20話 夜は怖い
繰り返しになるが
時刻は十一時前後。頻度は四、五日に一回程度だが、早くなることもあれば伸びることもあるので多喜さんは毎晩鐘突き堂に通っている。
「うわ、寒っ。風冷たっ」
石段の終わりに右足をかけると、待ち構えていたように鋭い風が吹き付けた。
「大丈夫? 春っていっても夜はまだまだ冷えるよね。マフラー貸してあげようか?」
さすが通いなれた
「いいですよ、それは。てゆーか、こんな所によく毎晩通えますよね」
「さすがに毎晩は来ないよ。熱が出てたり、あと台風とか警報とか出てたら休むから」
変わらん変わらん。『毎晩』が『ほぼ毎晩』になっただけでしょう。
「まあ慣れたら普通だって。足腰も鍛えられるしさ」
「どうりで足が速いわけだ。てゆーか、疲労もそうですけど怖くないんですか、普通に」
改めて薄暗い鐘突き堂を見回してみる。照明は石段の上り口に一つあるだけなので、当たり前だが何度来てもしっかりと暗い。二人できてもやっぱり暗い。
「あれ、何? 怖いの、海堂くん。意外にビビりだね」
「い、いや! 僕は平気ですよ」
「嘘だー。絶対ビビってるじゃん。可愛いねー、海堂くん。暗いの怖いのー?」
「多喜さんのことを考えただけです。女性だし怖くないのかなって」
「わたし足早いから。逃げ足には自信があるんだよ。暗いのもぜーんぜん怖くないし。海堂くんと違ってー」
鐘をバックに輝かんばかりの笑顔でダブルピースを決める多喜さんだが、実際に輝いてはいないのでやはり辺りは薄暗い。
薄気味悪い。ぶっちゃけ怖い。
「そもそも、なんでこんな時間にこんな場所に来ようと思ったんですか? 予言が降ってきそうって思ったわけじゃないですよね」
「違う違う。最初はね、ただ普通に一人でお芝居の練習できる場所を探してただけだったんだよ」
「家じゃだめなんですか」
「わたし寮ではいずるんと相部屋だから」
「あー、なるほど」
演出家の見える範囲で自主練をするのは確かに気が進まない。例え稽古であっても、演出家の目に入れるのはある程度演技プランが定まってからがいいと思うは役者の性だ。
「で、どっか良い場所ないなかって探して彷徨ってたらここに辿り着いたの。よくないここ? 周り誰もいないし、どんなに大声出してもいいし、好きに動き回れるし」
クルクルと回りながら「金を掘り当てたぞー」と叫ぶ多喜さん。確かにここなら何を叫んでも苦情はこないだろうけれど、何も真夜中にやらなくても。
「もちろん最初はもっと明るい時間に練習してたんだよ。でも没頭してたらどんどん時間が伸びて行っていつの間にか真っ暗になることもあって。自主練ってついつい時間を忘れちゃうよね」
「あー、わかりますわかります」
いや、待て。わからないぞ。
明るい時間から真っ暗になるまでって何時間一人で練習したんだ、この人。
「その日は五時間くらいやってたのかな。で、急に頭がぼーっとしてきて」
そりゃしますって。
「で、何かが聞こえてきたの。言葉だった、と思う」
「思う?」
「日本語じゃなかったんだよね。英語とかでもなくて聞いたことのない言葉。でも、なぜか理解できて。なんでか知らないけどこれは忘れちゃいけないって思って、持ってた台本に書き留めたの」
「それが最初の予言ですか。一年前って言ってましたよね?」
「うん。新歓公演の後ぐらいだよ。海堂くんが入部してきた次の日だったと思う」
「その公演覚えてます。めちゃめちゃ良かったです」
当時、大学でも演劇を続けるか迷っていた僕は、新入生歓迎公演で主役を演じた多喜さんの演技を見て心を決めたんだ。
何が何でもこの人と一緒の舞台に立ちたいと強く思い、次の日に演劇部の門を叩いた。そんな新入生は僕一人ではなかったはずだ。
「最高でしたよ。終盤の多喜さん一人演技。十分以上一人でやりきってましよね」
