第8話

恒星暦158年12月10日 飛行隊事務室


事故から1週間が経った。事故原因の推定が始まり、PA-50の飛行自粛が解除された。事故原因は少なくとも機材の致命的欠陥ではないと判断された、ということの意味になる。


「アニー、今日は遅いな」

そう言ってからエリーは気付く。

長期哨戒や出張などで人員を派出した時に、いない人間を探してしまい途中で気付く、という行動自体はよく起こる現象なのだが、どうしても今回はその覚えが悪かった。どちらかと言えば、人間の心理的には正常な反応で、これは心の防御反応だとエリー自身は自覚があるものの、まだ現実を受け入れきれずにいた。


アニーの洗濯物を部屋に返却することは出来たが、アニーの私物はアニーの家族が部屋に入って、全て片付けてしまった。

ただの空室になったアニーの部屋にエリーは虚しさを感じたが、それよりも何よりも、作業中に手伝いますと声をかけた時に、顔も知っているアニーの妹から返ってきた言葉の方がエリーは忘れられそうもなかった。

「私、軍のことは許しませんから」

肉親を、姉を喪った心境というのは計り知ることが出来ない。

きっと事実を受け入れるためのプロセスなのだろうから、誰が何をどう言っても効果はないことは分かっているが、手伝うどころか一切を拒絶された時の、兄として妹を諌めるアニーの弟の様子と、アニーの両親の申し訳なさそうな顔がエリーの脳裏にこびり付いて離れない。

結局、それからエリーに出来たことは、鍵を自分の持っていた合鍵と合わせて官舎係に返却することだけだった。


エリーの頭には答えのない疑問が浮かんでいた。

「なんで、アニーが」

あらゆる可能性を1日に何度も考えては振り払う。「もしも」はこの世に存在しない。喪われた人命は帰って来ないし、そもそも誰も喪われない未来があった方が遥かにいいに決まっているのだ。

今更だと思いながらも、エリーは深い喪失感に気付いていた。


「アニー少尉、ちょっといいか?」

飛行隊長がアニーを呼ぶ。

何度目になるか分からないメンタルチェックの面談だろうかと思い、隊長室にアニーは入る。

しかしこの日は様子が違った。部屋には既に、同じ飛行隊のカフク少佐とフォード中尉、電子装備掛長が応接卓に着いていた。

促されるがままにエリーは席に着き、5人で応接卓を囲む。

「これはあまり公に出来ない話なんだが」

ひどく深刻な様子で飛行隊長が口を開く。

「新型レーダー、あるだろ」

エリーの脳裏に先日の講習会の内容が、生前のアニーと最後に受けた座学だという記憶とともに蘇る。

「あの、前にやった座学のやつですか?」

「ああ、それなんだが・・・・・・」

飛行隊長に促された電子装備掛長が説明を始める。

「どうも近距離での探知が従来より不良気味だという実地運用試験結果があるようなんです」

「そう。そのレンジが機首正面から概ね±5°、ピッチ±3°、1〜2マイル以内の目標」

その数値にエリーを含めた全員が違和感を覚える。

「待ってください、±5°にピッチ±3°の1〜2マイル?」

「ああ、その通りだ」

「あの座学では、周囲ほんの数百ヤード程度の三次元空間、という印象を受けましたが・・・・・・」

フォード中尉の言葉に電子装備掛長が首を横に振る。

「いえ、1〜2マイル。真正面から突っ込んでくる、命取りになりがちなものほど探知が難しい。それに、スコークだって同じで、あれも近距離で精度が不安定になるようなんです」

「原因は最初に言った通り、鳴り物入りで導入された、例の角度を付けたレーダーだ。角度が付いたせいで、使用している周波数の特性上の問題と相まって、近距離の探知に極めて弱くなったようだ」

「そのスコークの探知性能についても、確かに高性能ですが、近距離での失探後はスコークが最終探知時の針路速力をベースにして見積もりを表示しているだけに過ぎないんです」

