公爵令嬢と小さな郵便配達人

亜逸

前編

 エリメール王国には、郵便というシステムがある。

 集配した手紙を送達する制度で、それを利用した男女の文通が貴族階級の間で流行していた。

 マルシニアス公爵家の令嬢セリスも、流行に乗っかっている人間の一人だった。

 

 もっとも、一八歳にもなって浮いた話一つも出てこないセリスの文通相手は、異性ではなく伯爵家の同性の友人。

 日々の暮らしから面白おかしいネタを仕入れては、手紙に書いて友人と共有し、その感想を言い合う、ある意味では流行りに逆行する楽しみ方をしている。

 なんとも色気のない文通だが、当のセリスはドハマりしており、今日も今日とて定時にやってくる手紙を心待ちにしていた。


 セリスは、館の二階にある自室の窓から顔を出し、美しい金髪を風に棚引かせながらも、郵便配達人がやってくるのを今か今かと待ち続ける。

 前回の手紙に書き記した、『社交パーティの場で婚約破棄を言い渡そうとした伯爵家の長男が、盛大に噛んで「こんにゃく破棄」と口走ってしまった事件』について、友人がどんな感想ツッコみをくれるのか、楽しみで楽しみで仕方なかった。


 しばらくして、配達人の目印である、赤い肩掛け鞄をあsげた青年が館のすぐ傍を走り抜けていくも、


「……違いますわね」


 いつもの配達人ではないことに、落胆の吐息をつく。


 配達人には区域ごとに受け持ちがあるらしく、このマルシニアス公爵家の館に手紙を届けてくれる配達人も、基本的には一人で固定されている。

 担当の配達人が休養日だったり病気で休みをとっていた場合は、その限りではないが、先程見かけた青年配達人は館から離れる形で走り去っていたため、このケースには当てはまらなかった。


 そこからさらにしばらく待ち続け……青年配達人よりも随分と背が低い、ハンチング帽を被った一〇歳そこそこの少年配達人の姿を認めた瞬間、セリスは声を弾ませた。


「きましたわ!」


 すぐさま部屋を出て、足早に階下におりて玄関広間に辿り着く。

 ほとんど同時に、ドアノッカーを叩く音が館に響き渡った。


「今出ますわ!」


 この一言で、玄関広間に来ようとしていた使用人を制止しつつも、玄関扉の向こう側にいる少年配達人に応える。

 両開きの玄関扉を開くと、緊張でガッチガチになっている少年配達人がセリスを出迎えた。


「こ、公爵様へのお手紙を……お、お届けに参りました……」


 おそらくは全ての配達人に叩き込んでいるであろう定型句を述べてから、少年は微妙に震えた手で手紙の束を差し出してくる。

 公爵家である以上、公私の別なく送られてくる手紙――この場合は書状と言った方が正しいのかもしれないが――の数は多く、決して大きいとは言えない少年の手では保持するのに少々難儀するほどの量だった。


 セリスは手紙の束を受け取り、ざっと目を通して友人からの手紙のみを抜き取って、ドレスのポケットに仕舞い込む。

 

「ご苦労様です」


笑顔で労うと、少年は散々もじもじしてからコクリと首肯を返した。


 どうにもこの少年、貴族に対して気後れしている節があるようで、毎度毎度セリスと顔を合わせているにもかかわらず、毎度毎度緊張でガッチガチになったり、もじもじもじもじしたりしていた。

 というのがセリスの認識だったが、どうにも違うかもしれないということを、こののちに知ることになる。


「セ、セリス様……!」


 突然少年に名前を呼ばれ、セリスは目を丸くする。


「こ、こちらは……と、とある公爵家のご長男から預かった……こ、個人的に渡してくれと頼まれた……お手紙なのですが……」


 しどろもどろしながらも、ポケットから取り出した手紙を差し出してくる。

 受け取り、差出人の名前を確認してみたところ、妙にたどたどしい筆跡で「アルフレッド・リトス」と書かれていた。


 その名前を見て、セリスは形の良い眉をひそめる。


(エリメール王国に、リトスなんて名前の公爵家はなかったはずですわ。よその国からという線もなくはないですが……)


 などと思案していると、少年が期待と不安が入り混じった目で、チラホラと上目遣いでこちらを見ていることに気づく。


(はは~ん。さてはこのお手紙、この子が書いたものですわね?)


