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「これが『石根』……」

「俺達が見ていては気が散るだろう。後のことはアシタバに任せる。ドアの外にいるから、薬ができた段階で俺を呼んでくれ」


 ヘルベルトは用意を万全に終えていたアシタバに、ディメンジョンによって鮮度を保持していた『石根』を出した。


 今更隠すのが面倒だったので、ディメンジョンを使う様子をそのまま見せてしまっている。


 だがそれを見ても、アシタバは何一つ言わず黙って素材を受け取った。

 細かい事情に深入りしようとしないその配慮が、今はありがたい。


 ヘルベルト達はアシタバの営んでいる店の調合室を後にし、休業中の看板の立てかけられている店の売り場のところでくつろがせてもらうことにした。


 ロデオは帰りの道中、ずっと難しそうな顔をしていた。

 ヘルベルトにはなんとなくその理由が思い当たる。


「魔人の活動の活発化が、それほど不安か?」

「若には隠せませぬな……急ぎマキシム様経由で、リンドナー中へ改めて注意喚起を行う必要があるかと」

「……ふむ、たしかにそうだな」


 ヘルベルトは未来からの情報を、手紙という形で手に入れている。

 忘れてはならないのは、あくまでも手紙……つまり書いている情報量には、限界があるのである。


 例えばヘルベルトは、魔人がリンドナーで起こす大規模な事件や、どの段階で魔人達が人間を攻めてくるかの正確な日付は理解することができている。


 だがそれ以外の、言わば手紙に書くほどの余裕がないと未来のヘルベルトが考えた情報に関しては、まったく知ることができないのだ。


 ヘルベルトは未来を知っている。

 だがそれは穴抜けも多いのだ。

 おまけに未来自体も不確定だ。


 例えばヘルベルトが廃嫡されなかったことで変わることもいくつかあるだろう。

 ロデオが魔人の襲撃を上へ伝えることで、魔人達の活動の活発化が早まる可能性も十分に考えられる。


 今回の魔人との激突は、予想できなかった未来の一つだった。

 魔人の活動が活発化するのは、手紙の情報を信じるのならまだ先だったはず。

 恐らくは今後も、似たような事例は続くだろう。


(となれば今この段階でも、水面下で魔人達の活動は行われていると考えた方がいい……二通目三通目の手紙は、やってくるなどという希望的観測は抱くべきじゃない。あり物で戦っていくためには、やはり俺が時空魔法を鍛え、重大な局面で間違わぬよう皆の手助けをするしかない)


 手紙の情報は信じられるが、それだけで万事が上手く解決できるほど万能なものではない。


 あくまでもヘルベルトが望み通りの未来を掴むための手がかり、くらいに思っておいた方がよさそうだ。


 ヘルベルトは魔人との戦いを終えてから、手紙に書かれていた一節を思い出すことが多くなった。


『魔人を先入観を持って見るな、魔人の中にはいい奴らもいる』


 その言葉の後には、未来のヘルベルトが信じられると書いていた魔人達の名前と特徴がいくつか上げられていた。


 魔人は人類の敵。

 元々そう聞かされてきていたし、戦ってからその思いはいっそう強くなった。


 果たして本当に、いい魔人などというものが存在するのだろうか。

 未来の自分には感謝しているが、その疑問は強くなるばかりである。


 ヘルベルトはとりあえず自分なりに思考に一旦区切りをつけてから、ロデオに頷く。


「ああ、頼む。俺がケビンに投薬をしているうちに、報告をしてきてくれ」


 もしロデオの報告によって魔人の動きが早まったとしても、対応は利くはず。


 それならば魔人によって失われるかもしれない人命を助けた方が、将来的にはプラスに働いてくれるはずだ。


「魔人……噂に聞いてたけど、あれほど強いとは。僕一人じゃ、絶対に負けていた」

「それは俺も同じだ。おまけにロデオが相手をしていた魔人の方が、俺達が戦っていたイグノアよりずっと強かった」


 最後の攻防を見ただけでも、それがわかってしまった。

 今後ヘルベルト達は、ああいった魔人達を複数相手取っても勝てるくらいに強くならなければならない。

 そうでなければ来る時の『魔人襲来』を乗り越えることなどできないのだから。


「ロデオ、明日からはもっと命を削る訓練をしよう」

「……かしこまりました」

「その特訓って、僕も混ぜてもらうわけにはいかないかな?」

「別に問題はないよな?」

「そうですな、無論私は若に教える立場だから、マーロンに教えるのはその合間にさせてもらうが」


 一歩ずつ強くなっていこう。

 ヘルベルトも、マーロンも、明日からは一層奮起することを誓う。


 二人とも、今のままではまだまだ実力不足であることを、今回の一件で認識せざるを得なかったからだ。


(私も最近、少しばかりなまっていた。もう一度鍛え直すか……)


 そしてそれは、ロデオもまた同様だった。

 若い頃の自分と、今の自分との動きの間に横たわるわずかなズレ。

 戦闘においては、そのほんの少しの誤差が生死に関わってくる。


 妻子を持ち、少したるんでいたかもしれない。

 ロデオはもう一度己を一本の鋼の剣に鍛え直そうと決意を新たにした。


 この三人が今まで以上に激しい特訓を続けて、果たしてどこまで強くなるのか。

 それを知る者は、この世界にはいない。


 だがこれだけは確かだろう。


 魔人達は今日ヘルベルト達が同胞と邂逅したことを、後悔することになるだろうということは――。




「できたっ! できましたっ!」


 アシタバの激しいノックの音を聞いて、凜々しい顔をしていたヘルベルトはふと我に返り、思い出した。


 一刻を争う病人が、今もまだヘルベルトが薬を届けてくれるのを待っているのだということを。


 最後までヘルベルトを見捨てなかった一人の執事が、死の間際でさえも彼を信じ続けているのだということを。


「よし、全ての手はずは整った――帰るぞ! 待っていろ、ケビン!」

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