7話 別にホラーはやりません
――ビョウ。
夜風が暴力的な音を立てて、キャンパスの木立を引っ掻き回した。
寒っ。風強っ。
朝方から徐々に吹き始めた風は、夜になってさらに強さを増していた。
耐え切れずに折れた枝がカラカラとテニスコートの脇を転がっていく。
もしかしたら、暴風警報なり注意報なりが出ているのかもしれない。
スマートフォンを出すのもの億劫なので正確なところはわからないが、時刻はもう夜の九時半を回っているだろうか。
こんな日、こんな時間に大学のキャンパス内を歩いている人間なんてきっと僕くらいなものだろう。
「おーい、どこに悪戯されてるって?」
「ここ、ここ。第四倉庫の鍵穴だよ。なんか流し込まれてるな、質の悪いことしやがって」
……なんて言ってるそばから大学の警備員さんの会話が聞こえてきたりして。
まあまあまあ。あれはノーカウントだろう。そりゃいるよ、警備員さんは。だって常駐してるんだもん。こんな時間までお仕事お疲れ様です。
言いなおそう。こんな日、こんな時間にキャンパスにいる学生はきっと僕くらいのものだろう。
「……いや、これも違うのか」
だって、もう一人いるはずだ。
だから僕は、こうして風に逆らいながら真夜中にキャンパスの坂を上っているんだ。
王城寺学院のキャンパスは田舎の小高い山の斜面に張り付くように建設されている。
とにかくべらぼうに敷地が広いので二回生の僕でも行ったことのない場所、見たこのない施設がたくさんあり、今向かっている頂上の鐘突き堂もその一つだ。
なんでも大学の創始者であるところの
その割に、二十四時間誰でも立ち入りは自由だったりするのはなぜだろう。
学院の運営方針に口を出す気はないけれど、こういうパンフレットにも乗るような施設って普通はもっと警備を厳重にするものじゃないのだろうか。それこそさっきの第四倉庫じゃないけれど、悪戯でもされたら目も当てられない。
……待てよ。第四倉庫って何だ?
何かどっかで聞いたことがある気がするな。つい最近どこかで頭に入れたことがあるこの単語…………何だろう?
なんてことを思いながら先細っていく坂を上り続けると、唐突に舗装が途切れ石段が現れた。林の中に分け入っていくような細い石段。
マジか。この上なのか。
坂のとどめに階段って。完全に膝殺しに来てるじゃん。
二人で転げ落ちたらうっかり中身が入れ替わりそうな急な石段を、膝に手を突きながら上っていく。苔むし、がたがたに歪んだ石段は腿にこたえるけれど、今は疲労よりも怖さが勝った。
暗い。
外灯の少なさからみるに、ここは日が暮れてから訪れる場所ではないのかもしれない。
昼間に来れば参拝者の目を楽しませるはずの木々の緑は、闇夜に見ると獲物に手を伸ばす化け物の触手に思えた。
え、普通に怖いんですけど。
こんな薄気味悪い道を
そりゃあ伊鶴先輩も心配するよ。
『多喜の
伊鶴先輩は真面目な顔でそう言った。
夜の自主練習、略して夜練。
演劇の稽古には自主練習が付き物だ。何せ待ち時間が多いから。稽古スケジュールの進行具合によっては自分の出番が全くない日だって普通にある。
そんな時、暇な役者は部屋の隅で自分のセリフを覚えてみたり、同じく出番のない人を誘って廊下で軽く合わせてみたり、色々自主的な練習を試みるものだが、多喜さんのそういったところを僕は一度も見たことがなかった。
人の稽古を見るのも楽しいから、そう言って多喜さんは誘われてもいつもやんわりと断っている。多分人知れずどこかで練習しているのだろうと思ってはいたけれど………。
「こんなところでやるか、普通?」
まさか、夜、野外の鐘突き堂を選んでいただなんて。いくら大学の敷地内だからって、ほぼ山中じゃん。誰が入り込んでくるかもわからないというのに、あの人は自分が女性だという自覚があるのだろうか。
なんかもう、あの人が怖くなってきた。
こんな夜中にたった一人で何かをしている、あの人が。
また、風が鳴った。
暗さのせいだろうか。心の不安を掻き立てられる。考えまいとしていたことを思い出させる。鞄にはまだ多喜さんのノートが入っている。
あの呪いのようなノートがまだ。
そう、呪いだ。
あのページを一見して感じたのは『呪い』の二文字だった。
また風が唸る。多喜さんは鐘つき堂で何をしているのだろう。
やっぱり、今日は帰ろう。そう思った瞬間だった。
「――――」
まず声だけが聞こえてきた。
ああ、いる。
多喜さんが上にいる。
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