 それならば、たどたどしい筆跡も、公爵家の割りには聞き覚えのない名前も合点がいく。

 郵便配達人である以上は最低でも字が読める必要があるため、少年が読み書きできることに関しても、そう不思議な話ではない。

 

 とはいえ、所詮は推測の域なので、確信を得るためにも軽くカマをかけてみることにする。


「個人的なお手紙まで届けてくれるなんて……ありがとうございます。アルフレッドくん」

「は、はいッ!」


 名前を呼んでもらえたことが嬉しいのか、屈託のない笑顔で少年――アルフレッドは返事をかえす。が、すぐに自分のミスに気づき、瞬く間に顔が真っ赤になっていく。


「……あ。違……! ぼ、ぼくはアルフレッドじゃなくて……~~っ。ま、まだ配達が残っているので失礼しますっ!」


 真っ赤な顔をそのままに、あたふたしながら逃げ去っていった。


 労働に従事していることといい、丁寧な言葉遣いといい、あれくらいの子供にしては随分としっかりとしていると言いたいところだが。

 公爵云々の設定まわりの甘さといい、予想外の事態を前にした際はあっさりとボロが出てしまったことといい、やはりまだまだ子供だなとセリスは微笑んだ。


「いずれにせよ、なんともかわいらしい次期公爵様ですわね」


 ほっこりしながらも、アルフレッドからの手紙をドレスのポケットの仕舞う。

 手紙を受け取る楽しみが一つ増えたかもしれない――そんなことを思いながら。




 ◇ ◇ ◇




 自室に戻ったセリスは、まずは友人からの手紙に目を通し、そのしょうもない内容にひとしきり笑ってから、アルフレッドからの手紙の封を開く。


 手紙には、差出人の名前と同様たどたどしい筆跡で、こう書かれていた。



『はいけい セリス・マルシニアスさま。


 はじめまして。


 ぼくの名前はアルフレッド・リトス。


 リトスこうしゃく家のちょうなんで、次きこうしゃく家のとうしゅになる男です。


 さっそくですが、ぼくはあなたのことが好きです。


 あなたの笑がおが、おしとやかな立ちふるまいが、こうしゃくれいじょうなのにぼくのような人間にも声をかけてくれるやさしさが、ぼくは大好きです。


 ぼくはわけあって、あなたとちょくせつお会いすることはできません。


 なので、さしつかえなければ、ぼくと文通していただけませんか。


 お返事、おまちしております。


 アルフレッド・リトスより』



 全てを読み終えたセリスは、


「直球……! 直球すぎますわ……!」


 ベッドの上で、ちょっとだけ耳を赤くしながらも身悶えていた。

 社交界で言い寄ってくる、本物の公爵家長男坊が仕掛けてくるような七面倒くさい駆け引きなど一切ない、あまりにも直球すぎる恋文ラブレターだった。


 あと「こうしゃくれいじょうなのにぼくのような人間にも声をかけてくれるやさしさが」という部分では、自分が公爵家長男坊という設定であることを明らかに失念しているものだから、微笑ましいことこの上なかった。

 伝えたいことが先走りすぎて、文脈というものがまるでなっていないことも微笑ましさに拍車をかけていた。


「けど……だからこそ、なかなか素敵な恋文ですわね」


 さすがに、あれくらいの子供は恋愛の対象には入っていないけれど。

 社交界で出会ったどんな殿方よりも心惹かれたのは確かなので。


「お互いを知るという意味でも、この子との文通……やってみようかしら」




 ◇ ◇ ◇




 翌日――


 今日も今日とて、セリスは使用人を差し置いて、郵便の配達に来たアルフレッドを出迎えた。


 アルフレッドから手紙の束を受け取ると、セリスはドレスのポケットから一通の手紙を取り出す。

 その瞬間、アルフレッドの表情に喜色が浮かぶも、


「はい、これ。いつもどおり、わたくしの友人に届けてくださるかしら?」


 その言葉を聞いた瞬間、アルフレッドは少しだけしょんぼりしながらも、「はい……」と答え、手紙を受け取った。

 そんな彼のことを可愛らしいと思う一方で、少し意地悪がすぎたと反省しながらも、もう一通の手紙をポケットから取り出す。


「それからこれも。公爵家の長男さんに、届けておいてくれないかしら?」


 今度こそ、アルフレッドの表情に喜色が浮かぶ。


「は、はい……!」


 と答える声音には緊張が滲んでいるものの、喜びが隠しきれないほどの弾みようだった。

 そんな彼の反応に、自然、セリスの頬は綻んだ。




 ◆ ◆ ◆




 マルシニアス公爵家の館を離れたアルフレッドは、逸る気持ちを抑えながらも郵便配達おしごとを終わらせる。


 流行病で亡くなった両親の伝手で、郵便局ポストオフィスに住み込みで働かせてもらっているアルフレッドは、足早に宿舎の自室へ戻り、震える手でセリスからの手紙の封を開ける。



