特別を普通に




 そうこうしているうちに、四人は施設中央部に作られた温室庭園までたどり着いた。

 温湿度を徹底管理された庭園には、生息地や見頃の季節を問わない様々な草花が生い茂る。木々の間を鳥が飛び、人工池には魚影が浮かぶ。木の実を食べる小動物の姿もあった。


 ここは施設に軟禁状態にあるラヴィのために造られた、小さな生態系の箱庭。少しでも心穏やかに暮らせるよう、関心の高いものを集めていったらこうなった。どうやらラヴィは命あるものが好きらしい。


「ラヴィ、大好きなママティが来たよ〜」


 ガラス張りの温室にフィリップのよく通る声が響き渡る。

「あっ、ママティってのはママとアネット嬢のあだ名を組み合わせた呼び名でね」と要らぬ解説が始まりそうになったその時。頭上を飛ぶ鳥を見上げていたアーティの背中に、小さな影が飛びついた。


「まー、おあ、っりぃ」

「ふふっ。ただいま、ラヴィ」


 アーティはすっかり慣れた様子で耳元で切り揃えられた髪を撫でる。始めは真っ白だった髪は、何度かアップデートを繰り返していくうちに母と同じ赤毛へ変化していた。


 コーディネーターの称号を最初に与えられたアーティの器作りの根本は、対話だ。好きなもの、嫌いなもの、理想や夢を語らいながら、望む姿を一緒に作り出す。相手を知ろうとする彼女の共感力は魂魄類こんぱくるい生物の性質と相性が良い。残念ながらHITO型しか直接視ることは叶わないが、その器の完成度は他を凌駕する。


「ラヴィ、ボクのところにもおいで! 身体測定をしよう! ギュってしてあげる!!」

「ヤッ!!」


 興奮気味に両手を広げるフィリップへ冷たい視線を寄越し、アーティの背後へそそくさと隠れてしまった。ラヴィは会うたびに騒がしいこの幼稚なおじさんが大の苦手なのだ。


 いつも通り撃沈したフィリップを、呆れ顔のカタリナが半目で見つめる。


「全力で嫌がられてますねぇ」

「こうなったらホルモン注射でもしてボクも母性を宿すしか……」

「たぶん、そういう気色悪いところが嫌いなんだと思いますぅ」


 義体のメンテナンスでララと親交を深めるうちに、カタリナの言葉も鋭さを増していた。警護責任者に守られるはずがボコボコにされた所長は、シクシクと鬱陶しい泣き真似を始める始末だ。


 一方、ラヴィは母の細腰に猫のように擦り寄った。だがその愛らしい仕草に反して、表情筋が全く動かない。アーティはその場に膝を着くと、心と身体の連鎖反応が上手く機能していない子どもを抱きしめた。持てる愛情の全てを込めて。


 五年前に情報転写式具現装置リアライズで生み出された命は、今もなお人間になるための情報更新アップデートを繰り返している最中だ。身体の機能が拙く、言葉は理解できるが上手く話せない。出生時に壊死した両足には電動義足が宛がわれた。食べて寝ても成長することはなく、こうしてアーティが定期的に訪れて情報更新アップデートをすることで、少しずつ人の形を整えている。


 居住区を一歩出れば顔馴染みの研究員の前にさえ姿を現すことは滅多にない人見知りなラヴィだが、アーティにだけは喜んで姿を現す。その様子は母を求める子どもそのものだ。


「ねぇ、俺もいるんだけど?」

「…………」


 アーティが母であれば、あの場にいたマコトは父のような存在と言えなくもない。が、ラヴィはマコトを薄目で見上げ、大好きな母に抱きついたままフイっと視線を外した。この通り、全く心を開いていないのである。


 と言うのも、愛情の大きさに比例して心が狭くなったマコトは、アーティに無条件で甘えまくるラヴィに大人げなく張り合ってしまうのだ。ラヴィにとっては父というより、母を独占する悪い男に見えるらしい。あながち間違ってはいない。今日だって大好きな母にわざわざ所有印をたっぷり刻んで来られて、おもしろいはずがない。父親譲りの淡黄色の目(不本意だが)には、全てお見通しなのである。


「少し歩いて落ち着かせて来ます。マコト先生も一緒に行きましょう?」

「むぅ……」

「嫌ならここで待っててもいいですよ」


 渋るパートナーへ少しだけ意地の悪い言い回しをする。すっかり強かになったアーティの尻に敷かれたマコトは、慌てて二人の後を追った。


 庭園に残されたカタリナは三人を見送る宇宙鉱石の瞳を細め、ぽつりと呟く。


「ああしてると、なんだか普通の家族みたいですねぇ」 


 子どもの両手をそれぞれ繋いで横並びに歩く後ろ姿はどこにでもいる親子のようで、少し不思議な気分だ。一人はKAMI型巨像の専用食、一人は人になろうとしている途中の命、一人は、ただの人間。少し前までは考えられなかった光景に感慨深くなるのも無理はない。


 泣き真似を止めたフィリップは元部下の隣に立ち、同じように三人の背中を微笑ましく眺めた。


「もうすぐあれが当たり前になるんだよ。誰も特別じゃない、当たり前にそこにいて一緒に生きていける世界が、きっとボクらを待ってる。それってちょー面白そうだよねっ!」


 彼らが繋いだ奇跡の連続を、今度は世界に起こしていく。変わりゆく未来を仲間たちに託して自ら命を絶った者たちのためにも。


 カタリナのボディは今もララから譲り受けたスペアを改修して使用している。マスターピースメイドの義体は、感情指数と連動した身体的反応が顕著に表れるのが特徴だ。さらりと風に揺れる短い銀髪を思い出して、胸に鈍い痛みが走る。不快だが、鋼の身体になっても忘れたくない痛みだ。


 瞬きでそれを鎮めた最新鋭のアイデバイスに、ちょうど着信が表示される。それはパリ市内にある産婦人科の番号で、出産を間近に控えたクロエのかかりつけ医からであった。



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