ある風景

月明影

つまずき

「しかし刑事さん、人間というものは、動物園で飼われてる動物と、変わりないものですね」


 パイプ椅子と事務机しかない、殺風景な部屋。


 そんな殺風景な部屋で、取調べを受けている大村は、刑事にそう語りかけた。


「それはどう言う意味だ?」と、大村の取り調べにあたっている刑事――宮田康夫――は、壁に背を預ける様に、少し斜めにもたれながら腕を組み、話を聞いていた。


 そして、話を続けるように促した。


 大村は話を続けた。


「動物園の動物は365日、苦も無く、飼育員の手によって餌を与えられ、飢えを知らない。餌の時間がくれば、何もしなくても食事にありつける。いい気なもんです」と、大村は少し呆れた感じで、軽く首を左右に振りながら話した。


 宮田は目を閉じ、もたれている壁に、後頭部を――コン、コン、コン――と、リズムをとる様に軽く打ち付け、何かを思案しながら「それで?」と言い、話を続けさせた。


「飢えを知らず、呑気に暮らせる動物は、野生の動物と違って大人しいものですよ。野生の動物を見た事ありますか? 奴らは自分が――いつ喰われるか?、いつ喰われるか?――と、いつも怯えている。だから攻撃性が研ぎ澄まされているのですよ」


 黙って大村の言葉に耳をかたむけ、更に話を続けさせた。


「檻で飼われてるうちはいい。しかしその檻から解き放たれたらどうか?餌にありつけず、そのまま朽ちてしまうものもいるが、中にはたくましく生き抜くものもいる」


 大村は更に話を続けた。


「野生の目覚めです。どんなに大人しくても、飢えには勝てない」


「だから、お前も野生に目覚めた。そういう事か?」と、宮田は大村に話を投げかけた。


「初めは良かったのです。それなりに幸せだった。しかし、小さなつまづきが悪かった」


 そう話を続ける大村を見ながら宮田は、悪に落ちた者が放つ、独特な陰気臭い臭気を嗅ぎとり――あぁ、嫌な話の展開だ、そんな話は五万と聞いたよ――と、臭い匂いを寄せ付けないように、鼻をつまむ思いで、心の奥で独りごちした。


 

「だがな、大村。この世には、そのつまづきから這い上がった者も、多く存在するんだぞ?お前の仕出かした事は常軌を逸してるだろが?」と、予め用意されている定型文を、言葉にしたような、慣れた口ぶりで、大村の話に宮田は応えた。


「お前の話はムショに送った後でじっくり聞いてやる。今は供述書を作る事に協力して欲しんだがな。それで?一体何人、ホトケにしたんだ?」


 宮田は――悪党の戯言など、どれも同じだよ――と言わんばかりに、さっさと供述に協力するよう、大村に尋ねた。


「ま~私の話など誰も聞いてはくれませんからね。良いですよ、協力しますよ。お互い、さっさと、この詰まらない問答を終えて、楽になりましょうか?」


 大村は、拍子抜けする程あっさりと答えた。


「なら、話が早い。それで何人なんだ?」と、宮田は改めて問い質した。



「そうですね、3人と言う事にしておきましょうか?」と、軽い冗談でも言うようだ。


「そこをハッキリとしてもらわないと困るんだがな、大村。まぁ今はいい。俺だって1週間、いや4日前に何を食べたか忘れるしな。そこはお前と何ら変わらない人間味ってやつさ」



 宮田は、何とかその場を取り繕った。ここで感情的になっても仕方が無い。


 コイツはもはや人の心――理性を失った有機物、正確に言えば、本能に従順な、肉人形に成り果てた男なのだと、自分に言い聞かせた。



 ――何がお前と変わらない人間味だ!


 とっさに出た言葉であったが、心の奥底では、1㎜もそんな事は思ってもいない。



 こちらの調べでは、3人では無い事は判っている。確かに、実際に見つかった仏さんは3人だ。そこは疑いようの無い事実だ。だが、それ以外にも行方が判らなくなっている者が他にもいる。


 一筋縄ではいかない事は分かっていたが……。


 しばらく、署で寝泊まりしなければならない事を考えると、急に、我が家にしかれている布団が、愛しい恋人のように思えてくるから不思議なものだ。


 色々と整理する事が多すぎる。


 宮田は、長期戦が予想される取調室で、事務机を挟んだ対面に、大村を見据える様に安価なパイプ椅子に腰を下ろした。


 2.


