24話 台本とか三回読めば覚えるっしょ、普通
人間の適応力って素晴らしい。最初はわからないことばっかりだった多喜さんの予言も何度か読んでいくうちに、徐々に徐々に、ほんの少しずつではあるが、わからないなりの対処ができるようになっていく。
「おはようございます、森田先輩」
「おう、
「そうなんです。えいっ」
「いてーな、ぶつけんじゃねーよ」
月曜日、僕は駅前で森田先輩を自転車で軽く轢き、
「うっす、北川。お前のバイク、ライトつけっぱじゃない?」
「おう、海堂じゃん。ほんとだ、あぶねー。あれ、お前バイク通学だっけ? 何でここにいんの?」
「いや、ただブラブラしてただけ」
火曜日、僕は駐輪場で友達にバイクのヘッドライトの消し忘れを伝え、
「宮崎、これなーんだ?」
「ん? え? 俺のスマホじゃん。何でお前持ってんだよ」
「さっきポケットから抜き取ったんだよ。こういうの得意でさ」
「キモッ! キモいなお前!」
水曜日、部の同期のスマートフォンを一度盗んですぐ返し、
「おーい、黒田。財布落としたぞー」
「あ、すみません。って、うわ! 海堂? なんでこんなとこにいんの?」
「別に? ちょっとブラブラしてただけ」
「ここ京都だぞ?」
「……ねえ、カズくん。やっぱりヤバいよ、この人」
木曜日、清水寺で学部の友達の財布を拾って強めに引かれた。
別にいいさ。スーパーヒーローは時に理解されないものだ。
みんなが無事ならそれでいいです。
それに比べて多喜さんはすごい。割としっかり目に嫌われても仕方のないことをやっているのにも関わらず、それでも笑って許されるのは持って生まれた性格か、あるいは築き上げた人徳のたまものか。
「さくらちゃん、くみちゃん、おーはよー!」
「うわっ、多喜さん! え、何? 何? なんでお尻触ってくるんですか!」
「くみちゃんが触って欲しそうなお尻してるからだよー」
「やだ、痴漢じゃないですか」
「さくらちゃんは盗撮してあげようねー」
「ちょっと、どこ撮ってるんですか、変態! もー、絶対消してくださいよ、その画像」
「あははは、消す消す。ごめんね、二人とも。今日の通し稽古頑張ろうね」
「え、もしかして、緊張をほぐそうとしてくれたんですか?」
「うれしー、ありがとうございまーす」
「あははは、ばいばーい」
いったいどんな善行を積んで来たら、公衆の面前でケツ揉んでスカートの中盗撮した相手から感謝の言葉を引き出せるのだろう。前世、ガンジーか。
「よーし、これで痴漢と盗撮もクリアっと」
昼休みいつものカフェテラス、当たり前のように手に入れたダブルチョコレートのマフィンを珍しく自分で食べながら、多喜さんは満足げに予言ノートにマーカーペンを走らせた。
「今回はずいぶん飛ばしましたね。二枚抜きとかできるんですか」
「滅多にないけどね。痴漢と盗撮が二人揃ってたから行ってやったよ。演劇部の春の公演までもうすぐ一か月だし、捌ける案件はちゃっちゃと捌いていかないと」
多喜さんの予言は本番前だろうがテスト前だろうがお構いなしに降ってくる。予言の内容もいつ起きるかはケースバイケースで、いきなり当日ということもあれば半年後一年後の場合もあり、日時不詳も珍しくないが、多喜さんは可能な限り前倒しで処理しようとする。その理由は単純で「宿題って溜め込みたくないじゃん」とのことらしい。
「あー、そっかー。もうすぐ公演一か月前かー。怖っ、すっかり忘れてましたわ」
「こら、忘れるな。わたし達の本業はあくまで学生で役者なんだからね。今日、通し稽古だよ。覚えてる?」
「それはさすがに覚えてますよ」
作品の一部を抜き出して稽古する『場稽古』を通常練習とするならば、オープニングからエンディングまで本番さながらにノンストップでやり通す『通し稽古』は疑似本番とでも呼ぶべき特別な稽古だ。
当然、役者も演出家もそれなりの熱量と意識でもって稽古に挑まなければいけないのだけれど、
「じゃあ、ちゃんとセリフ入ってるのね?」
「いや、入ってるわけないじゃないですか。一か月前なら普通誰も入ってませんって」
「わたしは入ってるよ」
だから、普通って言ったでしょ。普通の人はまだ覚えてないんですよ。
「うーん、ちょっとだめだよ、海堂くん。これはあれだね、しばらく君はスーパーヒーロー活動はお休みだね」
「そんな。手伝いますって」
「だーめ!」
前のめりになった額をポルシェのミニカーで小突かれた。
「海堂くんはまず自分のことをやりなさい。今回の予言はあと一つだし、わたしがやっとくよ。海堂くんはその間にセリフを全部入れてくること、わかった?」
「はあ、わかりましたけど……」
「けどって何? わかりましたでしょ」
「……わかりました」
なんだろう。急に先輩面全開だな、多喜さん。まあ実際に先輩なので頷かないわけにはいかないのだけれど。
「月曜日までだからね」
「ちょっと! 何、さりげなく足してきてるんですか。月曜ってあと三日じゃないですか。無理無理、三日じゃ誰も覚えられないですよ、普通」
「わたしは覚えられるよ」
普通! さっきからずっと普通の場合の話をしてますから、僕は。
「てゆーか、台本なんて三回読んだら覚えるでしょ、普通」
もうやだ、この人。冗談とかじゃなくて真剣にそう思っていそうだから始末に負えない。
「わかった? ちゃんと覚えるんだよ」
「ぐわー………わかりました」
「よし。相手役のセリフもだからね」
「だから、足してこないでくださいって。え、多喜さんって相手役のセリフまで覚えてるんですか?」
「当たり前じゃん。今はまだだけど、最終的には自分の出てないシーンも含めて台本一本丸々覚えるよ」
マジで言ってんのか、この人。嘘ですよね。さすがにこれは冗談ですよね?
「嘘だと思ってるでしょ?」
僕の思考を読んだかのように、多喜さんの目が眇められる。
「今が十二時半だから、通し稽古開始まであと………うん、六時間後に証明してあげるね」
そう言うと、多喜さんは余裕の表情でチョコレートマフィンに歯を立てるのだった。
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