22話 ネコババってすごい字面
『悪いな しゃっしゃちゃん悪い しゃっしゃちゃん悪いな お店でネコババするのは悪いな 止められないのかな 悪いな 泣いてる人がいるよ 悪い悪い
』
「………なるほど」
前のめりの体を引き上げて、ソファの背もたれに背中を預けた。
そうか、こういうパターンもあるのか。今までこのノートに名前が出てきた人はほぼ全て何がしかの被害者が多かったけれど。
あってもおかしくないよな、加害者のバージョンも。
「あの、
「正直……どうしようもないんだよね」
コップの淵をカリッと噛んで多喜さんは水を啜った。
「これ系の、つまりその、犯罪系の予言はたまにあるんだけど、止めるのは本当に難しいの。今まで一度も成功したことない」
「確かに日時も書いてないし、何を盗むかも書いてないですもんね」
「そうなんだよ」
「それにここまで来ちゃうと、もう警察の領分だという気もします」
「窃盗だからね」
「どうしようも、ないですよね」
「どうしようもないんだよ」
お互いの意思を確認し合うように僕達はグラスを傾けた。
「おまたせしました。ホットコーヒーとバナナジュースになりますー。学院前駅の終電、後二十分程ですので、電車でお越しでしたらお気を付けくださーい」
しゃっしゃさんは、まさか己の犯罪行為を予見されているとも知らず、光り輝くような笑顔で注文を届けて去っていった。
「じゃあ、これ飲んだら行こっか。海堂くんホットだけどすぐ飲める?」
「やっぱりしゃっしゃさんを止めましょう」
「ごほっごほっ……何急に? この数秒で何があったの?」
何じゃないですよ、多喜さん。バナナジュースでむせてる場合ですか。
「聞きましたか、あの人。しゃっしゃさんでしたっけ? 終電のお知らせをしてくれましたよ。あんな店員さんがこの世にいるんですね」
「え? ああ、まあ、あんまり聞かないサービスかもしれないけど」
「ですよね。きっと店のマニュアルとかじゃなくて、しゃっしゃさんオリジナルの親切心だと思うんですよ」
「はあ、そうかもね」
「あんないい人が窃盗とかするわけない」
「いや、でも、その、ほら……」
書いてあんだろと言わんばかりに、チラチラとノートに視線を落とす多喜さん。
「だからこそ止めるんですよ。あんな人に窃盗なんかさせちゃいけません。見たでしょ?あんなに綺麗に笑う人に悪い人なんかいませんから」
「え、犯罪者は笑わないと思ってるの? チョロすぎん、海堂くん? お姉さん心配なんだけど」
「とにかく、僕は止めたいんです。いいでしょ?」
「そりゃあ、いいけど………どうする気?」
何やら不満そうな表情でブクブクとバナナジュースに息を吹き込む多喜さん。
それについては一つ考えがある。僕は財布から百円玉を取り出すと、掌でグッと握りしめた。
「お待たせしました。コーヒーのお代わりお持ちしましたー」
しゃっしゃさん相変わらずの百点満点の笑顔で二杯目のコーヒーを注いでくれた。
この五分間でそこら中のテーブルからお代わりを要求されていたけれど、しゃっしゃさんは面倒くさそうな顔一つしない。やっぱり彼女はいい人なんだと思う。多分。
「海堂くん、しゃっしゃちゃん行っちゃったけど何する気なの?」
「はい、一応もう仕掛けは終わりました」
僕はそう答えて右の掌を開いて見せた。
「あれ、さっきの百円玉どうしたの?」
「しゃっしゃさんのエプロンのポケットに入れました」
「はっ? いつ?」
「さっきコーヒー入れてもらった時にこっそりと。こういうの割と得意なんですよ」
「キモっ。なんでそんなことしたの?」
「決まってるでしょ,ネコババの予言を書き換えるんですよ」
「どういうこと?」
「だからつまり………え、さっきキモいって言いました?」
「言ってないから早く答えて。もうすぐ終電だよ」
「あ、はい」
ていっても、ほぼ答えたようなもんだけど。
「しゃっしゃさん、百円玉を入れられたこと気付いてないじゃないですか。あれ、多分あのままずっと気付かないと思うんですよ」
「いくらなんでも着替える時には気付くんじゃないの?」
「そう、着替える時に初めて気付くんです。で、どう思うと思います。あの百円玉」
「どうもこうも、自分のかなって思うんでしょ」
「でしょ! そのまま持って帰るでしょ? ほら、まんまと窃盗成立ですよ。これでこの予言はのりきれますよね」
「あー……そういうことかぁ」
バナナジュースをズズッと啜りながら、細めた視線を天井に向ける多喜さん。
「ダメですかね? 百円でも窃盗は窃盗だから、本来しゃっしゃさんがするはずだった恐らくもっと酷いであろうネコババを書き換えられると思うんですけど」
「どうなんだろう、そうなるのかなー? いや、やりたいことはわかるんだけどー………」
「やっぱり事故と窃盗じゃ違いますかね」
「いや、それ以前にまず、あれじゃ予言も成立してなくない?」
……え?
「だってさ、今のを整理すると、海堂くんが自分の財布から自分の百円玉を取って自分の手でしゃっしゃちゃんのポケットに入れたっていうキモいムーブなわけだよね」
あれ、すごくしっかりキモいって言いましたね、今。
「それってただ単に、海堂くんが百円あげただけじゃないの?」
「……え?」
そうなんの? ええっと………ちょっと待ってくださいね。一旦落ち着いて考えますからね。ちょうどここにコーヒーがあるんで一口飲んで………。
「ただ単に、僕が百円あげただけじゃないですか!」
「だから、そう言ってるじゃん」
「ええー、早く教えてくださいよ。僕、ウェイトレスさんに謎に投げ銭した変なやつじゃないですか」
「言う前にやっちゃうから」
呆れたようにバナナジュースのストローを咥える多喜さん、ちらりと店内の時計を確認して一気にジュースを吸い上げた。どうやらいよいよ終電は近いらしい。
「えー、えー。待ってくださいよ。仮に窃盗の予言が書き換え可能だとしても、そのためには本人に盗むという意思が必要になってくるわけですか………それってめっちゃ難しくないですか?」
「もうやめよう。本当に難しいのよ、こういうのって」
「いや、待ってください。もう一度、もう一度チャンスを」
多喜さんの視線を追って時計を見上げる。終電まであと五分。
「いらっしゃしゃいませー
店内にまた、しゃっしゃさんの黄色い声が響き渡った。
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