「つまり、距離が近くなると表示が限りなく不信頼になる、ということだ」

再び驚きが広がり、フォード中尉が質問を飛ばす。

「何故そんな不具合を抱えたものが正式に導入されたんですか?」

「まあ、実地試験云々という話もあるが・・・・・・一つ質問だ。エリー、それ以前にあのレーダーの導入はいつ頃だ?」

エリーが記憶を辿る。

「ここ最近の話です」

「12月は決算年度末だろ?」

はっとエリーは気付く。

「そんな、不合理な判断を?」

「諸手を挙げて万々歳な気分に浸ってた数日前の自分を殴り殺してやりてえよ」

それが、飛行隊長の答えだった。


「ウィラー大尉の子供、見たか?」

エリーが朧げな記憶を辿ると、遺族列にひときわ小さい子供がいたことを思い出す。

「あんまり基地祭とかも来たことがなかったんだろうな。あちこち走り回ってさ、俺とぶつかったんだ。でもよ「広くて楽しい」なんて言うんだよ、基地に来た感想が。きっとなんで基地に来たのか分かってねえんだろうな。普段なら、「じゃあ将来は軍に入るしかねえな」なんて言うんだが、自分の父ちゃんの命を奪った組織への勧誘の言葉なんざとてもじゃねえが、言えなかった」

大きなため息を吐き、飛行隊長が天井に顔を向ける。

「俺はその浮かれ気分で3人の部下を殺したんだから」

エリーがアニーを喪った悲しみよりも深い後悔がその言葉には滲んでいた。

「そんな不幸を生む事故がこの世にあっていいはずはねえんだよ」


一呼吸置いて、電子装備掛長が口を開く。

「仮に不具合があっても、まずは年度内予算を使い切り、次の決算年度でアップデートパッチを当てれば問題なし、という発想の下のリリースだったようです」

「そう、その次の決算年度までに事故が起きなきゃ問題ない、とね」

予算を使い切らなければ予算を削られる。予算が余れば、余った分だけ不要であったという判断は合理的だが、今回の一件に限って見てみると、結果として非合理な判断を下す材料になったことは否定できない。

「大抵は被服の支給や交換なんだが、手を替え品を替え、我が軍では毎決算年度末に見られる現象なんだ。今年はそれが電子装備品だった、というだけなのに、俺はまんまと気付かずに間抜け面を晒してたって訳だ」

さぞ滑稽なこったろうな、と飛行隊長は続ける。誰も口を開けなかった。

「うちの隊でやった試験は遠距離探知性能の試験だけだ。近距離性能は開発部隊からの言葉をそっくりそのまま受け取ってた」

機体直下の目標はレーダー不感域に入るし、そもそも近過ぎる目標は目視できるからゲインを調整してあって映らないというのが、レーダー操作上の大前提である。しかし、それでも性能試験をすり抜けた欠陥が部隊での運用が始まってから判明した形になる。

「先行導入した他の部隊では、度々疑問に上がっていたんですが、不具合なのかなんなのか判断が今一つ付いてなかったんです。それが今回の事故で不具合ではないかと疑義が生じ始めたんです」


「エリー以外はレコーダーは聞いたんだよな?」

飛行隊長の答えにエリー以外の2人がはいと答える。

「エリーは?」

「・・・・・・文字起こしした分だけ読みました」

レコーダーを聞く勇気はエリーには湧かなかった。幼馴染の最期の声を、どうしても聞けなかったのだ。

「ならエリー少尉に一つ質問だ。コンピュータの近接警報の作動原理は?」

「近接警報は・・・・・・」

近接警報には2種類ある。レーダー上に侵入禁止エリアを設定して、接近した場合に作動する、レーダーシステム上の機能が一つ。

もう一つがコンピュータの近接警報である。コンピュータの近接警報はレーダーシステムとは別系統の近距離電波式探知装置と連動しており、レーダーで網羅できない近距離の障害物を警報音という形で知らせてくれる装備である。その旨を掻い摘んでエリーが説明すると、飛行隊長が電子装備掛長と共に頷いた。

「なら話は早い。コンピュータは再立上げ中で近接警報なし、近距離探知不可能のレーダーのみの状態とデブリか何かへの衝突としか思えない状況」

先日の事故をキーワードのみでピンポイント抽出する。

「今までのシステムなら障害物はレーダーで探知して、レーダープロット。距離が近付いて失探しても目視と近接警報でカバー出来たな?」

操縦士としての経験がまだ浅いエリーでも、訓練で幾度となく実施した手順である。

「しかし、今のシステムだとそもそもそのレーダー探知が不可能なので、突然近接警報が作動することになる。が、その肝心の警報システムを処理するコンピュータが不具合でオフの場合はどうなる?」

