第99話 交わらなかった旅路の果て




「おいおい、お前まで食われてどうすんだよ」


 懐かしい声が茶化すように語り掛ける。マコトは重いまぶたを恐る恐る開けた。

 途端、視界にノイズが走る。解像度の悪いモニターを覗いているような感覚は、まるで百年前に見たブラウン管テレビだ。だが、音声だけはやけにはっきりと聞こえる。


 知らないことは何もないと語るような、自信と余裕に満ちた声。マコトに世界のことを教え、望みを叶えるレンズフィルターを創ってくれた。


 それまでノイズだらけだった視界がピントを合わせるように少しずつクリアになっていく。

 一面に広がっていたのは平衡感覚を失わせる真白の空間。そこに、彼はいた。


「マスターピース……?」

「よぉ」


 ジャパニックの最中さなかにHITO型に喰われて死んだはずの友が、白い歯をニッと見せて笑う。

 鳶色とびいろの癖毛が彩る端正な顔立ち、それに見合わぬ穴だらけなトレッキングシューズ。鍵を使って相棒の暴食猫と共にいとまなく世界中を旅していた、あの頃の浮浪者のような姿のままだ。


「……生きてるの?」

「いや、肉体的には死んでる。お前も、こいつも」


 そう言われて、マスターピースがローブにすっぽりとくるまった何かを横抱きにしていることに気づく。闇夜をそのまま纏ったようなローブは、フランチェスカが着ていたものだ。


「じゃあ何でまだHITO型の腹の中にいるんだよ。魂の循環は?」

「こいつが来るまで待つって駄々こねたら、案外あっさり許可が出てさ」

「巨像相手に駄々こねたの……?」

「言ってみるもんだよなぁ、何でも」


 ローブに隠れた顔を覗き込む横顔は柔和で、口元に愛情深い皴を刻む。生前に和解することが叶わなかった二人は、生まれた腹の中に還ってようやく語らうことができるのだ。


 だがまさか、そのために大切な弟分まで巻き込まれてしまうとは。


「悪かったな、マコト。結局お前に全部押しつけちまった」

「俺がしたくてやったんだよ。あんたに頼まれてなんかない」

「それでも、だ。……全部、俺が撒いた種なんだよ」


 そう言って、マスターピースはおもむろに歩き出す。


 彼の背中へ視線を送ると、真白の空間はいつの間にか広大な大地へと変わっていた。青空はどこまでも果てなく続き、延々と連なる山々が遥か遠くに見える。風が運ぶ潮の匂いまで感じて、ここが巨像の腹の中だと忘れてしまいそうだ。


「この世界に生まれ落ちた瞬間から、俺は選択を間違えた」


 あの日、あの瞬間。

 杖を創り与えるだけでなく、「共に行こう」と手を引くべきだった。初めて体験する何もかもに胸が高鳴るばかりで、なぜHITO型が二人を同時に生み出したのか、気づくことができなかった。いや、考えようとすらしなかった。


 ようやく理解したのは、無残にも肉体を燃やされ彷徨さまよっていた魂を見つけた時。


「人は一人では生きていけない。群れを成してコミュニティを作り、つがいを育む生き物だ。だから巨像は最初に俺たち二人を生み出した。……離ればなれになっちゃ、いけなかったんだ」


 土から作り出した仮の身体は冷たく、触れ合う度に失ったものを思い知る。もう二度と取り戻せない温もりを憂い、今度こそ大切にしようと誓っても――……結局、何もかもが遅すぎた。


「こいつを化け物にしたのは人間でも巨像でもなく、独りぼっちにした俺なんだよ」



 見果てぬ大地、人々の営み、砂漠の街に焚かれた業火――二人の変遷を辿るように、次々と景色が移り変わる。



 今度こそ二人で手を取り歩き出したはずの旅は、今思えばよくできた作り物のようだった。笑いかければ微笑み返され、雨の日は屋根の下で背中を預け、同じ景色を見渡して。

 なぜ最初からこの幸せを選択できなかったのかと後悔せずにはいられない。マスターピースが感じていた独善的な安寧の裏で、人々の怨念に穢されたフランチェスカが手を染めていた凶行を知ってから、ずっと。


 あれほど心酔していた創造主への憧憬は、砂漠の業火によって憎悪へと塗り替えられていた。呪いが囁くままデイドリーマーズの絶滅を望み、旅の道中に同胞を捕えては巨像に喰わせていたなんて。

 その事実が発覚して激しく詰め寄るマスターピースに背を向け、フランチェスカは忽然こつぜんと姿を消してしまった。


 共に生まれた存在は、もうこの世のどこにもいない。理解し難い存在を畏怖する人々の恐怖と憎悪の炎に焼かれて、跡形もなく消えてしまったのだ。


 それでも諦めきれなかったマスターピースは、ひたすらに旅を続けた。

 これ以上同胞を犠牲にするわけにはいかない。専用食たちにとにかく身を隠すよう助言を与えて回った。するといつのまにかRIKU型巨像から生まれた暴食猫が横を歩き、希少なKAMI型の専用食に懐かれ、柔軟な思考回路とぶっ飛んだ構想が好きな人間の友に恵まれた。


 悪くない旅だったと思う。だがやはり、歩き続ければいずれ終着点へ辿り着く。

 目紛めまぐるしく移り変わっていた景色は、高層ビル群が連なる東の大都市を映し出した。


 トーキョーで邂逅を果たした始まりの二人の前に、太平洋沿岸からHITO型が襲来した。上機嫌なスキップの着地音は、全てを破壊し尽くす長く深い地鳴り。立っていられないほどの大きな揺れが地面を食い破り、ビルを崩し、津波を引き連れ、あらゆるものを引きずり込む。

 そしてフランチェスカの企み通り、マスターピースは震源地のど真ん中でHITO型に喰われた。伝えたかった言葉も、伸ばした手も、何一つ届くことなく――。



 それが今、最後まで追い求めていた存在が腕の中にいる。



「魂の穢れはデイドリーマーズに喰われることでしか浄化できない。お前がこいつをHITO型に喰わせてくれたおかげで、やっと呪いが解けたんだ。……ありがとな」

「……正直そこまで考えてなかったけど、役に立てたならよかった」


 しかし、その代償はあまりに大きすぎる。失った肉体はもう蘇らない、フランチェスカのように――。


 承認欲求の化け物だった頃のように悠久の時を当てもなく永遠に彷徨さまようか、全てを諦めてKAMI型に喰われ輪廻に身を任せるか。魂だけの存在になってしまったマコトに残された選択肢は少なく、どれも虚しい。

 結局、アーティに「ただいま」を言うことは叶わなかった。


 意気消沈するマコトを横目に見て、マスターピースがふっと笑う。


「なあフランチェスカ。久々に、やろうぜ」


 愛おし気に語り掛けると、横抱きにしていた身体がもぞりと身動みじろぎした。


「……寝言は寝てから言いなさい、マスターピース。私が機械の身体に定着できていたのは、の恩恵です」


 冷たい機械音声ではない肉声は、それまでの威圧的なイメージと反して高い。つっけんどんな態度からは親しみすら感じられた。それが懐かしくて嬉しいのか、憎らしいほど端正な色男はだらしなく破顔する。


「魂を定着させるには、それに見合った器が必要です。死体でも残っていれば話は別ですが、彼の肉体は完全に消失しました。もう二度と器は創れません」

「いいや、最適な材料ならあるさ、あそこに」


 彼が自信満々に指を向けた先にあったのは、浅瀬で泣き崩れるアーティの姿だった。



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