レーダー・コンタクト

野方幸作

第1話

恒星暦189年7月9日 C-17航路帯 グラスパイン〜スローパー 90NM付近


「目標まであと20000ヤード」

航海員が目標までの距離を刻々と測距し、報告する。

報告を受けた、2等航海士の階級章と「エリー」と刺繍の入ったネームパッチの付いた作業服を着た初老の女性が了解と返す。

「両舷前進原速となせ」

「了解、両舷前進原速」

じりりん、と速力制御盤に取り付けられた変速ベルが鳴ったかと思えば、変速を了解した操縦室からの返答信号により即座に止まる。

「目標まで50分。作業員に減圧準備指示を出します」

「了解、マイク入れ」

「マイク入れ」

指示を受けた航海員が、船内一斉と書かれたマイクを手に取る。

<<船外作業員減圧準備、船外作業ハッチ前>>


当該航路帯で大型のデブリが漂流している、という情報が付近の発着場に寄せられたのは数日前。デブリの回収もしくは、回収できない物体であった場合の破壊依頼を正式に航路公団が受理したのがそこから1日。その数時間後にはエリーたちサルベージ船クルーにブリーフィングが行われ、1日後に出港。そして約1日が経過した現在、事前情報通りの空域に到着し、無事に「大型のデブリ」を発見した。

「古い型の宇宙船、それも軍用機みたいですね」

近くで機外カメラを操作していた別の航海員が感想を漏らす。

「これPA-50じゃないかしら」

まだ距離があるせいで、粗い画質のカメラの映像を横目に覗いたエリーは呟いた。

「エリーさん分かるんですか?」

「分かるもなにも・・・・・・」

エリーはこの航路公団に再就職をするほんの前まで、定年するまで軍に在籍していたし、目の前のPA-50の操縦士として勤務していた期間もあった。その事実を伝えられた航海員はそうなんですかと驚きの声を上げた。一方のエリーは言ってなかったっけ、と逆に困惑していた。

「今度教えてくださいよ、その頃の話」

「いいけど、今は目の前の業務に集中」

はーい、と元気に返事をした、エリーを慕う若手の、まだどことなく少女と呼ぶのが相応しいような、ネームパッチにアーニャと刺繍の入った航海員が手前のコンソールに向き直る。


「航行情報は?」

「出てません」

「当然、か。了解、回収作業に移行する」

船長が指示を飛ばす。

誰ともなく、幽霊船かと呟く。人のかつての職場に対して幽霊船とは結構なことを言ってくれるじゃないかとエリーは思うが、声には出さなかった。事実、カメラに映る残骸は幽霊船どころか、航路帯の航行を脅かす「デブリ」でしかないのだ。

「本部に連絡、「目標発見、小型宇宙船の残骸らしい。回収作業を実施する」」

通信員からの報告に船長が手を挙げて了解の意を示す。

かたかたとキーボードを打ち、本部へ連絡すると、程なくして、ぴいい、と甲高い通知音と共に返答が送られてくる。

「本部より回答。「充分に注意を払った上で回収作業を実施せよ」」

「ん、了解」

船長が椅子から立ち上がり、船外作業員の集合区画を映すモニターの前に移動する。

<<船外作業用意、船外作業員、船外活動服減圧始め>>

船長からの指示でモニターの中の作業員がのそのそと活動服のダイヤルを操作する。船外活動服は宇宙空間での活動性を保証するため、活動服内も減圧を実施する。無論、服の減圧の前に人体が耐えられるように半日近くかけて入念な人体に対する減圧準備も整えた上での話である。そうして着用される船外活動服は、宇宙空間でも充分な生存性を確保するための生命維持装置が取り付けられているため、それこそ着ぐるみのように、中に入り込むようにして着用する。「服」と銘打っている以上、「着用」という語を用いているが、実際のところ「入る」の方が正しいとも言えた。


「船外作業、マイク入れ」

指示を受けた航海員がマイクを取る。

<<間もなく、船外作業を行う。第一、第三機密区画付近への立ち入りを禁止する>>

エリーが残距離を尋ねる。

「目標まで残り6000ヤード」

「じゃあ、到達まで概略あと15分ね」

「船外作業員、活動服減圧手順終了、準備よし」

「了解、第一、第三機密区画閉鎖確認、減圧開始」

「第一、第三機密区画閉鎖確認、減圧開始」

作業員のいる作業区画を含めた、その周囲を覆う第一機密区画側では、作業員が指示に従い、作業区画内の減圧弁制御器に取り付けられたチェックリストの手順に沿って操作する。