PA-50ライダーの端くれなら誰でも考えれば分かるな、と続いた飛行隊長の質問は、特に答えを期待したものではなかったが、エリーの頭にはその答えとなる「衝突」の2文字が浮かんでいた。

「基本的に目視できるはずだが、光のない空間などのレーダー頼りの状況ではクリティカルな欠点になりかねない」

フォード中尉が手を挙げる。

「事故報告書にレーダーは・・・・・・」

「叩きを読んでる限り、レの字も出て来ないが「操縦士の見張り不十分」という文字が出て来ることだけは想像に難くない」

エリーは、見てはいけない真実を一つ一つ説明付きで紹介されている気分に陥る。辿り着きたくない結論に向かって歩かされている感覚。何が起きているのか理解を拒んだまま、話が進む。アニーたちがくだらない予算争いの延長線上で死んだ事実にだけ徐々にピントが合っていく。

「その、隊長。それって会議で指摘は上がりました?」

カフク少佐が、半ば答えが分かったような調子で、確認のように飛行隊長に尋ねる。

「上がったが、上が導入を決めた装置だ。不具合があっても要因の一つに過ぎないのであれば握り潰すさ」

考えてもみろ、と飛行隊長は続ける。

「このレーダー、作ってんのはベイサイド電子だろ?ベイサイド電子はうちの軍の電子機器をたくさん、それこそ片っ端から作ってるが、言い換えればそこしかやってくれないし、なんなら宇宙軍に限った話をしてみると、航空関係職種出身者の定年後の就職先の中では高級幹部の行き先だ」

要は、ベイサイド電子は「天下り先」なのだ。

「自分の未来の行き先に石を投げたがる奴はいない。んでもって、そんな「お爺様」がわんさかいる所にケチなんか付けられるか?余程致命的な欠陥でもない限りは向こうだってコストカットしたいに決まってらあ」

そもそもだ、と更に飛行隊長は続ける。

「年度内予算を使い切りたい開発部隊と、早々にリリースしてまずは基本利益、そしてアップデートで追加利益を受け取りたい「お爺様」の会社、早期リリースで誰が損をする?」

否定材料のない、説明付きの真実がまた一つ。

「今回の件で見てみると、これは、「致命的欠陥」と言えるのでは?」

フォード中尉の質問の陰で、どうしようもない、しかし止めようのない涙がエリーの目から溢れそうになる。

「「操縦士の見張り不十分」」

エリーが顔を上げる。

「そんなもん、「致命的欠陥」じゃ無くしてしまえば指摘にはならないさ」

「それは詭弁では?」

「そう思うだろうが、そんな詭弁を弄する連中が新型レーダーを引っ提げてきたんだ」

エリーは思う。今この場で、駄々をこねる幼児のように、目を閉じ耳を塞いで嫌だと喚き散らすことが出来れば、どれだけ楽だっただろう。


「例えば、需品やら補給関連の出身者の定年後の行き先は当然装備品の納入会社だが、そこが何を納品してくれている?俺らの今履いてるこの飛行靴だって、当初は同盟国のメーカーのものを導入するはずだったが、件のお爺様方からの大反対にあった結果、国内メーカー製のコピー品に落ち着いたんだ」

エリーの意識が、足元の飛行靴に向かう。コストカットのためか、安価な革靴程度の薄さしかなく、応力のかかる爪先付近は、今隊長室にいる誰の靴を見てもひび割れが入るか、もしくは穴が空いている。変な位置に空いた通し穴のせいで間隔は極めて妙で靴紐が通しにくくて履きにくく、その上紐を締めにくい。中途半端なコピーに留まっているので、サイズの割にやけに全体が大振りで、狭い区画では頻繁に爪先をぶつけることから付いた「ゴーレムの安全靴」という俗称。

「俺たちが命を懸けようとしているこの国はな、誰かの既得権益の保護以外の肝心なものには金を掛けたがらないのさ。俺たちにしてもそうだ。目先のどうでもいい特殊な手当ばかり、それも、その手当ありきで基本給を組んでるからトータルで見てみると大概な安月給で飼い殺されてる」