『拝啓 アルフレッド・リトス様。


 素敵な恋文、ありがとうございます。


 あなたの想いは一人の淑女として大変嬉しいものでしたが、だからこそ軽々けいけいに返事をかえせるものではありません。


 なぜなら、わたくしたちはあまりにもお互いのことを知らなさすぎる。


 そして、お互いを知る手段として、文通ほど最適なものはないでしょう。


 ここまで言えば、最早言うまでもないことかもしれませんが、あえて言いましょう。


 文通の件、わたくしでよろしければ喜んでお受けいたしましょう』



 そこまで読んだところで、アルフレッドは嬉しさのあまり飛び跳ねそうになる。

 頬も、どんだけ頑張っても引き締められなさそうほどに緩んでいた。が、手紙にはまだ続きがあるので、無理矢理にでも引き締め直して熟読する。



『ですが、文通する上で一つだけ条件があります。


 あなたも、わたくしも、手紙の上では嘘をつかないこと――それだけが条件です。


 表向きは、あなたは公爵家長男で構いません。


 そういう形にしていた方が、文通の件があなたの奉公先にバレてしまったとしても、ごまかしが利くかもしれませんから。


 その方がわたくしとしても、身分にうるさいお父様をごまかすことができますので。


 ですので、手紙の上では公爵家長男のアルフレッド・リトスではなく、郵便配達人のアルフレッド・リトスとして接していただけるのであれば、重ねて申し上げますが、あなたとの文通、喜んでお受けいたしましょう。


 セリス・マルシニアスより』



 今度は、別の意味で飛び跳ねそうになる。


 公爵家長男という設定が、見事なまでにバレバレだった。

 バレるとしても、何回か文通を交わした後だと思っていた。


 だけど――


 そこまでわかっていてなお、セリスが文通してくれることが嬉しくて、やっぱり頬が緩んでしまう。

 本当に……本当の本当に大好きな女性ひととの文通が叶ったのだから。


 初めてマルシニアス公爵家に郵便を届けに行った時、セリスが郵便の受け取りに来たことに吃驚したことは、今でもはっきりと覚えている。

 公爵令嬢が使用人を差し置いて自ら郵便の受け取りにくるなんて、夢にも思っていなかったから。


 吃驚が収まったところで、ようやく彼女の綺麗さに気づいてしまい、ドキドキが止まらなくなった。

 のみならず、優しく声をかけてくれて、仕事を労ってくれて……館を出てから、セリスのことで頭がいっぱいになり、うっかり手紙の配達先を間違えそうになったことも、今でもはっきりと覚えている。


 そうして何度も会う内に、心の中のセリスがどんどん大きくなっていって。


 ただの孤児にすぎない自分では、公爵令嬢のセリスとつり合わないことくらいはわかっている。


 わかっていてなお、この気持ちは止められなくて。


 郵便配達人としてやっちゃいけないとわかっていながらも、個人的に、身の程を弁えずに、セリスに直接手紙を渡してしまった。


 結果、最良とまではいかないけれど、限りなくそれに近い返事をもらえた。

 そのことが嬉しくて嬉しくて仕方なかったアルフレッドは、机の抽斗ひきだしから紙を取り出し、セリスへの手紙をしたためた。




 ◇ ◇ ◇




 その日から、セリスとアルフレッドの文通が始まった。



『はいけい セリス・マルシニアス様。


 文通のはなし、引き受けてくださり本当にありがとうございます。


 それから、こうしゃく家の長男だとうそをついたこと、本当にすみませんでした。


 おっしゃるとおり、ぼくは毎日あなたに手紙をおくりとどけている郵便配達人です。


 セリス様にはおはなししたいことがたくさんあったのに、いざこうして手紙にむき合ってみると、なにからはなせばいいのか、まるで思いうかびません。


 ですので、セリス様がふだんどのようなことをなさっているのか、きぞく社会がどういうものなのかを、教えては

いただけないでしょうか?


 アルフレッド・リトスより』



『拝啓 アルフレッド・リトス様。


 まず初めに。


 本格的に文通が始まったことですし、お互いそろそろ堅苦しい言い回しはやめにしません?


 名前についても、わたくしのことはセリスと呼び捨てにしてくれて構いませんし、わたくしの方もあなたことをアルフレッドと呼ばせてもらいますわ。


 というわけで本題に入りますけど……困りましたわね。


 普段どのようなことをしているのかとあらためて聞かれると、わたくし、普段からたいしたことはしてないですわね。


 淑女としての作法や教養を覚える傍ら、こうして友人と文通したり、お茶会をしたり、肩の凝る社交界のパーティに出たりと、そんな感じですわ。


 貴族社会については、強いて言うなら、笑顔で談笑している足元で、お互いの足を踏んづけ合っている、性格の悪さが物を言う社会といったところかしら?