 ――大村健二――


 30歳になるまでは、父親が経営する町工場で、親子共に働いていたようだ。


 父親は、一代で工場を築き上げ、小さいながらも地域にしっかりと根を張り、周りの町工場の中では成功している方で、大手企業からの受注も多くあったと聞く。


 しかし、不況の煽りと長年の無理が祟り、大村の父親は病に倒れた。脳梗塞だった。


 一命は取り留めたが、右半身に後遺症が残り、職人にとっては命ともいえる、利き腕を動かす事が出来ず、引退を余儀なく迎えた。


 引退後は、息子の大村健二が跡を継ぐ形で工場を任せられた。


 大村は、父親の築き上げた工場を何とか守ろうと懸命に働いた。



 三年――五年――、懸命に働いた。



 しかし、景気は一向に回復する兆しすらみえない。



 大村は、真面目で大人しく、目立つタイプではなかった。


 それに反して、従業員は勝気な性格の者が多かった。


 大村は工員達が少し苦手だった。


 ただ、職人の腕は確かであり、人の2倍、3倍も早くこなせる上に丁寧な仕上だという事で、周りの工場仲間からも一目置かれる存在だったようだ。



 しかし、ある日を境に人生の転落が始まったらしい。


 従業員である三田と言う男に「若社長、ちょっと相談がある」と、頼まれた夜からそれは始まった。


 三田は熟練工で、長年勤めている古参だ。



 ただ色々と難があった。



 飲む、打つ、買う。それでいて気が荒い。



 給料は直ぐに消え、消費者金融にも借金がある男だ。



 自分の気に食わない事があれば不機嫌になり、周りを散々怒鳴り散らしては迷惑をかける。


 無断欠勤をしては、朝から晩まで、増えもしない財布の中身と睨みあいながら、私欲と幻想に取り憑かれたように、ギャンブルを興じる。


 良い所と言えば、旋盤加工の技術がずば抜けており、三田を含めて数人しか出来ない、コンマ数㎜単位の加工を、手の感覚だけで仕上げる程の腕だったようだ。


 しかし、この頃には長年のサビが身を犯し、仕事もままならない程の有様であった。



 3.


 終業後、静かになった工場。


 日はすっかり落ち、日中は工場の騒音にかき消され、隅に追いやられていた生活音が戻ってきていた。


 大村は、工場の2階に設けられている、事務室兼応接室で、三田の話を聞いた。


 三田は、退職する事を大村に告げ、今までの事を詫びた。そして長期入院すると言う。


「申し訳ねぇが、入院する時に必要な書類に、ハンコ押してもらえねぇかな?俺には頼れる身内も居ねぇしよ。困ってんだよ」と、いつもの口調で、病院から貰ってきたという書類を拡げて見せた。


