豚貴族は未来を切り開くようです ~二十年後の自分からの手紙が全てを教えてくれました。どうやら俺はこのままでは婚約破棄され、廃嫡され、完全に人生が詰むようです。なので必死にあがいてみようと思います~

しんこせい(5月は2冊刊行!)

プロローグ 1


 リンドナー王国の王都スピネル。

 風光明媚なこの土地の一等地に、一際大きな屋敷がある。


 ウンルー公爵家が王都に持つこの邸宅は、この世の贅を一箇所に集めたかのように、瀟洒で、きらびやかで、そして華やかだった。


「明日……ようやく明日、あの平民を学園から追い出すことができる」


 そんな全てが一等の屋敷の中に、一つだけその場にそぐわぬ異物があった。


 鼻を豚のように鳴らしているその少年は、オークのように肥え太っている。


 母に似た綺麗な碧眼は濁っており、小さい頃はぱっちり二重だった瞼は、今や贅肉で奥二重になってしまっていた。


 全身についた贅肉を動くたびに揺らす彼の名は、ヘルベルト・フォン・ウンルー。


 貴族であることを示すフォンと、その後ろにつく家名から察することができるように、彼は王国貴族である、ウンルー公爵の跡取り息子だ。


「まったく、平民の分際でこのヘルベルトに楯突こうとは。ウンルー家嫡男であるこの俺に逆らうなど――チッ、イライラする!」


 ヘルベルトは立ち上がり、とりあえず目についた花瓶を手に取った。


 そしてそれを思い切り地面に叩きつける。

 パリンと音が鳴り、薄く焼かれた精巧な白磁が割れてしまう。


 描かれていた幾何学模様は見るも無惨な姿となり、金貨数十枚もするお宝はただのガラクタに変わった。


 ヘルベルトは今、非常に機嫌が悪かった。

 その元凶となっているのは、彼の通う魔法学院のとある生徒である。


 リンドナー王立魔法学院では、今年から特待生制度が導入されていた。


 それによって入学時に高得点を取ることができれば、平民であっても学費免除の上で通うことができるようになったのだ。


 今年、ヘルベルトと同時に特待生枠で入学した生徒は二人いる。


 ヘルベルトが気に入らないのは、そのうちの一人である、平民のマーロンという男だった。


 何につけても鼻につく、とにかくむかつく奴だった。


「クソッ、クソッ、イライラする! イザベラ様もネルも、どうしてあんな男を!」


 平民の分際で入学するだけでもあつかましいというのに、マーロンは瞬く間に学院の人気者になった。


 性別問わずたくさんの友達を作り、身分の違いに関係なく色々な人間と友好を結んでいる。


 王家の次女であるイザベラも、ヘルベルトの婚約者であるネルですら、マーロンと仲良くなっていた。

 対し自分は、未だ学院に一人の友達もいない。


(おまけに豚貴族などと、陰口まで叩かれている始末だ!)


 ついてくる取り巻きはいるが、彼らはみな公爵家の威光にすがりたいだけで、ヘルベルトのことなど見てはいない。


 ヘルベルトはマーロンに嫉妬していた。

 だから彼に、白手袋を叩きつけたのだ。


 貴族が相手に手袋を投げつけることは、決闘を受けろという意思表示である。


 決闘で負けた者は、勝者の言うことを何でも一つ聞かなければならない。


 王国が黎明期の頃に生まれ、今では廃れているこの決闘による決着を、ヘルベルトは望んだのである。


 もちろん彼が求めるのは、マーロンがこの学園から出て行くこと。


 マーロンさえいなくなれば、皆が自分を見てくれるようになるはずだ。

 婚約者であるネルも、昔のような笑顔を向けてくれる。

 王女イザベラだって、次期公爵である自分のことを無碍にできなくなる。


 彼はそう思い込んでいた。


 無論、そんなことはない。


 周りに人が寄ってこないのは、彼がすぐに手を上げようとする癇癪持ちで、公爵家嫡男であることを笠に着て横暴を繰り返してきたからだ。


 魔法学院に入る前から既に、ネルがヘルベルトと会うことはなくなっていた。


 ただ人間というのはいつでも、見たいものしか見ようとしない生き物だ。

 ヘルベルトは全ての鬱屈の理由を、マーロンのせいだと決めつけていた。


 友達ができないのはこういうところに原因があるのだと、指摘してくれる者は一人もいない。


「散歩してくる。帰ってくるまでに掃除を終えていなければお前はクビだ」

「は――はいっ! かしこまりました、ヘルベルト様!」


 戦々恐々としているメイドから視線を外し、自室を出る。





 ヘルベルトは明日起こるであろう光景を想像し、笑みを浮かべていた。


 地べたに這いつくばるマーロン。

 それを見て鼻高々な自分。

 そして自分を褒めてくれる学院の面々……。


 ヘルベルトの身体はオーク呼ばわりされるほど肉が付いているが、彼の魔法の才能は本物だった。


 彼は火・水・風・土の四元素魔法全てを使いこなすことのできる、いわゆるエレメントマスターだった。


 以前、まだ増上慢になる前の頃は、誰もが彼のことを神童と呼んで褒め称えてくれていたものだ。


 今では鍛錬をサボっているせいでまともに剣を振ることもできなくなっている。

 昔はできていたいくつかの魔法は、既に使うことができなくなってもいた。

 しかしそれでも、ヘルベルトは自分が負けるとはつゆほども思っていなかった。


 魔法の才能は、基本的に血統に依存する。

 ウンルー家は公爵家であり、三代前まで遡れば王家の血すら引いている。

 彼はその血筋を見れば、由緒正しきサラブレッドなのだ。


 魔法の才能は、まともに修行をしなくなった今でも相当のものがある。

 学科を除いた魔法の実技では、入学試験を一位で通過しているほどなのだから。


 まあ剣術の点数があまりに低かったため、総合点では特待生二人と王女に次いで第四位だったわけだが……。






「ふぅ……相変わらずお前の入れる茶は美味いな」

「いえいえ」


 中庭に出てきたヘルベルトは、誂えられた特注の巨大な椅子に腰掛けていた。

 身体が大きすぎるので、普通の椅子に座ればすぐに壊れてしまうからだ。


 彼が紅茶をズゾゾと品性の欠片もなく啜るその側に、一人の老人が控えている。


 老執事のケビンは、昔からヘルベルトに仕えてくれている彼専属の使用人だった。


 元は公爵家の家宰をしていたが、今ではその役目を後継に譲り、ヘルベルトの側仕えとして働いている。


 ヘルベルトは苦いものがとにかく苦手で、紅茶も薄めのものを好む。

 そんな細かい趣味嗜好まで、ケビンは知り尽くしていた。


 ヘルベルトが唯一信頼できる人間は、ケビンだけだ。

 そしてケビンもそんな彼のことを、実の孫のように思っている。


 今は傍若無人で手の付けられないところも多いが、いずれはかつて神童と言われていた頃のような人に戻ってくれる。


 誰もが見切りをつけたヘルベルトのことを、ケビンは未だ信じ続けていた。


「爺、俺は明日決闘するんだ。これで一泡吹かせてやれば、みんな俺のことを見直してくれるに違いない」

「そうですね。ヘルベルト様なら負けるはずがございません」

「ハッハッハ、その通りだぞ爺。このヘルベルト・フォン・ウンルーが、平民風情に遅れを取るはずがない!」


 そういってにこやかに笑う彼を見れば、学院の人間はみな驚くことだろう。


 ヘルベルトは学院では常に不機嫌で、周りの人間に怒ってばかりいる。


 こんな柔和な態度を取ると言っても、婚約者のネルも信じないだろう。


(いつもこうやって笑っていてくだされば、きっとヘルベルト様のことを好きになってくれる者も多いでしょうに)


 笑顔を向けられたケビンはそう思わずにはいられない。

 だがそれを、あえて指摘はしなかった。


 言われればその逆張りをしてしまうヘルベルトのあまのじゃくを、彼は知っているからだ。

「よし、明日に備えて少しばかり魔法の特訓でも……ん?」


 ヘルベルトは首を傾げながら、ソーサーやポットの置かれたテーブルを凝視する。

 そこに魔力の揺らぎを感じたからだ。


 魔法とは、魔力を用いて事象を改変する技術である。

 元あったものを改変するため、魔法が使われればその場には異常が検知される。

 ある程度熟達した魔法使いであれば、それを魔力の揺らぎとして感知することができるのだ。


「爺、下がれっ! 何かが来る!」

「はっ!」


 ケビンは何も言わず、大きく後ろに飛んだ。

 既に五十を超えているとは思えぬほどの跳躍力だ。


 ヘルベルトは前に出て、急ぎ魔法発動の準備を整える。

 一番得意な属性である火魔法を選び、すぐに発動できるように魔力を練り上げる。

 何が起こるのかはわからないが、とにかく目の前で魔法が使われているのはたしかだ。


 敵か、味方か、それとも……。


 手に汗を握りながら、久しぶりの実戦に心臓をバクバクさせている彼の前に現れたのは……一枚の手紙だった。


 魔力の揺らぎが消える。

 魔法が使われた形跡は消え去り、あとにはテーブルの上に置かれた手紙だけが残った。


「……系統外魔法か?」


 基本的に魔法使いは、火・水・風・土の四元素のうちのどれかを扱う者がほとんどだ。


 しかし稀に、その枠組みから外れた系統外魔法と呼ばれるものを使える者がいる。


 系統外魔法は使える者が少なく、また先達がいないために独学で習熟せざるを得ない。


 そのため使い手になるような者は滅多に現れない。

 そして現れた場合は、そのほとんどがなんらかの形で歴史に名を残す。

 勇名であれ、悪名であれ。


 何か罠はないかと疑いながらも、ヘルベルトは手紙を手に取った。

 そして封筒を見て、愕然とする。


「俺の……字?」


 その手紙の筆跡は、自分のそれと酷似していた。

 いくぶんか達筆になってはいるが、文字を書くときの癖が自分と全く同じなのだ。

 その封筒には、こう書かれていた。


『二十年前の俺へ』


 封筒を振るが、中には便箋しか入っていない。


 そして裏側にある封蝋には、公爵家の押印がなされている。

 その両面をケビンに見せる。


 すると彼は、ヘルベルトが思っていた通りの答えを返してくれた。


「ヘルベルト様の字ですな……封蝋も本物かと。前に偽装された封蝋が使われたこともありますが、これほど精巧な物は二つとありませぬ」


 押されている、二頭の蛇が絡みついている紋章。

 ウンルー公爵家を示す輪廻の蛇が、自分のことを睨んでいるような気がした。


 いったい誰が、なんのために送ってきた手紙なのか。

 期待と不安を胸に抱え、ヘルベルトはゆっくりと手紙を開く。


「こ、これは――」

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