 自分で言っておいて何ですが、なかなかひどい社会ですわね。


 このままだと、わたくしの恥部を曝け出すことになりそうなので、アルフレッドの方から何が聞きたいのか具体的にお話しを振るというのはどうかしら?


 その方が、わたくしとしても恥部を晒さずに済みそうなので。


 それから、嫌なら無理に話してくれなくても構いませんが、どうしてアルフレッドはまだ子供なのに働いているのかとか、家族の話とか、聞かせてもらってもよろしいかしら?


 もし、これらの質問であなたの気を害した場合は、今ここで謝らせてさせていただきます。


 セリス・マルシニアスより』



 そうやってお互いに少しずつ歩み寄っていき、少しずつお互いのことを知っていく。

 そうして、あれよあれよという間に一月が過ぎた頃。



『拝啓 セリス・マルシニアス様。


 まさか社交パーティの場で、そのようなやり取りが行なわれているとは思いも寄りませんでした。


 セリスさんは女性としてとても魅力的な方なので、なおさら気をつけないといけませんね。


 それから私事で恐縮ですが、郵便配達人としての仕事ぶりが認められ、つい先日お給金がアップしました。


 それもこれも、こうしてセリスさんと文通したことで、教養を身につけることができたおかげです。


 本当にありがとうございました。


 アルフレッド・リトスより。



 追伸。


 読み返してみたら、まるでこれで文通が終わりみたいな感じになってしまいましたが、そんなことは全然ありませんので、引き続きお返事をいただけると嬉しいです』



 最初の頃に比べて、手紙の内容が洗練されていることに、セリスはつい笑みをこぼしてしまう。


「本当に賢い子ですわね。ただ……頑固なのか不器用なのか、文面は一向にお堅いままですが」


 同時に、変わっていないところがもう一つ。

「セリスさんは女性としてとても魅力的な方なので、なおさら気をつけないといけませんね」などと字面だけは気取ったことを言っているが、その部分だけやけに字が震えているところを見るに、当のアルフレッドがかなり小っ恥ずかしい思いをしながら書いていたのは明白だった。


 年齢以上の賢しさとは裏腹に、年齢相応に可愛らしいところは相変わらずで、こぼした笑みをついつい深めてしまう。


「さて、お返事をしたためるとしましょうか」


 弾む声音で独りごちながら、セリスは机上のインク壺に差している羽根ペンに手を伸ばした。




 ◆ ◆ ◆




 マルシニアス公爵家当主――ボラードには、最近ちょっとした悩みがあった。


「それではいつもどおり、こちらを公爵家の長男さんに届けておいてくださいね」

「も、勿論です!」


 セリスが渡した手紙を、郵便配達人の少年が受け取る――そんなやり取りを交わす二人を、ボラードは偶然玄関広間を訪れた風を装いながらも横目で観察していた。


(言葉どおり、どこぞの公爵家の長男と文通しているのなら、まだ良かったのだが……)


 いつも楽しそうに手紙のやり取りをしているセリスはともかく。

 郵便配達人の少年までもが、どこか楽しそうに嬉しそうに気恥ずかしそうにしている時点で、ボラードからすれば自明だった。


(文通相手が公爵家の長男というのは真っ赤な嘘で、本当はあの少年と文通している。そう思って間違いないだろうな)


 別に少年そのものに悪感情は抱いていない。

 セリスとの受け答えを見た限りだと利発そうだし、あの歳で大人の郵便配達人と変わらぬ働きぶりを見せていることにも感心している。


 だが如何せん平民だ。

 貴族階級の頂点たる公爵家令嬢のセリスとはつり合わない。


 それに、平民の男子を婿として迎え入れようものなら、社交界でいったい何を言われるかわかったものではない。

 特に、何かとボラードのことを目の敵にしている、サディライト公爵あたりは喜々としてそのネタを利用し、物笑いの種にすることで、マルシニアス公爵家の権威を地に落とそうと画策するだろう。

 当主として、それだけは何としてでも回避しなければならない。


(今はまだ、セリスも子供と戯れている程度の感覚であろうが……あれくらいの子供は成長が早い。年の差があるとは言っても一〇年未満ならば、たいした障害にはなるまい。二人の仲がこれ以上深まる前に、多少強引にでも手を打つべきだな)


 人知れず決心をつけたボラードは、少年が玄関を出るよりも先に、その場を後にした。

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