作業区画のみならず、その周囲を含めて機密区画にしている理由は、万が一にも作業区画が損傷した場合、サルベージ船全体に被害が及ぶ可能性があるためで、言うなれば、ダメージコントロールのためである。

最悪の事態が起きた場合、機密区画を閉鎖したまま、母港もしくは修理港までなんとか辿り着くための設計で、要するに、洋上艦の水密戸や水密ハッチによる区画閉鎖と同じ設計思想の下にある。とはいえ、航路公団が所有するサルベージ船は船外作業区画が数箇所設けてあるため、船外作業中に作業区画の破壊が起きたとしても、別の作業区画から作業員を回収することができる。そのため、重力圏内における、喫水線下の水と圧力という不可避の要素に起因した区画閉鎖と比較すると宇宙空間での方が人命の価値はまだなんとか上に位置付けられている。尤も、機密区画内に人が取り残されていれば、封鎖が間に合うも何もなく、限りなくゼロに近い気圧で即死するという前提を考えてみると「比較的マシ」程度にしか落ち着かないのだが。


船橋に取り付けられた状況表示灯の作業区画の灯火が、緑から赤に切り替わる。区画そのものの減圧が開始されたことを意味し、同時に減圧状態の注意灯が制御盤に表示された。意図しての操作である以上、ここに注意を払う必要はさほどない。むしろ、注意表示が出なかった時の方が問題なのだが、今はかえって正常作動していることを示してもいる。

そして、デブリの回収区画がある、第三機密区画は今現在作業員が不在のため、船橋側で減圧手順を、やはりチェックリスト手順に沿って実施する。

減圧が完了した時点で第一機密区画及び、第三機密区画は宇宙空間と同様の状態になる。


「間もなく位置に付く。両舷停止用意、後進準備」

「両舷停止用意、後進準備」

ここからが航海指揮官の腕の見せ所になる。なにしろ、デブリの真横にぴたりと着けるのだが、遠すぎると作業効率が悪くなるし、かと言って近付きすぎると、不意に外力で動揺した時にデブリと衝突する恐れが出てくる。作業員の命綱の限界長は勿論だが、あまりに伸ばしすぎても今度は絡まるリスクが出てくる。理想は真横の距離ゼロだが、そんな訳にもいかないので、平均的に150〜300ヤードの間を目指すのが望ましいとされている。近過ぎず、遠過ぎず。レーダー測距と、目測の勘に頼るより他はない。

「両舷停止!」

「両舷停止!」

航海指揮官の号令で出力が止まり、静かになった船体が残った慣性で速力そのままに「デブリ」に近付く。

「目標まで1000!」

船橋立直員の誰もが右舷側に張り付いて様子を見る。

「両舷、後進最微速!」

「両舷、後進最微速!」

船体に後進時特有の振動が伝わり、「デブリ」への近接速力が落ち始める。

1秒、2秒、3秒・・・・・・。

後進をかけて、速力を丁度殺しきるまでの、永遠にも思える長さの待ち時間。エリーは2等航海士で、まだ航海指揮官の補佐ポジションだが、それでも手の汗が止まらない。

「近接速力停止、目標まで300!」

「了解、両舷停止!左スラスター用意!150まで近接する」

「両舷停止!左スラスター用意!」

「目標まで250!」

じりじりと大きく映るデブリに緊張が否応にも高まる。

「200!」

後に頼れるものは目測のみ。

「スラスター使用やめ!ドップラーゼロ!」

「スラスター使用やめ!ドップラーゼロ!・・・・・・ナウ、ドップラーゼロ!」

「・・・・・・170ってとこだな」

船体の近接が止まる。


<<間もなく、作業ハッチが開く>>

船外作業区画の作業員がハッチ脇の操作盤を操作すると船橋の航海科区画に信号が通じ、制御盤の「開放」と文字が書かれた部分の赤い灯火が点灯する。

「作業ハッチ開放する」

「了解、作業ハッチ開け」

航海指揮官の許可を得た制御盤の操作員が、その下のスイッチを「許可」側に操作すると緑の灯火が灯る。

「作業ハッチ開放許可」

「了解、ハッチ開放」

船外作業区画の作業員が操作盤のハンドルを開放側に回すと、船内全体に鳴り渡るビープ音と共に、ハッチが宇宙空間に向けて開放される。

<<作業ハッチ開放、船外作業始め>>

号令と共に、命綱を付けた一回りから二回りほど大きな体つきになった船外作業員数名が宇宙空間にふわっ、と浮かび上がる。その様子はさながら羊水を泳ぐ胎児のようだと見る度にエリーは思う。尤も、母親の子宮は胎児といえど泳げる程の広さはないのだけれど、と毎回常識がその例えを否定するのだが。


