25話 役名で呼び会う役者はちょっとキツい
そして、その日の夕方。
「はーい。それでは初通し、時間通りに始めまーす。何があっても最後まで行くので失敗を恐れず試したいことは全部やってみてください。準備はいいね? いくよ? はい、最初にミスったやつ、こーろす♪」
宣言通り部員の中でただ一人だけ台本を離して稽古に挑み、一つのセリフ一つの動きも落とさない。それどころか段取りを忘れた相手役に小声で助け舟まで出していた。
だけでなく、自分の出番が終わったらすぐに僕の横に飛んできて、
「〈美織見なかった―――見てないよ。どうしたの―――今日ここで会う約束してたんだけど―――壮真、なんでここにいるの美織が待ってたよ――〉」
耳元で他の全て役のセリフを諳んじて見せる。
信じられないこの人、本当に午後の時間だけで台本丸々一本頭に入れたんか。
「あー、いいわー。多喜の芝居好きだわー」
かと思えば、出番になったらなったで伊鶴先輩をボロ泣きさせるほどのクオリティを示す。一人異次元の役者力を見せつける多喜さんはノーミスのまま主役として舞台上で物語を締めくくり、
「―――☆」
最後にお手本のようなどや顔で、僕にウィンクを飛ばしてくるのだった。
ちきしょう、負けだ。完敗だ。
わかりましたよ。覚えますよ。覚えりゃいいんでしょ、台本丸々一本。
才能で及ばないのならせめて努力くらいは追いつかないと、恥ずかしくて同じ舞台に立てやしない。
ただ、通し稽古終了後のダメ出しの時間、自分は一つのダメ出しもないにも関わらず真剣な目で伊鶴先輩の話をメモっていたところを見るにつけ、努力で多喜さんに追いつくのも並大抵のことではないと思い知らされた。
「はい、ダメ出しは以上です。各自噛み砕いて明日からの稽古に生かしてください。質問があったら個人的に演出のあたしまで聞きに来てね。じゃあ、お疲れ様でした!」
「お疲れ様でした!」
伊鶴先輩の長いダメ出しが終わり一回目の通し稽古の幕が下りた。
うまくいった者もセリフを忘れた者も出番を間違えた者も、全員等しく礼を交わし合い、
「多喜さんっっ!」
直後に後輩達がどっと多喜さんの元に駆け寄った。
「お疲れ様でした! 多喜さんの美織ちゃん役、最高でしたー! ここの動きちょっとわからないんですけど――」
「美織ちゃん美織ちゃん、ここの解釈どうしてるか教えてくれない?」
「ごめん、美織。セリフ抜けちゃって。その前の演技だけどさあ――」
「待って待って。みんないっぺんに喋らないでよー」
おー、おー、ちやほやされとるなー。皆目を輝かせ、我先にと主人公に話しかける。
「おーい、みんなー。演出は多喜じゃなくて、あたしだよー。絶対あたしに聞いた方がいいと思うよー」
その横でふて腐れる伊鶴先輩も含め、もはや見慣れた稽古後の恒例の行事である。
ちなみに美織というのは、この作品で多喜さんが演じる悪戯好きで天真爛漫な主人公の役名。稽古終了後も役が抜けず作中の設定をリアルで引きずるのは演劇部あるあるだったりする。
楽しそうでなによりだけど、ただでさえ撤収の遅い部活と目をつけられている演劇部なので、あまりわちゃわちゃ盛り上がられると鍵締め係としては気が気じゃない。
「お疲れ様でした」
かと思えば、いち早く部室を出ていくやつもいたりして。
あの後ろ姿は二回生の坂本か。真面目な反面、融通の利かない坂本は感性を重視する伊鶴先輩の演出と相性が悪く、今日も一人だけ集中的にダメ出しを受けていた。はしゃいだ空気に混ざりづらいのも無理はない。
こういう時はそっとしておいてあげるのが普通の気遣いというものだ。
「さかもっちゃーん!」
でも、多喜さんは普通じゃないのでそっとしておく気はないらしい。群がる後輩達をかき分けてぎゅーんと廊下をかけて行き、
「いい加減にしてくださいっっ!」
数秒後、凄まじい怒鳴り声が帰ってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます