物憂げなマリーナ

かえさん小説堂

「物憂げなマリーナ」

 私は十三歳の女の子。名前はマリーナ。真っ白でフリルのたくさん飾られたお洋服を着て、木で作られた固い椅子に座っているわ。


 私の髪は金髪よ。でも、サラサラじゃないわ。まるで家の壁に張り付くツタみたいに、うねうねとして、絡まっているの。


 私の肌は、白色よ。本当に白いの。病人みたい。月の光みたい。血が通っていないみたいなのよ。理由は、私の生活を聞いたら分かると思うわ。


 私は、一日中ずっと木の椅子に座っているの。本当にそれだけ。寝ても覚めても、ずうっと一緒よ。窓の外を眺めているだけ。ね、退屈だと思うでしょ? でもね、私はここを動いちゃいけないみたい。


 あ、それでも、ちょっとだけ楽しみはあるわ。窓の外は、たくさんの人が通るの。

 男の人、女の人、男の子、女の子、おじいさん、おばあさん…。

 たくさんのいろんな人よ。みんなは私と目を合わせてくれるの。しばらくしたら、さよならも言わないでどこかに行ってしまうんだけどね。


 大抵の人は、難しいことを考えていそうな、とっても真面目そうな顔をしているんだけど…哲学のことについてでも、考えているのかしら。やっぱり、世間の人っていうのは、みんな、人間についてとか、神様についてとか、考えているみたいね。私にはよくわからないけど、大人になったら、興味がわくものなのかしら。ソクラテスだとか、カントだとか、さっぱりなのだけど。


 私は、お友達が欲しいわ。同年代の、一緒にお話しだとか、遊んだりだとかしてくれるお友達よ。私はいつも独りぼっちなのだもの。目が合う人達はいっぱいいるけれど、話しかけてくれる人なんて、一人もいやしないのよ。そんなの、寂しいでしょう?


 それに、私はもっと笑いたいわ。だって私、いつもいつも退屈すぎて、ぼうっとしているだけなんですもの。笑ったり、泣いたり、そんな感情の変化がないの。


 私、外に出てみたいわ。窓から眺めるだけなんて、もう飽き飽きしちゃうもの。


 私といつも目を合わせてくれる人達は、いったいどこから来るのかしら。ずっと近くかしら。それとも、うんと遠くかしら。


 世界って、広いの? 私は、小さな窓の小さな世界しか知らないわ。もしかして、私が知ってるのよりも、うんと大きなものかもしれない! それなら、なおさら見てみたいわ。


 あの人たちは、いったい何を考えているのかしら。やっぱり、哲学のこと? でも、なかには、私よりも小さな男の子だとか、女の子だっているわ。その子たちも、あの難しいことを考えているの? ううん、もっと違うことかもしれないわね。お話してみたいわ!


 ああ、そういえばこの間、私と目を合わせてくれたおじいさんがいたわね。あの人は何を考えているのかしら?


 あのおじいさんは、少し変わった人だったわ。私と目を合わせている時間が、他の人よりも長かったの。一瞬、私の顔に何かついているのかと不安になったわ。

 

でも、他の人はいつもと変わらない。おじいさんだけが、私のことを長い間、じっと眺めていたの。それも不思議なことに、初めて会ったそのとき以来、よくおじいさんが私のところにやってくるようになったのよ。

 今までに私が顔を覚えるまで頻繁に来てくれる人はいなかったから、とても驚いたわ。それと同時に、私はとても嬉しかったわ。初めての顔見知りができたのよ!


 立派な杖を持った、茶色いコートのおじいさん。その人は、とても豊かな感情を私に見せてくれたわ。


 ある時は、とても嬉しそうだった。表情にはあまり出ていないけど、私には、なんだか分かるような気がするの。きっと何か、いいことがあったんだわ。


 またある時には、とても悲しそうだった。何か嫌なことでもあったのかしら。


 またまたある時には、私にはよく分からない感情を出していたわ。嬉しい、とも違う、悲しい、とも違う。寂しい? でも、そんな言葉でも、なんだか釈然としないわ。あの感情は、いったい何なのかしら。私の知りたい事が、また一つ追加されたわ。


 おじいさんと私は、一度だってしゃべった事はないわ。いつも黙って目を合わせているだけよ。だけどなんだか、私は、おじいさんとだんだん仲良くなっているような気がするの。おじいさんが私のことをどう思っているかは、私には分からないわ。


 でもね、こんなにたくさん会いに来てくれるってことは、おじいさんは、私のことを嫌ってるんじゃないと思うの。そうだといいなって、思ってるだけかもしれないけど…。


 やっぱり、私は外の世界が知りたくてたまらないわ!


 今は世界のことだけじゃなくて、あのおじいさんとも直接会ってお話してみたいわ。見たことも聞いたこともないようなことが待っているに違いないもの。


 もしも世界が、私が想像しているような、楽しい世界じゃなかったとしても、こんな固い椅子の上よりかは、ずっといいと思うのよ。そうでしょ?


 私はいつまでもここにいたくないわ。たくさんのことを見て、聞いて、たくさんのお友達を作って、たくさんの知らないことを知って、たくさんの…ああ、言い切れない!


 えっと、確か、私は知ってる……ああ、そう、自由! 自由が欲しいのよ、私は!


 ええ、私はもう一人じゃなくなるわ。こんな小さな窓からはおさらばよ。今までどうしてこうしなかったのかしら?


 私は誰も見ていない時を見計らって、椅子から立ち上がり、窓のフレームに足をかけたわ。

 ちょっとドキドキする。でも、あの椅子に戻りたいかって聞かれたら、間違いなく私は「いいえ」と答えるわ。



 私は思い切って、窓の外に身をなげた!


*****



 俺は、若いころから向こう見ずで、意地っ張りで、頑固な性格だった。小さな頃から親父には歯向かったし、十三歳の頃には村の悪ガキたちとつるんで、悪戯をしたり、悪ふざけをしたりと、とにかく手の焼ける奴だった。


 俺は、とても自信家だった。誰も俺に敵う奴なんていないと思ってたし、俺が一番強くて、勇敢なんだと、本気で思っていた。


 今思えば俺は、あの頃の生活に飽き飽きしていたんだろう。村の静かな畑で毎日手伝いをして、時々悪さして、親に怒られて、…そんなことを毎日毎日。悪さをするのだって、あの静かで薄気味悪い田舎の空気を紛らわすためだった。


 俺にはなにもかも、つまらなかった。全部おんなじ景色だ。何も変わらない。同じことを繰り返しているだけだ。もしやこんなのが一生続いて、俺がよぼよぼの爺さんになるまでこんなことが続けられたんだとしたら、どんなにつまらないだろうか。


 俺はそのころは、とにかく都会へ行きたがっていた。人々が往来して、町も目まぐるしく変わって、いつもいつも、新しい発見があるような。そのころの俺が思い描く都会と言うのは、そんなものだった。


 気味が悪いほど静かで、見渡す限りに青い草ばかり生えて、人の喋り声よりも、人の足音よりも、牛の呑気な鳴き声の方が大きく聞こえる村なんかとは大違いな場所。俺がまだ見たことのない場所。きっと、俺の知らないことがたくさん眠っているであろう場所。俺はそこへ行って、勇敢に立ち向かいたかった。


 けど、それはある時に急に一変してしまった。


 村に、都会から引っ越してきた一家が住み着いた。金持ちの一家だ。村には似合わなさすぎるほどの大きな屋敷を構えて、当時にはまだ珍しかった車を走らせるような奴らだった。