「ここに保証人欄が二箇所もあんだよ。保証人って言っても形式上のもんだからよぉ、押してくれねぇかな?」と、保証人の何たるかも分かっていない軽い口ぶりだ。



 大村は考えた。


 社長として長年勤めて貰った職人に、満足な退職金を渡す事が出来ないのであれば、せめてもの餞別になるだろうかと。


 一人は自分の名前で良いが……、もう一人は誰にすればよいのか?――今すぐ結論を出す事が出来ないので、一度話を持ち帰る事にした。



 当時、大村には付き合っている恋人がいた。


 名前は青木裕子。歳は大村より一つ下。


 青木の実家と大村の実家は近所にあり、家族ぐるみの仲で、幼馴染みであった。


 青木裕子の父親は、裕子が小学校4年生の時に病気で亡くなっている。


 それからは母一人子一人の母子家庭となる。


 そんな時、陰ながらに支えたのが大村家だ。


 裕子の母親が仕事で遅くなる時は決まって、裕子を大村家が預かり、一緒に食卓を並べ、食後の団欒も遠慮する事無く話、笑い合い、実の娘の様に可愛がったようだ。



 そんな二人が恋仲になるのは自然な流れだったであろう。



 大村は迷った。


 迷ったが裕子に相談してみた。


「どうかな?やっぱり駄目だよね?」と、事の経緯を説明し終えて、裕子に答えを尋ねた。


「う~ん、判らない。保証人って大事な事でしょ?」と、裕子は言った。


「でも、健ちゃんが人の為に何かをしてあげたい!って思う気持ち、好きだな~。大~ぃ好きっ!」と、さらに裕子は明るく答えた。



 純粋な二人。


 結論は初めから出ていた。


 ただ、お互いの愛を確かめる為に会話を楽しみ、悩むふりをした。



 翌日、大村は、三田に保証人の件を引き受ける事を告げた。ただし、退職金はそんなには出せないとも付け加えた。気の弱い大村には、とても勇気がいる事だった。


 三田は「まっ、しょうがねぇよ。俺も散々、若社長には迷惑かけたしよ、クビにされなかっただけでも有り難く思わねぇとバチが当たるってもんだ」と、意外にもあっさりとしていた。


 そのアッサリ加減が不気味でならなかった。


 大村は後日改めて、二階の事務室兼応接室で、三田と合う事にした。裕子も一緒に。



 数日後。



 大村は、約束通り、三田の持ってきた入院誓約書の保証人欄に判を押した。


 それに続き、裕子も押した。


 三田は大村と裕子に礼を言った。


「若社長、それにべっぴんさんの彼女さんよ、恩に着るぜ。しかし、若社長も隅におけねぇ~な~。こんなに可愛い彼女がいるとはよ~。まっ、野暮な話はこの辺にして失礼するよ」と、裕子に興味を抱き、まるで値踏みする様な、いやらしい眼光を向けながら事務所を出て行った。


 ほどなくして三田は、仕事仲間に別れの挨拶をし、退職していった。



 4.


 それから数日後、ある日の日曜日。


 その日は、長い付き合いのある取引先から急な電話が入り、週明けに納品する予定の品を、繰り上げて届ける事になった。


 夕暮れ時。従業員が誰もいない工場。


 大村が得意先に納品を終えて、工場に戻って来た時、見慣れない車が一台停まっていた。


 見るからに高級とわかる、下町の工場地帯には、不釣り合いな黒塗りの車。


 大村が事務所の階段を登ろうとした時、まるでずっと監視され、見計らったようなタイミングで、男に話かけられた。



「あんた、大村さんか?」と、男は尋ねてきた。


「ええ~、そうですが。どちら様で?」と、大村が答えると、男は少しホッとした様子で、しかし、その表情の下には、逃げた獲物を捕らえる事ができた安堵と、狩りを成功させた勝者の自信を併せ持った顔がのぞいていた。


「まっ、こんな所で話するのもなんだからよ、少し邪魔させてもらうぜ」と、男は大村の肩に手を回しガッチリと抱え込み、二階の事務所に通じる階段を登りだした。



 大村は事務所兼応接室となっている二階の応接室に男を通した。


 男は備え付けられている応接セットのソファーに遠慮する事なく、ドカッと腰を下ろした。


「安っすいソファーだな、大村さん。すぐ帰るからよ、お茶なんて出さなくていいぜ」と、無遠慮な物言いで、お前もこっちに来て座れと促した。



 大村は、その威圧感に震えた。


 心拍が一気に上がる。


 震える足に真っ直ぐ歩け!と、言い聞かす様に頭の中で念じ、男の座る前に進んだ。


「ま~、座れよ」と男が言う。


 大村は、空いているソファーに、震える足を何とか制しながら、腰を下ろした。


「そう言えば、紹介がまだだったな。俺はこういう者んだ」と、懐に仕舞っていた真っ黒い名刺を差し出した。




 ――遠一金融 代表 遠藤 真一



 と、金箔をおした豪勢な文字が飛び込んできた。



 全く身に覚えがない大村は、戸惑いながらも、恐る恐る遠藤に用件を伺った。



「あの~、どういった用件でしょうか?うちはこの通り小さな工場ですが、あなたの経営する金融会社からは、お金なんて借りていませんが・・・」



「あぁ~、テメ~、寝ぼけてんのか?」



 その筋の者が長い年月使い回してきた言葉。



 遠藤は、首の上までドップリとその筋に浸かった筋モノ――極道だった。



「お前の所によ~、三田って奴がいただろ。あいつによ、かなりの貸しがあったんだよ。それなのに、あの野郎~、何処かに消えちまいやがってな。だから俺も困ってるって、わぁ~け」