サルベージ船とその船外作業員による回収作業は確立された手順に則った手際の良いもので、2人がかりでさっとワイヤーを掛けること数回、玉掛けにしてリモコン式のサルベージ船外部クレーンのアームに引っ掛けると、あっという間にサルベージ船の回収区画に引き上げてしまった。

それから残りの作業員が回収区画に入ると、タイダウン・チェーンを機体とワイヤーに掛けて固定し、概略の作業は終了。後は作業員が命綱を辿って作業区画に戻るだけ。時間にして僅か1時間程度の仕事で済んだ。


「船橋、作業区画。回収作業終了、人員機材異常なし。ハッチ閉鎖願う」

回収区画から船橋に、船外活動服内に取り付けられたマイク特有の、くぐもった音声が活動服の外部に取り付けられた電話端子越しに届く。

「ハッチ閉鎖了解、閉鎖」

「ハッチ閉鎖」

ビープ音と共にハッチが閉じ、ハッチ制御盤の灯火が赤から緑に変わる。


「作業区画、船橋。再与圧準備良ければ知らせ」

「船橋、作業区画。作業区画内目視点検異常なし、閉鎖完了準備よし。再与圧準備よし」

「了解、再与圧許可」

「再与圧実施する」

作業員が減圧弁制御器を中立位置に戻し、それから加圧側に操作する。

「圧力計上昇ノーマル」

20分程かけて緩やかな再与圧を与えていき、圧力が0.6気圧を超えたところで状況表示盤の赤が緑に変わり、減圧表示が消灯する。


船内気圧が1気圧に戻ったところで、モニターの中で作業員が船外活動服の脱衣を始めた。各部が与圧終了後のチェックリストに従い、一つずつ確認を行う。要は減圧前後の逆順なのだが、仮に抜けがあっても即時に人命に影響が出ない分、緊張感は減圧時よりもまだ低い。

「船橋、作業区画」

作業員から、今度は肉声のクリアな音声が船橋に届く。

「与圧終了、異常なし。回収作業終了」

「船橋、了解」

報告を聞いていた船長が手を上げ、了解の意を示す。

「回収作業終了マイク入れ」


<<回収作業終了、第一、第三機密区画への立入禁止を解く>>

船橋の緊張が和らぐ。作業が終わり、一先ずは帰路に着くのみ。

時計に目をやり、エリーはふと考える。間もなく直の交代時間であり、今から10分もすれば別の航海士に申し継ぐが、申し継ぎ事項は何があったか。本部への作業終了報告は未送信だが、あらかたフォーマットを埋めてあること、既にチャートに帰路を引いてあること、ログのプリコンピューティングをしており、概略の帰港時間の算出が終了していること。それから、一番大きな立直中の業務がたった今終了したこと。作業員の圧力由来の体調不良にも留意しなければならないが、それは航海士、航海指揮官の範疇からは外れ、医務官の領分であること。


ざっと考えたことをそっくりそのまま次直に申し継ぎ、他の航海員の交代を見届けると、エリーは口を開く。

「船長、回収区画に行ってきてもよろしいでしょうか」

エリーの申し出に船長は行ってくるといい、と言って送り出した。

「あっ、あたしも行ってきます」

アーニャが、答えを聞く間も無くエリーに付いて船橋を降りる。

「エリーさん、あの軍用機ってなんですか?」

「あれはね、哨戒機よ」

PA-50という、慣れ親しんだ哨戒機が懐かしかった、というのも有るが、エリーの頭には何故こんな空域に哨戒機の残骸が放置されていたのか、というそれ以前の疑問が残っていた。

