの乗った馬車を襲ってきた者はすぐに逃げ出したの。それをディーが馬で追って、そこで……」


 逸れた話をティーアが懸命に戻す。ああすまない、とステンはティーアの肩を抱き寄せ詫びを入れる。大人げない会話を大人達が繰り広げてしまったと、苦笑しつつリサに再度状況を説明する。


「一対一でディーから逃げられるわけがないから、すぐに追いついて捕まえかけたんだが、横道から突然もう一人出てきてな……そいつが原因でディーは走る馬から落ちたんだ」


 しかしディーデリックもただでは落ちない。横から馬上で体当たりを仕掛けてきた敵の腕を掴み、そのまま共に落下。逃げるもう一人には、馬の脚を狙い短剣を投げ付け逃走を阻止した。


「一緒に落ちた奴の顔面と鳩尾に蹴りを入れて片付けていたな」


 先に逃げていた敵も馬の脚が傷付けられた衝撃で落馬したが、どうにか自力で逃げるだけの気力はあったらしい。痛む身体を懸命に動かし逃走するが、その背にディーデリックが飛び掛かり、運悪く道の先にあった石段から二人縺れる様に転がり落ちた。


「多分もうその時点で折れるかヒビか入っていただろうに、よりにもよってコイツ蹴り技ばっかり繰り出して!」

「最後はちゃんと剣で動きを封じましたよ」

「騎士なら最初からそうしろよ! 足癖悪すぎだろうが!!」

「試合ならまだしも、陛下と王妃の命を狙う輩にそんなお上品な戦い方が通じるわけ無いでしょう?」

「なんで俺が煽られてんだよ?」


 おかしくないか? と視線で問うてくるステンにリサは曖昧に笑って見せた。どちらの弁も同意しかないけれども、それでもやはり我が夫の発言はどうなのだろうかとは思う。


「そういうわけで、たいした怪我では無いのでリサもあまり心配しないでください」

「いや全く以てそういうわけじゃないし、たいした怪我ですよねディーデリック様!」

「全治三ヶ月は重傷だと言ってるだろうが! 聞けよお前は! 本当に!!」

「ディーったらずっとこう言うの! いくらお姉様のいる所に帰りたいからってあんまりよ!」

「というわけで、リサはしばらくディーの監……看病を頼む。医者や薬は当然だが、リサの着替えやら何やら、とにかく必要な物は全てこちらで手配するから遠慮なく言ってくれ。とにかく、こいつを、ここから一歩も出さずに大人しくさせておいてくれ」


 ちなみにこれは王命だ、とまで言われてはリサも了承するしかない。勿論、言われなくともそうするつもりではいたけれども。


「しかしそれでは、リサの自由が制限されてしまうじゃないですか」

「でもリサとずっと一緒にいられるんだからお前としては本望だろう?」


 う、とディーデリックは言葉に詰まる。だから思春期か、とこれまたリサとステンの声なき突っ込みが重なった。その横で一人それに気付かないティーアは、リサに懸命に訴える。


「お姉様からももっとしっかりディーに言ってあげて! お医者様の言葉も、陛下やわたくしの話もディーったらちっとも聞かないの!」


 ティーアは誰よりも己を軽く見ているディーデリックがとにかく腹立たしい様だ。彼女にしてみればディーデリックもリサと同じ、この国でできた兄の様な存在なのだから当然である。


「ディーデリック様のお仕事が陛下とティーア様をお守りする事だとはいえ、こんなにも心配をかけているんですからどうかご無理なさらないでください。もうディーデリック様お一人の身体ではないんですよ」


 五年前に始まった四人の関係は血筋や家柄など関係はなく、ある種の運命共同体であり、それぞれがかけがえのない存在になっている。誰か一人でも欠けてはならないのだと、そんな思いをリサは言葉に乗せた――のであるが。


 突然の静寂が室内に満ちる。


 真顔で固まるディーデリックに、ぎょっとした顔でリサとディーデリックを交互に見比べるステン、そして瞳を大きく見開き、それと同じくらい大きく開いているであろう口元を両手で隠すティーア。

 え、とリサも固まる。何故、一体どうしてこんな反応を、と考え始めて五つの数が過ぎた時。一気に場は大騒ぎとなった。


「まあ、そうなの!? そうなのね! お姉様とディーに、赤ちゃ」

「あーっっっっ!! 違います! ティーア様違うんです待ってください!」

「お姉様ったらみずくさいわ、もっと早く教えてくださったらよかったのに! ああどうしましょう、ねえ陛下、どうしましょう! わたくし嬉しすぎてどうしたらよいのかわからないわ!」

「……とりあえず、落ち着こうか王妃……」


 胸の辺りでピョンピョンと跳ねそうな勢いのティーアをステンは虚ろな目をしたまま宥める。自分も一瞬だけ「そうなのか」と思ってしまったが、リサの言葉と、これ以上はない程に真っ赤になって固まるディーデリックの姿を前に、気付きたくも無い真相に気が付いてしまった。


「本当に違うんです! そういう話では無くて、ディーデリック様はみんなにとって大事な方ですからねって言いたかっただけなんですー!!」

「そうね! お姉様のお腹の子にとっても一番大事な方だもの!! ディーったらわかっているの!? 顔を枕で隠すんじゃありません! ちゃんとお姉様の話を聞いて!」

「ティーア様も私の話を聞いてください!!」

「お前らさぁ……いまだに……そうなのってどうなんだよ……」


 心底呆れ果てた、そしてこれに関しては十割方お前が腹を括れてないからだろ、という責め立てる視線がステンからリサに飛ぶ。その通りです、とリサもディーデリックに倣って手近にあった枕に顔を埋めた。


「お姉様もディーも本当に恥ずかしがり屋さんね! そんなところも夫婦そっくり!」


 散々二人のすれ違いを前に気を揉んでいたティーアであるからして、二人の仲睦まじい姿がとにかく嬉しくて堪らない。普段はしとやかで美しい王妃の笑みを湛える彼女が、今は年頃の少女の様に可愛らしい満面の笑みを浮かべている。

 この誤解を解くのは俺なんだがなあ! という叫びを上げたいステンであるが、原因二人が撃沈しているのでそれもままならず、はしゃぐ妻を前にただただ長く重い息を吐き出すしかなかった。 

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