 その一家の子供が、俺たちが遊んでいるところに入りたがっていた。でもそいつはとてつもなく上から目線の奴で、いつも、


「貧乏人の君たちと遊んであげるよ」


 と、悪びれもなく言っては、勝手にボールやら遊び場などを取っていくのだ。

 俺は最初は、黙って見ていた。何せ、まだ新人だ。村に慣れていないだけかもしれない。きっと時間が経てば、仲間に加えてやれるような奴になるはず。

 

 そう思っていたが、ある時、俺の堪忍袋の緒が切れることがあった。


 俺の仲間の一人が大切に使っていたボールを、金持ちの子供が川に流してしまったのだ。そのボールは、貧しい生計を絞り出して買ってもらったものだというのを、俺は知っていた。だから、俺はその金持ちに、謝れと言ったんだ。

 

 するとそいつは、


「あんなボール、どこでだって買えるだろ。それに、あんな汚いボールなんか大切に持ったって、しょうがないじゃないか。君も、お別れできてよかっただろう」


 と、至極当然のことをしたかのように吐き捨てた。


 俺は頭に血が上って、そいつに掴みかかった。

 当時の俺は、村で一番喧嘩が強かったから、金持ちなんかに負けるはずがないと思っていたんだ。


 けど、結果はあっさりと俺が負けた。


 どうやら金持ちは、小さい頃から護身のための武術を習っていたらしい。そんなことも知らずに無暗に飛び込んだ俺の素人同然の動きは、奴には他愛もないことだったんだろう。


 それきり、奴は親にもチクったらしく、俺の家に嫌がらせをされるようになった。


 俺の仲間たちも引き込んだらしく、仲間だった奴らからも悪質な嫌がらせを受けて、とうとう俺は、村に居場所がなくなった。


 そんな中、俺の親は、俺の妹をお腹に宿していた。そのころには、もうすぐ生まれるか、となっていた頃で、俺が毎日、狭い壁の中で暮らす思いで生活している時に、妹はタイミング悪くも生まれてきてしまった。


 俺は、もうすっかり大人しくなってしまった。悪さもしなくなった。それと同時に、あの都会への夢も、根拠のない自信と共にかなぐり捨ててしまった。


 俺は変化が怖くなった。村にあの金持ちの一家が住み着いてから、俺の生活は一変したんだ。俺は毎日、とても楽観的に、馬鹿な夢を持って暮らしていたというのに、なんだか、世界の掟か何か、とても厳粛で敵わないようなものを突き付けられたのだ。あの頃が幸せだったと分かった。


 無知とは幸せだ。何も知らないうちが一番いいのさ。夢は叶えちゃいけないんだ。さもないと、思い描く理想と現実とのギャップに、打ちひしがれることになる。


 俺はまるで村を生き映したかのように静かな少年になり、ひどい時には一日に一言も発さない日もあった。とにかく現状維持。この安全な状態から、決して抜け出してはいけないのだと。


 俺の家は、村のやつらからの嫌がらせによって、ずいぶんとボロボロになってしまった。深夜に窓ガラスを割られたり、庭に咲いてる花や草を踏み潰されたりと、好き勝手された。


 両親は、決して俺のことを責めたりはしなかった。だからこそ余計に傷ついた。いっそのこと責め立ててくれれば、楽だったのに。


 家族ともども、村に居場所がなくなった。俺の家の稼ぎでは、その日その日を乗り越えていくので精一杯だったのに。おかげで俺の家はどんどん貧しくなっていき、妹も俺も、やせ細っていくばかりだった。


 妹だって、俺と同じように嫌がらせをされた。


 俺は妹を守ってやるつもりだったが、いつもいつも、俺がその現場を目にすると、後ずさりして見ていることしかできなくなっていた。情けない奴だと、自分でも思う。


 妹は、感情の起伏が少ない子だった。いつもぼうっとして、遠くを見つめている。そして、とても無口な子だった。


 嫌がらせを受けても、ちっとも助けを呼ばないんだ。悲鳴すらもあげない。きっとそのころはまだ、物事の分別がつかなかっただけかもしれないが、抵抗の色も見せることもなかったのだ。