「哨戒機って、どんなことをするんですか?」

「えー、とね・・・・・・」

エリーは何故この宇宙空間で哨戒飛行をする必要があるのか、自分のかつて所属していた宇宙軍での活動について、大まかに話す。

宇宙空間では開発が始まった当初から、海賊行為が横行していたこと、現在でもそれは継続していること、場合によっては、国家ぐるみで時折海賊行為を後押ししている不法国家も存在すること。そして、そんな不法行為に対して、世界的に対処するために、各国が自分達の活動している航路帯付近では哨戒機を飛ばして、取り締まりを行なっていること。

「そんなことがあるんですか?」

「そんなことがあったし、今でもそんなことがあるから、私はこのPA-50にも乗ってたのよ」

そもそも、この会社の初等教育で宇宙海賊の話って出なかったかしら、という疑問は飲み込むことにしたが、エリーの言葉にアーニャが心の底から感服したように、格好いいです、と感想を漏らす。

「今の、歴戦の猛者感があって、格好いいです!」

「いや、歴戦の猛者「感」も何も、ちょっと前まで乗り続けてたんだって、哨戒機」

「そうですけど、その、ちょっといい言葉が見つからないんですが、えーと・・・・・・」

「別段そんなに褒めようとしなくていいわよ、それが仕事だったんだから」

過去の仕事を褒められて悪い気はしないが、そこまで賞賛されるとかえって気恥ずかしさを覚えるのは何故だろう、と中々適切な言葉が見つからない様子のアーニャにエリーはどことなく面映いものを感じた。

「PA-50ってどんな哨戒機だったんですか?」

「PA-50?」

PA-50自体は量産機で、エリーが軍に在籍していた当時の同盟諸国では最もポピュラーかつ、ベストセラーの哨戒機として、長きに渡り君臨していた。当然、エリーの元いた軍でもその例に漏れず、大量に導入し、そして派生型という名の下、バリエーションを増やし、そのいずれにも機齢延伸措置を施してまで使い続けた、哨戒機の顔役とも言える機種だった。その分、除籍後にスクラップヤードに行く以外にも博物館や公園の展示機として余生を過ごした機体も多く、今回の機体はどこかしらの展示機が不法に投棄されたのだろうとエリーは踏んでいた。

その旨を掻い摘んでアーニャに話してみると、先程と同じような反応が戻ってきて、そしてやはりエリーはどこか気恥ずかしさをまた感じていた。

「アーニャと話をしてると、なんだか昔を思い出すわ」

「ええ?本当ですか?」

どこか嬉しそうなアーニャを尻目に、しかし、とエリーは考える。不法投棄をするにしても、なぜわざわざ航路帯のど真ん中という、こんな目立つ空域に残置したのか、という疑問が解消されなかったのだ。そのために機側に向かい、外観と船内捜索をしてみようという決心に至ったのがつい15分前の話である。


エアーロックの抜ける音と共に、区画を仕切る大型のドアが重い音を響かせながら回収区画を通路側に開放する。回収区画では、まだ作業員が数名何かしらの作業に従事していたが、どちらかと言えば機体そのものに関する作業よりも、事後報告書類作成のための外観写真の撮影などの作業を--大抵はそれも帰港してから実施される作業なのだが--主にしている様子だった。


エリーの目に飛び込んできた、係止中のPA-50は、確かにデブリと呼ぶ方が正しい外観をしていた。

外板はいびつに歪み、窓は枠だけ残してその枠自体もかなり歪んでいる。

「結構、ぼこぼこになってますね・・・・・・」

「そう、ね・・・・・・」

こうなると、予想はかなり違った方向に進む。確かに、放置されて別のデブリに衝突しながらこの空域に到達した可能性は否定できない。しかし、エリーの予想は、この機体自体はもしかすると正規の手順を経て、廃棄された機体である可能性の方向に舵を切り始めた。解体予算が降りなかった除籍機が、年単位で放置された後に、予算がなんとか下りたので、破壊措置を施してスクラップヤードへの回送中に固縛が外れて、この空域に到着した可能性にエリーの予想は向かったのだ。それほどまでに機体の破壊が進んでいた。

「どこでどう、ぶつけたのかしらね」

しかし、そんなエリーの予想は、その側面に記載された機体番号に、全くの異なる事実を以って否定された。

「・・・・・・嘘」

「・・・・・・エリーさん?」

エリーは自らの心臓が高鳴るのを自覚した。もはや、アーニャの言葉は耳に入らない。

この時、エリーの脳裏には、ある記憶が蘇っていた。懐かしい、古巣の記憶が。

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