17


 三限が終わり、昼食と昼休みの時間が始まる。

 ネルは言われていた通りに、イザベラと行動を共にすることにした。


 彼女が連れられてきたのは……。


「ここは……闘技場、ですか?」

「ああ、基本的には決闘のような有事の際に開かれる場所なんだが……ここは実は今、とある生徒達に普段使いされている。ネルは知ってるか?」

「いえ、寡聞にして知りません」

「重要な機密扱いされているし、当然だな」

「えっ――!?」

「ここからは声を潜めろよ。きっと今頃も、あいつらは戦っているだろうからな――」


 何やらいけないものに首を突っ込みつつあるようだったが、ネルはイザベラのことを信用している。


 彼女は黙って、イザベラのあとについていくことにした。


 ネル達は息を潜めて、一般入場口から入り階段を上っていく。

 イザベラはどうやら、観客席から様子を覗くつもりらしい。

 ネルは不承不承ながらその背中を追う。


 階段を上っていると、途中から何かを打ち合うような音が聞こえ始めた。

 会場が近付くにつれて、その音はどんどんと大きくなっていく。


 実際に観客席へとやってくると、中央部で戦う二人の生徒の姿が露わになった。


 そこにいたのは――ヘルベルトとマーロンである。

 二人は模造刀を握り、戦っている真っ最中だった。


「シッ、ガッ、ハアッ!」

「ぐっ、相変わらず……無茶苦茶だっ!」


 ネルは魔法の訓練には熱心だったが、剣は片手で数えられる程度しか握ったことはない。

 下手に剣を学ぶのなら、その間に魔法の練習をした方がよっぽど身を護る力が手に入る。


 そんなネルの考えに、父であるフェルディナント侯爵の過保護が重なった形だ。


 そして思考の片隅あたりには……幼い頃、剣術に必死になっていたヘルベルトの姿を思い出すからという理由もあったかもしれない。


 そんなネルからしても、二人が戦っている様子は異様に見えた。


 まずマーロンが、剣を振る。

 それをヘルベルトは見てから避ける。


 そして避けてから、マーロンへ一撃を当てようと剣を薙ぐ。


 こうやって言葉にすると、何もおかしくはない。

 けれど実際に目にすると、その全てがおかしかった。


「クソッ!」


 マーロンの振るう剣は、ヘルベルトに全て避けられる。

 本来なら太って豚呼ばわりされているヘルベルトよりも、マーロンの方がスピードは上のはずだ。


 けれどヘルベルトはマーロンの斬撃を、見てから避けていた。

 比喩ではなく、本当に目にしてから避けているのだ。


 マーロンが剣を振る。

 ヘルベルトに直撃コースの、素早い一撃だ。


 ヘルベルトはそれを、パッと見てから動き出す。

 普通なら間に合うはずがない。


 マーロンの振った直剣は、ヘルベルトの直前まで迫り……そして高速移動をしたヘルベルトによって避けられた。


 高速移動……そう、そのようにしか呼べない本来よりも素早い移動。


 まるで暗転と共に舞台の場面が切り替わる劇の場面転換のように、一瞬のうちにヘルベルトがありえない速度で移動しているのだ。


「もらった!」


 そしてヘルベルトは、一撃を放って隙の生まれたマーロン目掛けて突きを放つ。

 先ほど避けたときのように、またしても高速の移動。


 マーロンは身体を捻ってなんとかかわそうとするが、完全にはよけきれずにその脇に剣が擦れる。


 マーロンの攻撃と、ヘルベルトの高速移動による回避とカウンター。

 そんな攻撃の応酬が何度も繰り広げられている。


 ネルは自分の頬をつねる。


 痛かった……つまりこれは、夢でもなんでもない。

 まぎれもない現実なのだ。


 あのカクカクと妙な移動方法で動くヘルベルトの高速移動の謎が、ネルには一向に解けなかった。

 特殊な歩法……にしても早すぎる。


 あれではまるで、ヘルベルトだけが一人何倍もの時間を生きているかのような……とそこまで考えて、馬鹿らしいと自分の考えを否定する。


 時間を操る力などというものは、おとぎ話の中だけでの話。


 そんなアホくさい考えを頭の隅に追いやり、再度戦いの様子へと意識を向ける。

 すると既に、状況は逆転していた。


 ヘルベルトが先ほどの高速移動をすることはなくなり、マーロンから一方的に攻撃を食らっている。


 なんとか必死に反攻に転じようとはしていたが、残念ながらできずにマーロンに一方的にボコボコにされていた。


 けれど身体に痣を作っても、ヘルベルトの心は折れていなかった。


 彼はどれだけ攻撃を受けても、どこかに逆襲の糸口はないかと必死に身体と頭を動かしている。


 その様子に、ネルは覚えがあった。

 ――まだ二人が仲の良かった頃、ヘルベルトが毎日ロデオにボコボコにされていた頃の記憶だ。


『ネル、俺はいつかロデオに勝ってみせるぞ!』

『はいっ、ヘルベルト様が勝つその瞬間を、特等席から見させてください!』



 意識を過去から今へと戻す。

 ネルに見えているのは、以前と違って醜く太った、豚貴族と呼ばれていたヘルベルトの姿だ。


 だが、見た目はまったくと言っていいほど違うというのに。

 あの頃とは、何もかもが変わってしまったはずだというのに。


 どうしてだろうか。

 ネルはヘルベルトから、目が離せなくなっていた。


 ヘルベルトが足掻きに足掻き、マーロンもそれに対して全力で応え。


「ディヴァインジャッジ!」


 マーロンの放った極太の光線が、ヘルベルトの脚部を貫く。


 肉の焼け焦げた匂いが漂ってくるほどに強烈なその一撃を食らい、ヘルベルトはひっくり返る。

 そしてなんとか涙をこらえながら、降参した。


 ネルは戦いが終わるその瞬間まで、目をそらすことができなかった。

 それどころか戦闘が終わっても、ヘルベルトのその重傷から目が離せずにいる。


 マーロンがその傷を治癒魔法で癒やしたところで、ネルはようやくホッとして解放されたような気分になった。


 全てが終わると、彼女はハッとしたように顔を上げる。

 するとそこには面白いものを見たとでもいいたげな、イザベラのニヤニヤ顔があった。


「色々と説明をしてやろうかと思ったが……どうやら必要なさそうだな」

「ど、どういう意味ですか?」

「説明が必要か?」

「い、要りませんっ!」


 ヘルベルトのあの妙な動きは気になったが、今は自分の様子を友人のイザベラに見られていたことでそれどころではなかった。


 遠くではヘルベルトとマーロンが共に立ち上がり、握手を交わしていた。

 男の友情……というやつなのだろうか。


 互いに打ちのめし合った相手同士だというのに、不思議と二人の顔は晴れやかだった。


 ネルにはよくわからない世界の話だ。

 闘技場は掃除がされていないのか、よくみれば制服に埃がついてしまっている。


 ついた汚れを手で払いながら、ネルは闘技場をあとにする。

 今度はイザベラが、その後ろに続いた。


 ヘルベルトのことは、嫌いなままだ。

 けれど……必死に頑張っているヘルベルトの姿を見ることは、決して嫌ではなかった。


 昔の名残なのだろうか。

 また自分の考え方が、変わる日はくるのだろうか。


(わからない……けれど)


 けれど、また今度。


 暇な時間があった時にでも、また二人の戦いを見に来ることくらいはしてもいいかもしれない。


 自分の気持ちに整理をつけることのできぬまま、ネルは闘技場を後にする――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る