「あれは大変だったー。役の気持ちが全然わからなくて。ここで何回もセリフの練習してたの。本番の後も」
「え、本番の後にも練習してたんですか?」
「うん、やっちゃうんだよね、よく。なんか納得いかなくて」
ストイック過ぎるだろう、二度とやらない公演の練習をするなんて。思いがけず女優角丸他喜の神髄を見た気がした。
「思い出すなー。ここの鐘のこの丸みに手を当ててね、言ってたの―――〈私が岡田君に出会ったのは高校二年の春でした〉――」
一年前の自分をなぞるかのように多喜さんはセリフを唱え始めた。
早く遅く。大きく小さく。
流れるように、波打つように。
王城寺学院大学の開祖三廻間法師が天啓を得たというその場所で、多喜さんは祈りにも似た言葉を紡ぐ。
いつだったか、法事で家にやってきた住職さんが言っていた。お経とは、御仏に捧げる歌のようなものなのだと。現代のシンガーが歌声でファンを魅了するように、過去の時代にときめいた僧侶達は読経で民衆と仏を繋いだらしい。だから、当時の僧侶は今以上に声質が重要視されたとか。
「――〈岡田君はいつも一人でした。一人で学校に来て、一人で休み時間を過ごして〉――」
多喜さんの声はどこに届いているのだろう。唯一無二のこの声は、この夜空のどこに。
「――〈でもいつも楽しそうでした……私は……ああ……」
ふっと、多喜さんの姿が周囲から浮き上がって見えた。初めてこの広場で多喜さんの姿を見た時のように。
「――ふあ……めあ……なあ……むあ……ああ……」
いつしか暗闇に吐き出されるセリフは聞き取れないものになっていく。多喜さんのいうところの日本語でも外国語でもない言葉。
多喜さんは視線を宇宙に飛ばしたまま、開いたノートにペンを走らせた。まるで唇から零れた言葉をそこで受け止めるかのように。これも初めてここに来た時と同じだ。
ん、待てよ。そういえばあの時って確か。
「――めあっ」
見えない誰かに肩を揺すられたように、唐突に多喜さんの意識が戻ってきた。
「あ、予言来てるね。まあ、いつもこんな感じで無意識で……あれ、海堂くんどこ?」
そして、ようやく自分が一人になっていることに気付いたように素っ頓狂な声を上げる。
「海堂くん? 嘘、海堂くんどこ? ねえ、いるんでしょ? 怖いよ。出てきてよ、海堂くん、どこ?」
「ここでーす!」
「きゃああああああ!」
お望み通り柱の陰から飛び出すと、お手本のような悲鳴が迸った。
「ビックリしたあ! 何してるの、海堂くん!」
「あ、やっぱりびっくりしましたか」
「するに決まってるじゃん! めちゃめちゃ怖かったんだから!」
そう、初めてここで会った時も多喜さんは今みたいな悲鳴を上げてすっころんでいたんだ。
「でも、さっきは暗いの全然怖くないって言ってましたよね、僕に」
「………………」
「………………」
「………さいてー」
「いや、だって多喜さんが言うから」
「さいてー。ほんっとさいてー。何? 先輩のプライド折って楽しいの?」
「ごめんなさいって。あれ、もしかして泣いてます?」
「泣いてないし! もう帰るし!」
「マジですんません! やりすぎました。待って、多喜さん」
平謝りの僕を無視して多喜さんはぐんぐんと歩いていく。
「付いてこないで!」
決して走らず、
「完っ全に嫌いだから!」
常にチラチラと僕が付いてきているかを確認しながら、
「ほんっと、さいてー」
一定の距離を保ちつつ多喜さんは歩いていく。
その辺りを指摘するとまた怒られそうなので、ここは何も言わないでおこう。僕にとやかく言うくせに多喜さんもたいがいのビビりじゃないか。
何だかちょっと、安心した。
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