プロローグ 2


『よぉ二十年前の俺。誰も友達がいない、ひとりぼっちの豚貴族君』


 その筆跡は、紛れもなく自分自身のものだった。

 その上からの物言いも、自分の発言そのものだ。


 どうして未来の自分から手紙が届いたのかという一点を除けば、全てが合点がいった。


 だが豚貴族という陰口が書かれていた段階で、ヘルベルトはいつものように癇癪を起こして、手紙を焼き捨てようとする。


 しかし手紙の書き主は、それすら見透かしていた。


『そうやって現実から逃げて、この手紙を焼くつもりか? そんなことをすれば、一生後悔することになるぞ。安心しろ、俺はお前の味方だ』


「そんなわけがあるか! 味方であるなら、俺のことを豚貴族などと呼ぶはずがない!」


『本当の味方だからこそ、お前にキツいことを言ってるんだ。誰からも怒られなかったせいで、今のお前は調子に乗っている。そして結果として、大切な物を全て失うことになるんだ。まぁ聞け』


 まるで会話をしているように、自分の言葉を返される。


 未来の自分だからか、今のヘルベルトが思っていることをズバリと言い当てられるのだろうか。


 図星を突かれた彼は、黙ることしかできない。

 百面相をしているヘルベルトのことを、ケビンが不安そうな顔で見つめている。


 問題ないとだけ告げて、手紙を読み進めることにした。


『まず教えておく。俺は二十年後のお前だ。系統外魔法である時空魔法を使って、過去に手紙を送らせてもらった。死に物狂いで力をつけてまでこんなことをしたのは、ひとえに俺に幸せな人生を生きて欲しいからだ』


 ――時空魔法。

 出てきた言葉に、思わず唾を飲み込んだ。


 時空魔法とはかつて賢者が身に付けていたという、今では誰一人習得できていない系統外魔法だ。


 賢者マリリンは、この魔法を使うことで悪しき魔王を封印することに成功したという。


 物を無限に入れることができるという『無限収納(インベントリア)』。


 一瞬のうちに空間を移動できる魔法『転移(ワープ)』。

 過去へ戻り、事象そのものを書き換えることのできる『時間移動(タイムリープ)』。


 言い伝えられている魔法は、そのどれもがあり得ないと一笑に付されるようなものばかり。


 あまりに現実感に乏しく、誇張が入っていると誰もが思っている。


 だが今、ヘルベルトはその力を直接目の当たりにしている。

 未来からの手紙がやってきたのは、時空魔法の力。


 そう考えれば全ての辻褄が合う、合ってしまう。


 ブルブルと全身が震えるのがわかった。

 興奮から、ふごふごと鼻息が荒くなってしまう。


 自分に……時空魔法の才能が宿っている!

 かつて賢者が使っていた、最強クラスの系統外魔法の才能が!


(この、この力さえあれば、みんなが俺を――!)






『今お前は自分が賢者になってチヤホヤされると思っただろうが……それは無理だ。何故ならヘルベルト、お前は性根が腐ってるからな。お前の周りに人がいないのは、お前に力がないからじゃない。お前が人から好かれるための努力をしてこなかったのが原因だ』


「ふざけるな! 性根が腐っているだと!? そんなこと、あるはずがない!」


『誰からも言われてこなかったのは、お前が公爵家の嫡男だからだ。ヘルベルト、他の誰でもない未来の俺が教えてやる。今のお前に人間的な魅力はゼロだ。そしてすぐに今までのツケを支払わされることになる。ちょうどいいから直近の未来を教えてやるよ、ヘルベルト・フォン・ウンルー』


 そう言われれば、ヘルベルトは黙ることしかできなかった。


 自分自身そうは思っていなくとも、客観的な事実としてヘルベルトの周りに人は誰もいない。


 さらに言えばそれを指摘しているのが未来の自分なのだから、認めざるを得ない。


「だが……こんなことが、起こる、わけが……」


 しかし直近の未来の出来事として記された文字列までは、信じることができなかった。


 ありえぬと、そう一笑に付すようなものばかりが並べ立てられていたからだ。


『お前は決闘に負け、廃嫡される。そしてネルとの婚約は破棄され、ケビンは死ぬ。俺は失ったものを取り戻すのに……二十年かかった。我ながら頑張った方だとは思うが、こんだけやっても手からこぼれ落ちた物の方がずっと多い』