ふと、エリーの脳裏にアニーとの会話が蘇る。

「手当関連はちゃんと給料に付けてくれるから」。

まだ出ぬ手当の増減で一喜一憂していた、あの純粋な幼馴染で、飛行隊の仲間だった初任士官はそんなもんのために死んだのだ。


「実はな、部隊葬の裏番組で今回の事故に関する意見交換や会議が哨戒司令部主催で度々執り行われてたんだ」

周囲は知っていたようだが、時折飛行隊長や隊司令が不在になっていたのはそういう事情かとエリーは一人納得する。

「司令はメディア対応で殆ど不在だったから、副司令が司会のようなもんだったんだが、その会議の席上で言われたことをいくつか教えてやろう」

収まりきっていない怒りが飛行隊長の言葉の端に滲む。

「副司令からは「次来るお前の後釜の飛行隊長、哨戒司令部からの人間なんだぜ。ケチをつけるのは自由だが、お前らは終わりだぞ」」

そもそも次のシーズンで転勤の話が出てたからな、と隊長は補足する。

「俺は言い返したさ。「人が死んでて、平気な顔して出世争いの妄言を垂れ流せるのか」って。「死んでないさ、行方不明にはなったがな」なんて妄言を更に吐きやがるから、「部隊葬までやっといてなにが「行方不明」だ。殉職者だ」と言ったら副司令の副官が出しゃばってきやがった。「どっちも弔意金や遺族手当は同額です。題目だけで些細なもんですよ」なんて抜かしやがる」

あいつらからすると隊員の死亡事故は些細なもんらしい、と呆れに似た調子で飛行隊長が所見を述べる。

「「人死が些細なもんだと?」と言い返すとな、「レーダーばかり見てて、外をちゃんと見張ってなかったんでしょう?」なんて話をすり替えやがんだ」

飛行隊長の口振りに再燃した怒りが混じり始める。

「「レーダーに頼る様では搭乗員失格ですか」と質問したら「見張りは目視が基本だ」とか屁理屈をこねくり回しやがるから「レーダーしか頼るものがなくてもですか」と食い下がったら「前提として、お前の部隊は、確か術科能力競技会でも大した成績を出してなかったな」なんてお得意の話題のすり替えをまた挟んできやがった。それとこれとが一体何の関係があんのか聞いたら「術科能力向上のために君は隊長として何かを企画したことはあったか?君の指導能力不充分なんじゃないか?」と今度は飛行隊そのものを攻撃してきやがってな。会議では怒らないと決めてたんだが「だったら、事故報告書にそう書きやがれ!」って怒鳴っちまった。うちのウィラーもアニーもバリーも、揃って無能の烙印を押しそうになったような連中に、あまりにも頭に来てな。怒りに身を任せて、「結論ありきの不毛な仲良しごっこを観に来たんじゃねえ」つって会議は途中退場してやった」


はあ、とため息をついてから、議事録になんて書いたんだろうな、とどこか面白そうな調子で疑問を口にしたところで、飛行隊長からの会議の事情説明は終わった。

あっけらかんと言い放った飛行隊長の言葉を全員黙って聞いていたが、会議を怒りで中座した、というのは前代未聞の出来事だった。自分の進退すら厭わない覚悟を以ての行動であることは考えるまでもない。


「ところで、だ。この集めたメンバーだが」

背もたれにもたれかかっていた飛行隊長が前屈み気味になり、頭を近付ける。

「今度の哨戒司令官視察で司令官が来隊されるな。今事故調査関連で当基地に来隊中の副司令官の人員移送も同日に計画されているが、そのメンバーにお前たちを俺がアサインした」

話がいきなり飛躍して、エリーの頭が付いていけない。一方の飛行隊長はその様子に構うことなく話を続ける。

「司令官機のメンバーは俺とアニー。副司令機はカフクとフォード、お前らにする」

通常、基地機能維持のためツートップのどちらかは本部に残留する、というのが、司令部に限らず各宇宙基地、それどころか宇宙軍以外の軍でも常識である。

しかし、今回は事故調査で副司令官が現地入りしているところに、元から入っていた司令官視察が予定通り実施されるため、偶然にも丁度司令と副司令が司令部と基地を入れ替わる形になったのだ。

「俺も隊長になってしばらく経つ。内示は出てないが、さっき言った通り、この調子で行けば次のシーズンで転勤だ」

ふう、と大きく深呼吸を挟んだ。

「最後に一泡吹かせてやっか」

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