「三田は先日うちの工場を退職しましたが。それに私と、どういった関係が?」


「三田がお前の所を退職しようが、しまいが関係ぇ~ねんだよ。それによ、こっちには連帯保証人のハンコが押してある契約書が、ちゃ~んとあるんだよ」



 遠藤は、契約書を大村の目の前で、ヒラヒラと泳がせた。


 確かにそこには大村と裕子の判が押された、有るはずのない契約書があった。


 大村は混乱した。



 ――なぜだ?一体どうして?



 一銭も借りた事が無い、ましてや、今日初めて知った男の手に、有るはずもない契約書があるんだ?



 大村は眩暈を覚えた。



 吐きそうだ。


 そんな事を他所目に遠藤は、こう言い出した。


「そっちの事情なんてよ、俺には関係ぇ~ねんだよ。それとよ、もう一人の保証人、青木か?そいつをここに呼べよ」



 大村の心拍数は頂点まで上がり、呼吸もままならない。


 全く関係のない裕子を、ここに呼ぶわけにはいかない。何としても阻止しなければ!


 そう頭では解っていても、暴力の匂いが言葉の端々に漂う男の威圧感に、言葉が出てこない。



「おぃ!呼べって言ってんだろうが!直ぐによ!」


  遠藤は凄んでみせた。



 大村は、遠藤の凄みに負けそうになるが、何とか自分を奮い立たせ、言葉を振り絞った。


「遠藤さん、すみません!その人を呼ぶ事は出来ません!第一、全く身に覚えのない事を認める訳にはいかないのです」


「だからよっ!ここにちゃんと契約書があるだろが!!借りたもん返すのが人の筋ってもんだろが!」


 遠藤は、そう言うが早いが、応接セットのテーブルを足の裏で派手に蹴り飛ばした。


 大村は竦んで動けない。


 情けない、何て情けないんだ!と、自分を責め立てるが動けない。


 ただ、ただ、震えが収まらず、ソファーから動けなくなっている自分がそこにいるだけだった。


 遠藤は我慢の限界を迎えた。


 大村の髪の毛を掴み上げ、床に引きずり倒した。床に倒れこんでいる大村の横腹に目掛けて、つま先で蹴り上げた。


 遠藤のエナメルの靴が、横腹深くめり込み、肋骨を砕いた。更に頭部を何度も踏みつけた。


 大村は、遠藤のされるがままに、激しい蹴りを幾度も喰らった。



 ――殺される。



 大村は死を覚悟した。



 が、覚悟が足りなかった。



 情けない自分がそこにいると認識は出来ても、死にたくないもう一人の自分が、死の恐怖に抵抗する。



 ――死にたくない、助けてくれ!裕子。俺は死にたくない!



 そして大村は自分に負けた。



「遠藤さん!もう許して下さい!裕子を、青木をここに呼びますから。どうか許して下さい!」


 無様に腫れた顔と、体中に広がる痛みに、呻きながら遠藤に泣きついた。


「なんだよ、ちゃんと出来るじゃね~か。こっちもついカ~ッとなっちまってよ~、悪かったな、お・お・む・ら・さん」


 遠藤は暴力がもたらした高揚感に酔いしれ、上機嫌な声で、上辺だけの嫌らしい物言いで、大村に詫びた。



 大村は、震える手で裕子の登録番号を探し、電話を掛けた。



「もしもし、俺、健二……」


「もしもし、健ちゃん?」


「悪いんだけど、今すぐ工場の方に来てくれないか?」


「えっ?どうしたの?」


「本当に、急にごめん……。今すぐ……来てほしいだ」


「えっ?なに、なに?もしかしてプロポーズされるの?わたし?」


「兎に角、お、お願い!」


「分かった。今から準備して出るから30分は掛かるけど、いい?」


「ありがとう!でも、なるべく早く。待ってる」


 大村は裕子にそう告げて電話を切った。



 すっかり日は落ちていた。



 雨が降りはじめた。



 そして二人の行く末を示すかのように、辺りは闇に飲まれていった。




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