 エレメントマスターの自分が決闘に負けるはずがない。


 嫡男の自分が、廃嫡されるはずがない。

 小さい頃に結婚の約束をしたネルが、婚約を破棄するはずがない。


 今こんなにピンピンとしているケビンが、死ぬはずがない。


「そんな、はずは……」


 けれどヘルベルトは、強く否定することができなかった。

 否定できるだけのだけの根拠を、彼は持たなかった。


 いや、むしろ……と、しっかりと頭を回転させれば、肯定の材料ばかりが増えていく。


 思えば思い当たる節は、いくつかあるのだ。


 ただの平民であるマーロンに王女までが興味を示しているという異常。


 最近父が自分を見る目が冷たくなっているという現実。

 そして何度かパーティーに誘っても、全て断られてしまったネルの変心。


 誰からも言われてこそいなかったが、彼は心のどこかで気付いていた。

 だがそれを認めてしまえば、今の自分は足下から崩れ落ちてしまう。


 しかしながら今こうやって、未来の自分に諭されたからこそ思うことがある。


 公爵家の嫡男ではなくなったヘルベルトを認めてくれる者など、この世界に一人だって――。


「う……グスッ……お、俺は……俺はっ――!」


 涙をこらえることが、できなかった。

 ヘルベルトは地面に倒れ込み、四つん這いになって拳を握る。

 手紙は握りつぶされ、くしゃりとシワが寄る。

 ポタポタと落ちた雫がシミになっていく。


 ヘルベルトはもう、我慢の限界だった。

 公爵家嫡男としてのプレッシャーと傲りから、道を踏み外してしまったのは事実だ。


 だが治そうとしても、尊大な自分の在り方がそれを変えることを許しはしなかった。


 結果、今では取り返しのつかないところまで来てしまっている。


 明日自分は決闘に負け、廃嫡され、全てを失うのだ。


 未来の自分からの手紙を、ヘルベルトはもう疑ってはいなかった。


「ヘルベルト様、ハンカチを」


 理由はわからないが、ハンカチを手渡してくれた心優しいケビンさえも失ってしまう。


 大切なものは全て、この手からこぼれ落ちてしまうというのか。


 後悔しても遅かった。

 未来の自分とは違い、今の自分には過去を変えるような力はない。


 どうすればいいのだ、自分は。

 いったいどうすれば……。


 答えは出なかった。

 だが答えを出す手がかりは、今この手に握られている。


 醜い自分と向き合うのは怖かった。

 暗く閉ざされた未来のことなど、知りたくはなかった。


 けれど全てを失うことの方が、ずっとずっと嫌だった。

 ネルもケビンも、失いたくなかった。

 だからヘルベルトは、手紙を読み進める。


 自分の心の動きなど、未来の自分にはお見通しだったらしい。

 彼を慰めるような文字列が続いた。


 そこまで理解されていると、腹が立ってくる。

 しかし味方になれば、これほど頼りになる者もいないだろう。


『今お前は後悔したはずだ、今までの自分を悔いたはずだ。ヘルベルト、安心しろ。その気持ちを忘れない限り、お前の道は閉ざされちゃあいない。ここからやり直せばいいだけだ。たしかにビハインドはあるが……お前は実は、結構すごい奴なんだぜ?』 


 手紙を握る手に、力がこもる。

 先ほどは逃げるために手紙を握り、見えないように丸めた。


 それなら今手紙を強く掴んでいるのは、なんのためか。

 ヘルベルト自身は未だ、それに気付いていない。


 けれど彼の瞳は、変わっていた。

 その碧眼は未来への情熱の炎を宿している。


『マーロンを倒し、未来を変えてやるんだ。なぁに安心しろ、俺がついてる。王国第二の賢者であるこの俺が』


 未来からの手紙には、今から何をするべきかがぎっちりと記されていた。


 決闘がどのような顛末を迎えるか。

 時空魔法の使い方、マーロンとの戦い方、今から何を特訓すべきか。


 既に時刻は午後四時、明日の決闘までに残された時間はあまりにも少ない。

 けれど不思議と、ヘルベルトに不安はなかった。


「爺」

「はい、なんでしょう」

「すまんがロデオに連絡を。今から三時間後から特訓に付き合ってもらうと」

「はい――はいっ! 今すぐに伝えて参ります!」


 ケビンは手紙を読んでからヘルベルトの顔つきが一変したことに気付いていた。


 以前神童と呼ばれていたときの、自信家で誰よりもひたむきだった頃の面影が、たしかにそこにあった。


(ヘルベルト様……あなたがその顔をなさるのを、爺は長らくお待ちしておりました)


 ケビンは、公爵家筆頭武官であるロデオを呼びにいく。


 普段から落ち着き払っている彼にしては珍しく、砂埃を立てるほどの全力疾走である。


 走りながら流れてくる涙は、執事の嗜みとして入れているハンカチで拭き取った。


「おいロデオ、来てくれ! ヘルベルト様が――」

「……若が? また妙な難癖をつけられなければいいのだが」

「ふふふ……今はそう思っているがいいさ」

「どうしたケビン、そんな嬉しそうな顔をして?」


 兵舎で一人素振りをしていたロデオは、嫌そうな顔をしながらケビンの話を聞く。


 そして半信半疑ながらも、ヘルベルトに稽古をつけることを了承したのだった。

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