 

 時が流れるのは、思ったよりも速かった。俺が十八になった頃、いつも通りの仕事をこなして、別に何をすることもなく、只々一日の時間が過ぎるのを待つ日々を送っていた時だ。


 その時俺は、何の心情の変化か、絵を描くようになった。たぶん、何もしないということに飽きてしまったんだろう。一人でできて、かつ、目立たず、ひっそりとできることといえば、そんなことしか思いつかなかったから、とりあえず家の中にあった羊皮紙に落書きをしてみたんだ。


 すると、今までは長ったらしく過ぎていた時間が、あっという間に過ぎていった。絵を描いているうちは、何もかも忘れて、集中することが出来たのだ。それから俺は、暇な時があれば絵を描くようになっていた。


 俺の仕事というのは大層暇なものだったから、ほとんど一日中、絵を描き続ける日もあった。いつしか俺の家には、俺の作品がたくさん飾られることになり、俺の世界が数々の展開されていった。


 俺が二十六の時に、妹は流行りの感染症にかかってしまった。その時の感染症には、まだ具体的な対処方法が提示されておらず、感染したら一巻の終わり、死ぬまで苦しみ続けるしかないとされていたので、俺は妹が死ぬ覚悟を、早いうちに決めた。


 そして俺は、妹が元気なうちにと、妹を木の椅子に座らせて、その姿を絵に描いた。


 妹は何を言うこともなく、静かに座ってこちらを見つめるだけだったが、あの時のあの子には、十分すぎるものだった。


 その絵が完成すると、間もなく妹はこの世を去った。まだ十三歳の、稀有な娘だった。


 そんなことが起きると、俺が悲しむ間もなく、戦争が始まった。どこかの民族同士の争いだったのが、とてつもなく大きな戦争になるらしく、俺は早々に故郷の国を離れることになった。


 その時に、俺の妹の絵は、いつしか姿を消してしまったのだった。


 てっきり、戦争のときに燃えてしまったものだと思っていた。あの妹の生き写しは、この世に存在しないものだと思って。その長い時間、俺は惰眠を貪りながら生きながらえていた。


 しかし、そんなときだ。俺がふらっと立ち寄った美術館に、あの妹の絵が飾られているじゃないか。

 俺は大層驚いた。そして再び、妹の姿と対面できたことに喜んだ。あの時のことが鮮明によみがえる。あの純粋で無口な妹のぼうっとした顔が、そこにあった。


 俺はその美術館に足しげく通った。妹と再会できたことがそんなに嬉しかったのかと、自分でも驚いたが、その美術館で妹の姿を見るのは、老後のささやかな楽しみにすらなっていたのだ。




 黒いラジオから、錆びだらけの音が鳴る。そのニュースキャスターの器械的な声が、坦々とニュースを語るうち、俺は耳を疑った。


「昨夜、○○美術館の展示品、「物憂げなマリーナ」が、何者かによって添削されたようです」


 誰がそんなことを。俺は胸がカアッと熱くなるのを感じた。


「この作品の中心に座る少女の姿がかき消され、木の椅子だけが残ってしまったそうです。この作品は、かの世界戦争の際に制作された作者不明の作品であり、激しい戦火の中を奇跡的に焼けずに残ったものとして、貴重な作品でありました。警察は操作を進めており……」


 俺はすぐに身支度を整えて、美術館へと足を運んだ。



 案の定、その絵の前では人だかりができていた。俺は人の荒波をなんとかかき分け、妹の前に躍り出る。


 そこに座っているはずの妹の姿は、ニュースでやっていた通り、なくなってしまっていた。他は何もいじられず、その妹の姿だけがなくなっていたのだ。


 俺は直感的に、妹がこの絵の中から逃げたんだと思った。それと同時に、なんだか昔の自分の姿とが相まって、泣きそうな気持になった。

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物憂げなマリーナ かえさん小説堂 @kaesan-kamosirenai

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